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人をバカにする鍵
君の目に映るもの
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大通りの角を曲がると、タクシーの速度が落ち、ゆっくりと街を這うように進み始めた。
「……法定速度があるから、これが限界だ。なるべくゆっくり走るから、よーく探すんだ」
運転手の言葉を受けて、僕とわたらいさんは食い入るように、それぞれの窓の外を見つめた。
鍵。鍵。
この銀色の細く平べったい、歪な形の金属が、吸い込まれるように収まる場所。
例えばそれは、古い一軒家の玄関。
路地裏に並ぶ、錆びた物置の扉。
街灯に照らされた、月極駐車場のフェンスの向こうに並ぶ車の列――。
――そうだ。
車かもしれない、と僕は思った。
もし車なら、今僕らが乗っているこのタクシーと同じように、どこへでも行ける足になる。
兄ちゃんなら、そういうものを選びそうな気がした。
――いや。ダメだ。
兄ちゃんはまだ、自分で運転できなかったはずだ。
自分で動かすことができないものの鍵を、わざわざ持つだろうか?
動かない車なんて、ただの鉄の塊だ。
ダメだ、ダメだ。
違う。考え直せ。
僕は舌打ち混じりに、改めて窓の外に集中した。
それなら今度は――。
建物の影。
ドアノブの形状。
シャッターの鍵穴。
僕は、鍵を差し込めるものばかりを片っ端から目で追っていた。
それ以外は、ただのノイズだ。
網膜には映っているはずなのに、僕の脳は、鍵穴を持たない景色を片端から捨て去っていく。
分かっている。
外を見ているのに、僕の意識はいつしか、手のひらの上の小さな鍵という内側に閉じこもっていた。
「……あ」
隣で、わたらいさんが小さく声を漏らした気がした。
僕はそれを聞き流す。
今、僕の目の前を、古いアパートの集合ポストが通り過ぎようとしていたからだ。
――あそこのどれかに、合うんじゃないか?
僕は必死になって、目を凝らす。
「……ねえ、ぺこ」
二度目の声も、僕の耳を滑り落ちた。
確かに聞こえたはずのに、情報として、脳まで届かない。
――違う、あのアパートじゃない。
もっと別のものだ。例えば、例えば……。
不意に、シャツの袖をきゅっと引かれた。
無理矢理、意識を覚醒される。
驚いて、反射的に振り向く。
わたらいさんも、驚いていた。
とっさに、僕に触ってしまったことに。
それでも、僕の袖をゆるく握ったまま、彼女は反対側の手で、窓の外をまっすぐに指差した。
今、この瞬間にも、車窓がコマ送りで流れ続けているからだ。
流されないように。
見逃してしまわないように。
「ぺこ、ほら……あれ、じゃない?」
わたらいさんの指さす先を、僕も見た。
けれど、彼女が指差した先には、建物なんてなかった。
車もアパートも、鍵穴がありそうなものは何一つ見当たらない。
代わりに、歩道を走る一台の自転車が、視界を横切った。
――自転車の鍵?
僕はそれを必死に目で追う。
違う。
そりゃあ、僕だって、最初はそうかも知れないと考えたけれど。
兄ちゃんが、自転車の鍵をわざわざあんな風に隠し持つはずがない。
「……自転車の鍵じゃ、ないと思う。もっと違うものを探してみようよ。建物とか、車とかさ」
「違うの!」
そう言いかけた僕を、わたらいさんの、思いの外強い声が遮った。
「……そうじゃない。もっと、上」
「……上?」
僕は呟き、ほとんど彼女に身体を重ねるようにして、さらに身を乗り出す。
下から、見上げるように窓を覗き込んだ。
上を見たって、夏の空と電柱があるだけだ。鍵穴が刺さりそうなものなんて何もない。
何にも、ないじゃないか。
そう呟きかけた、その時だった。
嫌でも、それが目に入った。
夏の空とは対照的な、オレンジ色の大きな看板。
その中央に鎮座する、独特な模様。
見覚えのある、ロゴマーク。
「……っ」
思わず、息が止まる。
手元の鍵と、頭上の巨大な看板が、僕の中で確かな一本の線で繋がった。
「ねえ、あれじゃない?」
わたらいさんの言葉が、今度ははっきりと脳に届く。
「鍵にも、あんなマークついていたよね?」
それでもまだ不安げなわたらいさんが、僕の手の中の鍵を覗き込む。
「おんなじ……」
「……同じだ」
呟いた声がふたつ、同時に震えた。
間違いなく、鍵と同じロゴマークが、そこには描かれていた。
運転手が心当たりがあると言ったそれは――建物でも車でもなく、トランクルームの巨大な看板だった。
「すごい……」
僕は、思わずわたらいさんの手を、両手で握りしめていた。
「すごいよ!わたらいさん!」
僕ひとりだったら、きっと、あの看板はただの背景として消えていた。
鍵穴を探すことに必死で、空を見上げることなんて、思いつきもしなかった。
必死に差し込める場所を探している間に、タクシーはあの場所を通り過ぎ、永遠に答えを失っていただろう。
僕は、この狭い窓から小さな鍵穴を探していた。
でも彼女は、もっとずっと広く、大きな街を見ていたんだ。
僕が見落としていた世界を、彼女は全部、拾い集めてくれていた。
「……あった。あったよ、運転手さん!」
僕は、たまらず運転席にしがみつく。
「わたらいさんが、見つけてくれた!」
叫んだ僕の横で、わたらいさんが、ふふっと短く笑った。
「違うよ、ふたりで見つけたの」
運転手が、片手でサムズアップした。
「……法定速度があるから、これが限界だ。なるべくゆっくり走るから、よーく探すんだ」
運転手の言葉を受けて、僕とわたらいさんは食い入るように、それぞれの窓の外を見つめた。
鍵。鍵。
この銀色の細く平べったい、歪な形の金属が、吸い込まれるように収まる場所。
例えばそれは、古い一軒家の玄関。
路地裏に並ぶ、錆びた物置の扉。
街灯に照らされた、月極駐車場のフェンスの向こうに並ぶ車の列――。
――そうだ。
車かもしれない、と僕は思った。
もし車なら、今僕らが乗っているこのタクシーと同じように、どこへでも行ける足になる。
兄ちゃんなら、そういうものを選びそうな気がした。
――いや。ダメだ。
兄ちゃんはまだ、自分で運転できなかったはずだ。
自分で動かすことができないものの鍵を、わざわざ持つだろうか?
