『海色の町』シリーズ3部作

紬 祥子(まつやちかこ)

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第2話~風のこえ~

「直くん」(5)

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 いくつもの戸惑いから映見子が徐々に回復しかかったあたりで、それまで無表情に近かった陽南が急に笑顔になった。そしてこう言った。
 「お姉さん、もうすぐ子供が生まれるんですね」
 にこにこと笑う顔は、実に無邪気に見える。その表情のまま、なにげない調子で陽南は言った。
 「早く外へ出たいって、その子も言ってますよ」
 言葉を返せずにいる映見子をもう一度見上げてから、陽南は笑みを消してふいと顔をそらした。見つけた時と同じように、海をまた眺め始める。
 言われたことにまるで驚かなかったわけではない。だが少しは聞いていたことなので、きょとんとする程度に表情はとどまっていたと思う。
 陽南が、時々そういうことを言うようになったのは直也が亡くなってから──正確には、成長が止まっていると周囲が気づいた前後かららしい。動物や植物、時にはそこにいないはずの何かの「声」が、聞こえるのだと主張する。初めは誰も信用せず、彼女の言葉通りに怪我をした猫や根が腐って倒れそうになっていた木などが見つかることが続いた後は、少しばかり気味悪がる人々が多くなったという。
 家族は二重に心配して、あちこちの病院で陽南に診察を受けさせたが、どちらの問題に関しても治療法は見つけられなかったようだった。原因は、あえて言うなら「精神的なもの」だろうとどこかの医者は言ったらしいが、家族の本音では、そんなことは言われるまでもなかった。兄を亡くしたショックが影響しているに決まっていると誰もが思っていたのだ。
 半年ほど病院巡りを続けた後、家族は医者たちに頼ることをやめた。それ以上突き詰められて、陽南が「おかしい」と社会的に決めつけられてしまうことを恐れたのだった。また、それ以外の点では、陽南はむしろしっかりした子供だったのである。直也が亡くなった後の何ヶ月かはひどい落ち込みようだったので、その時期が過ぎ去って、幼いながらも悲しみを乗り越えつつあると見えた彼女の様子は、家族が一時は心から安心できたほどだという。
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