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新婚旅行編
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北国の夏は短く、秋はあっという間に過ぎ去る。
ヴェルサスではようやく秋になったところだったが、最果ての北国である、デラハート公国は吹く風も冷気を含み、すでに冬の訪れを感じさせていた。
「本当に同じ大陸にあるとは思えないくらい、何もかも違うのですね」
感動してメリルリースが白く見える自分の吐く息を見つめた。
「メリルリース、あまり窓を開けては冷気が入ってくる。風邪を引いてしまうよ」
「アレスティス」
そう言って馬車の窓を閉めてアレスティスが冷えた妻の体を引き寄せた。
抱き寄せられるままに夫の体に身を委ね、肩に頭を預けた。
「テオも連れてこられたら良かったのに」
何を見ても聞いても、国に置いてきた息子のテオドールを持ち出す妻の頬に手袋越しに触れながら、彼もそうだねと言い返した。
「もう少し大きくなったら、今度は三人で旅行に来よう。暖かい南でも構わない」
「そうね。今回はアレスティスのお仕事ですし、あの子もまだ小さくて遠出は大変ですものね」
「それに、これは私たちの新婚旅行でもあるんだから」
アレスティスに言われ、メリルリースの頬に赤味が射す。寒さで火照っているのではないことは彼もわかった。
妊娠出産のせいで彼らは結婚式と披露宴だけで、その部分は先延ばしにしていた。
何がなんでも行く必要はなかったが、そこはけじめとしていつかはと考えてはいた。
親善大使としてアレスティスはこれまでも一人で一週間程度の外訪は行ってきたが、二人でというのは今回が初めてだった。
そして息子と一日も離れたことがなかった彼女に取っては、夫との初の遠出に心躍りながらも、後ろ髪引かれる思いだった。
出発は朝早くだったので、息子はまだ夢の中であったが、いつもは母親がかすれた声で歌う子守唄ですぐ眠るのに、前日は何かを察してなかなか寝付かなかった。
目が覚めて母親がいないことに気づいて泣き崩れているのではないかと、心配ばかりしていた。
「気持ちはわかるが、まだ二歳なんだし、子どもは案外親が心配するほど繊細ではない。それに、テオはどちらかと言えばやんちゃだし乳母のソラヤもいる。何より義姉上の所やそれぞれの実家でいつも以上に甘やかしてくれるだろう。父達も離れて住むようになって寂しがっていたからな」
結婚当初はギレンギース家の離れで暮らしていたが、最近落ち着いて首都に邸宅を買って移り住んでいたので、アレスティスの両親もなかなか孫に会えないと愚痴を溢していたのは知っていた。
本宅にはアレスティスの兄夫婦もいて、そこには孫もいるが、それはそれでまた違うらしい。
「それより、せっかく初めて二人で遠出するのだから、私のことをもう少し気にして欲しいな」
二人きりの馬車の中で、アレスティスが拗ねたように言い、それを見てメリルリースは仕方ないなと思いながら、そんな夫が可愛く見えてしまう。
魔獣討伐の際には一時的とは言え将軍まで勤めた人物が、自分の前では一歳になる息子と変わらないと密かに思っている。
それを言えばますます拗ねるかなと、心の内に留めている。
「正式な公務だけれど、私もずっと楽しみにしていたの。温泉なんて初めてですもの」
今回の訪問はデラハート国の先の国王、ヨハンネスの八十歳を祝う催事への出席が目的だった。
ヴェルサスとデラハートは永年友好国として親交している。先の国王は後を継ぐ息子夫婦が幼い王子と王女を残して事故で亡くなるという悲劇に見舞われた。
忘れ形見である王子が十年前に即位するまでおよそ五十年近く王として君臨していた。
歴代王の中では最も長く、安定した統治を行った賢王として広く知られている。
北国の冬は厳しく、南の国と比べると寿命が短いのだが、当のヨハンネスは齢八十にして矍鑠としており、故にその誕生日を祝う宴は彼の功績を讃えるのと同時に長寿を願い盛大に行われる。
とは言え退位した王の祝いであるので王族ではなく、大使としてアレスティスが赴くことになった。
ヨハンネス前王のもう一人の子、娘のカリーナは家臣であった将軍の元に嫁いでおり、彼女が生んだ息子の一人、ルーヴェンが前回の魔獣討伐にデラハート国の代表として参加しており、アレスティスとも面識があったことも、今回彼が抜擢されたひとつの要因でもあった。
彼とアレスティスは時折手紙のやり取りをして個人的に親交を深めていて、アレスティス夫婦が新婚旅行を済ませていないことを知って、夫婦での参加を提案してくれたのだった。
「公的訪問に私事を便乗するのは気が引けるが、陛下も快く送り出してくれたのだから、ゆっくり楽しもう」
デラハート国の王族が湯治に訪れる場所に建てられた離宮がある。そこの浴室には温泉が引かれている。
