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人をバカにする鍵
シャチと越境
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リビングに戻ってきた僕の視界に飛び込んでくるのは、除湿機の前で微かに揺れる、わたらいさんの白い下着のシルエットだった。
窓際のカーテンレールに、洗濯ハンガーで吊るされている。バスタオルで目隠しされてなお、それは、夏の強い光を受けて透けていた。
ママの朝食の時も、わたらいさんとのティータイムにも、ずっと同じ空間にあったはずなのに、今の今まで気がつかなかった。
気がつかないふりをしていたのかもしれない。
ママが清潔を重んじて丁寧に干したそれは、僕にとって、触れることすら許されなかった彼女の肉体そのものだ。
見てはいけないと思えば思うほど、僕の視線を吸い寄せて離さなかった。
ママの選んだ洗剤の匂いがするはずなのに、僕の脳裏には、わたらいさん本人の微かな匂いが蘇る。
洗い流されていない。消えていない。
丁寧に伸ばされた布の皺が、かえって彼女の身体の起伏を連想させて、僕は行き場のない熱をどこへ逃がせばいいのか分からなくなった。
そんな僕の視線に気づいたわたらいさんが、隣から声をかけてきた。
「……気になる?」
かつての彼女なら恥じらったかもしれない。でも、今の彼女の声は驚くほど無感情だった。
「いいよ。そんなに見たいなら、もっと近くで見ればいいじゃない」
わたらいさんが、僕の手首を掴んでカーテンレールに近づく。
「ぺこのママがここに干したんだから、もうこれは、この家のものでしょ?」
そう呟いた彼女の瞳には、さっきまでの熱はない。
あるのは、自分のプライバシーをママに捧げたことへの自嘲と、それを凝視している僕へのかすかな蔑みだけ。
僕は、逃げるように身をよじり、顔を背けた。
「……っ、違う。見てないっ」
本当は見たい。
でも、こんな形で、ママの許可を得たような状況で見ることは、彼女への冒涜のように思えた。
「見てないっ……!」
「……やだ、冗談だよ」
罪悪感に押し潰されそうな僕を見て、わたらいさんは、くすっと笑った。
「そのままあっち向いてて」
そう言って、わたらいさんが洗濯物へさらに近づく。
自分の分の洗濯物を取り込んでいるらしく、カーテンレールにハンガーが擦れる微かな音だけが聞こえた。
ママに取り上げられた、彼女のプライバシーが、彼女の手で回収されていく。
「もう、こっち見ていいよ」
その声を信じて視線を戻すと、わたらいさんは、お泊りのために着替えを入れてきたトートバッグに洗濯物を詰め込んでいた。
代わりに、中に入っていたであろう剥き出しのお金と個包装にされた猫の餌、それからシャチの柄の黒いシュシュがフローリングの床に散らばっていた。
そのシュシュを、誰がどこで買ってきたのか僕は誰よりも知っている。
「家の中、もう全部見た気がする」
僕のその言葉に、手元に集中していたわたらいさんが、視線を上げた。
「でも……街の外は、まだだよね」
自分でも、何が言いたいのかまだよく分からない。言葉が途切れ途切れに出てくる。
「鍵ってさ、案外、遠くにある気がしない?」
わたらいさんはじっと僕の顔を見ている。
僕の言葉を待っている。
「よく、分かんないけどさ……通帳と印鑑は同じ場所に置かない方がいいって聞くから……本当に大切なものなら、鍵穴はどこか遠くにあると思わない?」
わたらいさんは、少し驚いたような表情をした。何かを探るように視線を彷徨わせ、ゆっくりと瞬きをする。
「ぺこって、時々すごく鋭いこと言うよね」
少し間を置いてから、彼女はまた僕を見た。
「もしかして、それってさ、誘ってるつもり?」
わたらいさんが挑発的に微笑む。
「探すよ、もちろん。諦められるわけないじゃん」
彼女はシュシュを徐ろに拾い上げると、手慣れた様子で髪をひとつ結びにした。
立ち上がり、僕のところまで歩み寄ってくる。
