2 / 28
第一章 巡礼の街
2
しおりを挟む
「ちょっと、アルブ」
店を出たところで控え目に名を呼ばれて、アルブはそちらを見た。
「ロキサさん」
それは店主の母親ロキサだった。
「これ、持ってお行き」
少し背の曲がった彼女は、持っていた包をアルブの空になった籠に押し込んだ。
「え」
「昨日焼いたミートパイだよ。お食べ」
彼女はそれが何なのかアルブに説明する。
「あ、ありがとう」
アルブは笑ったが、外套に隠れてそれは彼女には見えなかった。
しかし彼女は理解しているのか、軽く頷く。
「あんたの師匠には世話になったからね。家の息子のこと、許しておくれね。根は悪い子ではないんだけど、うちも色々大変なんだ」
「ううん、大丈夫。バルサックさんには、いつもお世話になっているから」
アルブは軽く首を振った。
「そう、いい子だね。ありがとう」
既に皺のある顔で彼女が笑うと、更に皺が深くなる。
死んだ彼の師匠は彼女より年上だった。亡くなって五年ほどになるが、死んだ師匠を彼は思い出し懐かしくなった。
バルサックはつっけんどんだが、それでもこのギネシュでは、アルブとまともに会話してくれる数少ない人間だ。
他の人達は彼を奇異な目で見るか、悪い時には石を投げたり、罵声を上げて追い払おうとしたりする。
そして、ロキサのように親切にしてくれる人はさらに稀だ。
「さあ、雨が降り出す前にお帰り」
「あ、ありがとう」
路地裏から空を見上げれば、どんよりとした雲が空を覆っている。
作物の生育や生きていくためには雨は必要だ。
だが、同時に雲は太陽を覆い隠す存在でもある。
太陽神ラーシルを象徴する太陽を隠す雲。
曇りや雨の日は、ラーシルの休息日。人々は無事に再び太陽が見られますようにと祈を捧げる。
しかし、それはアルブにはこの重苦しい外套から解放される時でもあった。
ロキサに別れを告げて、アルブは帰路についた。
いくら太陽が隠れて過ごしやすくなるとは言え、雨で濡れそぼるのはアルブも避けたいところだ。
少し足早に通りを進んでいく。
(今日はいい日だ)
バルサックには買い叩かれたが、ミートパイをもらえた。
師匠が亡くなって森の奥でひっそりと暮らすアルブにとって、街へ来るのはいつも勇気がいる。
怖いが育てた薬草を売らなければ収入が得られない。
お金が無ければパンも買えない。
野菜などは自給自足で賄っているが、パンや肉などは買わないと食べられない。
「雨が降る前に買い物をして帰れるかな」
今にも泣き出しそうな空模様を見上げ、アルブは独り言を呟いた。
一人暮らしが長く続くと、どうしても独り言が多くなる。
もらった銀貨でパンと干し肉を買い、アルブはギネシュの通用門を潜り街の外へ出た。
夕方になると街と麓を結ぶ街道には、これから街へ入ろうと下から登ってくる人と、巡礼を終えて麓に向かう人たちでごった返す。
特に今日は雨が今にも降りそうなため、人々の足も自然と速くなっている。
その間を器用に避けて、アルブは緩やかな坂道を降って行った。
山の入口にも関所があり、今からだとギネシュに入るための通用門が閉まるまでには間に合わないと、関所番に止められている者が何人かいた。
それを横目に見て、アルブは山の裏手の森へと細い脇道を抜ける。
森の中は大きな木がたくさんあり、少々の雨なら生い繁った葉が雨よけになってくれる。
「なんとか間に合いそう」
森の中に足を踏み入れる前に空を見上げ、雲行きを見ると、黒く重苦しい雲が西の空からこちらに流れてくるのが見えた。
アルブは少し足速に森へと入っていき、森の奥の住処へとむかった。
しかし、雨が頭上の葉に当たる音が聞こえて来た時、アルブは雨音とは違う音を聞いて、立ち止まった。
パラパラと雨が木の葉に落ちるいつもの聞き慣れた音ではない何かが聞こえ、アルブの体に緊張が走る。
人か獣か。獣でもウサギなどならいいが、狼や熊のような肉食系だと対処できる自信がない。
それでも獣なら、こちらが威嚇すれば逃げるかもと、淡い期待を胸に耳を澄ませた。
しかしそれが人ともなれば、また厄介だ。
「う…」
うめき声のような声が聞こえる。
(え、人?)
