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第1章 アリシアの諜報活動
02 諜報活動とアリシアの想いと願い
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その日の晩、アメリアは同室のメイドと就寝の挨拶をしてから、2段ベッドの上段へと登る。仰向けになって天井を見つめながら、細く長いため息をついた。
(あー良かった・・・何か怪しまれたか、最悪バレたのかと思って冷や汗が出た)
執務室に呼び出された時を思い浮かべると、あの瞬間の緊張や不安を思い出し、胸が嫌な鼓動を打ち始める。アメリアは目を閉じて何度か深呼吸をして、気分を落ち着かせながらトビアスの様子を思い出す。
(さっきのトビアス様の様子を見る限り、特に怪しまれてなかったみたい)
王宮に推薦された事を考慮すると、怪しまれていないどころか、信用されているようだ。その上アメリアが自分で思っていたよりも高く評価されていた。それらを言い換えると、少なくとも他の魔人達と同程度の言動は出来ているという事だ。
(はあ、良かった)
アメリアは安堵すると、ふう、と大きく息を吐いて気分を切り替えてから目を開いた。
(まずは緊急報告しなきゃ)
静かな室内。もう一人のメイドに聞こえないようにと、吐息のように小さく呪文を呟く。するとフワリと目の前に半透明な紙のようなもの、『画面』が現れた。
アリシアは『画面』に視線を向けたまま、『王宮使用人への推薦を持ちかけられたので是非の判断が欲しい』という内容の文章を頭の中に浮かべながら『画面』へ文章を流し込むように意識する。すると頭の中の文章がそのまま『画面』に表示されていく。内容に間違いがないか確認してから、『アリシア=クロス=サリヴァン』と最後に追加して、緊急報告の送信の呪文を小さく唱えた。
(よし。じゃあいつもの報告)
常時報告用の呪文を唱えると、『画面』に一覧が表示される。日付、時間帯、大項目、中項目、小項目、場所など、細かく入力項目が分かれている。こんなに細かく項目を入力しないといけないのは、欲しい情報を探す時に絞り込みしやすいからだとか。
この『画面』は術者にしか見えないので、時間や概要は都度仕事の合間を見てこっそり下書きをしている。そこに緊急報告の入力と同じ要領で、今日あった事を『画面』へ詳細に入力していく。そして最後に記入者氏名の欄へ、同様に『アリシア=クロス=サリヴァン』と入力して、書き込みの呪文を唱えた。
一覧の下に表示された『書き込み完了』の文字を確認すると、アメリア・・・もとい、アリシアは『画面』を閉じる呪文を唱えた。
いつもなら他の諜報員から上がった報告に目を通すのだが、今日はソワソワして頭の中に入ってこない自覚があった。なので今日の分は後日読むことにして、天井を見上げた。
ちなみに緊急報告の返信は『緊急連絡』という形で返ってくる。『緊急連絡』が届いた場合は、『画面』を閉じていても強制的に表示される。
(まさか王宮とはね)
アリシアは寝返りをうって壁の方を向くと、ゆっくりと息を付いた。シンプルな白い壁を眺めながら、腕を抱え込む。
(この国に潜入したのが今年の4月。今は10月だから・・・まだ半年か。心臓が持つかなぁ)
この国に潜入した当初、ボロが出て怪しまれないかと、魔人と会う度に緊張していた。人里離れた場所で育ったという設定なので、この国の事をあまり知らない点に関しては怪しまれてはいない。むしろ親切心で、使用人仲間たちがいろんな事を教えてくれるのがありがたかった。時々知らない事で揶揄われたりもするが、それも好意前提のお遊びであり、基本的にこの屋敷の使用人は皆良い人だ。働きながらこの国の常識を少しずつ知り、ようやく慣れて余裕が出来たところだったのに、今度は王宮だ。王宮の使用人になったら、魔王に会うこともあるだろう。
(魔王・・・ギルベルト=ファーベルク、か・・・)
