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40 ふたつの恋の忘れ形見 後
しおりを挟むオーシェン王は青い目を細めた。
「侍従日記の最後の二冊を読み、私はまず手放しで驚喜した。継承者問題に悩む君主としてではなく、ただの孤独な老人として。息子に先立たれ、妻を見送り、すっかり色を失ってしまった常冬の世界に、再び生き生きとした色彩を帯びた春が戻ってきたように感じたのだ……」
隣に座るルーディカが、優しいまなざしでそっと王を見上げる。
「先ほどは後に判明した事柄も補足して話したが、実際のコガーの記述はたいそう用心深く、特定されぬよう名称などは全て濁してあった。なので、書かれていた人物がどこの誰なのか見当もつかず、その時点では、若き主人を亡くしてしまった忠臣が、溢れ出た願望を書き連ねただけだという可能性も否定しきれなかった」
早速、王は内々に調査を命じたのだという。
「高揚感が少し落ち着くと、私はようやく、まだ見ぬ孫たちがダネルドから受け継いだ天分に思いを致した」
王太子の遺児であることが定かになれば、二人には王位継承権が生じる。
「ダネルドにとっては〝いまいましい〟ものでしかなかったそれを、彼らがどう受け止めるのか、私は不安になったのだ」
王が気を揉んでいる間も、調査は進んでいった。
「――先に、ルーディカが見つかった」
王子が肩を痛めた際の静養先がフォルザだったというのは分かっていたため、場所を絞って捜すことができたのだ。
「出生を証明する書類や、金髪の青年が滞在していたときのことを憶えている者たちの証言なども順調に集まったが、宰相と話し合った結果、やはり、決め手となる物証も必要であろうということになった。――さよう、王太子の指輪だ」
王はルーディカと暮らす祖父母に密かに書簡を送った。
「長く手許に置かれていると思われる指輪の真贋を確かめたい、と」
それは、ルーディカが王家の血を引いていることを明らかにし、然るべき立場として遇したいということを意味していた。
「ダネルドの『娘を引き取りたい』という申し出を拒んだ夫妻の説得には時間がかかると考えていたが、予想に反し、程なくしてこちらの求めに応じるという答えが返って来た。何も知らされていないルーディカの心を不用意に乱さぬよう、指輪が本物だと認められるまでは当人にも伏せておくということを条件に」
フォルザの老夫婦は、ルーディカの聡明さを目の当たりにするたびに、「王家にお返しした方が良いのではないか」と何度も思い悩んできたのだという。また、孫娘には長い間、平民のままでは結ばれないような身分違いの恋人がいることにも、祖父母は気がついていた。
「指輪の鑑定は、完成時の印影を保管している製作者本人に依頼することとなった」
フィンの指輪を手掛けた職人は今も現役で王都に工房を持っているが、その師匠だったルーディカの指輪の製作者は引退して、北の港町セアナで暮らしていたため、指輪はそこまで運ばれた。
「いっぽう、フィンを捜す調査は難航していた」
コガーの日記から得られたフィンの母親に関する情報は、どれも手がかりとしては弱かった。
「ダネルドと出会った当時は社交界に出てまだ日が浅く、髪は栗色、慈善活動に熱心で、公爵家令嬢には気後れしてしまうくらいの家柄……となると、該当者はかなりの数に上った。ダネルドの死から数年後に子供を連れて立派な身分の男性の後添いになった……というのも、子を持つ後妻を娶った貴族は少なくないので目星がつけにくく、虱潰しに記録にあたるしかなかった」
そんな折、王は公務で北の要衝を訪れた。
「――そこで思いがけない偶然が起きたのだ」
国境を護り固めるエルトウィン騎士団の駐屯地では、精鋭たちによる剣の御前試合が行われた。
「優勝した若き騎士の実に見事な戦いぶりに胸を打たれた私は、その場で彼の昇進を進言した」
感謝の言葉を奏上するため歩み出た栗色の髪の騎士と対面したとき、王は息を呑んだ。
「佇まいなのか、造作なのか、仕草なのか、とにかくその騎士は、青年になる手前の年頃のダネルドを驚くほど鮮明に思い起こさせた」
エルトウィンを後にした王は、急いで優勝した騎士の素性を探らせた。
「名はフィン・マナカール。年齢はコガーの日記に書かれていた遺児とぴたりと一致し、亡き母は子爵家の出身で、彼を連れてモードラッド伯爵の後妻となっていたというのも符合した。髪の色はコガーが記したものとは異なっていたが、成長とともに変化するのは珍しいことではないし、令嬢の特徴として書かれていたのと同じ栗色だった」
帰還した王は、王宮で儀典職に就くモードラッド伯爵を呼んだ。
ルーディカの祖父母が孫娘の血筋について知っていたのは侍従の日記からも明らかだったが、フィンの継父が事情を把握しているのかどうかは分からなかった。
「そこで私は、伯爵に『先日エルトウィンを訪れた際、そなたの五男の勇姿を見たぞ』と切り出した」
いつも温和な表情を浮かべているモードラッド伯爵の顔に緊張が走った。
「不躾だと思いつつも私は畳み掛けた。『五男は後妻の連れ子だと聞いているが、本当の父親のことは知っているのか』と」
モードラッド伯爵は、覚悟を決めたかのように「――そのときが来たのですね」と口を開いた。
「病に伏した夫人は『運命に導かれるときが来ない限りは、誰にも口外しないで欲しい』と言い添え、伯爵にすべてを打ち明けていたのだそうだ」
モードラッド伯爵が亡き妻から聞いたという話はコガーの日記の内容と食い違いはなく、伯爵家に来たばかりのころのフィンは金髪だったという証言も得ることができた。
「――ついに、ダネルドの子供たちが二人とも見つかった。フィンの指輪のありかを伯爵に訊ねると、母親の形見として本人が身に着けているとのことだった」
王は宰相と相談し、ルーディカの指輪の鑑定結果が届くころに二人を王宮に呼び寄せ、あらかじめ待機させておいた製作者にフィンの指輪を鑑定させて、両方が本物だと確認できたところで本人たちにすべてを話すことにした。
「一計を案じ、私はルーディカに宛てて手紙を送らせた。私の誕生日式典で勲章を授けるので、その数日前には王宮に出向くようにと」
手紙の内容はあながち偽りではなかった。
躊躇する孫娘を王宮に行かせるためにルーディカの祖父母が口にした平民のための〝楢の根勲章〟ではないが、王族としての身分が与えられる際にも、その立場に見合った勲章が授与されることになっている。
「幸いなことに、ルーディカの指輪を鑑定した製作者が住むセアナはエルトウィンから程近い。そこで、腕に覚えのあるフィンと同僚の騎士たちには、任務として指輪や鑑定結果を護りながら王都へ向かわせることにした。そうすれば、おのずとフィン自身と彼の指輪も安全に移動することができると考えたのだ」
鍵つきの小型本の体裁をとった二冊の〝密書〟の片方にはルーディカの指輪が収められ、もう片方にはその鑑定書と完成当時の印影が綴じ込まれ、騎士たちは三手に分かれて密書とその鍵を運ぶことになった。
「――段取りがついた矢先に、思わぬ事態が起きた」
調査のためにと写しを取らせてあったコガーの日記のうち一冊が、何者かによって盗まれてしまったのだ。
「それにはフォルザで起きたことの一部始終が書かれていた。……ダネルドが遺した子供のうち、娘の存在が誰かに知られてしまったということだ」
それからしばらくして、王の手の者ではない不審な人物が、フォルザの町でこそこそとルーディカの周辺を嗅ぎ回っているという報告が上がってきた。
「次に届いた報せは、ルーディカが何者かに攫われかけたというものだった。彼女の身に危険が迫っているのを知った私は、フォルザを通る西廻りの巡礼路を進んでいたキールトを護衛につけて王都に向かわせることにした」
二人の仲についてはすでに承知していたので、ちょうど良いと思ったのだ――と王が付け加えると、ルーディカは少し頬を染め、キールトは恐縮したように肩をすぼめた。
「その後、多少予期せぬ出来事もあったが、それぞれの尽力のおかげで、こうして何もかもが無事に私のもとに届いた」
心から感謝している、と王は皆を見回しながら言った。
「――そして昨日、私は部屋にルーディカとフィンを残らせると、先に届いていた印影とルーディカの指輪を照合し、別室に控えさせていた製作者にフィンの指輪を鑑定させた」
両方とも本物の王太子の指輪だと認められると、ついに王は二人にすべてを明かしたのだという。
「……今になっても、まだどこか信じられないような気持ちです……」
ルーディカが口を開く。
「定めにより、年嵩の私の方が優位な継承権を持つというのは分かりましたが、フィン様の方が継承者にふさわしいのは明らかですし」
「いや」
フィンはきっぱりと言った。
「あなたの方が絶対に適任です」
「――というようなやりとりが、昨日もあり……」
王は少し困ったように微笑んだ。
「フィンはルーディカの選択に委ねると言ってくれたので、ひとまずルーディカがキールトとじっくり相談することになった……といっても、猶予はあまりなかったのだが」
ヴリアンが訊ねる。
「明後日の式典で、発表されるおつもりなのですね?」
「その通りだ。公の場で後継者だと宣言してしまえば、表舞台に出てくる前に密かに葬り去ろうなどという何者かの企みは頓挫するし、身辺も護りやすくなるのでな」
「では、ルーディカさんは王位を継がれる王太女として、フィンはそれに次ぐ継承権を持つ王子として、正式に紹介されると……」
訂正するようにフィンが言葉を挟む。
「いえ、布告されるのはルーディカさんの立太子だけです」
「え、どういうこと?」
不思議そうなヴリアンに、フィンは簡潔に答えた。
「俺は、騎士のままなんで」
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