クウェイル・ミルテの花嫁

橘 葛葉

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【25】過去の記憶

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入れ替わるように騎士達が入ってきて、そのためかショールが固まっているようだ。
ヘリオスに誘導されて外に出たセレーネ。屋敷の敷地を抜け、門を左に折れ、少し歩いた所でヘリオスは立ち止まった。
「ここに連れてきたかったのです」
屋敷の側面にあたるここは、石塀の殺風景な色を隠す様にして、白い花を付けた生垣が植えられていた。
庭の形なのか、少し入り組んだ形に形成された生垣は、小さな子なら喜んで遊びに使っただろう。
かくれんぼや迷宮ごっこをした記憶が蘇る。
「今になってセレーネの記憶が流れ込んでくるなんて……」
「それは本当に他人の記憶ですか?」
ヘリオスが耳元で囁くように続ける。
「あの日、あなたは白い猫を追いかけていた」
ふわふわの子猫だった。庭に迷い込んだ猫を捕まえようとしたが逃げられ、後を追って門まできた。門は閉ざされていたが、小さい体は簡単にすり抜けてしまい、外に出たという自覚もないまま子猫を追いかけていた。
この生垣は死角が多いため、母猫や兄妹がそこにいたのかもしれない。
子猫はあと少しというところでセレーネの手をすり抜け、この入り組んだ生垣の場所に走ってきたのだ。下を見ながら走っていたセレーネは、突然現れた何かにぶつかって転び、尻餅をつくと驚いた顔をして左右を見渡した。
左右に何も見つけられず、自然と正面を見てそこに大きな野党のような男が立っているのに気が付く。逃げなければ危険だと、幼いながらも焦った記憶がある。
「これは……この記憶は何?」
まるで自分の体験のように感じる。
少し怖くなってヘリオスに目を向けたセレーネ。サファイアの瞳は、じっとこちらを見守っていた。
「あっちに行った、セレーネの記憶じゃない……?」
「元のセレーネが研究していた魔術は、残っている情報を見る限り体を入れ替えるのが主体でした。記憶の研究もされていたようですが、様々な実験結果を見ても新しく鮮明なものに限ったようです。残っている資料から読み取れたのは、最大一年でした。そもそも行っている魔術が高等なものですし、それを行った者も見つからない今、絶対的な事は言えませんが幼少期にまで遡って記憶を受け継ぐのは難しいでしょう」
青い大きな瞳の少年が記憶に現れる。紫の髪は野党のような男に鷲掴みにされ、乱暴されたのか口の端から血を流していた。
『あ?ガキか?』
ザラついた声にそう言われ、血走った目がこちらを睨みつけていた。
恐怖で体が硬直し、子猫の事などすっかり忘れて一歩後退する。
しかしそのまま逃げたら捕まっている男の子が殺されるかもしれないと思い、その場から動けないでいた。
『その子を放しなさい』
幼いながらも、領主の娘らしい言葉を使っていたのだなと思う。
『お、またどこかの貴族のガキか。なんだお前。交渉しようってんのか?』
恐怖から涙が溢れてきたが、なんとか二度頷いた。もっと強い口調で何か言いたかったはずだが、何も思い浮かばなかった。
無精髭で覆われた口がニヤリと笑い開く。
『本当にここの地方は豊作だな。ちょうど良い。女のガキがまだいないんだ』
だらりと力を失った男の子を確認すると、男はその子を地面に置いてこちらを向いた。
恐怖で硬直している幼いセレーネは、こちらに体を向けた男の背後で、倒れていたはずの男の子が立ち上がるのを見た。
その手の上で炎が繰り出されようとしている。
チラリと青い目がこちらに逃げろと合図を送っており、その直後、炎は男の顔に飛んでいく。
驚くセレーネは男の悲鳴を聞きながらも、まだ恐怖で固まっていた。
その手を掴んだ男の子が、セレーネを引いて森へ駆け出し、引っ張られるようにして足を動かす。
炎がそこまで大きくなかったのか、すぐに追いかけてくる気配。
森の中を右に左に逃げ、大きく窪んだ木の根本を見つけた男の子がそこに駆け込んだ。
転がるように中に入った二人。
大きく息をしながら、男の子がセレーネに向き直る。
『ありがとう。勇気あるんだね。君は近所の子?』
コクコクと二度頷いたセレーネ。恐怖から口の中が乾いて声も出ない。
宝石のような青い瞳が恐怖に震えるセレーネを抱き寄せる。
『大丈夫。油断して捕まってしまったけど、ちゃんと魔法も使えるし、見つかっても撃退してみせるから。君を守るよ、絶対に』
『本当?』
掠れたか細い声がセレーネの口から出た。
『本当だよ。だから、もう少しだけ頑張れる?』
肩に男の子の両手が置かれ、真剣な眼差しがセレーネに向かっていた。
無言で二度頷いたセレーネ。
『よし。じゃあ、行こう』
再び男の子はセレーネの手を引いて、低く屈みながら穴から出た。
その時、男の子から何かが転がり出て暗い草地に落ちた。
無意識に手を伸ばしたセレーネは、男の子が握っていた方の手を離してしまった。
金の指輪だった。落ちたそれを急いで拾い、振り返った瞬間。
『見つけたぞ、ガキども』
隠れていた木の背後から、男が顔を出して大きな手がセレーネに迫る。
男の子から火の粉が飛んできたが、男は手で振り払う。その火の粉がセレーネの視界を奪い、驚いてバランスを崩す。
先ほど隠れていた穴に背中から落ちたと思った。
しかし想像以上に穴が深かったのか、転がり続けるセレーネ。
悲鳴も上げられず、いつの間にか気を失っていた。