黒髪に赤い瞳を持つ、この国一番の魔力の持ち主だ。そんな人物が住む場所で働く事になるとは、全く持って想像もしていなかった。
魔王ギルベルトは穏やかな性格だと聞いているが、もし自分の正体がばれたら。その上捕まったりしたら、間違いなくただでは済まない。想像しただけで不安と緊張から心臓が早打ち始める。お風呂は済ませたのに、嫌な汗までかきそうだ。
アリシアは不安を誤魔化すように腕を擦った。嫌な想像を頭から追い出すように深く息を吐いて、現実に戻ろうと頭の中を切り替える。
(恐らく王宮使用人になる許可は下りるはず)
王宮使用人への推薦の話は、緊急報告として上げた瞬間、権限を持つ関係者達の目の前に強制的に『画面』が開き、通知がされたはずだ。今この瞬間にもあちらで話し合いがされているだろう。関係者達は大騒ぎしているに違いない。
(だって、魔国の王宮に潜入する機会を得たのだもの。この500年間で初めての事よ)
そう思うとアリシアも興奮を覚える。その初めてが自分になるのかもしれないのだから。
アリシアはドキドキしていることを自覚しながら、先程の緊急報告を読んだであろう人物たちを頭に思い浮かべる。
(まずは精霊神様。エルフの長とご子息のユウヤ様。神聖ルアンキリ国王陛下。王太子シルヴァン殿下。あとルアンキリ国軍総帥の第三王子のバティスト殿下もね。他は・・・あとは関わりない人だから顔を知らない人達かな)
久しぶりに思い出した顔もあって、皆さん元気かな、などと暢気なことを思う。
この魔国ティナドランと敵対する勢力である人類連合。そのトップである精霊神とエルフの長親子をアリシアが知っているのは、母がエルフだから。
そしてその人類連合の代表国である神聖ルアンキリの上層部まで知っているのは、父オーウィン=グレヴィ=サリヴァンがルアンキリ国軍の将軍だったから。その父の伝でアリシアも何度か王族と会うことがあった。
そんな二人の子であるアリシア=クロス=サリヴァンは、神聖ルアンキリ国出身のハーフエルフだ。母に似たアリシアは、金髪碧眼に白い肌、長い耳を持つエルフな容姿だが、今はアメリア=レッツェルと名を偽り、精霊神に体の色素を変えてもらっている。魔人と同じ暗い色である茶髪に黒目、褐色肌になり、この魔国ティナドランに諜報員として潜伏中なのだ。魔人にはとんがった耳を持つ人もいるので、アリシアの耳も特に目立ってはいない。
アリシアの家、サリヴァン家は元々歴代優秀な軍人を輩出してきた名家だが、オーウィンはサリヴァン家だけではなく人類連合全体の歴史にも残る、傑出した人物だった。人類最強、人類の希望とまで言われた。
魔国ティナドランが侵略を始めて500年。南に位置するアリオカル大陸の南西に住んでいた魔人たちは、周辺の国々を滅ぼし、ジワジワと北東へと戦線を移動してきた。そしてついにアリオカル大陸と細く陸続きになっている、ストロフィア大陸にまで乗り込んできた。ストロフィア大陸はアリオカル大陸の北に位置し、人間の国々が占めている。そしてストロフィア大陸最南端にあった国が攻められて滅びたのは今から32年前。
大量の難民が流れ込み、次は神聖ルアンキリ国だという時に、頭角を現したのが当時まだ26歳のオーウィンだった。
元々剣術も精霊術も群を抜いていたオーウィンだったが、軍の指揮を任された途端、勢いづいていた魔国ティナドラン軍を蹴散らした。そしてその年のうちに、ストロフィア大陸とアリオカル大陸の境目まで押し返したのだ。これまで魔国ティナドラン軍をこれほど大きく押し返せた歴史は無く、人類史上初の快挙であった。今でも戦線はその辺りでキープされている。
それ以降、『サリヴァン将軍』の名は人類連合の国々だけでなく、魔国ティナドランにまで響き渡った。アリシアが潜入してから半年経ったが、その間に何度もその名前を聞いている。魔人達はオーウィンの事を恐怖の大王のように言っていて、実際の父の姿を知るアリシアは笑いそうになることもあった。
しかしそんな父オーウィンも、2年前に魔国ティナドランに討たれて亡くなった。
