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第2章 クラウスと国家動乱

37 魔王ギルベルト

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 クラウスはギルベルトの執務室へ向かいながら、リーゼから聞いた話を反芻していた。

(アリシアがコーヒーの知識を隠していた、か)

 彼女は諜報員だ。任務の為に目立たないよう、どこで学んだか調べられないように秘密にしていたのだろう。
 
(だが、近い内に王宮でコーヒーが飲めるようになる)

 あのアリシアが合格を出していたなら、リーゼも既に充分な腕前なのだろう。現在唯一コーヒーを淹れられる王宮使用人はシェフのみ。しかしリーゼはパーラーだ。彼女が認められれば、これ程都合の良いことはない。これはコーヒー好きなギルベルトが喜ぶだろう。

(アリシアの影の功績だな)

 クラウスがニヤリとした瞬間、前を歩いている侍従が魔王の執務室のドアを開けた。タイミングが良いのか悪いのか、ギルベルト=ファーベルクの赤い目とバッチリ合った。

「なんだ。機嫌が良さそうだな」

 執務机に座って片手に書類を持っているギルベルトがふっと笑う。

「まあな」

 クラウスは軽く流し、勧められる前にさっさとソファに座る。侍従は何も言わずに頭を下げて部屋を出るとドアを閉じた。幼い頃からここに通っているクラウスは、これが通常運転だ。

 ギルベルトとの関係は、クラウスが10歳の時から始まった。突然父ライナルトに連れられて登城し、自分は魔王ディートリヒ=ファーベルクに用事があるからと、クラウスをギルベルトの部屋に置いていった。
 当時22歳のギルベルトも、まだ10歳のクラウスを部屋に置いていかれ、二人して途方に暮れた。
 しかしギルベルトは当時から魔術の天才と言われていた。魔術に興味津々だったクラウスは、ギルベルトから様々な魔術を学んだ。共に研究したり、魔術の試行錯誤をしたり、魔道具を造ってみたり。

 後から知った事だが、ギルベルトは”魔王の息子”ということで同世代から距離を取られていた。ギルベルトも寡黙な性格だったため、友人と言える存在が出来なかった。父ライナルトはそれをずっと心配していたらしく、12も歳は離れているが、いないよりは良いだろうと、息子が10歳になった時に引き合わせたそうだ。

 そうして共に過ごし、歳を重ね、ギルベルトは魔王、クラウスは将軍となった。今も関係は変わらず、年の離れた兄弟のように接している。

 ギルベルトは目の前のソファに遠慮なく座った弟分を眺め、手に持っていた書類を机の上に置いた。

「で、今日はどうした」
「時間は大丈夫か?」
「書類を片付けながらでもいいならな」

 言外に『来客予定はない』と言うギルベルトに、クラウスはフッと笑う。クラウスが大事な話をする時は仕事の手を止めるくせに、いつも『片手間なら相手してやる』というスタンスを取る。相変わらず素直じゃない。

「結界を張りたい。小さいのでいい」

 クラウスの言葉にギルベルトはピクリと反応した。

「内緒話か」
「ああ」
「好きにしろ」

 お許しが出たので、クラウスは防音結界の呪文を唱えた。ギルベルトの執務机と、その前にあるクラウスが座るソファとローテーブルのセットをギリギリ覆うサイズだ。
 魔王の執務室前は人が行き交う。稀に慌てた使用人が入ってくることもあるため、突然ドアを開けられても聞こえない様に、ギリギリサイズが都合良いのだ。

