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恋のライバルは一撃必殺のスナイパーから肉弾戦派の工作員まで幅広く取り揃っているらしい

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 月曜日の今日は朝から取引先の不動産会社デベロッパーに来ている。土日に住宅の売買契約を締結することが多いので、売買契約書のコピーなどをもらいに行くのだ。もちろん、メールで貰ってやり取りをすればいいだけの話なんだけど、通信手段の発達したこんな時代だからこそ、毎回こまめに顔を出すことに意義がある――というのが所長の考えだ。

「先生、ちょっと相談があるんだけど」

 実際に、顔を出せば営業の人たちから色々と質問をもらうことも多くって、話しかけやすさや頼みやすさからこのデベロッパー内での当事務所のシェアは順調に伸びているらしい。

「この買主さん、当日仕事で来れないみたいでさ」

「それなら事前面談にして、当日奥さんに来てもらいます?」

「ほんと、いい? 助かるよ」

「あ、木之下さーん、次、ちょっといい?」

 内心うっ、と思いながら笑顔で「なんでしょう」と私を呼んだ渡辺さんのデスクへ歩いていく。悪い人じゃないけど、自分の仕事を押し付けてくることが多くて警戒してしまう。あと、なぜかちょっとオネエっぽいし、ネチネチしているのでほんのちょっと……苦手だ。

「今度、マンションを買う人が中国在住の中国人の方なんだけど、書類とか何が必要? 段取りとかどうしたらいい? ちなみに現金で一括購入ね」

「あ、えと……」

 どうしよう、渉外しょうがい――外国法の絡む――不動産登記は初めてだ。

「ちょっとぉ、分かんないの? じゃあ、所長さんに聞いて今度来たときに教えてくれるぅ?」

「はい、申し訳ありません。あの、契約とか代金支払いの時には買主さんは日本に見えるんでしょうか?」

「観光のついでに来てくれるみたいだから、そこは大丈夫。じゃ、よろしくぅ」

 はい、と答えて、他の用事を済ませるために渡辺さんの席から離れた。

「ただいま戻りました」

 質問にまともに答えられなかった自分にかなり落ち込みながら、いつも通り自分の席に戻った。二番目の引き出しを開けてチョコを取り出して口に入れる。

「木之下さん大丈夫? どうしたの?」

 振り返ると、伊吹さんが椅子に背をもたれさせてこちらを見ていた。

「……私、もしかして態度に出てました?」

「うん、出てたよ」

「えっ、ごめんなさい」

 むにむに、と頬を触る。最悪だ。態度に出さないように気をつけていたのに。

「あはは、違くて。木之下さんは落ち込むとチョコレートを食べるからさ」

「う、そうでしたか」

 自分の行動パターンがバレてるのって恥ずかしい。自分の引き出しを開けた伊吹さんがにっこりと笑って手を差し出す。

「はい、よかったらこれもどうぞ」

 個包装されたチョコレートのお菓子を差し出されて受け取る。好きなお菓子で胸がほわほわっと温かくなった。

「で? なにがあったの?」

 渡辺さんの件を話すと「そっか、まあ試験勉強とは全く関係ないところだもんね」と一つ頷いた伊吹さんが立ち上がった。

「おいで」

 伊吹さんは長い脚でスタスタと本棚の方に行くと、屈んで一冊の渉外不動産登記に関する分厚い本を渡してくれた。

「僕のおすすめ。たぶんそれを読めば分かると思うよ。あとはコレとかコレとか」

 次々に分厚い専門書が積み上げられていく。

「教えるのは簡単だけど、こういうのは自分で調べないと身につかないから。分からないところがあったらいくらでも聞いて」

 伊吹さんは優しいけど、いつも簡単に答えを教えてはくれない。

「木之下さんはさ、その場しのぎで適当なことを言って誤魔化したりとかするのとかは苦手でしょ。だったらさ、もうそこは頑張って知識を入れ込むしかないよ。今日だって答えられなくて悔しかったから落ち込んでるんでしょ?」

