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第1章 アリシアの諜報活動

04 はた迷惑な指名

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 アリシアが一人デビューを果たしてから3日後。

「レッツェル」

 アリシアがパーラー待機室でシルバー類を磨いていると、パーラー長のエルゼ=ケルナーの声で名前を呼ばれた。後ろを振り向くと、そこには笑みを浮かべて楽しそうなエルゼがいる。

「はい、なんでしょうか?」
「ハルシュタイン将軍から指名されたわよ。第一応接室にお願いね」
「・・・・・・え?」
「だ・か・ら。ご指名よ、レッツェル。ハルシュタイン将軍から」
「・・・・・・」

 聞き間違えかと思い、むしろ聞き間違いであって欲しいという思いから、アリシアは聞き返す。しかし何故か楽しそうなエルゼがアリシアの希望を打ち砕くように、ハッキリと告げた。希望を砕かれたアリシアの脳裏に、ハルシュタイン将軍と3日前に初めて会った時の事が過る。

「そんな顔しても可愛いだけよ」

 エルゼがフフッと笑いながら、いつもの口癖を言う。その言葉を聞いて、アリシアは思わず頬に両手をやる。この言葉は不満が顔に出ている時に言われるものだ。アリシアは頬を強めに上へと擦った。

(顔に出てたなんて)

 魔国ティナドラン潜入前にアリシアも他の諜報員と同様に訓練を受けた。その中には感情を表に出さない、表情を制御する訓練もあった。アリシアは上手だと講師から誉められていたのに。
 アリシアは軽いショックを受けたが、すぐに思い直した。アリシアが諜報員だと気付く可能性が今一番高い相手だ。嫌に決まっている。また盛大に笑われるかもしれないし、出来る限り会いたくない。

 アリシアはため息をついて、頬から手を離した。

「すみません。思わず顔に出てしまいました」
「あら、良いのよ。この前プリプリしながら愚痴ってたも可愛らしかったしね」
「・・・別に可愛らしくはないです」

 アリシアは新人。しばらくは一人での給仕が終った後、作業はスムーズだったか、場の雰囲気や話した内容、相手の反応はどうだったかなど、パーラー長エルゼへの報告を義務付けられている。アリシアはハルシュタイン将軍とリーネルト将軍の給仕について報告する中で、爆笑されて不満に思った事も伝えていた。
 エルゼはアリシアの不満もニコニコしながら聞いてくれたが、可愛いと思われていたとは思ってもいなかった。アリシアは少し照れ臭くてエルゼから視線を逸らす。

「女の子は皆可愛いわよ?ハルシュタイン将軍もレッツェルの事を可愛いと思われたからこそ、今回の指名なんじゃない?」
「やめてください絶対に違いますというか無理です」

 言葉尻を被せるように、目をカッと開いて鋭く言うアリシアに、またエルゼは可笑しそうにふふふっと笑う。

 さすがにエルゼが冗談で言ったことだと理解はしている。しかし少しでもアリシアに気があると思われ、変に気遣われて給仕を任されても困る。会う頻度が上がり、否応なく親しくなった結果、身バレでもしたら。尋問、拷問、その果ては死もあり得るのだ。過剰反応だとしても、嫌なものはいやだ。遠慮なく眉を寄せて嫌そうな顔をした。

(どうせ反応が面白いとか、恋愛感情を全く出さないから安心、とか。そんな理由に決まってる)

 アリシアは小さく息を付く。しかしふと、そんな彼らの考えも仕方ないことなのかもしれない、と思い直した。

 仕事モードで行った先で異性に恋愛感情むき出しで絡まれたら、鬱陶しく感じる事もあるだろう。アリシアにも学生時代に似たような経験がある。あの瞬間の感情は・・・面倒、イラつき、うっとおしさ、脱力感、呆れなど、一言では言い表せない。