殉職の知らせを聞いたアリシアは、父が出陣する度に覚悟はしていたものの、沸き上がる悲しみに耐えきれず、何度も泣いた。
オーウィンは将軍だけあって険しい雰囲気を持ち、一見近寄り難さを感じる人物であったが、その実とても優しい人だった。アリシアはそんな温かく優しい父の笑みが好きだった。
(父さん・・・)
祖国の人達の顔を思い出している中で、父の事を思い出したアリシアは、ジワリと目が潤み、慌てて枕に顔を突っ伏す。嗚咽を漏らすような泣き方をしたら、同室のメイドにまた心配されてしまう。彼女には父を戦争でなくした、とだけ話している。
(もう2年も経つのに・・・まだ昨日の事みたいに思い出せる)
抑えても抑えても、ふとした瞬間にもう父はいないのだと実感してしまう。2年経った今ではそれも落ち着きつつあるが、一度思い出してしまうと、いまだに悲しみに襲われる。
あの大きなゴツゴツした手で沢山頭を撫でられた。無骨な軍人といった見た目だが、家族には優しく穏やかな笑みを見せていた。将軍職で忙しいにもかかわらず、アリシアの他愛ない話を「そうか」と相槌を打ちながら、ニコニコして聞いてくれた。アリシアがお転婆をして怒っても、必ずその理由を聞いてくれた。そしてそれが誰かのためだと知った時、「やっぱり俺達の娘だな」と言われるのが誇りだった。
それらがとても幸せな事だったのだと、父を失った悲しみの中、しみじみと感じた。
そして同時に、もう二度と父と話すことが出来ないのだと思い知った。
もっと沢山話したかった。もっと一緒にいたかった。家族全員そろってお出かけもしたかったし、父が母と幸せそうに笑い合う姿ももっと見たかった。どんどん強くなっていく兄と父の手合わせも見たかった。自分の護身術の稽古もまだまだつけて欲しかった。戦術を磨く弟と父との戦略談義も聞きたかった。
そして何よりも、もっと親孝行をしておけばよかった。
悲しみに次いで切なさや寂しさ、後悔が心を占めていく。そしていつも、視界が歪んではポロポロと涙が落ちていくのだ。
(ダメダメ。父さんに心配かけちゃうから)
今は敵国に潜入しているのだ。そしてアリシアには目指す未来があるのだから、いつまでも泣いてはいられない。
危険を冒してまで敵国に潜んで諜報をしているアリシアの目的。それは戦争のない時代だ。
創世神ルアンはこの世界を楽園にしたかったという。過去に楽園期と呼ばれる時代もあったと学校で習った。知識では知っているが、体感したことはない。一体どのような世界だったのだろうか。
(きっと心穏やかで、今みたいに戦争の憂いもなくて。世界旅行も気軽に行けてたって話だし、治安も良かった・・・どころじゃなくて、ほとんど犯罪もなかった。良いなぁ)
今の世界情勢を鑑みれば夢物語だが、本当に過去にそんな時代があったのだ。
(今のこの世界は・・・・・・悲しみに満ちている。そしてそれに、皆慣れてしまった・・・)
アリシアは父が亡くなってから、ずっと考え続けた。父一人がいなくなっただけで、母も兄も弟も、そして自分も苦しみ、悲しみ続けている。つらくてつらくて、しばらくは何も手につかなかった。
しかしこの感情は自分達だけのものではない。この戦争で家族を失った者は皆、同じように味わっているのだと。そしてそれが500年も続いている。
そして人類連合側だけが感じていると思われていたその感情は、敵国ティナドランでも同様だったのだ。
先に潜入している諜報の先輩達からの報告では、魔人達も大切な人を亡くす悲しみを感じているとあった。そして魔人全員が戦争をしたがっている訳ではないとの報告もあった。
(実際に魔国に来てみたら、私達と何も変わらなかった。侵略も彼ら自身の望みじゃない)
確かに侵略しているのは魔国ティナドランだが、それは魔神エルトナの命で行われている。何故そんな命が出されているのか、一般の魔人達は知らない。