宴が終わったら、二人はそこに一週間滞在させてもらえることになっている。
「君のそんな楽しそうな顔を見られるだけで私は幸せだ」
アレスティスは初めて訪れる土地に胸を踊らせる妻にそっと唇を重ねた。
ヴェルサスではようやく秋になったところだったが、最果ての北国である、デラハート公国は吹く風も冷気を含み、すでに冬の訪れを感じさせていた。
「本当に同じ大陸にあるとは思えないくらい、何もかも違うのですね」
感動してメリルリースが白く見える自分の吐く息を見つめた。
「メリルリース、あまり窓を開けては冷気が入ってくる。風邪を引いてしまうよ」
「アレスティス」
そう言って馬車の窓を閉めてアレスティスが冷えた妻の体を引き寄せた。
抱き寄せられるままに夫の体に身を委ね、肩に頭を預けた。
「テオも連れてこられたら良かったのに」
何を見ても聞いても、国に置いてきた息子のテオドールを持ち出す妻の頬に手袋越しに触れながら、彼もそうだねと言い返した。
「もう少し大きくなったら、今度は三人で旅行に来よう。暖かい南でも構わない」
「そうね。今回はアレスティスのお仕事ですし、あの子もまだ小さくて遠出は大変ですものね」
「それに、これは私たちの新婚旅行でもあるんだから」
アレスティスに言われ、メリルリースの頬に赤味が射す。寒さで火照っているのではないことは彼もわかった。
妊娠出産のせいで彼らは結婚式と披露宴だけで、その部分は先延ばしにしていた。
何がなんでも行く必要はなかったが、そこはけじめとしていつかはと考えてはいた。
親善大使としてアレスティスはこれまでも一人で一週間程度の外訪は行ってきたが、二人でというのは今回が初めてだった。
そして息子と一日も離れたことがなかった彼女に取っては、夫との初の遠出に心躍りながらも、後ろ髪引かれる思いだった。
出発は朝早くだったので、息子はまだ夢の中であったが、いつもは母親がかすれた声で歌う子守唄ですぐ眠るのに、前日は何かを察してなかなか寝付かなかった。
目が覚めて母親がいないことに気づいて泣き崩れているのではないかと、心配ばかりしていた。
「気持ちはわかるが、まだ二歳なんだし、子どもは案外親が心配するほど繊細ではない。それに、テオはどちらかと言えばやんちゃだし乳母のソラヤもいる。何より義姉上の所やそれぞれの実家でいつも以上に甘やかしてくれるだろう。父達も離れて住むようになって寂しがっていたからな」
結婚当初はギレンギース家の離れで暮らしていたが、最近落ち着いて首都に邸宅を買って移り住んでいたので、アレスティスの両親もなかなか孫に会えないと愚痴を溢していたのは知っていた。
本宅にはアレスティスの兄夫婦もいて、そこには孫もいるが、それはそれでまた違うらしい。
「それより、せっかく初めて二人で遠出するのだから、私のことをもう少し気にして欲しいな」
二人きりの馬車の中で、アレスティスが拗ねたように言い、それを見てメリルリースは仕方ないなと思いながら、そんな夫が可愛く見えてしまう。
魔獣討伐の際には一時的とは言え将軍まで勤めた人物が、自分の前では一歳になる息子と変わらないと密かに思っている。
それを言えばますます拗ねるかなと、心の内に留めている。
「正式な公務だけれど、私もずっと楽しみにしていたの。温泉なんて初めてですもの」
今回の訪問はデラハート国の先の国王、ヨハンネスの八十歳を祝う催事への出席が目的だった。
ヴェルサスとデラハートは永年友好国として親交している。先の国王は後を継ぐ息子夫婦が幼い王子と王女を残して事故で亡くなるという悲劇に見舞われた。
忘れ形見である王子が十年前に即位するまでおよそ五十年近く王として君臨していた。
歴代王の中では最も長く、安定した統治を行った賢王として広く知られている。
北国の冬は厳しく、南の国と比べると寿命が短いのだが、当のヨハンネスは齢八十にして矍鑠としており、故にその誕生日を祝う宴は彼の功績を讃えるのと同時に長寿を願い盛大に行われる。
とは言え退位した王の祝いであるので王族ではなく、大使としてアレスティスが赴くことになった。
ヨハンネス前王のもう一人の子、娘のカリーナは家臣であった将軍の元に嫁いでおり、彼女が生んだ息子の一人、ルーヴェンが前回の魔獣討伐にデラハート国の代表として参加しており、アレスティスとも面識があったことも、今回彼が抜擢されたひとつの要因でもあった。
彼とアレスティスは時折手紙のやり取りをして個人的に親交を深めていて、アレスティス夫婦が新婚旅行を済ませていないことを知って、夫婦での参加を提案してくれたのだった。
「公的訪問に私事を便乗するのは気が引けるが、陛下も快く送り出してくれたのだから、ゆっくり楽しもう」
デラハート国の王族が湯治に訪れる場所に建てられた離宮がある。そこの浴室には温泉が引かれている。
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