 しかしアリシアからしてみれば、真剣に行っていた仕事中の態度を、あれだけ笑われては面白くない。何より身バレの可能性を考えると、やはり可能な限り会いたくない。
 更に言えば、彼らは多くの女性使用人に人気だ。そんな将軍からの指名なぞ、目立つことこの上ない。やっかみも出てくる可能性もある。面倒でしかない。

 結論として、アリシアは指名されても全く嬉しくないのだ。むしろ迷惑ですらある。

 変わらず嫌そうな顔をしているアリシアに、エルゼは苦笑した。

「普通は喜ぶのにねぇ。でもまあ、指名されたら基本的には断れないわ。諦めて行ってらっしゃい」
「・・・・・・はい」

 アリシアの心情を見透かしたようなエルゼの言葉に、アリシアはガクリと肩を落とした。




(それにしても・・・おかしいわね。給仕の待機中も、不機嫌な雰囲気を敢えて醸し出していたのに・・・何故指名なんてしてくるのよ)

 アリシアは王宮の廊下を、給仕カートを押しながら、釈然としない気分で考える。

 咎められない程度に不機嫌さを出しておけば、静かに不興を買うだろう。そして嫌だと周りに伝えておけば、他のパーラー達は喜んで給仕に行くだろう。そうすれば今後会うことはないと思っていた。
 本来なら不機嫌さを表に出してはいけないが、アリシアはまだ新人だ。軽い注意程度で、アリシアの評価もそれほど下がらないだろうと踏んでいた。良い意味で新人向けと言われる二人だが、他にも新人に優しい首脳陣は存在する。あの二人にこだわる必要は全くないのだ。
 結果、アリシアが今後あの二人への給仕を命ぜられる事はほぼなくなるという算段があったのだが。

(もう・・・上手く行かないものね)

 モヤモヤとしてきた感情を落ち着かせようと、アリシアはため息の代わりに目を閉じてゆっくり深呼吸をする。
 再び目を開けると、ハルシュタイン将軍が通されたはずの、第一応接室が見えた。

(あら。今日は護衛がいないのね)

 見渡しても辺りに人の気配はない。これまで文官長や地方の管理官、治安警備隊長などの給仕担当をしたが、全て護衛が扉の前に立っていた。個人で護衛を連れている場合もあるが、王宮に詰めている近衛兵が、客人の安全確保と同時に、王宮でおかしな事をしないように監視もしている。必ず近衛兵が一人はいるはずなのだが。

 もしかして部屋を間違えたのだろうかと不安に思いながらも、扉をノックして「お茶をお持ち致しました」と声をかける。すぐに「入れ」と声が聞こえた。
 間違えていなかったことに安堵しつつ、そういえば前回もリーネルト軍の護衛のみだったと思い出す。近衛兵も居なかった。

(もしかして護衛も近衛も必要がないということ?)

 誰に聞いても、ハルシュタイン将軍は剣にも魔術にも長けていると言う。そして魔王ギルベルトとは12も歳が離れているものの、兄弟のような関係らしい。信頼されているということだろうか。

 そんな事を考えながら、アリシアは「失礼致します」と声をかけて扉を開けた。

 いつも通り視線を下へ向けながら所定の位置にカートを止める。視線をソファへと向けると、ハルシュタイン将軍が一人で座っている。手に持っていた書類へと視線を落とし、何か考え事をしているようだ。

(・・・そうよね。将軍なんだから、書類仕事もするわよね)

 初対面だった前回、ハルシュタイン将軍はあたかもブルメスターを自分の部下のように言ってみたり、アリシアを試したり、最終的には爆笑したり。あまり真面目な印象が無かったせいか、無意識にハルシュタイン将軍は書類仕事を真面目にするタイプではないと決めつけていたようだ。彼は仕事で登城しているのだから、真剣に書類と向き合う時もあるだろう。アリシアが情報収集で彼の事を聞いた際、王宮使用人達は皆声を揃えて真面目だと言っていたのに。諜報員として、決めつけは一番してはならないことだ。

(私もまだまだね)

