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ヒイヅル編

324.堪らんです

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 警護のために狼獣人一人と黒猫獣人を残して、カイと獣人たちは丘を下りていく。もちろんノムルは雪乃にくっ付いている。
 カイも残ろうとしたのだが、ビゼンに何か言われて、後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら下りていった。

「さ、どうぞ」

 黒猫獣人に促がされて、雪乃は土俵に入る。中央付近で根を下ろすと、抵抗なく根が土へと潜っていき、温かな養分が染みてきた。

「ほほう。これはこれは」

 雪乃はほっこり葉を艶めかせる。

「ユキノちゃん、美味しい?」
「はい。これは堪らんですな」

 ほんわりと体の力を抜き、根をいつもより伸ばしていった。

「お気に召していただけようで、何よりです。どうぞ何日でも御逗留ください」

 黒猫獣人が白い歯並を輝かせて、にっこりと笑いかける。

「ありがとうございます。そういえば、自己紹介がまだでしたね。雪乃と申します」

 雪乃は黒猫獣人と狼獣人に向かって、ぺこりと幹を曲げた。

「若長のミケと申します」

 黒猫獣人は恭しく礼をとりながら、名乗った。その名前に、雪乃はじいっと彼を注視する。
 日が翳り暗くなってきたとはいえ、まだ色の判別はできる。どう見ても黒一色だ。着物の下は見えないので断言できないが、三毛猫には見えなかった。
 じいっと見つめる雪乃に対し、ミケは爽やかな笑顔を向け続ける。

「どうかなさいましたか? 雪乃様」
「いえ、ミケさんの腹毛を……なんでもありません」

 ごほごほと咳をして、雪乃は適当に誤魔化す。

「こんなヤツの裸なんて見たって、つまんないよ? いつでもおとーさんが脱いであげるよ?」

 ミケに対して噛み付くように言い出したノムルは、最後のほうは笑みを輝かせてローブを脱ぎ出した。

「ご遠慮します。露出狂のおとーさんなんていりません」

 きっぱりと、雪乃はお断りした。
 すでに理解を超える変態っぷりを晒しているというのに、これ以上の変態要素は御免被る。
 ノムルは慌ててローブの衿をあわせていた。

「では先ほど案内してくださった猫獣人の方は、何と仰るのでしょうか?」

 気になった雪乃は、ドキドキしながら答えを待つ。

「ポチ様です」

 雪乃の体がふるふると震えだす。頑張って抑えようとするが、収まらない。
 ポチという名の猫もいるが、一般的には犬の名前というイメージが強い。それが付けられているということは、外見と名前は一致しない可能性も高いだろう。
 つまり、ミケは三毛ではない可能性が高くなったのだ。

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 笑いを堪えながら、雪乃は黒猫のミケにお礼を言った。

「いえ、対してことではございません。よろしければ、今夜は添い寝をいたしましょうか?」

 ぴたりと、世界の時間が停止した。
 雪乃はいきなりの変態発言にどん引きした目を向け、狼獣人は警戒と怒気を向け、親ばか魔王様は、

「あ゛? なんか言ったか?」

 魔王様を通り抜けて、悪魔と化していた。

「夜はまだ冷えますし、人肌寂しいご様子ですので、温めてさしあげようかと」

 デーモン・ノムルを前にしても、ミケは笑顔を崩さない。その肝っ玉は賞賛に値するが、雪乃は内心で手を合わせた。

(南無)

「そちらの狼獣人さんのお名前も、お聞きしてもよろしいのでしょうか?」

 ノムルの制裁は放置して、雪乃は残っている狼獣人に顔を向ける。

「エチゴと申します」

 恭しく頭を垂れたエチゴは、山吹色の狩衣を着ていた。
 雪乃はそうっと視線を逸らし、それから再び戻す。

「失礼ですが、お知り合いにスケ、もしくはカクという方がおられませんか?」
「いいえ? お知り合いの獣人でございますか?」

 どうやら当ては外れたようだ。

「御気になさらず。ちょっと聞いてみただけですから」
「はあ」

 恥ずかしさを誤魔化すように、つんっと澄ます雪乃を、エチゴは不思議そうに見ている。
 お日様の姿はもう地平線から隠れ、薄闇が世界を支配する。雪乃は視界が閉じていき、船をこき始めた。

「それでは今日はありがとうございました。おやすみなさいませ」
「ごゆっくりお休みください」

 ぺこりとお辞儀した雪乃にエチゴが返すと、雪乃は本能に従って視界を閉じた。

「ご、ごめんにゃじゃーい……」
「許さーん!」

 眠りに就いた小さな樹人の姿を確認したエチゴは、首を左に回す。
 星が煌き出した薄暗い中に、雷光が走り、火柱が昇り、滝のような水が降り、竜巻が踊る。
 中心にいるミケは、重傷を負わされては治癒魔法で回復させられ、再び局地的天災の中に投入されていた。

「なるほど。カイ様が断りきれなかったはずだ」

 白く濁った死んだような目で、ビゼンは大魔王様の天罰を交代の狼獣人が来る深夜まで、見学させられたのだった。

 蛇足だが、邸に戻った狼獣人たちはもちろん、村に住む猫獣人たちも、聖域から発せられる怪奇現象を、家から飛び出て目を丸くして見ていた。
 恐怖に怯える者もいれば、精霊たちが喜んでいるのだと前向きに捉える者もいたとかなんとか。
 そんな中、犯人に心当たりがありすぎるカイだけは、左手で顔を覆って項垂れながらも、マンドラゴラに語りかける。

「命に関わりそうな状況や、地形が変わりそうになったら教えてくれ」
「わー……」

 眠そうに欠伸交じりの返事をしながらも、マンドラゴラは請け負ったのだった。
 そして日が昇り、狼獣人たちが雪乃を迎えに来たとき、ミケは祠に隠れて震えていた。
 昨夜の騒動の原因であるノムルは、土俵の上で大の字になって眠っている。

「ミケさーん、大丈夫ですよー。ほらほら、猫じゃらしですよー」

 震えて縮こまる、すでに成人した猫獣人に対して、猫じゃらしで機嫌を取ろうとする樹人の子供。
 夜明け前に警護の交代に来ていた狼獣人に、獣人たちは事情を説明してほしいとばかりに、視線を向ける。

「何と言いますか、あの、昨夜の聖域で起こった怪奇現象は、御子にくっ付いていた人間がミケに使った魔法だそうでして」

 白猫獣人のポチは艶やかだった毛並みをパサつかせて、ミケをがく然と見つめている。

「それはエチゴから聞いた。御子は何をしておられるのだ?」

 ビゼンは改めて問い直す。

「どうやらミケは、それでずいぶんとトラウマを負ってしまったようです。慰めようと、御子がああやって声を掛けてくださっているのですが」

 とエチゴが説明している間に、雪乃は魔力を込めると、実を結ぶ。
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