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89 護りたいと思うもの

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「私の心のままに………か」

私の言葉を繰り返し、暫く殿下は沈黙していた。
私は頭をあげるタイミングを失い、ひたすら殿下の次の言葉を待った。

「私が、私のしたいと思うようにそなたの処遇を決めて、それがどんなものであれ、そなたは従うのか?これまでも私の言葉に素直に従ったことなどないのにか」

痛いところを突かれ、ぐうの音も出ない。

「確かにそうですが、何でもかんでも逆らってきたわけでは……これまでのことは、これまでのことで、今回は違います」

確かにこれまでの自分の態度を思えばそう思われても仕方ない。

「何が違うというのだ?」

「そ、それは………」

「ジークに辞退を申し出て、それが承認されたらその後はどうする?ここからも、私からも去るのか?」

「それはまだ決めていません。ですが、本来の目的も果たせなくて、これでは宰相閣下にも、私を見込んで推薦してくれたハレス卿にも申し訳なく……」

「私のことは?私には申し訳ないと思わないのか?そなたに見捨てられた私のことは……」

びっくりして私は思わず顔を上げた。
見捨てるなんて言葉がどうして殿下の口から出るのか。
目の前にいる殿下の顔はまるで迷子の子どものようだ。

「み、見捨てる?私が殿下を?その、護衛として役立たないなら私のいる価値がないと思っただけで、むしろ殿下が私を見捨てるのであって………どうして殿下の方が被害者みたいになるんですか?」

意味がわからない。メイドとしても中途半端な私がここにいるのは殿下の護衛として役に立つと思われたからで、ネヴィルさんの代理はあくまで追加事項。そっちはネヴィルさんが復活してしまえば、当然任務完了だったのだから、いつの時点でお役御免になっても構わなかった。

「護衛に戻せばいいのか?そうすれば、そなたはここに、私の側に留まってくれるのか?その後どうする?したいことがないなら、私の側に居ればいい。側に居る大義名分がいるなら、私がつくる。私から離れるな」

ますます私は混乱した。私を側におくために、どうして殿下がそこまで必死になるのかわからない。

「私を先に見捨てたのは殿下です。なのにどうして今さらそんなことをおっしゃるのですか?私はメイドになりたかったのではなく、殿下をお護りしたかったのです。それができないなら、どうか私を解雇してください。解雇されたからと言って殿下を恨んだりしません。私にその力量がなかっただけだと諦めますから」

「私は、そなたに護られたくなどない!」

はっきりと言われてショックを受けた。

「やはり、女に護られるのは……」

「違う!そういうことではない!」

また殿下を怒らせた。どうしていつも、自分はこうなのだろうか。私が側にいるだけで、こんなに怒らせてしまうのなら、本当に私はここを離れた方がいいのだと思えてくる。

「そんな顔をするな」

言われて自分が今どんな顔をしているのかと考える。

腹を立ててる?笑ってる?泣いてる?たぶん、情けない顔をしているのだろう。

「どちらにしろ、私は役立たずだと言うことですよね。こんな風に殿下を怒らせてばかりで、それだけでも殿下にとっては腹立たしい存在ですね」

「違う!」

「じゃあ………」

何だと言うのかと問い掛けて、向かいに座る殿下がさっと動き、またもや抱きすくめられる。

「で、殿下……」

二人で覆面の男たちに立ち向かった時と同じ状況になり、殿下はこんなに簡単に人に抱きついたりする人なのかと疑う。

「何とも思ってない相手ならこんなことは言わない。そなたが私の弱点になるから、だから敢えて側から離した。だが、そなたを遠ざけたかったからではない」

耳許でそう囁き、微かに抱擁を解き顔を見つめられた。
息がかかるほど側に殿下の顔があり、頭が真っ白になる。

「私が……殿下の弱点?」

今の自分の立ち位置がわからず、どう切り返していいかわからない。
それでも殿下をはね除けることも出来ず、ただすぐ側にある彼の苦しそうな顔を見つめる。

「矛盾しているだろう?突き放しておきながら、側にいろなどと……」

これはパワハラ?それともセクハラ?嫌なら突き放さなければならない。例え不敬ととられても、はね除けるだけの力はある。
もっと冷静ならそうしていただろう。私が殿下のことを単なる護衛対象としてしか見ていなかったら、そうしたかもしれない。
だが、殿下に抱きすくめられ、その体温を感じ、心地いいと不謹慎にも感じている自分がいて、夢なら覚めないで欲しいとばかなことを考えている。

「正直、混乱しています。その、この状況が一番わかりません。……どうして私が殿下の弱点なのか……私は殿下の護衛として必要ないと言われるならわかりますが………」

それに、殿下がもっとスケベそうな顔で抱きついていたなら、はね除けようともするが、こんな、苦しそうな切なそうな表情を見せられては、拒絶することの方が悪みたいに思えてくる。

「初めてだ」

ぎゅっと目を瞑り声を絞り出す。

「これまでも私のために命を落としたり傷ついたりした者はたくさんいた。私が王族で、公爵だからだということもわかっている。彼らの献身に報いるため、できるだけ犠牲を出さず、もしそうなったとしても決して無駄死にだと思わせないように努力してきた。他人から見れば偽善だと笑われるかもしれないが」

「そんなことは……」

「聞いてくれ」

いつの間にか頬に手を添えられ額と額が触れている。

それでも辛そうに話をしている彼を見て、心臓が恐ろしいくらいに脈打っていても、動くことができない。

「彼らが私を護るのは私に期待してくれているからだ。国王は、王族は良き方向に国を導くことを期待されている。だから私たちはその期待に答えなければならない。そこに個は存在しない。ただ、役割があるだけだ」

王族なんてただ、その地位を利用して偉そうにしているものだと思っていたのに、殿下はそう思っていない。立場を与えられただけで、その責務を果たすために努力しているということなのか。
確かにそうでない者から見れば偽善と取られても仕方ない。

「だが、そなたは違う」

瞑っていた目を開けて、濃い藍色の瞳が私を見つめる。あまりに近くにあって、その瞳に私の顔が映っている。きっと私の瞳にも殿下の顔が映っているに違いない。

「王族でも、王の弟でもなく、ただ、一人の人間として、一人の男として、初めて大切にしたいと思った」

「……え」

耳に入ってきた言葉が信じられず、私の心臓の鼓動が跳ね上がった。
 


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