気がついたら両親が顔を覗き込んでいた。
あちらの世界の両親だ。
体に怪我はなく、痛いところも全くなかったが、白く明るい病院の中だった。
でもこの時は、見知らぬ空間だ。
『お母様?』
その時点では見覚えのない人だ。しかし気がついたらそう口に出していた。
『あら、この子ったらお母様だなんて。何かに影響されたのかしら』
照れくさそうに笑う母。
母親で正解だったと、安堵した事を思い出した。
『おや?千紗、何か持っているの?』
母に言われてぎゅっと握りしめていた手の力を抜いた。
そこには白い指輪。
『いつ拾ったんだろうね。ひょっとしてそれを拾おうとして落ちたのかしらねぇ』
『落ちた?』
『そうよ千紗。マンションの三階から落ちたのよ。覚えてない?』
首を横に振って母を見上げた。
ぎゅっと、再び握りしめた指輪の感触を覚えている。
幼い頃、大切にしていたはずの指輪は、どこに行ったのだろうか。
『怖い思いをしたね。大丈夫よ。変なおじさんのせいで自殺を図ったのかと思った。良かった千紗。覚えてないならそれで良いんだよ』
「私は……私の両親は……それにあの時の男の子……」
「やっと思い出してくれましたね」
ヘリオスの青い目が細くなった。
「攫われてこの地方に連れて来られたわたしは、この屋敷付近でなんとか逃げ出したのです。しかしすぐに見つかり、逃げないようにと少々痛めつけられている最中でした」
肩をすくめたヘリオスは続けて語る。
「気を失ったら、もう逃げる機会はありませんから、それなりに頑張っていたのですが……かなり危ない状態でしたね。そこにあなたが現れたのです」
男の気を逸らしたから、魔法で攻撃できたという事だろうか。
「一緒に逃げていたはずのあなたはわたしの作った指輪と共にどこかへ消え、代わりにキャラウェイ家から人が数人出て来て、慌てた男は逃げました。怪我をしていたのを見咎めたあなたの乳母に拾われたわたしは、しばらくこちらの屋敷で世話になりました」
セレーネを探しに来た乳母が、男の声を聞きつけて人を呼んできたらしい。人攫いの一団はヘリオスを諦めて逃げてしまい、目的も不明のままだという。
「わたしを抱きかかえた状態でセレーネを探し、森で倒れているのを見つけて屋敷に戻ったと聞きました」
ヘリオスは正体を隠したまま、使用人として怪我が治るまで滞在したと言う。
助けられたセレーネは恐怖のあまり部屋から出てこなくなり、屋敷の全員が心配していた。
しかしあちらの世界の両親と違って、キャラウェイの両親は違和感を感じていたらしい。
「天真爛漫で活動的だった子が、笑わなくなり、引きこもるようになってしまったと嘆いておられたのを覚えています。怖い経験をしたのですから、それが影響しているのだと使用人達は噂してましたけどね。わたしも滞在中に見る事はありませんでしたし、話を聞く限りでは、それがずっと続いていたのでしょうね」
心を閉ざした娘にどう接して良いのか分からず、将来を心配していた。これは財力のあるところに嫁いで、将来の憂いを減らそうと婚姻相手を探している事を知り、結婚を申し出たとヘリオスは言う。
「そんな……そんな事で結婚相手を決めてしまっていいの?」
「そんな事ではありません。わたしにとっては大切な思い出ですし、初恋の相手なのですから」
煌めく青い瞳を直視できず、頬を染めて横を向き、誤魔化すように口を開いた。
「で、でも、私には魔力がないのに、どうやってあっちへ行ったの?しかも入れ替わったなんて……」
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