本気で死のうとはしてないのでそんなに心配しないで下さい。ちょっ、近い! もっと離れてっ!

ぱっつんぱつお

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婚約者として

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 忘れ物のハンカチのことで連絡があったのは私が帰ってから直ぐのこと。
 残念ながら私は自宅に居らず工房の方にいたので、言伝を預かったのは執事のオリバー。

「忘れて申し訳なかった、そして有難う、といつもより柔らかな声で仰っていましたよ」
「そう……。紳士な貴族を演じるのも大変ねぇ」
「それと御礼も兼ねて明日のディナーに誘いたいと」
「明日!? それは、また、突然ね……」
「どうか……無理はなさらないで下さいね」
「勿論よ。有難うオリバー」

(明日か……。夕方までに仕事を片付ければなんとかなるかしら……)
 頭の中でスケジュールを確認しなんとか予定を合わせれそうだったので、「OKよと返事を出して」とオリバーに頼んだ。決して美味しい御飯にありつけるからとかそんな理由ではない。

 それにしても珍しい。いくらハンカチを忘れたからって明日も会うだなんて。
 いつもなら一ヶ月に一度の食事で、多い時でも月に三度ほど会ったかしら。あまり覚えていないけど確かそれぐらいだったような。
 まぁ美味しい御飯が食べられる、それだけで十分よね。



 *****

「お待たせイーサン……! ごめんなさい少し遅れたわ……!」
「ああエミリー、いいや良いんだよ。綺麗だね、ディナーのためにドレスを悩んでいたのかな?」
「いえちょっと仕事が立て込んでて」
「……そう」

 待ち合わせより十分遅れてレストランに到着し、「ふぅ」と一旦呼吸を整える。
 柔らかな灯りのガーデンテラスで既に待っていたイーサン。彼は従業員より先に私の椅子を引いて座らせた。新緑を揺らす初夏の夜風が心地良い。

「ありがとう」
「もう料理は頼んであるんだ」
「そうなのね! 何が有名なお店なの?」
「主に海鮮料理だけど特に海老が評判でね」
「へえ! 楽しみだわ!」
「先に飲むかい? 白ワイン」
「ええ、戴くわ!」

 仕事終わりの一杯。堪らなく美味しい。
 みくち目を飲んだところで、今日の本題を思い出した。ハンカチを返さねばならない。
 そのまま返すのも何だかなと思い、忘れても失くしても良いようにスペアも一緒に包んで入れた。サマーグリーンをベースにライトグレーとチェリーピンクのチェック柄。季節感を出してみたけどやっぱりイーサンのイメージは私の中ではチェリーピンクで、それだけは外せなかった。
 たぶん白い肌とピンクがかったブロンドヘアにペリドットの瞳が、チェリーピンクと似合うのだと思う。

「有難うエミリー……! すごく嬉しいよ! これは宝物だ、大切にするね」
「大袈裟じゃない?」

 まるで舞台男優みたいに振る舞うから思わず笑ってしまった。
 たいした代物じゃないのにって思うけど、貴族かれらからしてみればグレイスター商会の一点物だから価値があるのかしら。

 ──「お待たせ致しました。鯛のカルパッチョで御座います」
「わ! とても美味しそうだわ……!」
「今日はディナーだから、前菜からゆっくり味わおう」
「デザートもある!?」
「ああ勿論」
「ふふ! 楽しみだわ!」

 いつもイーサンと食事をするときはランチなので、カジュアルな店が多かった。
 だけど今日はディナー。周りの客でさえ洗練されている。そんな中でついこの間まで平民の私は浮いていないだろうか。

「イーサン……! 本当に美味しいわコレ……!!」
「エミリーったら。君こそ大袈裟なんじゃない?」
「そんなことないわよ! こんなに美味しいもの初めて食べたわ! もうほっぺが落ちちゃいそう!」
「ふふ、喜んでくれて良かったよ」

