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第八章
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まただ。
翌朝目覚めると、またクローゼットの中だった。
「クリスティアーヌ様、起きていらっしゃいますか?」
扉を叩くマディソンの声が聞こえて、慌ててクローゼットから出る。
「どうなさいましたか?」
ガタガタとクローゼットを開ける音が聞こえたのか、マディソンが血相を変えて扉を開けた。
「おはよう」
間一髪、マディソンが入ってくるのとクローゼットの前で立ち上がるのが同時だった。
「何をされているのですか?」
「え、えっと今日は何を着ようかな…と」
「まあ、珍しい。いつも何を着るかあまり興味がございませんのに」
「……たまにはね」
「そうですね。今日はこのあたりなどいかがですか?」
そう言ってマディソンが取り出したのは紺に金の刺繍が入ったワンピースだった。
「旦那様はもう起きていらっしゃるの?それともまた書斎で徹夜を?」
「一度お休みになられたようですが、朝早くにまた書斎へ………クリスティアーヌ様こそ、きちんとお休みになられました?」
マディソンに訊ねられどきりとした。
「ちゃんと寝たわよ」
確かに寝台で寝ていた筈なのに、目が覚めたらクローゼットだった。はっきりどれ程寝たか覚えていない。
「そうですか……痣、昨日より濃くなりましたね」
着替えの途中でマディソンが腕を見て言う。
「誰にも言っていないわよね。特に旦那様には言わないで……」
昨日は結局色々ありすぎて、彼に痣のことを言う機会を逃した。
「言っておりません……ですが、あの痣……大きさから見て男性の……夜会で何かあったのでは」
「お願いマディソン……何も訊かないで。この痣もその内消えるから心配しないで」
頑なに何も言わない私にマディソンもそれ以上追及するのを諦め、残りの仕度を終えた。
初めてクローゼットで目覚めたのは夜会の夜だった。
そして夕べもクローゼットで目覚めた。
叔父との対面が引き金を引いたのは確かだ。
そしてもうひとつの不安。
ルイスレーン様のことをよく知らなかった時も、実際会ったらどんな人なのだろうかという不安はあった。でもそれはどこか人見知りのようなものだった。人と初めて会う時はいつも緊張する。それが気に入られたいと思う相手なら尚更だ。
ルイスレーン様と会ってみて、見かけは思った以上に素敵な人だった。
貴族としての教育の賜物か身のこなしも優雅で、軍人らしくきびきびとしている。
何より優しい。表情は少しわかりにくいが、時折見せる柔らかい眼差しにどきりとする。
クリスティアーヌとして生活し、彼の妻であることが幸運に思える。彼にエスコートされて側にあることがとても特別な存在になった気持ちにさせてくれる。
それ故に、この状態が崩れた時のことを思うと不安で仕方ない。
ここでは皆がよくしてくれる。ルイスレーン様とも思ってた以上にうまくいっていると思うのは私の思い違いだろうか。とにかくここは居心地が良すぎて、この場所を失ったら私は生きていけるのだろうか。自分の中で極上の味を知ってしまえば、もうそれ以外のものは色褪せ、味気無いものになってしまう。
もし、彼に見捨てられたら?経験からつい悪い方へと考えてしまう。夫だと思っていた人には実は他に女性がいて、しかも自分は二番手。それどころか最初から相手にもされていなかった。
そんなことが二度も起こるとは限らないが、ルイスレーン様が本当のところ私……クリスティアーヌをどう思っているのかわからないことには、この不安は拭えない。
朝食のために階下へ降りたところでルイスレーン様と出くわした。
「おはよう」
「おはようございます」
シャツの上にジャケットを羽織り、手袋を手に嵌めている。階級章が付いているのは軍服?背が高くて体格もがっしりしていて、制服萌えでなくても見惚れてしまう。
「もうお出かけですか?」
「ああ」
「いってらっしゃいませ」
見送るためお辞儀をすると、彼が玄関ではなく私の方に歩いてきた。
「昼には戻ってくる。本当に行きたいところはないのか?」
高級店も流行りの店もよく知らない。彼と一緒ならどこでもいいと言ったら驚くだろうか。それとも何処がいいと言った方がいいの。他の人はどうしているのだろう。
「旦那様、馬車の用意ができました」
返事に困っているとダレクが声をかけたのでルイスレーン様も今度こそ玄関に向かった。
「……ああ、わかった。もう行かねば……では、行き先は考えておく。待っていてくれ」
「いってらっしゃいませ」
「………行ってくる」
何故か一瞬言葉を詰まらせて、ルイスレーン様は出掛けていった。はっきりと行きたいところを言わない私に苛立ちを覚えたのかもしれない。彼の考えがまだわからない。どうでもいい相手ならこんなにも悩まないのだろうが、彼に気に入られたいと思っているから悩むのだと気づいて落ち込む。彼は私が妻だから気を遣ってくれているのだ。それ以上の感情などありはしない。だって彼とはまだほんの数日一緒に過ごしただけで、きっと十も年下の新妻にどう接したらいいか彼もわからず戸惑っているのだ。
彼がカッコいいことは認めよう。彼のような人と同じ家にいて、同じ空気を吸えるだけで満足すべきだ。
彼との初デートに浮かれそうになる自分に言い聞かせ、自分の気持ちに蓋をする。期待してはいけない。期待するから思った通りにならない時に絶望するのだ。