一瞬だったのではっきりわからない。
「う、ううう」
耳を澄ませていると、またもや声が聞こえた。
腰に手を伸ばし、護身用の短剣の所在を確かめる。
もし襲われたらと、ずっと持ち歩いているものだ。
しかしいつまで経っても何も向かってこない。
獣なら襲おうと身構えているのかもしれない。人ならば、どういった状況なのか。
恐る恐る声がした繁みの方角に向かって歩いて行った。
「え……」
繁みを掻き分けた先には、人が倒れていた。
店を出たところで控え目に名を呼ばれて、アルブはそちらを見た。
「ロキサさん」
それは店主の母親ロキサだった。
「これ、持ってお行き」
少し背の曲がった彼女は、持っていた包をアルブの空になった籠に押し込んだ。
「え」
「昨日焼いたミートパイだよ。お食べ」
彼女はそれが何なのかアルブに説明する。
「あ、ありがとう」
アルブは笑ったが、外套に隠れてそれは彼女には見えなかった。
しかし彼女は理解しているのか、軽く頷く。
「あんたの師匠には世話になったからね。家の息子のこと、許しておくれね。根は悪い子ではないんだけど、うちも色々大変なんだ」
「ううん、大丈夫。バルサックさんには、いつもお世話になっているから」
アルブは軽く首を振った。
「そう、いい子だね。ありがとう」
既に皺のある顔で彼女が笑うと、更に皺が深くなる。
死んだ彼の師匠は彼女より年上だった。亡くなって五年ほどになるが、死んだ師匠を彼は思い出し懐かしくなった。
バルサックはつっけんどんだが、それでもこのギネシュでは、アルブとまともに会話してくれる数少ない人間だ。
他の人達は彼を奇異な目で見るか、悪い時には石を投げたり、罵声を上げて追い払おうとしたりする。
そして、ロキサのように親切にしてくれる人はさらに稀だ。
「さあ、雨が降り出す前にお帰り」
「あ、ありがとう」
路地裏から空を見上げれば、どんよりとした雲が空を覆っている。
作物の生育や生きていくためには雨は必要だ。
だが、同時に雲は太陽を覆い隠す存在でもある。
太陽神ラーシルを象徴する太陽を隠す雲。
曇りや雨の日は、ラーシルの休息日。人々は無事に再び太陽が見られますようにと祈を捧げる。
しかし、それはアルブにはこの重苦しい外套から解放される時でもあった。
ロキサに別れを告げて、アルブは帰路についた。
いくら太陽が隠れて過ごしやすくなるとは言え、雨で濡れそぼるのはアルブも避けたいところだ。
少し足早に通りを進んでいく。
(今日はいい日だ)
バルサックには買い叩かれたが、ミートパイをもらえた。
師匠が亡くなって森の奥でひっそりと暮らすアルブにとって、街へ来るのはいつも勇気がいる。
怖いが育てた薬草を売らなければ収入が得られない。
お金が無ければパンも買えない。
野菜などは自給自足で賄っているが、パンや肉などは買わないと食べられない。
「雨が降る前に買い物をして帰れるかな」
今にも泣き出しそうな空模様を見上げ、アルブは独り言を呟いた。
一人暮らしが長く続くと、どうしても独り言が多くなる。
もらった銀貨でパンと干し肉を買い、アルブはギネシュの通用門を潜り街の外へ出た。
夕方になると街と麓を結ぶ街道には、これから街へ入ろうと下から登ってくる人と、巡礼を終えて麓に向かう人たちでごった返す。
特に今日は雨が今にも降りそうなため、人々の足も自然と速くなっている。
その間を器用に避けて、アルブは緩やかな坂道を降って行った。
山の入口にも関所があり、今からだとギネシュに入るための通用門が閉まるまでには間に合わないと、関所番に止められている者が何人かいた。
それを横目に見て、アルブは山の裏手の森へと細い脇道を抜ける。
森の中は大きな木がたくさんあり、少々の雨なら生い繁った葉が雨よけになってくれる。
「なんとか間に合いそう」
森の中に足を踏み入れる前に空を見上げ、雲行きを見ると、黒く重苦しい雲が西の空からこちらに流れてくるのが見えた。
アルブは少し足速に森へと入っていき、森の奥の住処へとむかった。
しかし、雨が頭上の葉に当たる音が聞こえて来た時、アルブは雨音とは違う音を聞いて、立ち止まった。
パラパラと雨が木の葉に落ちるいつもの聞き慣れた音ではない何かが聞こえ、アルブの体に緊張が走る。
人か獣か。獣でもウサギなどならいいが、狼や熊のような肉食系だと対処できる自信がない。