 一安心、とでもいうような表情カオ
 その“安心”を皮切りに、「可愛いよ」とか、「そんなところも魅力的だね」とか、「そういうところが良いよね」なんて普段喋らないくせに甘い言葉を囁くから、思わず疑ってしまう。

「あの……、イーサン。どうしたの? 何だか変よ?」
「へ! 変って何がだい……!?」
「いえ、その……。なにか言いたいことがあるなら遠慮なく言って……?」
「エッ!?」

 彼はしどろもどろになりながらも、「や、実は……」と切り出した。
 やっぱり想いを隠してた。じゃなきゃ私にあんな声掛けをするはずないもの。

「どうしたの? 何か言いにくいこと?」
「やっ! そっ、そのっ! あのっ! 週末の! パーティーに一緒に参加してほしいなって……!」
「パーティー??」

 私が怪訝な顔をするのも無理はない。だってパーティーには初めて誘われたのだから。
 婚約して一年と半年。本当に初めてだった。だからこそ不思議に思ってしまうの。
 本当に、心から正直に、「え……? 何で私なの? いつも一緒に参加している女性を誘えば良いんじゃないの?」なんて野暮な言葉を投げてしまった。

「そ、れは……きっ、君じゃなきゃ駄目なんだ。いや君と一緒に行きたいんだ……!」
「どうして? いつも私じゃなくて良いんだから別に私じゃなくても、」

 良いんじゃないの、と言い掛けたところで気が付く。
(あ。やだ私ったら……! 婚約者わたしじゃなきゃ駄目な理由があるのよね……! それなのにもう!)
 だってこの嫌そうな顔を見れば分かる。彼だって生まれながらの貴族令嬢と参加した方がよっぽど手が掛からないもの。
 いえ今の言葉は忘れて、とひとこと言って、己のスケジュールを思い出す。
 明日は卸業者との打ち合わせ。明後日は糸の買付。㈭㈮は店頭に立って、週末に作業の大詰めして月曜の朝九時までに納品。
 週末にパーティーが入るとなると、父と店頭に立つ予定を変えてもらえれば何とかなるか。

「ええ、分かったわ。行くわ。何時からなの?」
「そう……! 良かった来てくれるんだね……! え、っと。土曜日が午後四時からで日曜日が午後六時からだよ」
「は? え、土曜日も?? 日曜だけじゃないの??」
「そうだよ? この時期のパーティーは大体がそうだろう?」
「そうなの。ごめんなさい初めて知ったわ。普段パーティーに参加しないから……」
「ッ……」

 そう言うと彼は青ざめるから私は首を傾げた。
 一体どうしたのかしら。私ったら変なこと言った?
 ああそうか。貴族としての常識が無いから引いてるのね。

「ごめんねイーサン、気にしないで! パーティーには喜んで参加するから! きっと美味しい料理も戴けるのでしょう?」
「あ、ああ……! 王族主催だから最高級の料理が提供されるよ……! じゃ、じゃあ当日は迎えに行くから、」
「いえ、迎えは要らないわ。直接会場ヘ行くから場所を教えて?」
「えっ……」

 週末どちらもなんて。こうなったらギリギリまで作業して、パーティーに参加して、イーサンには悪いけど早めに切り上げて仕上げるしかないわね。
(週明け朝九時までに一反……。それが出来れば金貨50枚……。大きいわ、何としてでもお金を稼ぐのよ)

「駄目……かしら? ちょっと予定があるのよ」
「そう、だよね。突然誘ってしまったから……。アルマ第一ホールなんだけど場所は分かる?」
「ええ分かるわ! じゃあそれぞれ開始時間の十五分前に噴水のところで待ち合わせしましょう」
「……ああ。君と行けるのを楽しみにしているよ」

 イーサンはテーブルの上に置かれていた私の手に自身の手を重ねると、そう言った。
 無理して嘘なんかつかなくて良いのに、って思うぐらい、歪な微笑み。
 まさかこのパーティーがイーサンを狂わせてしまうだなんて、このときは考えもしなかったのだ。
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