『海色の町』シリーズ3部作

紬 祥子(まつやちかこ)

文字の大きさ
30 / 51
第3話~空のおと~

同級生の彼女(1)

しおりを挟む

 「そろそろ、時間じゃないの」
 襖が開けられる音に顔を上げると同時に、母がそう声をかけてきた。時計はもうすぐ午後1時20分を指そうとしている。確かに、あと40分足らずで約束の時間だった。
 一日の大半を部屋から出ずに過ごしていると、時間経過の感覚がかなり薄れるらしい。そのことを、桂木かつらぎ良行よしゆきは近頃、事あるごとに実感させられていた。今のように。
 仕事で朝から夜まで忙しくしていた頃にも、似た気分は覚えていた。だが、その時と今とでは、性質がまるで違う。……今あるのは、昔は感じなかった、時間に取り残されるような感覚。
 「じゃ、行ってくる」
 「帰りは何時頃になりそう?」
 「6時半ぐらい……までには帰ると思う。今日も寄ってくつもりだから」
 わかった、気をつけるんだよという声を背中で聞きつつ、玄関を出る。
 道に出た瞬間に強い風が吹き、一瞬、巻いていたマフラーで視界が塞がれた。元の位置に戻しながら、先へと進む。しばらく歩くと、海と陸を分ける、堤防沿いの広い道が見えてきた。風に混じる強い潮の匂いは、生まれた時から近しかったもの。
 故郷であるこの町に戻ってきて、そろそろ1ヶ月が過ぎようとしている。

 大学に入ってからの9年近く、ほとんど帰省していなかったことを思うと、ある種の居心地悪さ──懐かしさの混ざった違和感をもっと長く感じる気がしていた。だが1週間も経たないうちに匂いにも、湿り気を含んだ少し重たい風にもすっかり慣れた。認識していた以上に親しんでいた、ということかも知れない。町を離れる前は考えもしなかったけれど。
 めったに帰ってこなかったことに特別な理由はない。単純に、大学時代は勉強が、就職後は仕事が忙しかったのだ。
 現役で国立の工学部に進み、技術職で入社した。常に上位の結果を出してきて、自分にしかできないことをしているという自負も持っていた。だから忙しさは、大変だったが苦ではなかった。
 考えが全て過去形になるのは、帰省する直前に会社を辞めたからである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

元カレは隣の席のエース

naomikoryo
ライト文芸
【♪♪♪本編、完結しました♪♪♪】 東京で燃え尽きたアラサー女子が、地元の市役所に転職。 新しい人生のはずが、配属先の隣の席にいたのは―― 十四年前、嘘をついて別れた“元カレ”だった。 冷たい態度、不器用な優しさ、すれ違う視線と未練の影。 過去を乗り越えられるのか、それとも……? 恋と再生の物語が、静かに、熱く、再び動き出す。 過去の痛みを抱えた二人が、地方の公務員として出会い直し、 心の距離を少しずつ埋めていく大人の再会ラブストーリー。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

処理中です...