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しおりを挟む翌日の朝、王宮からは迎えが来て、母はユズハにいつも自身が身に付けていたネックレスを渡して行った。ネックレスには金の指輪が通されている。それは、前王が母に贈った指輪だった。持って行ってもシコンに捨てられるのなら、ユズハに持たせ、金に換えて貰った方がいいと思ったのだろう。
母が家を去ると、今度はナギサがユズハを迎えに来た。その表情は当のユズハよりも沈んでいた。
「ナギサ、今までありがとう。おれは大丈夫だから」
金目のものは持っていけってかあさまがカバンいっぱいにアクセサリーを詰めてくれたんだ、とユズハが笑うと、ナギサの目から大粒の涙が零れた。
「ユズハさまは、何も悪くないのに……」
きっとナギサもこのままここを出たらユズハはすぐに死ぬと思っているのだろう。確かに十歳の子ども、しかもオメガの子が一人で暮らすことは現実的ではない。
けれどこれはユズハにとって現実だった。
「大丈夫。きっと、また会えるよ」
ユズハは少し背伸びをしてナギサの頬に触れた。ナギサが小さく頷く。
そこに足音が響き、二人はそちらを振り返った。こちらに向かって走って来たのはギンシュだった。
「ギンシュ様」
ナギサがその名を呼ぶと、ギンシュが微笑んだ。
「遅くなったな。ようやく連絡が取れて、なんとか伝手が出来た」
ギンシュはナギサの頭を撫でてから、こちらに向き直る。それから封筒を一つこちらに差し出した。
「ユズハ、ここを出たらすぐに、この封筒の中の住所を訪ねなさい」
ユズハが戸惑いながらその封筒を受け取る。ナギサがギンシュを見つめ、ありがとうございます、とほっとした顔をする。
「ギンシュさま、ここは……?」
ユズハが封筒に視線を落としたまま聞き返す。ギンシュは膝を折りユズハと同じ視線になってまっすぐにユズハを見つめた。
「ここがユズハの新しい家と仕事だ。初めは大変かもしれない。でもいつかきっと、ここに戻れるように手配する。それまで頑張れるね?」
ギンシュが優しく笑んで肩に触れる。ユズハはその手を見てから、ギンシュに頷いた。
「頑張れます」
「いい返事だ。じゃあ、もうお行き。父の使いが来る前にここを出るんだ」
ギンシュが立ち上がり真剣な目を向ける。きっと現王の使いに捕まれば自分は殺されてしまうのだ――ギンシュの言葉でそれが分かったユズハはナギサとギンシュに一度だけ抱きついてから、歩き出した。
ギンシュから受け取った封筒を開けると、宮廷から出る道順も書かれていた。表からは出られないという事なのだろう。ユズハは家の裏の林を抜けて宮廷を出ることにした。誰も居ない林は少し怖いが、我慢する。そうして歩いていると、不意に知った香りが漂って来た。
「アサギ……」
いつもなら逃げるのだが、今日は最後だ。会って文句でも言ってやろうと思い、気づかないフリで歩き続ける。すると思った通り、視界に仁王立ちのアサギが入って来た。
「ユズハ! お前、ここを出るのか?」
ふてぶてしくて、横柄な態度だが、これも見納めと思うと、少し寂しい気もする。嫌い嫌いと言いながらも、ユズハを名前で呼んでくれる、数少ない人でもあったのだ。
「……嬉しいだろ? もう顔を見なくて済むな」
ユズハがため息を吐いて近づく。するとアサギは、当てはあるのか、と聞いた。
「関係ないだろ。どうせ二度と会わない」
一瞬だけアサギと目を合わせてから、その傍を通り過ぎる。するとアサギがユズハの手を掴んだ。ビリビリと体に電流が走った様な感覚がして、ユズハが驚いてアサギを見やる。
「離して」
「ユズハ! お、お前を俺の番にしてやってもいい、ぞ! そうすればお前もここに居られる」
アサギがこちらを見つめる。それにユズハは大きなため息を吐いてから、思い切りアサギを睨んだ。
最後まで自分をばかにした言葉しか言わないのだと思うと、怒りと同時に悲しくもなった。『番にしてやってもいい』――それは自分が下層の子で可哀そうだからか。
そんなふうに言われるのは、どうしても許せなかった。
「絶対に嫌」
アサギの手を振り払い、ユズハが歩き出す。
「おい、ユズハ! 俺の、王子の番だぞ!」
「お前の番だけには絶対ならないよ、ばーか!」
こちらに向かって叫ぶアサギにそう返したユズハはそのまま走って宮廷を出た。
そしてギンシュに言われた場所が今のユズハが暮らしている娼館だった。
ギンシュの伝手で上手く働くことが出来て、本当に感謝している。あのままだったらきっと今ユズハは生きていない。
「でも……きっともう戻れませんよ、ギンシュ様……」
昨日までのキレイな体のままなら、あの場所に戻って、ギンシュの元で働くことも夢見ていた。でももう、それも叶わない。
このままここで大嫌いなアサギの慰みものになって、アイツが飽きたら別の誰かに抱かれて生きていくのだろう。
「ごめんね、かあさま……」
生きていたらいつか会えると思っていたけれど、男娼になった息子になどきっと会いたくないだろう。
そう思うと、ユズハの頬には、一筋の涙が零れ、流れていった。
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