クウェイル・ミルテの花嫁

橘 葛葉

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【24】花の香りのクッキー

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「そんな可愛い顔で抗議しても効果ありませんよ?」
呆れたように言ったヘリオスは腰を浮かせて、セレーネの横に移動して来た。抗議しようとしたセレーネは、その行動に口をつぐんだ。
「不安なのは分かります。あなたにとっては他人ですから。でも大丈夫です。何かあればわたしが代わりに答えますから」
馬車の揺れに合わせて、軽く二度頷いて見せるセレーネ。その手を、自らの両手に包み込んだヘリオスは、満足気に微笑んだ。






止まった馬車から降りたセレーネは、実家とおぼしき屋敷の前に立って、建物全体を見上げていた。
カーネリアンの本邸はもちろんのこと、現在滞在中の別邸と比較してもこじんまりとした印象がある。
元の世界なら豪邸だろうとは思うものの、こちらでは貴族の屋敷にしては小さいのかもしれない。
それでも庭にはささやかな噴水と庭木が、ちきんと手入れされているのが分かった。
建物の全貌が見える位置でぼんやりとその建物を見つめる。
「生家である実感がわきませんか?」
「そう、ね……」
頷いてすぐ、記憶の奥に小さくひっかかる何か。
それはまさしくこの建物だった。
幼少期の記憶だ。
兄弟達と一緒に出かけようと馬車に乗り込む場面だ。
一番上の兄を待って、こうして屋敷を眺めていた。
セレーネの記憶が流れ込んで来たのだろうか。
あちらの世界に兄はいない。
今、まさに同じ位置で、小さかったセレーネは見上げる様にして左右の両親や、待機する馬車などを見ていた。
中に入ればもっと何かを思い出すだろうか。
「なかなか迎えが来ませんね。前日から知らせているというのに」
直前に騎士の一人が先に到着の知らせに行っている。
キャラウェイ家の者が門を開けるまで、立場に関わらず待機するのが礼儀だ。
逆に迎える方は、待機させないのが礼儀だというのに、ひっそりとして物音一つない。
どうしたのかとセレーネとヘリオスが顔を見合わせた瞬間、ようやく扉が開いた。
中から出て来た年配の女性。その召使いに見覚えがあった。訝しげな表情で固まるセレーネに、その召使いは深々と頭を下げた。
「お嬢様、お元気そうでなによりです」
門の向こう側で見上げてくる召使いを見て、ああ、そうかとセレーネは思う。
この召使いは幼少に面倒を見てくれた乳母だ。
名前までは思い出せなかったが、確かにその顔を知っている。
人物を記憶しているのなら、文字や地理なども記憶に追加してくれればよかったのにと、心の中で呟いたセレーネ。
乳母に微笑みかけて頷いた。
「旦那様のおかげで楽しくやっているわ。あなたは元気にしていた?」
その問いが意外だったのか、乳母は目を見開いて絶句している。
どうやらセレーネにはあるまじきキャラを出してしまったようだ。
「中には入れてくれないのですか?」
ヘリオスがセレーネの横からそう言った事により、乳母は慌てて門にかけよってくる。
「大変失礼いたしました。旦那様と奥様は少々立て込んでおられまして……中にお通しするように言いつかっております。ショール、手伝っておくれ」
振り返って家の方に向かって叫ぶ乳母。屋敷から美形の若者が出てきて、門まで辿りついた。
「お嬢様、おかえりなさいませ」
門を開けながら節目がちに言ったショールと呼ばれた若者に、見覚えがあるような気がしたセレーネ。じっと観察していると、乳母も同じようにショールを見ている事に気がついた。
「どうかしたの?」
乳母はセレーネに近寄って、こそっと教えてくれる。
「いいえ。お嬢様大好きのショールがヘリオス様が一緒で拗ねているのです」
その言葉で思い出した。千紗に入っているセレーネが、呟いていた人物であると。
「中に入っても良いのなら、そろそろ入れてもらえないかしら」
セレーネは乳母にそう言う。
時間をかけて乳母をよこし、自分達は出て来ないとなると、歓迎していないと言っているも同義だった。
本当の親なら、ヘリオスに対して申し訳ない気持ちになるのだろうが、自分も合わせて歓迎されていないと分かって少し傷ついていた。
やはり予想通り、セレーネは親との関係も良好とはいえなかったようだ。