そしてこの魔国ティナドランには魔神背信罪という罰則がある。魔神エルトナは普段から慈愛を持って魔人に対しているので、普通に暮らしている分にはなんら問題にならない。しかし侵略を反対するとこの罪に問われる事になるので、魔人達も侵略を止めたくても止めようがないのだ。
祖国神聖ルアンキリでは魔人に戦争の恨みつらみを押し付けて、魔人は悪だと言い張る人も居た。しかし魔国ティナドランの魔神背信罪という制度を知り、直接魔人に接した今は、それは違うとアリシアは考えている。
アリシアは父からよくよく言い聞かされてきた言葉が頭に浮かんだ。
『戦争というものは互いに血を流すものだ。加害者であると同時に被害者でもある。軍人の俺は、いつでも覚悟が出来ている。たとえ俺に何かあっても、お前たちは恨みを持つな。お前たちが守りたいものを、大事だと思うものをその心に持て』
その通りだと、アリシアは深く共感している。
父は戦場で討たれて亡くなったが、その父も戦場で沢山の魔人を倒してきた。自分が討ちとった魔人達、そして殉職した同僚や部下達を思い出しては辛そうな顔をする父を思い出す。殺さなければ殺される、そんな状況下ならば、どちらも戦争という魔物の犠牲者だ。
大事なのは失った責任を追求し、誰かを恨む事ではない。失った人の気持ちを知り、志を継ぐ。そして自分が望む未来にするために、努力を怠らない事だと、アリシアは信じている。
しかし一方で、これ以上家族を戦争で失いたくないと、切望しているのも事実だ。
サリヴァン家は代々軍人を輩出している。兄エンジュも軍人となり今は連隊副長を務めている。若いながらも父仕込みの腕と戦術を買われてのことで、各国の国軍の上から3番目の重要な地位だ。そして弟ダーマットは戦術司令部に所属している。兄は常に、弟も不測の事態があれば命を落としてもおかしくない立場にいる。
誰も戦争で悲しむ事のない世界が欲しい。その願いを叶える為、アリシアはこの魔国ティナドランに諜報員として潜入することに決めた。どうすれば戦争を止める事が出来るのか、その情報を求めて。
アリシアは家族を思い出しつつ、眠気に負けてうつらうつらとしていたが、突如表示された『画面』を見て一気に目が覚めた。そこには『緊急連絡』と赤文字で表示されていた。
(あー良かった・・・何か怪しまれたか、最悪バレたのかと思って冷や汗が出た)
執務室に呼び出された時を思い浮かべると、あの瞬間の緊張や不安を思い出し、胸が嫌な鼓動を打ち始める。アメリアは目を閉じて何度か深呼吸をして、気分を落ち着かせながらトビアスの様子を思い出す。
(さっきのトビアス様の様子を見る限り、特に怪しまれてなかったみたい)
王宮に推薦された事を考慮すると、怪しまれていないどころか、信用されているようだ。その上アメリアが自分で思っていたよりも高く評価されていた。それらを言い換えると、少なくとも他の魔人達と同程度の言動は出来ているという事だ。
(はあ、良かった)
アメリアは安堵すると、ふう、と大きく息を吐いて気分を切り替えてから目を開いた。
(まずは緊急報告しなきゃ)
静かな室内。もう一人のメイドに聞こえないようにと、吐息のように小さく呪文を呟く。するとフワリと目の前に半透明な紙のようなもの、『画面』が現れた。
アリシアは『画面』に視線を向けたまま、『王宮使用人への推薦を持ちかけられたので是非の判断が欲しい』という内容の文章を頭の中に浮かべながら『画面』へ文章を流し込むように意識する。すると頭の中の文章がそのまま『画面』に表示されていく。内容に間違いがないか確認してから、『アリシア=クロス=サリヴァン』と最後に追加して、緊急報告の送信の呪文を小さく唱えた。
(よし。じゃあいつもの報告)
常時報告用の呪文を唱えると、『画面』に一覧が表示される。日付、時間帯、大項目、中項目、小項目、場所など、細かく入力項目が分かれている。こんなに細かく項目を入力しないといけないのは、欲しい情報を探す時に絞り込みしやすいからだとか。