動かない車なんて、ただの鉄の塊だ。
ダメだ、ダメだ。
違う。考え直せ。
僕は舌打ち混じりに、改めて窓の外に集中した。
それなら今度は――。
建物の影。
ドアノブの形状。
シャッターの鍵穴。
僕は、鍵を差し込めるものばかりを片っ端から目で追っていた。
それ以外は、ただのノイズだ。
網膜には映っているはずなのに、僕の脳は、鍵穴を持たない景色を片端から捨て去っていく。
分かっている。
外を見ているのに、僕の意識はいつしか、手のひらの上の小さな鍵という内側に閉じこもっていた。
「……あ」
隣で、わたらいさんが小さく声を漏らした気がした。
僕はそれを聞き流す。
今、僕の目の前を、古いアパートの集合ポストが通り過ぎようとしていたからだ。
――あそこのどれかに、合うんじゃないか?
僕は必死になって、目を凝らす。
「……ねえ、ぺこ」
二度目の声も、僕の耳を滑り落ちた。
確かに聞こえたはずのに、情報として、脳まで届かない。
――違う、あのアパートじゃない。
もっと別のものだ。例えば、例えば……。
不意に、シャツの袖をきゅっと引かれた。
無理矢理、意識を覚醒される。
驚いて、反射的に振り向く。
わたらいさんも、驚いていた。
とっさに、僕に触ってしまったことに。
それでも、僕の袖をゆるく握ったまま、彼女は反対側の手で、窓の外をまっすぐに指差した。
今、この瞬間にも、車窓がコマ送りで流れ続けているからだ。
流されないように。
見逃してしまわないように。
「ぺこ、ほら……あれ、じゃない?」
わたらいさんの指さす先を、僕も見た。
けれど、彼女が指差した先には、建物なんてなかった。
車もアパートも、鍵穴がありそうなものは何一つ見当たらない。
代わりに、歩道を走る一台の自転車が、視界を横切った。
――自転車の鍵?
僕はそれを必死に目で追う。
違う。
そりゃあ、僕だって、最初はそうかも知れないと考えたけれど。
兄ちゃんが、自転車の鍵をわざわざあんな風に隠し持つはずがない。
「……自転車の鍵じゃ、ないと思う。もっと違うものを探してみようよ。建物とか、車とかさ」
「違うの!」
そう言いかけた僕を、わたらいさんの、思いの外強い声が遮った。
「……そうじゃない。もっと、上」
「……上?」
僕は呟き、ほとんど彼女に身体を重ねるようにして、さらに身を乗り出す。
下から、見上げるように窓を覗き込んだ。
上を見たって、夏の空と電柱があるだけだ。鍵穴が刺さりそうなものなんて何もない。
何にも、ないじゃないか。
そう呟きかけた、その時だった。
嫌でも、それが目に入った。
夏の空とは対照的な、オレンジ色の大きな看板。
その中央に鎮座する、独特な模様。
見覚えのある、ロゴマーク。
「……っ」
思わず、息が止まる。
手元の鍵と、頭上の巨大な看板が、僕の中で確かな一本の線で繋がった。
「ねえ、あれじゃない?」
わたらいさんの言葉が、今度ははっきりと脳に届く。
「鍵にも、あんなマークついていたよね?」
それでもまだ不安げなわたらいさんが、僕の手の中の鍵を覗き込む。
「おんなじ……」
「……同じだ」
呟いた声がふたつ、同時に震えた。
間違いなく、鍵と同じロゴマークが、そこには描かれていた。
運転手が心当たりがあると言ったそれは――建物でも車でもなく、トランクルームの巨大な看板だった。
「すごい……」
僕は、思わずわたらいさんの手を、両手で握りしめていた。
「すごいよ!わたらいさん!」
僕ひとりだったら、きっと、あの看板はただの背景として消えていた。
鍵穴を探すことに必死で、空を見上げることなんて、思いつきもしなかった。
必死に差し込める場所を探している間に、タクシーはあの場所を通り過ぎ、永遠に答えを失っていただろう。
僕は、この狭い窓から小さな鍵穴を探していた。
でも彼女は、もっとずっと広く、大きな街を見ていたんだ。
僕が見落としていた世界を、彼女は全部、拾い集めてくれていた。
「……あった。あったよ、運転手さん!」
僕は、たまらず運転席にしがみつく。
「わたらいさんが、見つけてくれた!」
叫んだ僕の横で、わたらいさんが、ふふっと短く笑った。
「違うよ、ふたりで見つけたの」
運転手が、片手でサムズアップした。
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