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番外編 その後の二人
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「悪い。起こしてしまったか?」
目覚めると、ルイスレーンがシーツの隙間に体を滑り込ませようとしているところだった。
石鹸の香りがするので、少し前に帰ってきて入浴も済ませている。
そんな音にも気づかず寝ていたようだ。
体を動かして擦り寄ると、背中に手を伸ばして抱き寄せてくれた。
ルイスレーンは一週間の予定で遠征演習に赴いていた。
途中で崖崩れがあって岩などの撤去に時間がかかり、二日遅れの帰宅だった。
昨日早馬がそのことを報告に来るまで事故でもあったのかと気がきではなかった。
「ご無事で何よりです」
「すまなかった。マリアンナに聞いたが帰宅する予定の日は遅くまで起きてくれていらしいな」
「だって、待ち遠しかったから…」
「嬉しいが、大事な体なのだから無理はするな」
「わかっています」
「明日は診察の日だろう?」
「知っていたのですか」
明日のことを彼が知っていたことに驚いた。
一ヶ月に一回だった検査が二週間に一度になり、明日はその妊婦検査の日だった。
「実はスベンから手紙が来た。大事な話があるから、明日は出来れば立ち会ってほしいと」
「え!…大事な話って…」
わざわざ彼を立ち会わせる大事な話とは何だろう。
二週間前に診察を受けた時の先生の様子を思い出す。
今思えばあの時、その前の時より念入りに聴診器を当てていた。
まさか何か問題があったのだろうか。
「私には何もおっしゃらなかったのに…」
「そんな不安そうな顔をするな。悪い話ではないと先生も言っていた。私に手紙を送って伝えたのは君に言うとそうして不安がるからなのを見越していたからだろう」
悪い話ではないと言うルイスレーンの言葉にひとまず安心したが、内容は何だろうという疑問は残った。
「具合はどうだ?」
「はい。えっと…つわりも随分楽になってきました。あっさりした野菜のスープなら飲めるようになりました」
「それはすごい。温かいものを口にできるようになったのだな」
ルイスレーンが心の底から嬉しそうに言った。
少し前まで私は果物やシンプルなクラッカー、トマトやレタスなど火を通さなくても食べられる野菜などしか食べられなかった。
火を通したものは茹でた卵の白身くらいで、温かくて湯気の上がるものは吐き気を誘発した。
ルイスレーンが遠征で出かける日も見送りをしたかったが、とても起き上がれる状態でなかった。
そんな私に自分と子どものことを第一に考えればいいと彼は理解を示してくれた。
悪阻は人によって違うので、出産するまでこんな状態だったらどうしようかと思っていたが、ようやく落ち着きを取り戻してきたのでほっとしていた。
「触ってもいいか?」
「まだ動いたりはしていないの」
そう言ってルイスレーンの手を取り、お腹に導く。
まるで繊細なガラス細工にでも触れるかのようにルイスレーンと大きな手がそっとお臍の周辺を包んだ。
「以前は本当にいるのかわからなかったのに、ここで、確かに成長しているのだな」
少しずつ大きくなるお腹に触れてルイスレーンは嬉しそうだ。
暗いのでその瞳の色を見ることはできないが、きっとオレンジの色味が濃くなっているに違いない。
「早く会いたい。男親というのはつまらないな。生まれるまでこうして外から触れるしかできないのだから。悪阻で苦しむアイリに何もしてやれない」
ルイスレーンは相変わらず二人のときは私をアイリと呼ぶ。
クリスティーヌとしての人生は今のところ順風満帆だ。けれど、愛理としての人生はあの時に終わっている。でもこうして彼が私をアイリと呼んでくれる度に、愛理の人生にも光が当てられている気がする。
「いいえ、あなたに背中を擦ってもらったり足を揉んでもらったりして随分楽になりました。ここまでしてくれる夫は珍しいとフォルトナー先生にも言われました」
「私達二人の子どもなのだから、関わろうとするのは当然だ」
妻が妊娠し悪阻で苦しんでいるのを見て、つられて悪阻になる夫もいるという。
ルイスレーンの過保護ぶりならなってもおかしくないが、彼はそれらをはね退けるくらい強いのだろう。