この『画面』は術者にしか見えないので、時間や概要は都度仕事の合間を見てこっそり下書きをしている。そこに緊急報告の入力と同じ要領で、今日あった事を『画面』へ詳細に入力していく。そして最後に記入者氏名の欄へ、同様に『アリシア=クロス=サリヴァン』と入力して、書き込みの呪文を唱えた。
一覧の下に表示された『書き込み完了』の文字を確認すると、アメリア・・・もとい、アリシアは『画面』を閉じる呪文を唱えた。
いつもなら他の諜報員から上がった報告に目を通すのだが、今日はソワソワして頭の中に入ってこない自覚があった。なので今日の分は後日読むことにして、天井を見上げた。
ちなみに緊急報告の返信は『緊急連絡』という形で返ってくる。『緊急連絡』が届いた場合は、『画面』を閉じていても強制的に表示される。
(まさか王宮とはね)
アリシアは寝返りをうって壁の方を向くと、ゆっくりと息を付いた。シンプルな白い壁を眺めながら、腕を抱え込む。
(この国に潜入したのが今年の4月。今は10月だから・・・まだ半年か。心臓が持つかなぁ)
この国に潜入した当初、ボロが出て怪しまれないかと、魔人と会う度に緊張していた。人里離れた場所で育ったという設定なので、この国の事をあまり知らない点に関しては怪しまれてはいない。むしろ親切心で、使用人仲間たちがいろんな事を教えてくれるのがありがたかった。時々知らない事で揶揄われたりもするが、それも好意前提のお遊びであり、基本的にこの屋敷の使用人は皆良い人だ。働きながらこの国の常識を少しずつ知り、ようやく慣れて余裕が出来たところだったのに、今度は王宮だ。王宮の使用人になったら、魔王に会うこともあるだろう。
(魔王・・・ギルベルト=ファーベルク、か・・・)
黒髪に赤い瞳を持つ、この国一番の魔力の持ち主だ。そんな人物が住む場所で働く事になるとは、全く持って想像もしていなかった。
魔王ギルベルトは穏やかな性格だと聞いているが、もし自分の正体がばれたら。その上捕まったりしたら、間違いなくただでは済まない。想像しただけで不安と緊張から心臓が早打ち始める。お風呂は済ませたのに、嫌な汗までかきそうだ。
アリシアは不安を誤魔化すように腕を擦った。嫌な想像を頭から追い出すように深く息を吐いて、現実に戻ろうと頭の中を切り替える。
(恐らく王宮使用人になる許可は下りるはず)
王宮使用人への推薦の話は、緊急報告として上げた瞬間、権限を持つ関係者達の目の前に強制的に『画面』が開き、通知がされたはずだ。今この瞬間にもあちらで話し合いがされているだろう。関係者達は大騒ぎしているに違いない。
(だって、魔国の王宮に潜入する機会を得たのだもの。この500年間で初めての事よ)
そう思うとアリシアも興奮を覚える。その初めてが自分になるのかもしれないのだから。
アリシアはドキドキしていることを自覚しながら、先程の緊急報告を読んだであろう人物たちを頭に思い浮かべる。
(まずは精霊神様。エルフの長とご子息のユウヤ様。神聖ルアンキリ国王陛下。王太子シルヴァン殿下。あとルアンキリ国軍総帥の第三王子のバティスト殿下もね。他は・・・あとは関わりない人だから顔を知らない人達かな)
久しぶりに思い出した顔もあって、皆さん元気かな、などと暢気なことを思う。
この魔国ティナドランと敵対する勢力である人類連合。そのトップである精霊神とエルフの長親子をアリシアが知っているのは、母がエルフだから。
そしてその人類連合の代表国である神聖ルアンキリの上層部まで知っているのは、父オーウィン=グレヴィ=サリヴァンがルアンキリ国軍の将軍だったから。その父の伝でアリシアも何度か王族と会うことがあった。
そんな二人の子であるアリシア=クロス=サリヴァンは、神聖ルアンキリ国出身のハーフエルフだ。母に似たアリシアは、金髪碧眼に白い肌、長い耳を持つエルフな容姿だが、今はアメリア=レッツェルと名を偽り、精霊神に体の色素を変えてもらっている。魔人と同じ暗い色である茶髪に黒目、褐色肌になり、この魔国ティナドランに諜報員として潜伏中なのだ。魔人にはとんがった耳を持つ人もいるので、アリシアの耳も特に目立ってはいない。