翌朝目覚めると、またクローゼットの中だった。
「クリスティアーヌ様、起きていらっしゃいますか?」
扉を叩くマディソンの声が聞こえて、慌ててクローゼットから出る。
「どうなさいましたか?」
ガタガタとクローゼットを開ける音が聞こえたのか、マディソンが血相を変えて扉を開けた。
「おはよう」
間一髪、マディソンが入ってくるのとクローゼットの前で立ち上がるのが同時だった。
「何をされているのですか?」
「え、えっと今日は何を着ようかな…と」
「まあ、珍しい。いつも何を着るかあまり興味がございませんのに」
「……たまにはね」
「そうですね。今日はこのあたりなどいかがですか?」
そう言ってマディソンが取り出したのは紺に金の刺繍が入ったワンピースだった。
「旦那様はもう起きていらっしゃるの?それともまた書斎で徹夜を?」
「一度お休みになられたようですが、朝早くにまた書斎へ………クリスティアーヌ様こそ、きちんとお休みになられました?」
マディソンに訊ねられどきりとした。
「ちゃんと寝たわよ」
確かに寝台で寝ていた筈なのに、目が覚めたらクローゼットだった。はっきりどれ程寝たか覚えていない。
「そうですか……痣、昨日より濃くなりましたね」
着替えの途中でマディソンが腕を見て言う。
「誰にも言っていないわよね。特に旦那様には言わないで……」
昨日は結局色々ありすぎて、彼に痣のことを言う機会を逃した。
「言っておりません……ですが、あの痣……大きさから見て男性の……夜会で何かあったのでは」
「お願いマディソン……何も訊かないで。この痣もその内消えるから心配しないで」
頑なに何も言わない私にマディソンもそれ以上追及するのを諦め、残りの仕度を終えた。
初めてクローゼットで目覚めたのは夜会の夜だった。
そして夕べもクローゼットで目覚めた。
叔父との対面が引き金を引いたのは確かだ。
そしてもうひとつの不安。
ルイスレーン様のことをよく知らなかった時も、実際会ったらどんな人なのだろうかという不安はあった。でもそれはどこか人見知りのようなものだった。人と初めて会う時はいつも緊張する。それが気に入られたいと思う相手なら尚更だ。
ルイスレーン様と会ってみて、見かけは思った以上に素敵な人だった。
貴族としての教育の賜物か身のこなしも優雅で、軍人らしくきびきびとしている。
何より優しい。表情は少しわかりにくいが、時折見せる柔らかい眼差しにどきりとする。
クリスティアーヌとして生活し、彼の妻であることが幸運に思える。彼にエスコートされて側にあることがとても特別な存在になった気持ちにさせてくれる。
それ故に、この状態が崩れた時のことを思うと不安で仕方ない。
ここでは皆がよくしてくれる。ルイスレーン様とも思ってた以上にうまくいっていると思うのは私の思い違いだろうか。とにかくここは居心地が良すぎて、この場所を失ったら私は生きていけるのだろうか。自分の中で極上の味を知ってしまえば、もうそれ以外のものは色褪せ、味気無いものになってしまう。
もし、彼に見捨てられたら?経験からつい悪い方へと考えてしまう。夫だと思っていた人には実は他に女性がいて、しかも自分は二番手。それどころか最初から相手にもされていなかった。
そんなことが二度も起こるとは限らないが、ルイスレーン様が本当のところ私……クリスティアーヌをどう思っているのかわからないことには、この不安は拭えない。
朝食のために階下へ降りたところでルイスレーン様と出くわした。
「おはよう」
「おはようございます」
シャツの上にジャケットを羽織り、手袋を手に嵌めている。階級章が付いているのは軍服?背が高くて体格もがっしりしていて、制服萌えでなくても見惚れてしまう。
「もうお出かけですか?」
「ああ」
「いってらっしゃいませ」
見送るためお辞儀をすると、彼が玄関ではなく私の方に歩いてきた。
「昼には戻ってくる。本当に行きたいところはないのか?」
高級店も流行りの店もよく知らない。彼と一緒ならどこでもいいと言ったら驚くだろうか。それとも何処がいいと言った方がいいの。他の人はどうしているのだろう。
「旦那様、馬車の用意ができました」
返事に困っているとダレクが声をかけたのでルイスレーン様も今度こそ玄関に向かった。
「……ああ、わかった。もう行かねば……では、行き先は考えておく。待っていてくれ」
「いってらっしゃいませ」
「………行ってくる」
何故か一瞬言葉を詰まらせて、ルイスレーン様は出掛けていった。はっきりと行きたいところを言わない私に苛立ちを覚えたのかもしれない。彼の考えがまだわからない。どうでもいい相手ならこんなにも悩まないのだろうが、彼に気に入られたいと思っているから悩むのだと気づいて落ち込む。彼は私が妻だから気を遣ってくれているのだ。それ以上の感情などありはしない。だって彼とはまだほんの数日一緒に過ごしただけで、きっと十も年下の新妻にどう接したらいいか彼もわからず戸惑っているのだ。
彼がカッコいいことは認めよう。彼のような人と同じ家にいて、同じ空気を吸えるだけで満足すべきだ。
彼との初デートに浮かれそうになる自分に言い聞かせ、自分の気持ちに蓋をする。期待してはいけない。期待するから思った通りにならない時に絶望するのだ。
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