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しおりを挟む厨房のドアを開け中に入ってからほっと息を吐く。
「ユズハ? こんな時間に一人で何してるんだ?」
厨房で働く男性従業員がユズハを見つけ声を掛ける。ユズハは最近まで裏方で働いていたので顔なじみも多い。この時声を掛けた従業員もそうだった。
「何か飲み物が欲しくて」
「呼べばいいのに」
そう言いながら彼がお茶を淹れる準備をしてくれる。
「部屋に居るの飽きちゃって」
部屋には従業員と繋がる端末がある。液晶画面の付いた手のひらサイズの薄い端末で、カメラも付いているのだが、従業員と連絡を取る以外には何も出来ない。自分たち男娼は、なるべく外の情報を遮断されているのだ。多分脱走防止なのだろう。
「例の旦那様は?」
「今日も来てないよ。おれに、毎日来るほどの魅力はないんでしょ」
甘えたり媚びたりもしない。それどころかアサギを拒み、暴言まで吐く、そんな男娼に嫌気がさしてもおかしくはない。
「忙しい人だって聞いたよ。一瞬だけ見たけど、カッコいいアルファだね」
いいなあ、と笑いながらお茶を淹れ、ユズハにボトルを手渡す。ユズハは彼からそれを受け取りながら複雑な表情を見せた。
「それだけ、かな……」
ユズハの言葉を聞いて、従業員が微笑んだ。
「ちゃんと、お客様のこと好きなんだね、ユズハ。よかったね、そんな人に買われて」
ふふ、と笑ってから、ママに見つかる前に部屋戻りなよ、と言って彼は仕事に戻っていった。
それを見送ったユズハはお茶を持って部屋へと戻った。帰りは誰にも会わずにスムーズに戻って来たのだが、ユズハはずっと動揺していた。
部屋のドアを閉めてから、ユズハはゆっくりと口を開く。
「おれが、アサギを、好き……?」
小さい頃、あんなに苛められた相手を好きになんかなるはずがない。
それでもさっき他の男に触れられただけで感じた気持ち悪さをアサギには感じたことがなくて、それがどういうことなのか考えたら、とんでもない結論にたどり着いてしまうような気がして、ユズハは考えることをやめ、ため息を吐きながらソファに座り込み、目を閉じた。
「アイツが来ないのが悪いんだ」
全部をアサギのせいにして、ユズハはしばらく使っていない接客用のベッドを見やり、もう一度深くため息を吐いた。
「ユズハー、次は腕ねー」
営業時は待合室となっている玄関ホールにあるふかふかなソファに寝そべるミクリが、傍に座って腰を揉んでいるユズハの前に腕を差し出す。ユズハは眉間にしわを寄せたが、その腕を掴んでマッサージを始めた。
「ねえ、なんでこんなことさせられてんの?」
「昨日ユズハの代わりに客の相手したの、僕。あの酔っ払い、ホントしつこかったんだから!」
だからユズハには僕を労わる義務がある、とミクリに言われ、ユズハは気を取り直してミクリの腕を揉んだ。確かにそれはユズハに義務がある。
「聞いたよ、営業時間に一人でフラフラしてたって。あのイケメンは? 来てないの?」
「しばらく会ってない」
デートに連れ出してくれた日から顔も見ていない。でも金は払われているからこうして誰にも抱かれずに暮らせているのだが、やっぱり会いに来てくれないのは少し不安だった。
「ねえ、ユズハ。ユズハはその人と会う時、ちゃんと『好き』っていう演技してる?」
ミクリがユズハの手を解いて体を起こし、ソファに胡坐をかくように座った。ユズハはミクリの言葉に首を傾げる。
「ちゃんと感じてるフリしたり、動きに合わせて声出したりしてる?」
「な、そ、そんなの、出来るわけない!」
感じるフリとか声とか、そんなことまで考えられない。まだ一度しか抱かれていないが、自分を保つだけで必死だったと思う。
ユズハが大きく首を振ると、ミクリが大きなため息を吐く。
「ユズハ、僕らはベッドの中では役者なんだよ。相手をいかに気持ちよく夢のような時間に連れて行ってあげられるかが仕事なんだよ」
ただ体を売ってるわけじゃないの、とミクリが少し真剣な顔をする。ユズハはその言葉に小さく頷いた。
この仕事を簡単だと思ったことなど一度もない。それでもそんなに真面目にこの仕事に向き合ったこともなかった。アサギに対しても嫌だと抵抗するばかりで、素直に甘えることなんか一度もしたことはない。
「……飽きられた、かな……」
可愛くもない男娼に高い金を払う価値なんかないかもしれない。つまらないと思われたらそれで終わりだ。
「飽きられたくないの?」
落ち込むユズハの頭を優しく撫でたミクリが聞く。前に『大嫌いだった幼馴染み』と話しているから、逆にいいのではと思ったのだろう。
「……よく分かんないけど……なんだか胸が痛いよ」
ユズハが今の気持ちを素直に口にする。ミクリはそんなユズハの肩を抱き寄せ、ぎゅっと強く抱きしめてくれていた。
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