「はい……」

「うん、木之下さんのそういう頑張り屋な所が好きだよ」

 えっ、とビックリして顔を上げる。

「これがお前らイケメンのやり方か」

 チッという舌打ちに振り返ると所長が苦々しい顔をして立っていた。

「下げておいて上げるとか詐欺の手口かよ。おい、気をつけろよ木之下」

「はい、危うくときめいてしまうところでした」

 所長の顔を見て冷静にならなかったら、ちょっとときめいてしまっていた気がする。

「ときめいてくれてたら嬉しかったんだけどなぁ」

「もう、伊吹さん、そういう冗談はやめてください」

「うんうん、突然ごめんね。でも、冗談じゃないからね?」

「伊吹さんにチャラいキャラは似合わないですよ」

「だとさ。残念だったな伊吹」

「所長が来なかったらいい感じになったと思ったんですけどね」

「他人のせいにすんなよ。そうそう、木之下。これ、遺言執行が新規で1件入ったから戸籍を集めて相続人追って。相続関係説明図と財産目録作ってくれる?」

 バサッと置かれたそれなりの量があるファイルに、ウッと思いつつも「はい」と淡々と受け取って、今日のデベロッパーであった件を所長に報告する。

「はーん、なるほどなぁ。分かった。さっき渡した件はそこまで急がないから、先にそっちを調べて渡辺に連絡してやって。メールを送る前に内容を一度俺か伊吹に見せてくれる?」

「はい」

 とりあえず、今回の件に該当する専門書の部分だけを必死に読込み、メールを送って、他の書類を作って燃えカスのようになったけど、日曜日に会った小山さんからメールが来ていて、本当にお仕事を紹介してもらえたりといいこともあった。

「もう仕事とってくるとかやるじゃないか、木之下」

「取ってきたっていうか、従兄の友人の方ですし、もう一件は従兄が購入するマンションですから」

「それでも、だよ。自分の名前で仕事していいからな。これからも頑張れよ」

 司法書士として私が自分の名前で初めて登記するのが秀ちゃんのマンションになって、顔が緩みそうになる。
 夢みたいだ。司法書士になってよかった。例え、将来そこで秀ちゃんが私の知らないヒトと家庭を持つんだとしても。



 夕飯の支度をしていると、中・高の女子校時代、私の鞄の中にレディコミを忍ばせてきた悪友の奈美なみから電話があった。

「もしもし、奈美どうしたの?」

『どうしたのじゃないよ、藤道さんが日本に帰って来たんだよ! ニューヨークから新しい課長が来るって話題にはなってたけど、実際に藤道さんが現れたとき、フロアが騒然となったよ!』

「あは、想像できるなぁ」

 奈美は、私にとってのエロの伝道師であり、なんでも言い合える友達であり、私が散々な思いをしたコンパで一緒に秀ちゃんに救い出されたメンバーの一人であり、それから秀ちゃんのファンになってる一人でもある。
 昔っから好奇心旺盛で、悪戯好きで、やってるように見せかけて上手くサボるのが得意だった奈美だけど、今では秀ちゃんと同じ会社に就職して、事務の仕事をして真面目に働いている……らしい。要領よく手を抜いてそうだけど。

『最年少で課長で、しかも、あのルックス。もう今日の社内は藤道さんの話題で一色だったよ』

「えっ、そうなの? 秀ちゃん、課長になったの!?」

『そうだよ、藤道課長』

「わあ、それはお祝いしなきゃ」

『いーなー。真白はあの藤道さんとプライベートで会えるんだもんなぁ』

「いいでしょー。ねぇねぇ、それより奈美は秀ちゃんと同じ部署なの?」

『それが残念ながら隣の部署なんだよねー。でも、今日、真白の友人ですって話しかけちゃった。そしたら「そう、ありがとう。これからも仲良くしてやってね」って微笑んでくれて! 私、あの笑顔だけで白米3杯は食べられるなー』

「あはは」

『そのあと、色んな女子社員から藤道課長と知り合いなの!? って詰められたけどね』

「わあ」

『怖かったよー。話したことも無いような人たちからまで「飲み会開いて」って脅されたりしたんだよ? もちろん、上手く躱したけどさ』

「それはお疲れ」

 やっぱり、秀ちゃんはモテるなあ。

「……奈美の会社って、綺麗な女性ヒト、多い?」

『……まあ、オシャレな人が多いし、華やかではある……』

「いや、分かった。ごめん、そうだよね」

 奈美はわざと濁してくれたけど、綺麗な先輩が多いって前に言ってたもんね。奈美だってショートカットが似合う可愛い顔立ちだし。そっかぁ、綺麗な人達に囲まれて秀ちゃんは仕事してるのかぁ。

