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第1章 アリシアの諜報活動

03 王宮デビュー

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「はぁ・・・緊張するわ」

 アリシアは一人、給仕カートを押して広く長い廊下を歩きながら、小さく呟く。

 緊急報告の返事は『是』。翌日トビアスに推薦を受ける旨を伝え、その後の王宮の採用面接にも無事受かった。
 ブルメスター家での仕事はオールラウンドだったが、王宮では細かく担当が分かれ、より専門的になる。
 アリシアはパーラー部門に配属された。

 パーラーメイドとは、王宮に訪れる客人・・・主にこの国の首脳陣が、魔王謁見まで応接室で待機している間、お茶とお菓子や軽食などでおもてなしをする仕事だ。接客をするので見目の良さは必須。更に首脳陣の話し相手になることもあるので、知識や頭の回転の良さも必要とされる。

 アリシアは見目麗しいとされるエルフの血が半分流れているので、自国である神聖ルアンキリでは周りから美人と言われていた。アリシアは己の美醜をさほど気にしていなかったが、この国の面接官のお眼鏡にはかなったようだ。

 知識面の方でも、ブルメスター家での使用人として受け取っていた給料で、本を買ってこの魔国ティナドランの知識を吸収していた。制服貸与の住み込み食事つきの職場なので、お金の使い道があまりなかったのもあり、半年間でそこそこな量の本を手に入れて読み込んだ。
 最初こそ勉強と報告用として本を読み始めたのだが、人類連合側との共通点があったり、意外なところが異なっていたり。そこからアリシアの知識欲に火が着き、使用人としてはあまり関係ない分野の本まで読み漁ってしまった。その結果、同世代の一般的な魔人並みかそれ以上の知識量となったようで、採用面接時の質問にも全て答える事が出来た。

 これらのお陰なのか、無事インテリメイドとも呼ばれるパーラーに決まった。

 このパーラーという配属に、アリシアは喜んだ。パーラーとして定められた職務を全うしているだけで、王宮に訪れる主要人物を知ることが出来るのだから、諜報員のアリシアにとってこれほど都合の良い職はない。そして彼らと直に会うことが出来、その人となりが分かる。
 無謀な事をするつもりなど全くないが、どこかで戦争を止める情報を掴めたらいいと、アリシアはこの王宮使用人という環境に期待をしている。

 そんなこんなで、アリシアの意気込みと共に始まった王宮パーラーメイド生活。その研修は3週間だった。最後の1週間は先輩の付き添いの元で客人への給仕を行ってきた。そして今日は初めてアリシア一人での給仕担当。そのお相手は。

(よりにもよってリーネルト将軍にハルシュタイン将軍だなんて・・・)

 王宮によく訪れる二人であり、将軍の中では年若く、人当たりもよくて穏やかな人物だとか。今日アリシアの給仕が一人デビューであることも二人に了承してもらっているので、多少の粗相は問題ないとは言われている。
 本来であれば初給仕と言えども多少は気楽に感じるものなのだろう。しかしアリシアにはその言葉通りには受け止められなかった。
 ガチガチに緊張したまま給仕準備室を出発しようとするアリシアを心配すると同時に不思議に思った先輩達は、その理由を問うてきた。緊張しているのは事実であるし、気付かれたものを誤魔化しても仕方ないので、アリシアは心情を吐露した。

「だってあのお二方って、男女問わず凄く人気あるじゃない?パーラーの担当も、いつも早い者勝ち。よく王宮にいらっしゃるけど、私は受け持った事もなくて初対面だもの。いくら大丈夫と言われても、有名なかの将軍お二人よ?それなりに緊張はするわ」

 若干の恨み言を交えて言えば、皆納得と共に苦笑しながら謝られた。
 先輩達に已の行動が自分本位だった事に気付いてもらえた事で、アリシアの心の奥にあった僅かな不満は解消された。しかしそれで緊張が解けるわけでもない。そもそもこの緊張の理由の大半は別にある。そちらは決して誰にも言えないものだからこそ、緊張が治まらないのだ。それは。

(この二人、人類連合側でも有名なのよね)

 アリシアは再び小さくため息をついた。

 少し前まで共に戦場に出ていた二人で、父オーウィンと対等に渡り合えた、非常に優秀な将軍だ。

(なんでよりによって初給仕がその二人なの)