「君の仕事は無事に子どもを生むことだ。そのために私が出来ることは何でもする。ようやく食べられるようにってきているなら、食べ物については任せてくれ。どんなものでも手に入れる」
彼の思いやりのこもった言葉に私の胸はいっぱいになった。
「アイリ…なぜ泣く?」
妊娠して眠さが増したのに加え、さらに涙もろくなった気がする。
こんな風に私のことを思ってくれる人かいて、その人が自分の夫だという事実が信じられない。
「嬉しいの。ありがとう。その気持ちだけで…」
「遠慮するな。私の地位と財産があれば大抵のことはできる。何なら陛下にお願いして王室で仕入れているものを回してもらってもいい。陛下なら喜んでそれくらいのことは手を回してくれるだろう」
「私のために権力やコネを使わなくても…」
まだ具体的に何が食べたいと言う前にルイスレーンはあれこれと段取りを進める。
少々大袈裟だと思いながら、それもこれも私のことを心配してくれているからだと思うと、さらに胸が熱くなった。
「ルイスレーン…」
彼が全国各地の名産や珍味について語る唇に指を当てて彼の注意を自分に戻す。
「アイリ、気分が? ああ、もう夜も遅いな。夜更しは体に良くない。そろそろ休むか?」
「いいえ、まだ大丈夫です。ちゃんと眠くなったら寝ますから…一週間ぶりだからあなたの声をもっと聞きたいの。心地いい音楽を聴くのも胎教にいいそうだから、私にとってあなたの声はとても心地いいわ」
部下に支持を出すときのハキハキとした力強い声も素敵だが、二人きりになって低く絞った声で囁く声はもっと素敵だ。
「私が眠るまでもっと色々な話をしてくれる?」
「君とお腹にいる私達の子どものためなら喜んで…何の話がいい?」
「何でも…」
「何でもか…そうだな」
少し考えてルイスレーンは遠征での話をしてくれた。
ゆっくりと私の頭を撫でながら話す声を聞いているうちに、いつの間にか私は眠りに落ちていった。
◆◆◆
こんばんは。
「政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません」
番外編を更新して半年以上経ちますが、今でも時々お気に入りに登録して読んでいただけていて感謝です。
新たな番外編を本日から水曜日と日曜日でアップします。
また暫くお付き合いください。
目覚めると、ルイスレーンがシーツの隙間に体を滑り込ませようとしているところだった。
石鹸の香りがするので、少し前に帰ってきて入浴も済ませている。
そんな音にも気づかず寝ていたようだ。
体を動かして擦り寄ると、背中に手を伸ばして抱き寄せてくれた。
ルイスレーンは一週間の予定で遠征演習に赴いていた。
途中で崖崩れがあって岩などの撤去に時間がかかり、二日遅れの帰宅だった。
昨日早馬がそのことを報告に来るまで事故でもあったのかと気がきではなかった。
「ご無事で何よりです」
「すまなかった。マリアンナに聞いたが帰宅する予定の日は遅くまで起きてくれていらしいな」
「だって、待ち遠しかったから…」
「嬉しいが、大事な体なのだから無理はするな」
「わかっています」
「明日は診察の日だろう?」
「知っていたのですか」
明日のことを彼が知っていたことに驚いた。
一ヶ月に一回だった検査が二週間に一度になり、明日はその妊婦検査の日だった。
「実はスベンから手紙が来た。大事な話があるから、明日は出来れば立ち会ってほしいと」
「え!…大事な話って…」
わざわざ彼を立ち会わせる大事な話とは何だろう。
二週間前に診察を受けた時の先生の様子を思い出す。
今思えばあの時、その前の時より念入りに聴診器を当てていた。
まさか何か問題があったのだろうか。
「私には何もおっしゃらなかったのに…」
「そんな不安そうな顔をするな。悪い話ではないと先生も言っていた。私に手紙を送って伝えたのは君に言うとそうして不安がるからなのを見越していたからだろう」
悪い話ではないと言うルイスレーンの言葉にひとまず安心したが、内容は何だろうという疑問は残った。
「具合はどうだ?」
「はい。えっと…つわりも随分楽になってきました。あっさりした野菜のスープなら飲めるようになりました」
「それはすごい。温かいものを口にできるようになったのだな」
ルイスレーンが心の底から嬉しそうに言った。
少し前まで私は果物やシンプルなクラッカー、トマトやレタスなど火を通さなくても食べられる野菜などしか食べられなかった。
