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妻が気になる夫と娘が気になる妻(9)

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◇◆◇◆ ◇◆◇◆

 年甲斐もなく、彼女に反応してしまったことを恥じていた。

 目の前で食事の準備をしている彼女を意識しないように、気持ちを鎮める。
 だが、じっと彼女を見つめ過ぎたようだ。

 イグナーツの視線に気づいたオネルヴァは首を傾げてニッコリと笑う。

「どうかされましたか? まだ気分がすぐれませんか?」
「いや……」

 そう答えてみるが、腹の奥底には怒りの火種がくすぶっていた。あれだけイグナーツをたぎらせておきながら、その原因を作った彼女は、何事もなかったかのような表情をしている。

「旦那様、食事の準備が整いましたので。わたくしは先に休ませていただきますね」

 その場を立ち去ろうとする彼女の手首を、がしっと掴む。

「今日は、その……君と共に寝たいのだが?」

 そう言葉をかけたときの、彼女の反応が見たかった。少しは意識してくれるのだろうかという淡い期待を抱きながらも、やはりそのような感情が生まれている事実が腹立たしくも感じる。

 自分で自分の気持ちがわからず、うまく制御ができない。

「承知しました。旦那様のお部屋にいけばよろしいですか?」
「いや……二人の部屋で……」

 口の中がからからに渇いていた。

「はい。旦那様の魔力が、まだ安定していないのですね」

 違う、と言いたかったが、その言葉を吞み込んだ。彼女に振り回されているのが悔しい。

「今も、お側にいたほうがよろしいでしょうか?」

 即答できなかった。
 いて欲しいし、いて欲しくない。

「いや……先にいって休んでいなさい……。今日はこのような時間にまで付き合ってくれて、ありがとう……」

 彼女の手首を解放した。

 オネルヴァは蕩けるような笑みを浮かべて、頭を下げた。

 部屋を出ていくまでの一連の動作を、目で追ってしまう。

 扉がしっかりと閉じられてから、イグナーツは深く息を吐いた。

 なぜに、二人で寝たいなどと口走ってしまったのか。
 心のどこかに罪悪感すら芽生えている。

 イグナーツがこの時間に食べるのは、野菜や肉を柔らかく煮込んだスープである。時間も遅く、年も年であるため、食べ物によっては次の日に影響も出る。だからといって食べないでいると、寝台に潜り込んで休もうとすると、一気に空腹を感じる。

 そのような中でちょうどよく食べられるのが、このスープなのだ。
 薄い味付けは素材の味を生かすためと、イグナーツの身体を考えてのことだろう。

 だが今は、何も味を感じなかった。ただ紙を食べているような感覚にとらわれる。

 それでも義務的に手を動かし、スープを腹の中へとおさめていった。
 食べ終えた食器をワゴンへと戻す。呼び鈴を鳴らせば、この時間であってもパトリックが取りにくるだろう。だが、時間も時間なだけに気が引けた。

 部屋の外に置いておけば、気がついた誰かが片づけてくれる。

 そろりと立ち上がったイグナーツは、執務席に深く座る。急ぎの書類に目を通し、必要なものには押印する。
 いや、むしろ急ぎの案件などない。イグナーツが不在であってもパトリックをはじめとした使用人たちがなんとかしていたのだ。

 最後の一枚の押印を終え、背中を椅子に預けた。ギシリと音が響く。
 少し頭が痛いような気がした。手の甲を額に押し付け、目を閉じる。

 間違いなくイグナーツはオネルヴァを意識している。彼女がここに来ることでそうなることは最初からわかっていた。きっと、彼女に惹かれるだろうと。イグナーツの本能がそうさせるだろうと。

 だから最初にわざと牽制した。彼女に求めるのはエルシーとしての母親であって、イグナーツの妻ではないと。
 だが、オネルヴァはイグナーツを家族だといい、救ってくれた。突き放したつもりだったのに、いつの間にか彼女に引き寄せられていた。

 それが『無力』の力なのだ。イグナーツはいずれオネルヴァを求めるようになる。それがわかっていたからこそ、この結婚を引き受けたくなかった。

 それでもエルシーを盾にされてしまっては引き受けるしかなかった。

 そう思い返しながらも、本当にそうなのかと自問する。
 エルシーを言い訳にしているだけではないのだろうか。
 椅子を軋ませながら立ち上がり、部屋を出た。


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