それでも獣なら、こちらが威嚇すれば逃げるかもと、淡い期待を胸に耳を澄ませた。
しかしそれが人ともなれば、また厄介だ。
「う…」
うめき声のような声が聞こえる。
(え、人?)
一瞬だったのではっきりわからない。
「う、ううう」
耳を澄ませていると、またもや声が聞こえた。
腰に手を伸ばし、護身用の短剣の所在を確かめる。
もし襲われたらと、ずっと持ち歩いているものだ。
しかしいつまで経っても何も向かってこない。
獣なら襲おうと身構えているのかもしれない。人ならば、どういった状況なのか。
恐る恐る声がした繁みの方角に向かって歩いて行った。
「え……」
繁みを掻き分けた先には、人が倒れていた。
10
あなたにおすすめの小説
実験したら体も記憶も名前もなくしたので誰か私の存在を証明してください!
藤間背骨
BL
「私は思い出さなくてはいけない。私が私だった頃の名前を」
魂の存在を証明するため、禁忌に踏み込んだ魔法使いの青年。
しかし、実験の成果と引き換えに体、記憶、名前を失ってしまっていた。
ルルススと仮の名前を名乗って元に戻るため放浪していた彼は、賊に襲われていた猟師の青年・コスティを助ける。
コスティは恩返しにとルルススの旅に同行する。
二人が訪れた街には光の鳥が現れるという噂があり、賞金がかけられていることから賞金稼ぎが光の鳥を狙っていた。
街で出会った青年・ジュラーヴリはルルススと瓜二つの顔をしており、ルルススが元に戻る手掛かりがあるかもしれないと希望を持つ。
ジュラーヴリは二人に協力する代わりに、光の鳥を守ってほしいと言うのだった。
ルルススは元に戻ることができるのか――?
※常識人のコスティ×素直クール系のルルスス
※毎日午前7時更新・5月14日完結予定
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
隣国の国王キリアン(アルファ)に嫁がされたオメガの王子リュカ。
しかし実は、結婚から逃げ出した双子の弟セラの身代わりなのです…
本当の花嫁じゃないとばれたら大変!
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだんキリアンに惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?
来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。
そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった!
亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。
「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」
「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」
おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。
現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。
お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、
美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
皇帝に追放された騎士団長の試される忠義
大田ネクロマンサー
BL
若干24歳の若き皇帝が統治するベリニア帝国。『金獅子の双腕』の称号で騎士団長兼、宰相を務める皇帝の側近、レシオン・ド・ミゼル(レジー/ミゼル卿)が突如として国外追放を言い渡される。
帝国中に慕われていた金獅子の双腕に下された理不尽な断罪に、国民は様々な憶測を立てる。ーー金獅子の双腕の叔父に婚約破棄された皇紀リベリオが虎視眈々と復讐の機会を狙っていたのではないか?
国民の憶測に無言で帝国を去るレシオン・ド・ミゼル。船で知り合った少年ミオに懐かれ、なんとか不毛の大地で生きていくレジーだったが……彼には誰にも知られたくない秘密があった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる