私との子を授かれば殿下は側室を持てるので妊娠したフリをしたら、溺愛されていたことを知りました

弓はあと

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1巻

1-3

 数世代前のことになるが、フレイツファルジュ王国十四代目ビラヴィッド王は彼の妻リオーラ妃への愛が激しく、毎晩のように長時間夜伽の相手をさせた。そのせいで医師による妊娠の診断がつく前に、リオーラ妃のお腹の子が何度も流れてしまったと言われている。
 だからリオーラ妃の実父でもある当時の第二宰相が、母体の負担を少しでも減らして無事に出産を迎えることができるよう、特に強く希望してこの特例を制定した。 
 この特例は娘のことを思う親心だろう。私情を挟んで職権乱用だ、と今の時代なら批判されそうな法律だ。
 当時は今ほど特例の制定に厳しくなかったのか、それとも第二宰相の力がそれだけ強かったのか、妊娠の噂でも特例の適用を申請するのに有効な材料となる。
 だけど私がいくら協力したところで、ミーネ様が妊娠しているという噂はそんなに早く広まらない。だからタジェロン様に協力をお願いすることにした。ミーネ様に言うと、「タジェロン様に迷惑をかけてしまう」と反対するのは分かっていたので内密に依頼した。
 タジェロン様のおかげで、ミーネ様の妊娠の噂はあっという間に広まった。自分だけでなんとかしようとせずにお任せして本当によかったと思う。

「ふふ、いろいろと巧妙で驚きましたよ。タジェロン様は敵に回したくないですね」

 タジェロン様は情報操作とか、大きな声で人に言えない仕事が得意そうだと前々から思っていた。依頼する時にそう言ったら「……貴女あなたは正直すぎるところが玉にきずですね」と苦笑いされてしまったけれど。
 でもいくら私だって、他の人だったらそこまで正直には言わない。学園の生徒会で当時一緒に会計の仕事をしていたタジェロン様だから、ハッキリ意見を述べることができるのだ。

「まぁでも、タジェロン様にこんなことを頼むなんて、酷かなとも思いましたが」

 眉をピクリと動かしたタジェロン様が、口の端を片方だけ上げてかすかに笑う。意地悪な笑みだが、清秀な顔立ちのせいで下品には見えなかった。

「本当に、貴女あなたは人をよく見ていますね」

 タジェロン様に直接聞いたことはもちろんないけれど、学園で一緒だった頃からミーネ様のことを慕っているのは彼を注意深く見ていれば分かる。でもミーネ様は、自分へ向けられる異性からの好意に対して鈍感でまったく気づいていない。
 マナーとか教養、勉強については、ミーネ様は完璧だった。人に対する思いやりのある行動なども、ケンバート公爵から自然と教わって身についているのだろう。
 だけど教わったことのない恋愛については非常に疎い。恋や閨事ねやごとについても学園で詳しく教えればいいのに。

貴女あなたの優れた観察眼は侍女にしておくには惜しい。私と一緒に父のもとで働きませんか」
「いやですよ、タジェロン様と一緒に働くなんて。絶対にこき使われますもん」

 ククッとタジェロン様が笑う。

「確かにその通りですね、こき使うのは私ではなくラッドレン殿下ですが。こき使われている私はしばらく城に泊まりこむことになりそうです」

 そう言いながら軽く肩をすくめると、タジェロン様は去っていった。
 タジェロン様は今回の視察に同行していない。城に残らないとできない仕事があるために断ったと聞いている。私の知る限りでも実際かなり働いていたと思う。そんな中、妊娠の噂を広める手伝いまでしてくれた。
 それに王太子殿下もタジェロン様に負けず劣らず仕事熱心な方だから、殿下が戻ってきたということでタジェロン様はさらに忙しくなるに違いない。
 少し気の毒になってきた……あとで美味おいしいお茶でもれてさしあげようかしら。

「ベルマリー、貴女あなたよくチェスター様と気軽に会話ができるわねぇ。羨ましいけど私だったら緊張してしまって声が出せないわ」

 タジェロン様の姿が見えなくなったタイミングで、侍女仲間のジェシカに話しかけられた。タジェロン様に興味はあっても近寄ることはできなかったようだ。
 タジェロン様は一見すると冷たい印象があり、そのうえ毒舌な時もある。だからジェシカのように接点がない人にとっては近寄り難いと思う。
 だけどタジェロン様は小さなことによく気がついて、人の長所を褒めることもできる。学生時代はそのギャップが良いと言っている令嬢もたくさんいた。
 褒めていたと言えば、教会や孤児院への寄付を募る慈善事業のためにミーネ様がクッキーを焼いた時も、美味おいしいと褒めていた。タジェロン様にしては珍しく優しい笑みを浮かべていて……ああでもそれは、ミーネ様の作ったクッキーだからだろうか。
 そう考えたら、ツキンとなぜか胸が痛んだ。

「タジェロン様とは学園で一緒だったからね。さて、と。私はミーネ様の所へ行ってくるわ」

 胸の痛みには気づかなかったことにして、私は爽やかな香りのする果実水が入った陶器のピッチャーを手に厨房をあとにした。
 上質な赤い絨毯が敷かれた廊下を進み、王太子ご夫妻の寝室の扉をノックする。
 ここは夫婦の寝室だけれど、いつもミーネ様がおひとりで寝ている部屋だ。
 だから必ずミーネ様が返事をする……かと思ったら、扉を開けたのは王太子殿下だった。
 何度もお会いしているが、殿下の秀麗な顔立ちには毎回目を奪われてしまう。宝石のように煌めく青い瞳と筋が通った理想的な形の鼻、そして優しげに微笑む唇が寸分の狂いもなく見事に配置され、どの角度から見ても整っている。
 しかも背が高くてスタイルも良い。ミーネ様と同じような背丈の私は殿下の肩くらいの身長なので、話す時はいつも見上げている。背が高いので一見すると細身に感じるけれど、日々の鍛錬の成果で実は筋肉質なのも素晴らしいと思う。
 おまけに今朝は息を呑むほどの色気が滲み出ており、耐性のない令嬢が見たら興奮のあまり失神してしまわないか心配になるくらいだ。ミーネ様への重すぎる愛情をこじらせている殿下の残念な一面を知っていてよかった。そのおかげで私は辛うじて冷静でいられる。
 殿下は昨晩、この夫婦の寝室で過ごしたのかしら。この部屋で殿下が対応されるのは結婚してから初めてのことだったので、内心驚いた。
 しかもミーネ様はまだ寝ているという。毎朝時間通りに起きる人なのに。

「朝食は、この部屋に用意してもらってもいいだろうか」

 おふたりは普段、朝食を食堂でとっている。寝室で食事をするなんて、今日は朝から初めての出来事ばかりだ。心の中の動揺を外に出さないよう、努めて平静を装って返事をした。

「分かりました、冷製スープにパン、それと果物でよろしいでしょうか」

 ミーネ様はまだ寝ているとのことだから、冷めて味が落ちてしまうものよりも最初から冷たいもののほうが良さそうだ。

「助かるよ、ありがとう」
「他に何かご希望はございますか」
「そうだな、果物にはイチゴを用意してもらいたい」
「かしこまりました」

 ふふ、と小さく笑ってしまった。
 イチゴはミーネ様が好んで食す果物だ。それを用意してもらいたいなんて、本当に殿下はミーネ様のことが大好きでいらっしゃる。
 果実水が入った陶器のピッチャーを寝室の扉のそばにあるテーブルへ置き、退出しようと歩きだす。
 とその時、殿下に小声で呼び止められた。

「すまない……洗い物をお願いしたいのだが」

 殿下から差し出されたのは、真っ白いシーツ――ではなかった。白いけど何かのシミがある。それに、血の痕も。
 思わず大声を上げそうになり、慌てて両手で口を押さえた。

(これは……ミーネ様の破瓜はかの血!? とうとう本当の初夜を迎えられたのですね!!)

 いろいろと殿下を問いただしたいけれど、とりあえず落ち着こうと静かにゆっくり息をしながらシーツを受け取った。
 おそらく寝ているミーネ様を起こさないよう、そっとシーツを交換したのだろう。前々から思っていたけれど、我が国の王太子殿下はけっこうなんでもひとりでできる。
 容姿も頭脳も性格も完璧で素晴らしい。それなのに色恋に関すること、特に配偶者が向ける好意に鈍感なのが残念だ。

「ベルマリー嬢は、知っていたんだろう?」
「え、何をですか?」

 突然話題を振られて、反射的に問い返してしまった。
 不敬な態度になってしまったけれど、学園に通っていた頃、生徒会の会長を務めていた殿下とはよく議論を交わした間柄だから多少の失礼は見逃してくれる。

「ミーネが、妊娠のフリをしていたこと」
「そう……ですね、相談にのっていましたから」
「妊娠のフリをしていたのは、きさきの妊娠時に適用することができる特例が関係していると思っているが、どうだ?」
「おっしゃる通りです」

 ミーネ様は殿下が自分とねやを共にしないのは他に好きな女性がいるからだと誤解し、妊娠のフリをすることでその女性を早く側室へ迎えられるようにと望んだ。
 でもこうして無事に本当の初夜を終えることができたのだから、きっとふたりはお互いの気持ちを伝えあい、両想いだったと確認できたに違いない。

「あんな特例、もっと早く廃止しておくべきだったんだ。今まで適用されたことがなくて形骸化していたのだから」
「そうかもしれませんね……」

 特例が制定される原因となったビラヴィッド王は、かなりの絶倫だったと伝わっている。けれど妻であるリオーラ妃を溺愛していたビラヴィッド王は、特例の制定後にきさきが妊娠しても側室を迎えることは一切なかった。彼の絶倫はリオーラ妃に対してだけだったのだ。
 妻を溺愛する王はビラヴィッド王だけではない。
 フレイツファルジュ王国の王は一途な家系なのか、側室を持った王は今まで誰もいなかった。
 今の国王陛下も、殿下が小さい頃に王妃様を亡くしてしまったけれど、亡き王妃様だけを愛していらっしゃるから後妻を迎える話が一切出なかったくらいだし……
 そんなことを考えていた私に、殿下の口から告げられたのは意外な言葉だった。

「ミーネが妊娠のフリをしてまで、実家へ戻り逢瀬おうせを重ねたいほど好きな相手は誰なのかということも、ベルマリー嬢は聞いているのか?」

 ……ん、実家? 逢瀬おうせを重ねたいほど好きな相手、とは?
 いきなり話が飛んで戸惑ってしまった。

「えっと……直接ご本人から聞いたことは私もないのですが、ミーネ様の好きなお相手は殿下ですよね、だから本当の初夜を迎えられたのでしょう?」
「それはない。好きではない相手……俺と子をなす行為をしてでも子種が欲しいと、ハッキリとミーネに言われた」
「ミーネ様がそんなことを……?」

 いったい、なぜ?
 確かにミーネ様から直接、王太子殿下のことが好きだと聞いたことは一度もない。だけどそれは見ていれば分かる。
 毎朝の散歩の時だって、殿下と手をつなぐだけで可愛らしく頬を染めて嬉しそうに微笑むくらい、ミーネ様は殿下のことが好きだもの。

「その様子だとミーネは実家へ戻りたいとだけ言って、その理由まではベルマリー嬢にも伝えていないのか」
「理由、ですか……?」

 いや、そもそも実家へ戻りたい、とは? なぜ殿下はこのようなことを……?
 私が動揺しているのが伝わったらしく、殿下は眉をひそめて私の顔を見つめた。

「『きさきに妊娠の兆候がある時は、母体の安全を優先するため、実家にて長期静養することが可能』という特例は知っているよな?」
「はい」

 ビラヴィッド王の時代に制定されたもうひとつの特例だ。
 こちらの特例も、リオーラ妃の実父でもある当時の第二宰相が強く希望して制定した。
 特例の制定後に、妊娠すると妻が実家へ帰ってしまうことを恐れた絶倫のビラヴィッド王は、夜伽を我慢してリオーラ妃の体調を第一に過ごしたという逸話が残っている。

「実家ならば少なくとも城にいるよりは自由があるし、好きな男と会う機会を作れる可能性がある。だからミーネは妊娠のフリをしたのだろう」

 驚きすぎて何も言えなかった。ミーネ様と殿下の間で甚だしい勘違いが発生している。

「俺が予定より早く戻ったことで特例を申請できずフリが無駄に終わり、実際に子をなす道を選ぶほどミーネは思いつめていた。好きでもない俺に触れられる苦痛に耐えて妊娠することを望んでいたよ」

 殿下はうつむいて目を閉じ、額に手をやる。

「ミーネには、俺の子を宿してまで実家に戻って一緒にいたいと慕う男がいる。だからせめて体だけでもつなぎとめておきたいと、往生際の悪いことをしてしまった」
「……まるでミーネ様と殿下は、心が伴わず体だけの関係のように聞こえてしまいますが」

 顔を上げた殿下が悲しそうな笑みを浮かべた。

「その通りだ。私たちは体だけの関係だ、とミーネに何度も釘を刺されてしまったよ」
「そんなことをミーネ様がおっしゃったのですか?」
「ああ。ミーネの好きな相手に俺が勝てるとしたら、そのことだけだな。妊娠したいと望んでくれている間は、ミーネに触れることができる」
「なんだかこじれた話になってしまいましたねぇ……」

 もういっそのこと、ミーネ様に告白してしまえ、と言いたかった。
 けれど殿下のことだから、王太子から愛していると言われたら、誰でも義務的に「私も殿下を愛しています」と答えるものだと考えてしまうだろう。
 好きだと言ったら好きだという返事を強制させる立場にいる、だから言えないのだ。

「ミーネが誰を好きかなんて考えたくないが、俺の子を妊娠しても気持ちが変わらなければ、ミーネの幸せのためにも相手の男との仲を取り持ってやらねばならないと思っている。だから相手が誰なのか、知っておきたい……」
「ミーネ様が誰を好きかなんて、顔色とか表情を注意して見ていればきっと分かりますよ」

 顔色とか表情……と殿下が呟く。

「……なるほど、心がけるようにしよう」
「あとこういった恋愛事は、同性のご友人に相談してみてもよろしいかと」
「相談できるような友人はふたりともミーネのことを好きだから、できない」

 声には出さなかったけれど納得してしまった。

(ああ確かに、タジェロン様もネイブル様も、ミーネ様のことが好きだわ)

 殿下は自分に向けられている気持ちには疎いくせに、他の人のこととなると鋭い。そういうところはミーネ様と一緒だわ。
 はぁ……、と心の中でため息をく。
 せめて体だけでもつなぎとめておきたい、と殿下はおっしゃった。おふたりは両想いなのに。
 王太子殿下もミーネ様も優秀で学んだことは完璧に身についているけど、『恋愛』って、授業とかで学ぶ機会がなかったからなぁ……


    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 目を覚ました私は、遅めの朝食をとっている。私が寝ている間にベルマリーが用意してくれたようで、パンと冷製スープ、そして真っ赤に熟したイチゴが用意してあった。
 寝室内にいるのは殿下と私だけ。いつも食堂で食べる時は周りに給仕がいてくれるから、ふたりきりで朝食をとるなんて初めてではないかしら。
 人払いをしているから、こちらから声をかけるまで誰も来ないよ、と殿下が言っていた。
 給仕がいない、それは構わないのですが……

「……殿下、こちらはひとり掛けのソファになります。いくら大きめのサイズとはいえ、この座り方はいかがなものでしょう」

 朝食の載ったテーブルの向こうに同じソファがもうひとつあるにもかかわらず、私は殿下の膝の上に座っていた。
 結婚して初めて、夜から朝まで一緒に寝室で過ごした。それだけでも大事件なのに、私は殿下に横抱きにでもされているような状態で座っている。
 ベッドから横抱きのまま連れてこられたから必然的にそうなってしまったけれど、ふたりの距離が近すぎてなんだか照れくさい。

「これなら俺が食べさせてあげることができて、ミーネは動く必要がない。昨日は痛い思いをしたから身体がつらいだろう?」

 昨日は痛い思いを――
 その言葉を聞いて昨晩の淫らな行為を思い出してしまい、沸騰したように顔が熱くなった。

「いえ……大丈夫、です……」
「本当に? だいぶ無理をさせてしまったと思うが……」
「私……昨日の夜の記憶が、途中から、なくて……」
「ああ、絶頂を迎えて意識を失っていた」

 絶頂……昨晩初めて経験したあの感覚のことかしら。
 快楽で頭の中が蕩けて気持ちよすぎて、我慢できず何かが弾けたような感覚だった。
 そのあとの記憶がない……

「殿下の子種は……いただけたのでしょうか……」
「いや、ミーネが気を失った時点で止めたから、妊娠に至る行為はしていない」

 答えを聞いて胸が痛んだ。それなら子種はどうしたのだろう。もしかして他の誰かが……?

「殿下の子種は、私が寝ている間に別の……」
「子種は自分で処理して鎮めた」
「ご自分で……?」

 他の女性よりはずっと良いが、自分でと言われると少し悲しい。殿下に私は必要ないと言われているみたいに聞こえる。もしまたそのような機会があるなら、どう処理するのか教えてもらって私が鎮めてあげたい。
 そう提案してみようと思って殿下の顔を見上げると、青い瞳が切なそうに私を見つめていた。

「……ミーネは、まだ妊娠したいと願っているのか?」
「妊娠……したいです」
「そうか……」

 ぎゅ、と殿下に身体を抱きしめられ、驚きのあまり心臓がドキンと音を立てた。
 私が起きた時点ですでに着替えを終えていた殿下は、服装もいつも通りきちんとしている。それなのに私が今着ているのは、胸からお臍にかけて三か所のリボンを結べばいいだけの簡単に着られるねやの服だ。昨晩着ていたのは肌の露出が少ないものだったから、朝食の用意と一緒にベルマリーが着替えさせてくれたのだろう。私が寝ていたので起こさないようにねやの服の中でも極力簡単に着せられる服を選んだのだと思う。
 ただ、着るのと同じくらい簡単に脱げてしまいそうな服で落ち着かない。しかも生地が薄くて、胸の先端とか、他に比べて色の濃い所がうっすらと透けている。
 それに長さは足首まで充分にあるのにリボンで留めてある所が少ないから、油断すると前が開いて太腿ふとももが見えてしまう。昨日殿下に脱がされた下着は見当たらなくて、つけていないから気をつけなければ。

「ミーネ、口を開けて」

 パンをひと口の大きさにちぎると、殿下が私の口元へ持ってきた。

「殿下に食べさせていただくなんて畏れ多いです」
「まだ身体が怠くて本調子じゃないだろう? 畏れ多いなんて、そんなこと気にしなくていいさ」

 優しい笑みを向けられて、私は戸惑いつつ口を開け、殿下の手から直接パンを食べる。
 私が殿下の手からパンを食べるたびに殿下が嬉しそうに微笑んだ。殿下は優しいから、こうやって人のお世話をするのが好きなのかもしれない。
 時間をかけてパンとスープを食べ終えると、今度はイチゴを口元に持ってきてくれた。