あちらの両親の事は大切にしてくれるのだろうか。もう顔も思い出せなくなってしまった、元の世界の両親に思いを馳せる。
「セレーネ」
ぎゅっと手を握られて現実に戻る。
見ると乳母とショールはすでに玄関に立ち、扉を開けてこちらを見て待っていた。
ヘリオスに引かれて移動し、屋敷の中に入って客間に通される。
乳母が給仕もやってくれて、お茶に焼き菓子が出される。
いくつかある焼き菓子の中で、ふと目に止まったクッキー。本邸で出される菓子と比べると、いびつで素人が手作りしたような形だった。
遠い記憶に、あちらの世界で母と一緒に作ったクッキーを思い出し、口元が綻ぶのが分かった。
不器用で歪なクッキーしか作れなかった母。
香りを嗅ぐと花の香りがした。
そうだ、あれはあちらのお菓子ではなく、母の手作りクッキーだ。
顔は思い出せないのに、クッキーの形や味は覚えている。
そっとそれに手を伸ばし、一口齧ると芳醇な花の香りが鼻腔をつく。
懐かしくて嬉しくなり、サクサク音を立てながら食べ続けた。
味もなんだか懐かしい。
「お母さんのクッキー、おいしい」
ぽろりとそう零した。
「お嬢様……やはり奥様の手作りだと分かるのですね」
涙ぐむ乳母に目を向ける。ショールはいない。
どうして泣くのだろうと首を傾げていると、小さな音と共に扉が開いた。
そこには小柄で目の大きな女性が立っている。
髪はセレーネと同じプラチナブロンド。そして目は茶色だ。
すぐ背後に男性が付き添っているのを確認した。
茶色の髪に口周りにも顎にも髭を蓄えた男性の目は、セレーネと同じ黄色だ。
両親に違いないが、なんと声をかけてよいのか分からなかった。
「クッキー、食べてくれたのね」
母とおぼしき女性がそう言って焼き菓子の器を見ている。
セレーネは無言のまま、こくこくと二度頷く。
はっと母親の目が見開かれる。
「セレーネ……おかえりなさい」
「……ただ……いま」
そう口に出した途端、涙が溢れて来た。
本当の親に言えない事を、セレーネの親に言っているからだろうか。どうして涙がでるのか、自分の感情に疑問を抱きつつ、ヘリオスが出してくれたハンカチでそっと雫を拭った。
「本日は挨拶の他に、調査結果をお知らせに参りました」
ヘリオスがセレーネの背中を優しく撫でながら、両親に向かってそう言っている。
「ウズ、ビンカ、ダチュラ、ロート。この名前に聞き覚えはありますか?」
セレーネの父である辺境伯は、訝しげな顔でヘリオスを見た。しかし何かを思い出した様な表情になると、静かに口を開く。
「……鉱山の話を持ってきた商人の一行に、そのような名前の者がいたと記憶しています」
「その鉱山の話はどうなりましたか?」
「輝石など期待出来ようもないと跳ね除けました。しつこくここに通っていましたが、いつの間にか来なくなりましたね」
「なるほど。それでは被害にはあっていないという事ですね。それでは紹介状だけ発行したということですか」
ヘリオスがそう言うと、セレーネの父である辺境伯は眉根を寄せる。
「被害とは?それに紹介状など発行しておりませんが」
「発行していない……やはりそうですか。鉱山への出資ですとか、労働に関するトラブルとか、そのような類の被害もありませんね」
「はい、当家で把握している限りでは特にそういった被害はありません。ただ、集落単位で人攫いの被害報告が出ていますので、その関連で何かあったのかもしれません。昨年の調査の際に聞いた、強制労働についての噂を思い出していたのです。もしご存知の事があれば、御教授頂けますか」
父の言葉に頷いたヘリオス。
「連れてきた者が調査の指揮をとってますので、詳細はその者から聞いてください。少しだけ妻を連れて外に出たいのですが、よろしいでしょうか?」
もう泣いていなかったセレーネはしっかり頷いた父を確認し、隣のヘリオスを見上げた。
「ヘリオス、私なら大丈夫よ?」
「一緒に見てほしい場所があるのです」
泣いていたせいで余計な気遣いをさせてしまったのだと思ったが、どうやら別の目的があったようだ。
セレーネは両親に見送られながら、ヘリオスの誘導で屋敷の外に出ようと玄関へ来た。
そこにショールがいて扉を開けてくれた。
「あなたには後でゆっくり話を伺いますので、逃げずにいてくださいね」
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