アリシアの家、サリヴァン家は元々歴代優秀な軍人を輩出してきた名家だが、オーウィンはサリヴァン家だけではなく人類連合全体の歴史にも残る、傑出した人物だった。人類最強、人類の希望とまで言われた。
魔国ティナドランが侵略を始めて500年。南に位置するアリオカル大陸の南西に住んでいた魔人たちは、周辺の国々を滅ぼし、ジワジワと北東へと戦線を移動してきた。そしてついにアリオカル大陸と細く陸続きになっている、ストロフィア大陸にまで乗り込んできた。ストロフィア大陸はアリオカル大陸の北に位置し、人間の国々が占めている。そしてストロフィア大陸最南端にあった国が攻められて滅びたのは今から32年前。
大量の難民が流れ込み、次は神聖ルアンキリ国だという時に、頭角を現したのが当時まだ26歳のオーウィンだった。
元々剣術も精霊術も群を抜いていたオーウィンだったが、軍の指揮を任された途端、勢いづいていた魔国ティナドラン軍を蹴散らした。そしてその年のうちに、ストロフィア大陸とアリオカル大陸の境目まで押し返したのだ。これまで魔国ティナドラン軍をこれほど大きく押し返せた歴史は無く、人類史上初の快挙であった。今でも戦線はその辺りでキープされている。
それ以降、『サリヴァン将軍』の名は人類連合の国々だけでなく、魔国ティナドランにまで響き渡った。アリシアが潜入してから半年経ったが、その間に何度もその名前を聞いている。魔人達はオーウィンの事を恐怖の大王のように言っていて、実際の父の姿を知るアリシアは笑いそうになることもあった。
しかしそんな父オーウィンも、2年前に魔国ティナドランに討たれて亡くなった。
殉職の知らせを聞いたアリシアは、父が出陣する度に覚悟はしていたものの、沸き上がる悲しみに耐えきれず、何度も泣いた。
オーウィンは将軍だけあって険しい雰囲気を持ち、一見近寄り難さを感じる人物であったが、その実とても優しい人だった。アリシアはそんな温かく優しい父の笑みが好きだった。
(父さん・・・)
祖国の人達の顔を思い出している中で、父の事を思い出したアリシアは、ジワリと目が潤み、慌てて枕に顔を突っ伏す。嗚咽を漏らすような泣き方をしたら、同室のメイドにまた心配されてしまう。彼女には父を戦争でなくした、とだけ話している。
(もう2年も経つのに・・・まだ昨日の事みたいに思い出せる)
抑えても抑えても、ふとした瞬間にもう父はいないのだと実感してしまう。2年経った今ではそれも落ち着きつつあるが、一度思い出してしまうと、いまだに悲しみに襲われる。
あの大きなゴツゴツした手で沢山頭を撫でられた。無骨な軍人といった見た目だが、家族には優しく穏やかな笑みを見せていた。将軍職で忙しいにもかかわらず、アリシアの他愛ない話を「そうか」と相槌を打ちながら、ニコニコして聞いてくれた。アリシアがお転婆をして怒っても、必ずその理由を聞いてくれた。そしてそれが誰かのためだと知った時、「やっぱり俺達の娘だな」と言われるのが誇りだった。
それらがとても幸せな事だったのだと、父を失った悲しみの中、しみじみと感じた。
そして同時に、もう二度と父と話すことが出来ないのだと思い知った。
もっと沢山話したかった。もっと一緒にいたかった。家族全員そろってお出かけもしたかったし、父が母と幸せそうに笑い合う姿ももっと見たかった。どんどん強くなっていく兄と父の手合わせも見たかった。自分の護身術の稽古もまだまだつけて欲しかった。戦術を磨く弟と父との戦略談義も聞きたかった。
そして何よりも、もっと親孝行をしておけばよかった。
悲しみに次いで切なさや寂しさ、後悔が心を占めていく。そしていつも、視界が歪んではポロポロと涙が落ちていくのだ。
(ダメダメ。父さんに心配かけちゃうから)
今は敵国に潜入しているのだ。そしてアリシアには目指す未来があるのだから、いつまでも泣いてはいられない。
危険を冒してまで敵国に潜んで諜報をしているアリシアの目的。それは戦争のない時代だ。