 魔人達には英雄として扱われているらしいが、アリシアにはただただ恐ろい。人類連合史上最強将軍と言われた、あの父をも押し返す戦術を繰り出す将軍二人だ。アリシアが諜報員だという事にいち早く気付くかもしれない。

(ものすごーく会いたくない・・・)

 心の中で涙を流すが、足を進めている以上辿り着くのが定め。応接室の前に立つ護衛二人が見えて、アリシアは諦めのため息をついた。

「お茶をお持ち致しました」

 気を取り直して入り口の護衛二人に声をかけると、意外にも二人はアリシアに微笑んだ。

「ご苦労様です」

 労いの言葉をかけられてアリシアは驚く。研修中にこんな事は一度もなかった。大抵は視線も合わさず反応も返ってこない。
 アリシアが驚いて護衛の顔を見ている間に、右側に立つ護衛がドアをノックして、「リーネルト将軍!パーラーが参りました!」と室内へ呼びかけた。その呼びかけは本来パーラーがしなければならないのだが。
 すぐに室内から「入れ」と声が聞こえ、アリシアはハッとする。つい、呼びかけをする護衛の言動を一部始終ぼんやりと見てしまっていた。慌ててアリシアが扉を開けるためにカートから離れようとすると、護衛達はそれを手で制して扉を開けてくれた。

「あの・・・ありがとうございます」

 戸惑いながら礼を言うと、護衛二人はニッコリと笑みを浮かべた。

(軍章は第三軍・・・リーネルト将軍の配下ね)

 前の雇用主であるトビアス=ブルメスターもリーネルト将軍の部下で、千人隊長だと聞いている。『千人隊長』という役職だが、それは単位を表しているだけで、実際は五千人を抱える隊の、優秀な指揮官らしい。彼も優しい雇用主だった。

(第三軍は優しい方が多いのかしら)

 そんな事を考えつつ、視線を下げ、緊張しながらカートを押して室内に入る。所定の位置でカートを止めると、そこで初めて客人へと目を向けた。
 ローテーブルを挟んで、3人掛けのソファが二つ置いてある。それぞれに向かい合わせで男性が一人ずつ座っていた。

「初めてお目にかかります。本日はわたくし、アメリア=レッツェルが務めさせていただきます」

 初対面の場合は必ず挨拶をすることになっている。アリシアは礼をして頭を上げると、将軍二人に見つめられていた。その視線だけで怪しまれているような気になってしまうのは、アリシアに諜報員という裏の顔があるからか。
 アリシアは心の中で「気のせいだ」と繰り返しつつ、緊張しながら二人の反応を窺う。二人から反応が無ければ、そのままお茶の用意を始める事になっている。
 二人の顔へと順に視線を向けると、ダークブルーの髪に紫の瞳を持つ、整った顔立ちの男性が親しみやすそうな笑みを浮かべてアリシアへと口を開いた。

「君がレッツェルか。ブルメスターから話は聞いているよ」

 はて?とアリシアは内心首を傾げる。この容姿に加えて、身を包んでいる軍服は濃藍。そして胸にある軍章。全ては第一軍の将軍であることを示している。
 研修中に教わった情報からすると、彼はリーネルト将軍ではなく・・・。

「お初にお目にかかります。ハルシュタイン将軍」

 声をかけられたからには、返さなくてはならない。笑みを浮かべて応えると、向かいに座っているもう一人の男が苦笑した。

「ブルメスターは私の部下だろう。クラウスがすまないな。アレクシス=リーネルトだ。先に言われてしまったが、ブルメスターから君の事は聞いている。今年の新人とは思えない程優秀だとか」
「もったいないお言葉です、リーネルト将軍。ブルメスター様とお屋敷の方々にはとても良くしていただきました」

 リーネルト将軍へと笑みを向けると、彼は頷いて続けた。

「君が淹れる紅茶はとても美味しいと聞いている。私と、こちらのクラウス=ハルシュタインはよく王宮に来るから、きっとこれから君の世話になるだろう。よろしく頼む」
「恐れ入ります。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 アリシアは笑みを深めてから再び礼をすると、給仕の準備を始めた。

(リーネルト将軍は、評判通りの人格者ね)