そして、喧嘩をするみたいに額をぐりぐりと擦り付けて、不敵に笑った。
僕は軽く頭を引いて、応えるようにコツンと頭突きする。
それだけで、いつまでも笑えた。
窓際のカーテンレールに、洗濯ハンガーで吊るされている。バスタオルで目隠しされてなお、それは、夏の強い光を受けて透けていた。
ママの朝食の時も、わたらいさんとのティータイムにも、ずっと同じ空間にあったはずなのに、今の今まで気がつかなかった。
気がつかないふりをしていたのかもしれない。
ママが清潔を重んじて丁寧に干したそれは、僕にとって、触れることすら許されなかった彼女の肉体そのものだ。
見てはいけないと思えば思うほど、僕の視線を吸い寄せて離さなかった。
ママの選んだ洗剤の匂いがするはずなのに、僕の脳裏には、わたらいさん本人の微かな匂いが蘇る。
洗い流されていない。消えていない。
丁寧に伸ばされた布の皺が、かえって彼女の身体の起伏を連想させて、僕は行き場のない熱をどこへ逃がせばいいのか分からなくなった。
そんな僕の視線に気づいたわたらいさんが、隣から声をかけてきた。
「……気になる?」
かつての彼女なら恥じらったかもしれない。でも、今の彼女の声は驚くほど無感情だった。
「いいよ。そんなに見たいなら、もっと近くで見ればいいじゃない」
わたらいさんが、僕の手首を掴んでカーテンレールに近づく。
「ぺこのママがここに干したんだから、もうこれは、この家のものでしょ?」
そう呟いた彼女の瞳には、さっきまでの熱はない。
あるのは、自分のプライバシーをママに捧げたことへの自嘲と、それを凝視している僕へのかすかな蔑みだけ。
僕は、逃げるように身をよじり、顔を背けた。
「……っ、違う。見てないっ」
本当は見たい。
でも、こんな形で、ママの許可を得たような状況で見ることは、彼女への冒涜のように思えた。
「見てないっ……!」
「……やだ、冗談だよ」
罪悪感に押し潰されそうな僕を見て、わたらいさんは、くすっと笑った。
「そのままあっち向いてて」
そう言って、わたらいさんが洗濯物へさらに近づく。
自分の分の洗濯物を取り込んでいるらしく、カーテンレールにハンガーが擦れる微かな音だけが聞こえた。
ママに取り上げられた、彼女のプライバシーが、彼女の手で回収されていく。
「もう、こっち見ていいよ」
その声を信じて視線を戻すと、わたらいさんは、お泊りのために着替えを入れてきたトートバッグに洗濯物を詰め込んでいた。
代わりに、中に入っていたであろう剥き出しのお金と個包装にされた猫の餌、それからシャチの柄の黒いシュシュがフローリングの床に散らばっていた。
そのシュシュを、誰がどこで買ってきたのか僕は誰よりも知っている。
「家の中、もう全部見た気がする」
僕のその言葉に、手元に集中していたわたらいさんが、視線を上げた。
「でも……街の外は、まだだよね」
自分でも、何が言いたいのかまだよく分からない。言葉が途切れ途切れに出てくる。
「鍵ってさ、案外、遠くにある気がしない?」
わたらいさんはじっと僕の顔を見ている。
僕の言葉を待っている。
「よく、分かんないけどさ……通帳と印鑑は同じ場所に置かない方がいいって聞くから……本当に大切なものなら、鍵穴はどこか遠くにあると思わない?」
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「ぺこって、時々すごく鋭いこと言うよね」
少し間を置いてから、彼女はまた僕を見た。
「もしかして、それってさ、誘ってるつもり?」
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「探すよ、もちろん。諦められるわけないじゃん」
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立ち上がり、僕のところまで歩み寄ってくる。
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