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北国編

150.被検体の暗号名

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 フレックの眉間に皺が寄る。
 たとえ相手が尊敬するムダイであろうと、あの子供を危険に晒させるつもりはない。害するというのなら、足止めくらいはしなければならないと、フレックは瞬時に決意した。そして同時に、今の自分にその力はないと、口惜しく思う。
 ムダイはまぶたを落とし、沈思する。そして、大きく息を吐き出した。

「プレイヤーはね、ある機関で研究されていた、被検体の暗号名だよ。表に出ると騒動になるから、隠蔽されている。だけど数体が逃げ出してしまって、探しているんだよ。早く保護しないと、誤って討伐されかねないからね」 

 困ったように笑うムダイに、フレックは目を丸く開く。その耳に届くムダイの言葉は、まだ続いた。

「だからフレック、教えてくれないかい? 君がその子供について知っていることを。何でも良いんだ。早く安全な所に保護してあげたいんだ」

 本当に心配しているように、ムダイの眉尻が下がる。
 フレックは考えた。このまま黙秘するべきか、それとも、憧れの人を信じて打ち明けるべきか。
 つばを飲み込み咽を鳴らしたフレックは、ムダイの言葉を心の内で復唱する。どこか、付け入れる所はないか――。
 そして、見つけた穴に剣を刺し込む。

「ムダイさんは、その子供の種族は何だと思っているんですか?」

 逸らすことなく、真っ直ぐにムダイの目を見る。
 返される目は鋭く、逸らしたい衝動に駆られるが、フレックは耐えた。

「……。そうだな、大きさから考えればゴブリンかな。臭いでばれそうだけど、ノムルさんが一緒なら、いくらでも誤魔化せるだろう。まあ、ビッグスライムの変異種という可能性が高いという考えは、捨てられないけど」
「……」

 フレックは沈黙した。
 問うたのはフレック自身だ。だが魔物と人間が共に行動していることを、何のためらいもなく言葉にされるとは、予想外だった。
 なにせ目の前に座るこの人物は、数々の魔物を葬った、Sランク冒険者である。何度か同行させてもらったことがあるが、まるで羽虫を払うように魔物を払拭していくのだ。
 そんな人が、魔物が人間と同行している可能性を認識し、しかも保護するとか、荒唐無稽が過ぎるだろう。

「違うのか? それじゃあ」

 と、ムダイは次々に魔物の種族名を連ねていく。どれもレベルは低いが、確かに魔物である。
 フレックは白目を剥きそうになっていた。
 ここで上げられる魔物は、その研究機関で研究されていた種族なのだろう。
 魔物の研究をしている機関があることは、フレックも知っている。魔物に関する情報が多くなれば、それだけ討伐は容易くなる。そのため、国が主導して研究している国家もある。
 それにしても、ムダイの上げる魔物の名前は多すぎた。
 一通り並べ上げたムダイは、不機嫌そうにフレックを見つめる。
 何も答えないことは想定していたが、該当する種族に反応すると思っていたのに、まったく反応がないのだ。
 言い忘れた種族がないかと考える。

「まさか、樹人ってことはないよな」

 呟いた言葉に、わずかに反応が見えた。
 ムダイはフレックを凝視する。平常を装ってはいるが、その視線はわずかに泳いでいた。これは間違いないだろう。
 しかし、と、ムダイはもう一度、確かめるようにフレックを見つめる。

「樹人、なのか?」

 フレックは答えない。その態度が、答えを示していた。

「まさか、本当に? ……嘘だろう? だって、樹人だぞ? あの、『絶対に無理!』『スライム以上のありえない種族』『何かの拷問か?!』『実はN○S○の実験じゃねえの?!』とか、散々言われた挙句、あの運営が唯一動いた、あの樹人? ありえないだろう? どんな変人だ? 頭おかしいだろう? 何これ意味わかんない」

 頭を抱え込んで何か呟き続けていたムダイは、天を仰ぎ、機能を停止させる。
 フレックも混乱し、硬直していた。
 雪乃が樹人であるという確信を、フレックは今の今まで持っていなかった。ただ、雪乃が魔物であることは、何となく察していた。
 彼女の正体を見たと思われるマグレーンたちは硬く口を閉ざしていたが、ナルツから、

「人間の足ではなかった」

 と、告げられていた。
 樹人に反応してしまったのは、彼女が顔から花を咲かせたこと、そして彼女のためにヤガルたちが大量の肥料を買っていたことを、思い出したからだった。


     †


 リリアンヌ王女と女王の協力もあり、雪乃はマロン山固有種である、エーデルの花とワイス苔、ポポポの実を早々に採取することに成功していた。
 植物の少ないマロン山では、樹人の能力は活かせない。マンドラゴラたちも寒さと雪で動けず、採取に時間が掛かると踏んでいた。
 だが生息場所を的確に教えてもらえたことにより、半日も掛からず採取は終了したのだった。
 そして今、雪乃は厨房にいた。

「ふーんふふふーうん、ふーんふふふーん」

 遠くネーデルで散々な言われようをしているなどと知る由もなく、雪乃はご機嫌である。
 実は、ノムルから食事についての叱責があったことで、アイス国の女王や従者たちは、賓客に提供している料理に問題があったのではないかと、気付いたようだ。
 長くドューワ国に滞在していたリリアンヌ王女からも、アイス国の料理が不人気であり、他国から訪れる賓客たちは食料を持ち込んでいるという、衝撃の事実がもたらされた。

 城の中は厨房を中心に、混乱に陥った。
 今は冬になったばかりで賓客は雪乃たちだけだが、春になればリリアンヌ王女とマーク王子の結婚式が執り行われる。各国から要人が訪れるというのに、このままでは不味いと、最優先課題としてメニューの考案が始まったのだ。
 しかし、今更どの様な料理が相応しいのかなど思いつかず、料理人たちは頭を抱えた。
 リリアンヌ王女やキャシーから聞き取りをしたが、彼女たちに料理の経験は無く、上手く説明できない。食べた物について語られても、アイス国から出たことのない料理人たちには、さっぱり理解できなかった。
 さらに言えば、ドューワ国の料理を真似ても、味も質も劣ることは目に見えている。
 賓客からの嘲笑は、避けられないだろう。
 そんな状況に苦渋を噛みしめていたアイス国の面々に、救世主が現れたのだった。
 そう、雪乃である。

 世界を旅する孤高の魔法使いの舌をも唸らせる、料理の天才。
 ――といえば格好良いが、単純に、アイス国の料理に嫌気が差したノムルが、雪乃を伴って厨房にやってきて、勝手に料理を作った。
 それを見た料理人達が、藁にも縋る思いで雪乃に拝みこんだというのが、ことの真相だったりする。
 ノムルに頼まなかったのは、まあ、色々あったからだ。
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