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匡史が滝上建設へたどり着いたのは、約束の五分前だった。正面玄関前には既に池上が待っていた。匡史の姿を見つけ、軽く片手を上げる池上に、匡史は小走りで近づく。
「すみません、朝からちょっと押してて」
例の図面のお陰で匡史は珍しく忙しかった。いつもなら担当に会う前に、必ず受付嬢と雑談をしていくので、大抵アポイントの二十分前にはたどり着くというのに、今日はその余裕もなかった。
「いや。アポまではまだ時間あるから大丈夫だよ」
池上は言うと、匡史に手を伸ばした。ふわりとまた、香りが届く。とても微かだけれど、あの日に感じたものと同じ香りだ。
その香りに気を取られていると、池上の手がいつの間にかネクタイのノットを掴んでいた。それからそれをまっすぐに整える。近くで見る池上の指先は、長くて男のくせに真っ直ぐでキレイだった。整えられた爪の先は、女性的にすら見える。その手が離れるまで、匡史は柄にもなく男の手をじっと見つめてしまっていた。
「すみません……」
ネクタイを直してもらったことに対してか、じっと凝視してしまったことに対してか自分でもよくわからないまま、匡史が呟くと、池上は、いや、と首を振ってから、行こうか、と微笑んだ。
陽に照らされたその顔に眩しさを覚えながら、匡史は歩き出した池上に慌てて付いて行った。
「こんにちは」
受付にたどり着くと、匡史はいつも通りに受付嬢に笑顔で声を掛けた。
「金丸さん、久しぶりですー。最近お誘いないから、彼女でもできたんじゃないかって噂してたんですよ」
オクターブ上がった声で受付嬢が匡史に笑顔を向ける。それから、隣に立つ池上を見て顔を赤くした。たしかに池上も、びっくりするほど整った顔をしているのでこの反応は当然だ。
「そんなじゃないんだけど、忙しくてね。資材部の石田《いしだ》さんと……あと部長さんにアポ取ってるんだけど」
「はい。確認しますね」
受付嬢が受話器を取ると、池上は匡史の袖口を軽く引っ張った。匡史が目顔で反応を返すと、池上は小声で耳元に囁いた。
「……僕、どこかおかしい?」
その言葉に、いや、と答えようとしてから、どうしてこんなことを、と思いそわそわとぎこちない池上を見やった。その視線が辺りを気にしている。匡史も周りを見渡してから一人納得すると、おかしくなってしまって、答える前に笑い出してしまった。
「金丸くん?」
「いや、すみません。全然どこも変じゃないですよ。課長がイイ男だからみんな見てるだけです」
よく自分を理解している金丸にとって、この視線は慣れたものだが、そこまで自意識がなさそうな池上には居心地の悪いものかもしれない。
「そんな、まさか」
「課長、アルファですよね。今までこんな状況なかったんですか?」
「……ないよ。僕は、総務の資料課だったから、ほとんど出歩かなかったし、普段も……全然で」
金丸くんと違って目立つ方でもないし、と肩を縮める姿に、匡史が笑う。
「堂々としててください。課長はそこに居るだけでいいらしいですから」
「なんだ、それは」
「女の子の活力になってるみたいですよ、課長の存在自体が。理想の旦那様って言われてるの、知ってましたか?」
「僕が理想……? それは、君の方だろう。立っているだけで様になる男なんて、滅多にいないよ」
そう言われ微笑まれると、また心臓がピッチを早め、匡史は苦く笑うだけでその言葉を受け流した。その反応が世辞と受け取ったと判断されたのか、池上は、本当だよ、と言葉を足した。
「そういう男は、過去に一人しか知らないな」
池上の言葉に匡史は、その一人って誰、と聞こうと口を開いた。けれどその瞬間、お待たせしました、と声が掛けられ、結局何も聞けずに受付に向かい合った。
「第二応接室でお待ちしてます、とのことです」
受付嬢は、社内の案内図を取り出すと、ひとつの部屋を手のひらで指した。
「ありがとう。行きましょう、課長」