 アリシアは反省すると、小さく息をついて気分を切り替えた。
 視線をハルシュタイン将軍へと向けるが、変わらず書類を真剣に見ている。

(お邪魔しない方が良さそう)

 アリシアはなるべく音を立てないように気を付けながら支度をする。いつも通りお菓子をテーブルに置くと、ようやくハルシュタイン将軍は顔を上げた。

「あ。・・・すまない。そうか、王宮だったな」

 急に現実に戻されたような、ハッとした顔をしてアリシアへと視線を向ける。

「いえ、お構いなく。テーブルのこちら側に置いていきますね」

 ハルシュタイン将軍の目の前は書類が数枚置かれている。邪魔にならないようにと、それらを避けてシュガーポットやミルクピッチャーを置く。

「いや、もう片付けるから構わない」

(あら。もしかして見てはいけない書類だったのかな)

 片付けられていく書類にチラリと視線を向けながら、アリシアは少しだけ興味を引かれる。しかしそんな興味もすぐに打ち消した。将軍が持つ書類なんて機密性が高いに決まっている。そんな書類に対して興味津々なんて知られれば怪しまれる。常に彼らには興味がない素振りをしなくては。

 カートに戻って紅茶をティーカップに注ぎ、ハルシュタイン将軍の目の前に置くと、彼がアリシアを見つめている事に気が付いた。
 瞬間的にドキリとしたが、この視線は恐らくアリシアを疑うものではない。先ほど書類をチラリと見たことを怪しんでいる可能性もあるが、それだけでは何も確信は出来ないはず。ここは適当に受け流すべきだ。

 アリシアは不安を顔に出さないように、己に落ち着くように言い聞かせると、ハルシュタイン将軍に視線を向ける。目がバッチリと合うが、それでもハルシュタイン将軍はただ黙ってアリシアを見ていた。

「・・・何でしょうか」
「・・・・・・」
「・・・そんなに見られても、身だしなみの確認はしませんよ」

 アリシアの言葉に、ハルシュタイン将軍は抑え気味に笑い出した。

「笑ってしまうから忘れようとしていたのに・・・クッ・・・思い出させるな・・・ククク」
「失礼致しました」

(じゃあ見つめないで欲しいんですけど)

 全く面倒臭い上に失礼な男ね、と内心思いながら、残りの紅茶を茶漉しを通して別のティーポットへと移す。

「悪い悪い。そうじゃない。君は本当に私に興味がないのだなと思って」
「・・・興味、ですか?」

(前回話してた、熱っぽい視線が云々よね)

 ハルシュタイン将軍がそこまで気にする程、王宮内の女性使用人達は彼に秋波を送っているのだろうか。

 アリシアは目の前のハルシュタイン将軍を見つめながら、これまでの彼の言動や雰囲気を思い出す。
 自意識過剰やナルシストの気配は感じられなかった。むしろ言葉の端々に辟易している様が見て取れた。

(確かに顔も良いし、背も高いし将軍だし、モテるのは間違いなさそうだけど)

 しかしアリシアはそもそも諜報員として来ている。そんな浮ついたものに今は興味を持てない。魅力的な男性だとしても、まず魔人は恋愛対象外だ。

(それに、整った顔立ちには慣れてるのよね)

 父方の親戚は人間だが、母方の親戚は皆エルフだ。金髪碧眼、容姿端麗なエルフが集まっているエルフの里にも小さい頃からよく遊びに行っていた。イケメンを見たところで、綺麗な顔立ちをしているな、としか思わない。

 結果、アリシアがハルシュタイン将軍に恋愛的な興味があるかと問われれば。

「全くありません」

 思ったままに答えると、再びハルシュタイン将軍は笑い出した。

「気持ちがいい程ハッキリ言うな君は!」
「こういう事はハッキリしておいた方がいいかと。それにお尋ねになったのは将軍です」
「まあ、そうなんだが」

 残りのティーポットもテーブルに置くと、いまだ笑うハルシュタイン将軍に「何かあれば声をおかけください」と言い残し、さっさと壁際へと向かった。


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