 精悍な顔立ちをしている彼は、ダークグリーンの短髪に黒い瞳、そして長い耳を持っている。第三軍の黒紫の軍服を着て、胸には第三軍の将軍であることを示す軍章をつけている。年齢は確か35歳。独身、恋人なし。
 魔人の寿命は150歳らしいので、人間換算すればまだ独身でもおかしくはない年齢だ。将軍職にありながら、穏やかで優しく、礼節を弁えた性格。目つきは鋭いが、性格がにじみ出ているのだろう。優しさというか、ちょっとした男性らしい甘さも感じる。
 実際に会ってその容姿を見た感想は、中年になったらナイスミドルと言われるだろう、だ。

 一方ハルシュタイン将軍は、将軍らしく鍛えられた身体でありながら知的さを感じさせる。顔立ちは男性らしい色気を纏っていて、リーネルト将軍程目は鋭くはないが、それでもやはり将軍。目力があり、惹きつけられるものを持っている。確か今は29歳だったはずだ。そして彼も同じく独身、恋人なし。

 二人ともその年齢で将軍職を務め、しかも有能。性格も穏やかで落ち着いている。加えてイケメン。

(そりゃ女性陣からモテるわよね)

 心の中で頷きながら、ティーポットに茶葉を入れる。お湯が入っている保温ポットを手に取ると、高い位置からゆっくりとティーポットへお湯を注ぐ。

(でも余計に油断は出来ないわ)

 頭が切れる二人なのだ。穏やかで優しいからといって気を抜く事は出来ない。彼らの前では単なるパーラーとしての言動に限定しなくては。

 そう心の中で己を戒めると、アリシアはティーポットにフタをして、保温するためのティーコジーをかける。すぐに砂時計を取り出してひっくり返した。

(さてと。お茶を蒸らしている間にお菓子ね)

 セピア色をした美しいレースのフードカバーがかけられた平皿をテーブルまで運ぶと、不意に声をかけられた。

「レッツェル、今日のお菓子は何かな?」
「アイスボックスクッキーと桃のヨーグルトムースケーキでございます」

 アリシアは微笑みを浮かべて視線をハルシュタイン将軍へと向けて答える。同時にお皿をテーブルに置いてフードカバーを取り外し、中を確認する。渦を描くもの、ナッツが混ぜてあるもの、四角いマーブル模様など、数種類のクッキーが綺麗に並べてある。

(うーん・・・王宮のお菓子職人は本当に凄いわ。芸術品ね)

 クッキーの位置がズレていない事を確認すると、すぐにカートへと戻る。次はヨーグルトムースケーキだ。こちらは乾燥を防ぐため、銀のドームカバーがかけてある。ケーキとドームカバーの重量で、先程運んだクッキーよりも重い。気を付けながら再びテーブルへと運ぶと、ドームカバーを外す。こちらも崩れる事無く、薄くカットされた桃が 、花ビラのようにヨーグルトムースケーキの上に盛られている。
 ケーキの無事を確認した後、アリシアはチラリとカートの上の砂時計を見るが、まだ落ち切っていない。ならばと、ケーキの取り皿、フォーク、シュガーポットとミルクピッチャーも運んで並べる。
 ちょうど運び終わった所で砂時計が落ち切ったので、ティーコジーを外してティーカップへと紅茶を注ぐ。それを二つ用意すると、一つずつ丁寧にテーブルへ運んだ。ティーポットに残った紅茶は、茶葉を取り除きつつ別のティーポットへと移し、それもテーブルへと運ぶ。

(無事に終わったわ!!)

 緊張して手が震えた瞬間もあったが、なんとか無事に出すべきものは出し終えた。

「何か足りないものはございませんか?」

 最後に確認をとれば、あとは要望がない限り壁際に立つのみ。ホッとしたこともありニコニコとしながら問いかけると、リーネルト将軍がフッと吹き出した。

「ククク・・・」

 何故突然笑い出したのか分からず、アリシアは目を瞬かせながらリーネルト将軍を見つめた。

「あの・・・何か無作法がありましたか?」
「いや・・・すまない。君に落ち度はないよ」

 そう言いながらも笑うリーネルト将軍に、アリシアは困惑する。笑われる理由が分からず、もう一人のハルシュタイン将軍へ視線を向ける。
 すると彼は真顔でアリシアをマジマジと見つめていた。その事に気付いた瞬間、不安がアリシアの胸を波立たせる。

