ネグレクト少年の拾い食いとヤンデレ少女の餌付け

小鳥遊愚香

文字の大きさ
81 / 91
人をバカにする鍵

笑い飛ばす

しおりを挟む
 いくらか気持ちが落ち着いてきた。

 腫れぼったい目元を乱暴にごしごしと擦っていたら、わたらいさんがハンカチを差し出してくれた。

「……ありがとう」
 紺色の、タオル地のハンカチ。
 僕は受け取って、それを口元に当てた。

「ちゃんと、洗って返すからね」

 僕がそう言うと、わたらいさんは、少しだけ間を置いてから、「大丈夫、それぺこのお兄ちゃんのだから」と答えた。

 僕はぎょっとして、当てていたそれを反射的に顔から遠ざけた。

「……持って帰った方がいいよ」
 わたらいさんが、視線を逸らしたまま言った。

「ここに置いておくとさ。なんだか、お兄ちゃんが、ずっとここに閉じ込められてるみたいで……」

 その言い方が、妙に生々しく思えた。

「……でも、持って帰るって」

 ハンカチと、わたらいさんの顔を、僕は交互に見る。


「うん。だからね」
 彼女は、僕がさっき蹴散らしてしまった紙袋の方を、そっと指差した。

「片付けるんでしょ。それ。だから、ついでにこれも……」

 言い切る寸前に、ようやく自分が何を言ったか理解したらしく、わたらいさんは一気に顔を赤くした。

「……ち、違うからね。手紙が落ちてるのしか、見えなかったの。本当に。変な意味とか、そういうのじゃなくて」

 彼女は顔を耳まで赤くしたまま、慌てて両手を振っている。
「なんか、その……勢いっていうか……」

 僕は一瞬きょとんとして、それから、思わず吹き出してしまった。
「いらないよ、使い方もよく知らないし」

「ちょ、ちょっと!」
 わたらいさんが、つかつかと僕に歩み寄り、平手で頭を叩いた。

 僕は笑いを堪えながら、床に散らばったものを黙々と拾い集める。

 床に落ちたままの、小さな銀色の箱が目に入った。
 拾い上げてみると、やけに軽くて、拍子抜けする。
 
 背面には、細かい文字がぎっしり並んでいた。
 熱がどうとか、安心だとか、一回きりだとか。

 大事そうなことばかりなのに、肝心なことは、どこにも書いていない。
「……これ、どうすればいいのかは、教えてくれないんだね」

 わたらいさんも、恐る恐る覗き込んできた。
「本当だ……なんか、ずるいね」

「使い方も分かんないのに、本気で持って帰るの?」

「……お守りにしたら?」
 不貞腐れたような、ぼそっとした彼女の返事に、また笑ってしまう。

 しばらく、二人で黙々と片付けた。

 さっきまでの空気の重さが、少しずつ、床に落ちていく。

「……ねえ」
 不意に、わたらいさんが言った。

「大人ってさ……なんであんなに、よく分かんないことに必死なんだろうね」

 一瞬だけ、間があった。
 
 沈黙。

 あのコンビニの奥で、耳を劈くけたたましいノイズとは、正反対の静けさだった。

 だから、僕は身構えた。

 また、何かが始まってしまうんじゃないかと。

 僕か、あるいは、わたらいさんの感情が溢れて、とんでもないことが起こってしまうんじゃないかと。

「……ふふ」
 その張りつめた空気の中で、ふいに、小さな笑い声がこぼれた。

 わたらいさんだった。

「ぺこ、すごく怖い顔してる」


「……笑わないでよ。僕、真剣なんだから」

 蹴り飛ばした恥ずかしいものの断片を、拾い上げては紙袋へ押し込む。

 なるべく見ないように、何も考えないように。

 うまく入らずに、紙袋が重みで倒れてまた少し中身が出てきてしまう。

 本当は、閉じ込めておくべきはずのものなのに。

 次の瞬間、僕たちはこらえきれずに笑い出した。

 床の上に膝をついて、腹が痛くなる。

 どうしようもなく、おかしい。

 鍵を開ける前は、あんなに怖くて、息が詰まるほど追い詰められた、トランクルームの秘密。

 きっと禍々しくて、触れてはいけないものだと思っていたそれが、実際に向き合ってみると、こんなにも不器用で、間抜けで、よく分からないものだったなんて。

「……もう、いいよね」
 紙袋を段ボールに寄りかからせて、入り切らなかった中身はそのまま横に添えておくことにした。


「うん。なんか、バカバカしくなっちゃった」
 笑いすぎて滲んだ涙を、わたらいさんは手の甲で乱暴に拭った。

「……私さ。正直、怖かったんだ」

 二人とも手は動かしたまま、顔は上げない。

「コンビニの、トイレのこと」

 僕は、何も言わずに続きを待つ。

「あんなに怖かったのに、ふふ……」

 結局、僕たちは何一つ正しくできなかった。

「本当に、今はなんか……ちょっと、笑えるよね」
 自虐ではなく、彼女は笑っている。

 それ以上、言葉はいらなかった。

「……うん」

 きっと、今は分からないままでいい。

 分からないことを、分からないって言える場所に、今はまだ立っている。

 ただ、同じように隠そうとして、必死になって失敗して、笑い転げただけだ。

 それで、よかったんだと思う。

 あのときのコンビニで、恐怖で引き裂かれそうになった僕たちをギリギリで繋ぎ止めてくれたのは、賢さでも、強さでもなく――どうしようもない子供らしさだったのかもしれない。

「……私の秘密も、ここに置けたかな」
 わたらいさんが、真っ直ぐに僕の目を見る。


「うん。僕の世界で一番、かっこ悪い秘密もね」



 帰りのタクシーの車内。

 窓を少し開けると、夕方の風が肌を撫で、さっきまでまとわりついていた重たい気配を、静かに攫っていった。

 隣のわたらいさんが、思い出したようにくすっと笑って、僕の腕を軽く小突く。

 その横顔には、もう、あの場所で見た怯えは残っていなかった。

 克服した、というほど大きなことじゃないし、きっと全部を忘れられたわけでもない。

 ただ、未知の恐怖に、支配されなくなっただけだ。

 僕たちの不器用さで、地獄を笑い飛ばしたんだ。



 タクシーが最寄りのコンビニに着いて、わたらいさんがお金を払ってくれた。

「あの……運転手さんのお名前、覚えておきたくて……」

 お金を差し出しながら、わたらいさんが助手席に掲示された乗務員証をちらっと見た。
「篠田、さん」

 運転手は、会社の番号を記載したカードを手渡してくれた。

「名刺はないけど、領収書出せば日付と車両番号で特定できる。忘れ物した時にも便利だから、もらって損はないよ」

 僕たちも、そうすることにした。

「私、わたらいめぐみです」

「僕は、あやせ はやて」

 僕たちを、運転手の記憶の片隅に残して欲しかったわけじゃない。

 秘密を受け入れて、助けてくれたことへの最大限の敬意だった。

「いい名前だな。でも、いい大人ばかりじゃないから、誰彼構わず名前を教えちゃダメだぞ。大事なものなんだから」

 わたらいさんは、素直に頷いた。
「はい、そうします」

「じゃあな。また何かあったら……って、何もないのが一番なんだけどな」

 苦笑する運転手を残して、僕らはアパートへ向けて歩き始めた。

「ぺこ、その鍵どうするの?」

 わたらいさんの指先と、僕の手の甲が微かに触れる。

 僕は、反対側の手でポケットの中の鍵を握りしめた。

 これを、ママを支配するための道具にするつもりは、さらさらなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...