火を通したものは茹でた卵の白身くらいで、温かくて湯気の上がるものは吐き気を誘発した。
ルイスレーンが遠征で出かける日も見送りをしたかったが、とても起き上がれる状態でなかった。
そんな私に自分と子どものことを第一に考えればいいと彼は理解を示してくれた。
悪阻は人によって違うので、出産するまでこんな状態だったらどうしようかと思っていたが、ようやく落ち着きを取り戻してきたのでほっとしていた。
「触ってもいいか?」
「まだ動いたりはしていないの」
そう言ってルイスレーンの手を取り、お腹に導く。
まるで繊細なガラス細工にでも触れるかのようにルイスレーンと大きな手がそっとお臍の周辺を包んだ。
「以前は本当にいるのかわからなかったのに、ここで、確かに成長しているのだな」
少しずつ大きくなるお腹に触れてルイスレーンは嬉しそうだ。
暗いのでその瞳の色を見ることはできないが、きっとオレンジの色味が濃くなっているに違いない。
「早く会いたい。男親というのはつまらないな。生まれるまでこうして外から触れるしかできないのだから。悪阻で苦しむアイリに何もしてやれない」
ルイスレーンは相変わらず二人のときは私をアイリと呼ぶ。
クリスティーヌとしての人生は今のところ順風満帆だ。けれど、愛理としての人生はあの時に終わっている。でもこうして彼が私をアイリと呼んでくれる度に、愛理の人生にも光が当てられている気がする。
「いいえ、あなたに背中を擦ってもらったり足を揉んでもらったりして随分楽になりました。ここまでしてくれる夫は珍しいとフォルトナー先生にも言われました」
「私達二人の子どもなのだから、関わろうとするのは当然だ」
妻が妊娠し悪阻で苦しんでいるのを見て、つられて悪阻になる夫もいるという。
ルイスレーンの過保護ぶりならなってもおかしくないが、彼はそれらをはね退けるくらい強いのだろう。
「君の仕事は無事に子どもを生むことだ。そのために私が出来ることは何でもする。ようやく食べられるようにってきているなら、食べ物については任せてくれ。どんなものでも手に入れる」
彼の思いやりのこもった言葉に私の胸はいっぱいになった。
「アイリ…なぜ泣く?」
妊娠して眠さが増したのに加え、さらに涙もろくなった気がする。
こんな風に私のことを思ってくれる人かいて、その人が自分の夫だという事実が信じられない。
「嬉しいの。ありがとう。その気持ちだけで…」
「遠慮するな。私の地位と財産があれば大抵のことはできる。何なら陛下にお願いして王室で仕入れているものを回してもらってもいい。陛下なら喜んでそれくらいのことは手を回してくれるだろう」
「私のために権力やコネを使わなくても…」
まだ具体的に何が食べたいと言う前にルイスレーンはあれこれと段取りを進める。
少々大袈裟だと思いながら、それもこれも私のことを心配してくれているからだと思うと、さらに胸が熱くなった。
「ルイスレーン…」
彼が全国各地の名産や珍味について語る唇に指を当てて彼の注意を自分に戻す。
「アイリ、気分が? ああ、もう夜も遅いな。夜更しは体に良くない。そろそろ休むか?」
「いいえ、まだ大丈夫です。ちゃんと眠くなったら寝ますから…一週間ぶりだからあなたの声をもっと聞きたいの。心地いい音楽を聴くのも胎教にいいそうだから、私にとってあなたの声はとても心地いいわ」
部下に支持を出すときのハキハキとした力強い声も素敵だが、二人きりになって低く絞った声で囁く声はもっと素敵だ。
「私が眠るまでもっと色々な話をしてくれる?」
「君とお腹にいる私達の子どものためなら喜んで…何の話がいい?」
「何でも…」
「何でもか…そうだな」
少し考えてルイスレーンは遠征での話をしてくれた。
ゆっくりと私の頭を撫でながら話す声を聞いているうちに、いつの間にか私は眠りに落ちていった。
◆◆◆
こんばんは。
「政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません」
番外編を更新して半年以上経ちますが、今でも時々お気に入りに登録して読んでいただけていて感謝です。
新たな番外編を本日から水曜日と日曜日でアップします。
また暫くお付き合いください。
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