匡史は受付に、またね、と手を振ってから池上と共にエレベーターへと乗り込んだ。
「すみません、朝からちょっと押してて」
例の図面のお陰で匡史は珍しく忙しかった。いつもなら担当に会う前に、必ず受付嬢と雑談をしていくので、大抵アポイントの二十分前にはたどり着くというのに、今日はその余裕もなかった。
「いや。アポまではまだ時間あるから大丈夫だよ」
池上は言うと、匡史に手を伸ばした。ふわりとまた、香りが届く。とても微かだけれど、あの日に感じたものと同じ香りだ。
その香りに気を取られていると、池上の手がいつの間にかネクタイのノットを掴んでいた。それからそれをまっすぐに整える。近くで見る池上の指先は、長くて男のくせに真っ直ぐでキレイだった。整えられた爪の先は、女性的にすら見える。その手が離れるまで、匡史は柄にもなく男の手をじっと見つめてしまっていた。
「すみません……」
ネクタイを直してもらったことに対してか、じっと凝視してしまったことに対してか自分でもよくわからないまま、匡史が呟くと、池上は、いや、と首を振ってから、行こうか、と微笑んだ。
陽に照らされたその顔に眩しさを覚えながら、匡史は歩き出した池上に慌てて付いて行った。
「こんにちは」
受付にたどり着くと、匡史はいつも通りに受付嬢に笑顔で声を掛けた。
「金丸さん、久しぶりですー。最近お誘いないから、彼女でもできたんじゃないかって噂してたんですよ」
オクターブ上がった声で受付嬢が匡史に笑顔を向ける。それから、隣に立つ池上を見て顔を赤くした。たしかに池上も、びっくりするほど整った顔をしているのでこの反応は当然だ。
「そんなじゃないんだけど、忙しくてね。資材部の石田《いしだ》さんと……あと部長さんにアポ取ってるんだけど」
「はい。確認しますね」
受付嬢が受話器を取ると、池上は匡史の袖口を軽く引っ張った。匡史が目顔で反応を返すと、池上は小声で耳元に囁いた。
「……僕、どこかおかしい?」
その言葉に、いや、と答えようとしてから、どうしてこんなことを、と思いそわそわとぎこちない池上を見やった。その視線が辺りを気にしている。匡史も周りを見渡してから一人納得すると、おかしくなってしまって、答える前に笑い出してしまった。
「金丸くん?」
「いや、すみません。全然どこも変じゃないですよ。課長がイイ男だからみんな見てるだけです」
よく自分を理解している金丸にとって、この視線は慣れたものだが、そこまで自意識がなさそうな池上には居心地の悪いものかもしれない。
「そんな、まさか」
「課長、アルファですよね。今までこんな状況なかったんですか?」
「……ないよ。僕は、総務の資料課だったから、ほとんど出歩かなかったし、普段も……全然で」
金丸くんと違って目立つ方でもないし、と肩を縮める姿に、匡史が笑う。
「堂々としててください。課長はそこに居るだけでいいらしいですから」
「なんだ、それは」
「女の子の活力になってるみたいですよ、課長の存在自体が。理想の旦那様って言われてるの、知ってましたか?」
「僕が理想……? それは、君の方だろう。立っているだけで様になる男なんて、滅多にいないよ」
そう言われ微笑まれると、また心臓がピッチを早め、匡史は苦く笑うだけでその言葉を受け流した。その反応が世辞と受け取ったと判断されたのか、池上は、本当だよ、と言葉を足した。
「そういう男は、過去に一人しか知らないな」
池上の言葉に匡史は、その一人って誰、と聞こうと口を開いた。けれどその瞬間、お待たせしました、と声が掛けられ、結局何も聞けずに受付に向かい合った。
「第二応接室でお待ちしてます、とのことです」
受付嬢は、社内の案内図を取り出すと、ひとつの部屋を手のひらで指した。
「ありがとう。行きましょう、課長」
匡史は受付に、またね、と手を振ってから池上と共にエレベーターへと乗り込んだ。
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