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第1話~波のうた~
誠広さん(5)
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なんてことを考えていると、ますます頬が赤くなってくるような気がした。幸いというか、男の人は今は手元のスケッチブックに顔を向けているので、たぶん今度は気づかれていない。
頬を手で押さえて、ある程度熱が引いたかなと思うぐらいの時間を置いてから、もう少し相手に近づいてみた。スケッチブックの、一心に鉛筆を走らせている面が見えるぐらいにまで。
思った通り、目の前に広がる海が描かれていた。波が穏やかで静かな海──そして、砂浜に立つ二人の人物。
鉛筆が描いているのは今は右側、背の高い人物の肩のあたりだ。描かれている方向に目を向けてみたけど、誰もいない。
「あの、……ええと」
なんて呼びかけたらいいのか悩んで、口ごもってしまう。そういえば名前をまだ知らない。
相手は再びこちらを向き、首を傾げた。しばらくして察したように、
「僕の名前? 誠広だよ」
それからまた微笑んで、
「君は、夏実くんだったよね」
こちらが名乗る前にそう言った。
あの時、姉ちゃんが1回か2回しか口にしていなかった名前を、この人──誠広さんは覚えていてくれたのだ。なんだか嬉しくなって、笑顔でうなずく。
あらためて質問してみた。
「この人たちは、誰なんですか?」
絵の中の二人を指差すと、誠広さんが一瞬、妙な表情を浮かべたように見えた。「?」と思っているうちに消えたので、気のせいかと思ったぐらいの短い時間だったけど……
「ああ、これはね、こっちが僕で」
と誠広さんは背の高い人物を示す。鉛筆の先がその隣の人物に移動した。
「こっちは、奥さん」
びっくりした。
「え、結婚してるの──じゃなくて、してるんですか」
「うん、こっちに越してくる少し前にね」
言われて見てみると、左手の薬指には確かに指輪がある。誠広さんがスケッチブックを持ち直した拍子に、日差しを反射して一瞬光った。
「それに、そんなに丁寧でなくても、普通の喋り方でいいよ」
「……じゃあ、えっと、奥さんは絵に興味ないの」
「どうして?」
「だって、一緒に来てないから」
と言うと、誠広さんは少し黙った。……あ、まただ。さっきと同じ表情。
やっぱり短い間だったけど──どうしてそんな、今にも泣きそうな目をするんだろう。
視線をそらしてうつむいて、ぽつりと言った。
「……彼女は、体が丈夫でなくてね。あんまり外に出られないんだ」
一人言みたいに誠広さんが口にしたその言葉に、少しショックを受けた。聞いちゃいけないことを聞いてしまったような気がした。
「ごめんなさい」
反射的に謝ると、誠広さんはこちらの存在を思い出したようにはっと顔を上げ、振り向いた。そして首を振る。
「いや、いいんだよ。……僕の方こそごめんね」
逆に謝られたのが、不思議だった。何が「ごめんね」なのかピンと来ない。奥さんが体が弱いことを聞かせて嫌な思いをさせたと、そんなふうに思ったんだろうか。
そう考えてもまだ、引っかかりを感じてはいたけど、それ以上は気にしないことにした。元気をなくしたように見えた誠広さんが、今はまた笑ってくれて、ほっとしたから。
頬を手で押さえて、ある程度熱が引いたかなと思うぐらいの時間を置いてから、もう少し相手に近づいてみた。スケッチブックの、一心に鉛筆を走らせている面が見えるぐらいにまで。
思った通り、目の前に広がる海が描かれていた。波が穏やかで静かな海──そして、砂浜に立つ二人の人物。
鉛筆が描いているのは今は右側、背の高い人物の肩のあたりだ。描かれている方向に目を向けてみたけど、誰もいない。
「あの、……ええと」
なんて呼びかけたらいいのか悩んで、口ごもってしまう。そういえば名前をまだ知らない。
相手は再びこちらを向き、首を傾げた。しばらくして察したように、
「僕の名前? 誠広だよ」
それからまた微笑んで、
「君は、夏実くんだったよね」
こちらが名乗る前にそう言った。
あの時、姉ちゃんが1回か2回しか口にしていなかった名前を、この人──誠広さんは覚えていてくれたのだ。なんだか嬉しくなって、笑顔でうなずく。
あらためて質問してみた。
「この人たちは、誰なんですか?」
絵の中の二人を指差すと、誠広さんが一瞬、妙な表情を浮かべたように見えた。「?」と思っているうちに消えたので、気のせいかと思ったぐらいの短い時間だったけど……
「ああ、これはね、こっちが僕で」
と誠広さんは背の高い人物を示す。鉛筆の先がその隣の人物に移動した。
「こっちは、奥さん」
びっくりした。
「え、結婚してるの──じゃなくて、してるんですか」
「うん、こっちに越してくる少し前にね」
言われて見てみると、左手の薬指には確かに指輪がある。誠広さんがスケッチブックを持ち直した拍子に、日差しを反射して一瞬光った。
「それに、そんなに丁寧でなくても、普通の喋り方でいいよ」
「……じゃあ、えっと、奥さんは絵に興味ないの」
「どうして?」
「だって、一緒に来てないから」
と言うと、誠広さんは少し黙った。……あ、まただ。さっきと同じ表情。
やっぱり短い間だったけど──どうしてそんな、今にも泣きそうな目をするんだろう。
視線をそらしてうつむいて、ぽつりと言った。
「……彼女は、体が丈夫でなくてね。あんまり外に出られないんだ」
一人言みたいに誠広さんが口にしたその言葉に、少しショックを受けた。聞いちゃいけないことを聞いてしまったような気がした。
「ごめんなさい」
反射的に謝ると、誠広さんはこちらの存在を思い出したようにはっと顔を上げ、振り向いた。そして首を振る。
「いや、いいんだよ。……僕の方こそごめんね」
逆に謝られたのが、不思議だった。何が「ごめんね」なのかピンと来ない。奥さんが体が弱いことを聞かせて嫌な思いをさせたと、そんなふうに思ったんだろうか。
そう考えてもまだ、引っかかりを感じてはいたけど、それ以上は気にしないことにした。元気をなくしたように見えた誠広さんが、今はまた笑ってくれて、ほっとしたから。
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