「ミーネが好きなイチゴだよ。食べるだろう?」

 殿下が手にしている真っ赤な大粒のイチゴは美味おいしそうだけれど、とてもひと口では食べられそうにない。

「大きいですね。どうしましょう」
「フォークとナイフがないから切ることもできないし、このままかじってしまえばいいさ」

 殿下はそう言うと私の唇に真っ赤に熟したイチゴを近づけ、キスをするみたいに触れさせた。イチゴ特有の甘酸っぱい匂いがする。
 口を開けて、と言うように、再び殿下がイチゴで唇に触れてきた。
 小さくちぎったパンを食べさせてもらっていた時よりも大きく口を開けて、はしたない行為をしていることに背徳感を覚えながらイチゴをかじる。
 こんな風に口を大きく開けて食べたのは初めてで、かじった瞬間、じゅるっと音を立ててしまった。
 殿下がジッとこちらを見ている。行儀が悪いなって思われていたらどうしよう。

「ミーネ、美味おいしい?」

 みずみずしい果汁が口の中いっぱいに広がって、とても甘い。

美味おいしいです」
「よかった。まだあるから、たくさん食べて」

 差し出されるままにイチゴを口にする。気づいたら殿下の指が赤く染まっていた。

「申し訳ありません、殿下の手が果汁だらけになってしまいました」
「ああ、本当だ。ミーネ、俺のシャツの袖を捲ってくれる?」

 言われた通りにシャツの袖を捲ると、鍛えられた腕に浮かぶ血管が目に入った。
 殿下は護ってもらう側であるにもかかわらず、時間を見つけては騎士団の鍛錬に参加している。
 騎士のように鍛えられた殿下の腕を見たら、私の動きを軽々と封じた昨晩の力強さを思い出して直視することができなくなってしまった。視線をなるべく逸らしつつ、ドキドキしながらシャツをひじまで捲っていく。

「できました。ではすぐに誰か呼んで手洗い用の水を用意してもらいますね」
「人は呼ばないでくれ」

 冷たく放たれたその言葉に驚いて顔を上げると、殿下と目が合った。
 殿下が悪戯いたずらっぽく笑う。おおやけの場では見せない、友人などの親しい人といる時にだけ見せる表情だ。こんな顔を見せられると、自分は特別なのかと勘違いしそうで困る。

「このくらい舐めてしまえばいいさ」

 殿下はわずかに視線を下げると、赤い果汁のついた指を舐めた。そして舐めながら、再びチラリと私のほうへ青い瞳を向ける。その瞬間、私の頬が、ボンッと火が点いたように熱くなった。
 昨晩、私の敏感な突起に触れる直前も殿下が指を舐めていたのを思い出して、蠱惑こわく的なしぐさから目が離せない。
 でも、そのおかげで目の前のことに気がついた。

「殿下、手の甲の方からひじまで果汁が垂れそうです」
ひじ? ああ、確かに垂れそうだ」

 ひじを自分の顔に近づけようとしたところで、殿下の動きが止まる。

「自分のひじは舐めることができないんだね、知らなかったよ」

 困ったように笑うと、殿下は私の顔を覗きこんだ。

「ミーネ、舐めて?」
「舐め――!?」

 まさかそんなことを言われるとは思わず、口から変な声が出てしまった。

(……舐めて、だなんて、冗談だったりしますか?)

 チラ、と殿下を見ると目が合い、シて、というようにひじを私の顔に少しだけ近づけてきた。
 舌を出して、おずおずと殿下のひじにつける。そのまま手首に向かって舌を這わせてイチゴの果汁を舐めると、吐息を漏らすように殿下が小さくうめいた。
 もしかしたら腕に小さな傷があってみたのだろうか。
 痛くないか心配で、殿下の腕に舌を這わせたまま目だけで殿下を見つめる。すると殿下は少し苦しそうに、ハッと小さく息を吐いた。転んで痛みを我慢している子どもみたいに殿下の顔は赤く、目も少し潤んでいる。やはり腕に傷があって痛いのだ。


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