『ああもう! うかつに喋ってほんっとごめん。でも、真白もさ! ただ健気に想ってるだけじゃなくて、今のうちにできる行動しておかないと、一生後悔するよ?』

「うん、分かってる……」

『ぶっちゃけ、社内女子はめちゃくちゃ色めき立ってたよ。負けるな、真白! 攻めるときは今だぞ! むしろラストチャンスだぞ!』

「うん、私なりに頑張るよ」

『真白なりじゃだめなんだって。あんた遠くから眺めて満足するタイプじゃん! うちの会社のあのプロハンターたちと競わなきゃなんだよ? もう、めっちゃ積極的にならなきゃだめだよ?』

「プロハンターたちって」

『一撃必殺のスナイパーから肉弾戦の得意な工作員まで幅広く取り揃えております』

「えっなにそれ怖い」

『冗談だけど、強そうな人は多いよ』

 奈美に散々行動しなよ、と言われ、逃げるようにまたね、と電話を切った後、深くため息を零してしゃがみ込む。
 ――分かってる。年齢的にも、もし次に秀ちゃんが付き合ったら、その人と結婚してしまうかもしれないってことぐらい。
 だから、奈美が言ったように、これがきっとラストチャンスだし、秀ちゃんはすごくモテるから、私はもっともっと頑張らなきゃいけない。
 でも、一緒に暮らしてるのに、張り切りすぎて気まずくなるのも、怖いんだよ。

「どうしよう」

 きゅっとスマホを握りしめる。その時、玄関の鍵が開く音がした。
 パタパタと玄関に向かうと、靴を脱いでいた秀ちゃんが「ただいま」と笑う。

「お帰り、秀ちゃん」

「なに? わざわざ自分から俺にキスをしに来てくれたの?」

「ち、ちが……!」

「違わないだろ?」

 にやにや、にやにやとドSな笑みを浮かべる秀ちゃんのお腹を「もうっ違うってば」と殴る。
 瞬間、奈美の『今のうちにできる行動しておかないと、一生後悔するよ?』っていう言葉が胸をかすめて、叩いたはずの手で秀ちゃんのシャツの胸をキュッと掴む。

「どうした?」

「……やっぱり、違わない」

 伏せていた目を上げる。少し驚いたように目を見開いていた彼に、ドキドキしながら「屈んで?」とお願いする。
 長身を少し屈めた秀ちゃんの広い肩に手を置いて、背伸びをする。ドキドキしてくれたらいいな、と思いながら、その形のいい唇に自分の唇を重ねる。

「お帰りなさい、藤道課長」
 
 さっきよりも見開かれた黒い瞳に、悪戯が成功した笑みを返す。

「最年少なんだってね、すごいね」

「お前、その情報どこから……って、あー彼女か」

 情報の出所に思い至った秀ちゃんがハァとため息をついた。

「ショートカットの元気そうな子だな」

「うん、中学校からの友達なの。困ってたら助けてあげてね。ところでその、手に持ってるのは?」

 目敏い私はそれが有名店のケーキだって、すぐに気がついたよ。

「好きだろ? 帰り道だし買ってきた」

「ありがとう、秀ちゃん! あ、そっか。これ課長へ昇進したお祝いケーキ?」

 浮かれ気分で尋ねたら非常に気に障ったらしく、秀ちゃんがイヤそうな顔をした。

「は?」

 あまりにもイヤそうな顔だったので吹き出す。
 確かに秀ちゃんはそういうことしない。課長昇進だって当然だろ、ぐらいに思ってるだろうし。というとことは、このケーキは純粋に私へのお土産だったわけで。

「ごめん、私のためだよね。嬉しい、ありがとう」

 頬を緩ませながらケーキの箱を持ち上げると、満足そうに「ん」と呟いて黒い瞳が優しく細まった。

「冷やしとくから、デザートに一緒に食べようね」

 二人で夕飯を食べて。夜だけど、食後に珈琲を淹れてケーキの箱を開けたら、食べるのがもったいないくらい綺麗なケーキが三つ並んでいた。私の大好きなイチゴのタルトとモンブラン、それから秀ちゃんの好きなオペラ。

「三つもある!」

「真白、どっちも好きだろ。本当はピスタチオのケーキも迷ったけど」

 それも私の大すきなやつだ。
 秀ちゃんが覚えててくれたことが嬉しくってくすぐったくなる。

「そっちはまた今度買ってくるよ」

 また今度。積み重なる小さな社交辞令に胸が締めつけられる。まるでこれからもこんな生活が続くみたいだ。
 期待したらした分だけ、傷つくって分かってるのに。これからもずっと一緒にいてくれるみたいに振る舞ってくれることが、嬉しくて、苦しくて、胸が痛い。

