私の大好きな彼氏はみんなに優しい

第89話

　あれからずっと、先輩は私を抱きしめて離さない。

　先輩の腕の中にいると、時間が止まったような気がする。

　現実のすべてが一瞬だけ消え去るように感じる。

　先輩の呼吸のリズムが私に伝わり、その心拍が穏やかさをもたらす一方で、何かがまだ解決していないことを感じ取る。

「先輩、」

　私は静かに呼びかける。

　先輩の抱擁が少しだけ緩まり、私は彼の顔を見上げた。

　先輩の目には、深い思いが込められているように見えるが、その真意を読み取ることはできなかった。

　先輩は今、何を感じて、何を考えているんだろう。

　彼の手が少し震えていることに気づき、その震えが彼の内心の不安を物語っているように感じた。

「もう少しだけ」

　先輩の力が再び強くなった。

　彼の抱擁の強さに息苦しさを感じると同時に、彼の気持ちの深さが伝わってくる。

「く、苦しい…」

　私は先輩の抱擁の強さに息苦しさを感じた。

　彼が自分の気持ちに押しつぶされているかもしれないという思いが広がる。

「あ、ごめん」

　先輩はすぐにその力を緩めた。

　そのとき、沙紀先輩の声が現実に引き戻す。

「柊、そろそろ行かないと、学校遅れちゃうよ」

　私たち、いつまでこうしてたんだろう。
　時間の流れなんて、全く気にもならなかった。

「…そうだよね」

　先輩の声が少し疲れたように聞こえた。

　その声にはまだ重いものが感じられる。

　あの人と、何を話したんだろう。
　何を話してこんなに…

「沙紀先輩も、ごめんなさい。待たせてしまって」

　私は沙紀先輩に謝罪の言葉を口にする。

　まぁ、謝る必要なんてないんだけど。一応、ね。

「ううん。何があったかは分からないけど…あの人からの電話、なんだよね？」

　沙紀先輩の言葉に、胸の中で怒りが沸き上がる。

　分かってるくせに。
　指示を出してるのはいつだって先輩なんだから。

「…はい」

　私は短く答える。

　顔には出さないように、心の中にしまった。

「そっか、」

　その言葉の背後に何かが隠されているように感じたけど、それを読み取ることはできなかった。

「沙紀、ごめん。先に学校に行っててくれないか」

　先輩の言葉が、少し緊張を伴っているように感じた。

「え…？」

　沙紀先輩の驚きが伝わる。

　私も、自分の耳を疑った。

　まさか柊先輩が、沙紀先輩にそんなことを言うなんて。

　一人で登校させるなんて、先輩は心配じゃないのかな。

　もちろん心配する必要なんてないんだけど、柊先輩はその事実を知らないから、何がなんでも守ろうとすると思っていたのに。

「心桜に話さないといけないことがあるんだ」

　先輩の言葉に、胸の中で不安が広がる。


　沙紀先輩を先に送り出してまで話さないといけないことって、何…？


　不安で、たまらなくなった。