創世神ルアンはこの世界を楽園にしたかったという。過去に楽園期と呼ばれる時代もあったと学校で習った。知識では知っているが、体感したことはない。一体どのような世界だったのだろうか。
(きっと心穏やかで、今みたいに戦争の憂いもなくて。世界旅行も気軽に行けてたって話だし、治安も良かった・・・どころじゃなくて、ほとんど犯罪もなかった。良いなぁ)
今の世界情勢を鑑みれば夢物語だが、本当に過去にそんな時代があったのだ。
(今のこの世界は・・・・・・悲しみに満ちている。そしてそれに、皆慣れてしまった・・・)
アリシアは父が亡くなってから、ずっと考え続けた。父一人がいなくなっただけで、母も兄も弟も、そして自分も苦しみ、悲しみ続けている。つらくてつらくて、しばらくは何も手につかなかった。
しかしこの感情は自分達だけのものではない。この戦争で家族を失った者は皆、同じように味わっているのだと。そしてそれが500年も続いている。
そして人類連合側だけが感じていると思われていたその感情は、敵国ティナドランでも同様だったのだ。
先に潜入している諜報の先輩達からの報告では、魔人達も大切な人を亡くす悲しみを感じているとあった。そして魔人全員が戦争をしたがっている訳ではないとの報告もあった。
(実際に魔国に来てみたら、私達と何も変わらなかった。侵略も彼ら自身の望みじゃない)
確かに侵略しているのは魔国ティナドランだが、それは魔神エルトナの命で行われている。何故そんな命が出されているのか、一般の魔人達は知らない。
そしてこの魔国ティナドランには魔神背信罪という罰則がある。魔神エルトナは普段から慈愛を持って魔人に対しているので、普通に暮らしている分にはなんら問題にならない。しかし侵略を反対するとこの罪に問われる事になるので、魔人達も侵略を止めたくても止めようがないのだ。
祖国神聖ルアンキリでは魔人に戦争の恨みつらみを押し付けて、魔人は悪だと言い張る人も居た。しかし魔国ティナドランの魔神背信罪という制度を知り、直接魔人に接した今は、それは違うとアリシアは考えている。
アリシアは父からよくよく言い聞かされてきた言葉が頭に浮かんだ。
『戦争というものは互いに血を流すものだ。加害者であると同時に被害者でもある。軍人の俺は、いつでも覚悟が出来ている。たとえ俺に何かあっても、お前たちは恨みを持つな。お前たちが守りたいものを、大事だと思うものをその心に持て』
その通りだと、アリシアは深く共感している。
父は戦場で討たれて亡くなったが、その父も戦場で沢山の魔人を倒してきた。自分が討ちとった魔人達、そして殉職した同僚や部下達を思い出しては辛そうな顔をする父を思い出す。殺さなければ殺される、そんな状況下ならば、どちらも戦争という魔物の犠牲者だ。
大事なのは失った責任を追求し、誰かを恨む事ではない。失った人の気持ちを知り、志を継ぐ。そして自分が望む未来にするために、努力を怠らない事だと、アリシアは信じている。
しかし一方で、これ以上家族を戦争で失いたくないと、切望しているのも事実だ。
サリヴァン家は代々軍人を輩出している。兄エンジュも軍人となり今は連隊副長を務めている。若いながらも父仕込みの腕と戦術を買われてのことで、各国の国軍の上から3番目の重要な地位だ。そして弟ダーマットは戦術司令部に所属している。兄は常に、弟も不測の事態があれば命を落としてもおかしくない立場にいる。
誰も戦争で悲しむ事のない世界が欲しい。その願いを叶える為、アリシアはこの魔国ティナドランに諜報員として潜入することに決めた。どうすれば戦争を止める事が出来るのか、その情報を求めて。
アリシアは家族を思い出しつつ、眠気に負けてうつらうつらとしていたが、突如表示された『画面』を見て一気に目が覚めた。そこには『緊急連絡』と赤文字で表示されていた。
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