「秀ちゃん……ありがとう」

「たかがケーキで泣くなよ」

「泣いてないし」

 ちょっとうるっとしただけだから。
 少し呆れたような、でもすごく優しい顔で笑う秀ちゃんに胸がきゅんとなる。

 秀ちゃんにはオペラを出して、自分のお皿にはイチゴのタルトとモンブランを並べた。そっと苺のタルトにフォークを差し入れて口に運ぶ。
 甘酸っぱさとクリームの甘さとタルト生地のザクザクした食感が口いっぱいに広がる。

「ん、美味しい」

 口許が綻ぶ。

「そりゃよかった」

 さっきから手に顎を乗せて、私が食べるのをじっと見つめているだけの秀ちゃんに、食べたいのかな、と思って――これは秀ちゃんをドキドキさせるチャンスかもしれない、と思い立つ。かなり恥ずかしいけど。

「一口食べる?」

 そう言って、フォークに一口分を取って秀ちゃんの口に向かって差し出す。
 秀ちゃんは少し驚いたように目を見開いた後、面白そうに口角をあげた。その挑戦的な笑みと濃密な男の色気に反射的に手を引っ込めかけたけど、ガシっと大きな手に手首が掴まれて阻まれた。
 美麗な貌が私の手に近づく。目が伏せられて、形のいい口が開く。潤んだカシス色の粘膜が見えて、ぱくりとフォークを口に含んだ。咀嚼し終えてぺろりと唇を舐める。その瞬間、伏せられた目蓋があがり、視線が絡み合う。鋭い漆黒の瞳に見据えられ、かぁぁっと顔が熱くなった。

「甘酸っぱいな」

 壮絶な色気にあてられて心臓がドクドクと暴れ出す。
 てっきり、何恥ずかしいことしてんだ、くらいで終わると思っていた私は涙目で自分の行動を後悔した。
 どうして、この従兄様はいちいち色気を垂れ流してくるんだ。
 俯いて身悶えていると、「真白」と声がかけられた。
 顔を上げると、自分のケーキをフォークに取って差し出してきている超絶美形が居て――思わず固まった。
 ケーキと秀ちゃんを見比べるけど、先にやった私が動揺するのは明らかにおかしい。ゴクリと喉が鳴る。

「……えと、じゃあ、食べちゃうね……?」

 顔の横の髪の毛を耳にかけて身を乗り出す。大丈夫、ダイジョウブ。秀ちゃんと同じようにすればいい。なるべく、ケーキだけを見て口に含み、スッと視線をあげると漆黒の瞳がジッと私を見つめていてまた視線が絡み合う。とろりとした艶を帯びた黒い瞳がスッと逸らされた。口許に手を当てて目を伏せている。

「なんていうか思ったより小恥ずかしいな」

 イケメンの少し照れた笑顔の威力といったら、もはや世界的脅威なのではないだろうか。

「秀ちゃんでも照れたりすることがあるんだね」

「お前は俺をなんだと思ってんだよ」

「恋愛ベテラン勢」

「バカにしてんのか? っつーか、真白は今までも普通にこういうことをしてきたわけ?」

「こういうことって?」

「食べさせるとか」

「うーん……して、きた、かも?」

 女子中・女子高校時代の友達とは。 

「随分とバカップルのような付き合いをしてたんだな」

「そう言われてみればそうかも? 今思えば手を繋いだり腕を組んだりして、結構ベタベタしてたかもね」

 大学の友達とはそんなことしないし。

「へえ」

 え、なにその含みのある笑み。美形がやるとなんか怖いんですけど。

「じゃあ、ほら」

 私のお皿を黙って自分の方に寄せてケーキをフォークに掬い、当然のように差し出してきた美形に「ん?」と小首を傾げる。

「食わせてやるよ。今までも普通にしてきたんだろ? ならできるよな?」

 全く目が笑っていない笑みを向けられて、私はひな鳥のように秀ちゃんから食べさせてもらい、秀ちゃんにも食べさせることになった。

「俺らバカップルみたいだな?」

 その通りです。分かっているならやめてください。


 ――ウソ。やっぱりやめないでください。
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