(まさか・・・怪しまれているなんて事は・・・)

 頭から血の気が引きそうになるが、なんとか表情に出さないように己を宥めた。

(大丈夫。大丈夫よ。気付かれるはずないわ。落ち着いて。彼らの前では給仕しかしてないんだから)

 ゆっくり深呼吸して、アリシアは冷静にもう一度考える。諜報員とバレる要素が無いのなら、他の可能性はなんだろうか。
 アリシアはリーネルト将軍へ視線を向けるが、変わらず笑っている。そして再びハルシュタイン将軍へ視線を向けるが、やはりアリシアを見つめている。

「・・・もしかして・・・何かついていましたか?」

 無作法はないと言われたが、もしかして汚れていただろうか。今度は恥ずかしさからの不安が胸に広がる。服を確認したり頬を撫でてみるが、特に何もない。髪もきちんと整っているようだ。
 では何だろうか、と再びハルシュタイン将軍へと視線を向けると、彼は大きく笑い出した。

「ふはっ!これは新しいな!」

 突然大きく吹き出したので、アリシアは驚いてビクリと体を震わせた。

(新しい・・・?)

 本気で何が何だか分からない。アリシアは困惑して固まった。

「すまない。クク・・・まさかそんな反応をされるとは思ってなかったから、意表を突かれた・・・あはは!」

 ハルシュタイン将軍が笑いながら釈明するが、それでもまだ笑いは落ち着かないらしい。

(反応・・・?私の反応よね。何かおかしなことしたかしら・・・)

 この部屋に入った所から自分の行動を見直してみる。しかしこれほど笑われるような、変な事はなかったように思うが・・・。
 ますます困惑するアリシアに、先に笑いを収めたリーネルト将軍が口を開く。

「クラウス、その説明では彼女に失礼だろう。悪いな、レッツェル。君は真面目に仕事を全うしてくれた。なんの落ち度もないし、何もついていないから安心してくれ。ただ、私達には君の反応が新鮮だっただけだ」
「新鮮・・・ですか?」 

 新鮮も何も、パーラーとしての仕事をしただけなのだが。どういう事だろうかと、アリシアはリーネルト将軍の言葉を待つ。

「こういった話を自分から話すのは少々気恥ずかしいのだが・・・。こうして接待を受ける時は、メイドから熱い視線を向けられることが多い。中には腕にすり寄ってくるメイドまでいる」
「え・・・・・・はあ!?」

 少し言いにくそうに語るリーネルト将軍を見つめ、言われたことを理解した瞬間。驚いて思わず声を上げてしまい、しまった、と口元に指先を当てて下を向く。

(素が出てしまった・・・!恥ずかしい!)

「失礼致しました」

 すぐに謝罪をすると、今度はハルシュタイン将軍が口を開く。

「いい、気にするな。むしろ今の反応で君が真面目だという事がよく分かった。そもそも先に礼を欠いたのはこっちだ。大抵私やアレクシスが見つめると、狼狽えたり赤くなったりするんだ。なのに君は、何かついてるかと・・・不安、そうに・・・クク・・・」

 途中からまた笑い出したハルシュタイン将軍に、アリシアは隠すことなく半目になった。

(なるほど・・・。そんな事予想外過ぎて全く想像付かないわよ)

 ハルシュタイン将軍は新人であるアリシアを試した。他のメイド達と同じように、自分達に好意を持つか、それを表面に出すか、更には行動に移すか。
 しかしアリシアは全くの見当違いをして身だしなみを確認しだしたので、予想外で笑ってしまったという事だ。
 リーネルト将軍も、仕事をやりきりホッとしてニコニコしているアリシアを見て、やはり予想外で笑ってしまったと謝られた。
 笑われた理由は分かったが、ハルシュタイン将軍に至っては爆笑している。

 緊張しながら真面目に一生懸命仕事をしただけなのに。諜報員だと見抜かれたのかと恐怖したあの瞬間を返して欲しい。そんなに笑う事はないじゃないか。いくら使用人相手とは言え礼を欠いているのではないか。と心の中だけで文句を言った。

「そうでしたか・・・特にご用命が無ければ、壁際に控えております」

 アリシアは少しだけ不機嫌さを出してカートを壁際に押しやると、明後日の方向を見ながら内心むくれた。


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