「昨日は例の娘に褒賞を渡すと言っていたが、上手くいったのか」
「・・・どうだろうな」

 揶揄う様に言うギルベルトに、クラウスはため息をつきながら応えた。その様子に、む?とギルベルトは眉を寄せた。

「逃げられた」
「あ?」

 思っていたより小さい声になってしまった。ボソリと言ったせいで、ギルベルトの耳まで届かなかったようだ。
 クラウスは頭に手を当ててワシワシと髪をかき混ぜる。

「逃げられた」
「あ?」

 今度ははっきりと言葉にしたが、同じ反応を返された。クラウスは呆れ顔でギルベルトを見やる。

「お前、もう少しボキャブラリー増やせよ」
「何故お前にそんな気を使わんとならん」
「いや・・・まあ、確かにな」

 クラウスは頭から手を離すと、ソファの背もたれに片腕をかけて後ろへ体重を預けた。

「姿を消す可能性は考えてた。だから探索術をかけたネックレスを渡したが、突然反応が消失した」
「ああ、昨晩のお前の探索術はそのためか。大陸の半分ほどだったな。それでも見つからんのか」

 相変わらず鋭い。魔力を薄く広げる術なので、本来なら気付かれない。クラウスは内心舌を巻いた。

「転移術で長距離を移動したと予想している。ブリフィタに方向を示させたら、北東を指した」
「・・・ああ、なるほど。いいぞ。というかさっさと手を付けろ」
「・・・まだ何も言ってない」

 クラウスはソファから体を起こし、ジト目でギルベルトを見る。

「話が早くていいだろう」
「思い違いでもしてたら大事故だろうが」
「俺とお前が?」

 馬鹿らしい、と鼻で笑うギルベルトに、クラウスは額に手を当てて項垂れた。

「あのな・・・」
「脱走兵の調査ついでに、その娘を探しに行きたいんだろう。違うか」
「・・・違わないが、少しは俺に言わせろ」

 はあ、と大きなため息をついて、クラウスは額にから手を離してギルベルトへ顔を向ける。呆れた顔を向けると、目が合ったギルベルトから問われる。

「いつから行く予定だ」
「・・・やりかけの仕事をデーべライナーに渡すのと、これから連れていく奴らに出発準備させる。明日の午前だな。調査範囲が広くなるだろうから、数日掛かる」
「分かった」

 ギルベルトは頷くと、執務机に肘をついて頬杖をする。

「で?何で逃げたんだその娘は」

 ギルベルトの問いに、クラウスはグッと言葉を詰まらせた。

「・・・・・・拘束して尋問に掛けないと約束してくれれば話す」
「なるほど。拘束して尋問に掛けられるような事をしていたか」
「してない」
「お前が今そう言ったんだ」

 クラウスがジロリと睨むと、ギルベルトは楽しそうな声で指摘する。この男はこうして真顔で言葉遊びをしながら、クラウスの反応を楽しんでいるのだ。つい半目になってしまう。

 クラウスは息をつくと、手を組んで両肘を膝に乗せる。少し前かがみになってから口を開いた。

「諜報員だったんだ。誰が放ったのかは分からない。ただ目的は聞いた」
「ほう・・・諜報員か。だがお前の事だ。無害なんだろう?」
「・・・戦争を止めるための情報収集をしていたようだ」
「・・・なるほど。少し待て」

 ギルベルトはそう言うと、頬杖を付いたまま目を閉じる。10秒ほどで再び目を開いた。

「放置で構わんらしい」
「・・・魔神エルトナか」

 今目を閉じていた間に、ギルベルトは魔神エルトナと会話をしていたようだ。

 魔神エルトナとの会話は伝達魔術のように脳内に言葉が流れてくるのではなく、その瞬間の意識や映像を共有し合うものらしい。神と意識の共有をするわけだから、波長が合わないと難しい。その上魔力も必要となる。無理矢理繫げることは出来るが、その分魔人に負担がかかるとか。
 そんな訳で今、国内で魔神エルトナと会話が可能なのはギルベルトとエレオノーラのみとなっている。

「魔神エルトナは、彼女が諜報員だと気付いてたのか?」
「その娘の行動範囲は王宮と使用人宿舎だろう。エルトナなら気付く。曰く『悪意もないし、情報も流されて困るものもない。全然問題ないわ。それよりとても可愛い子ね、クラウス頑張って』だそうだ。まあ精々振られんように頑張るがいい」
「ぐっ・・・!」

 ニヤリと笑って軽口を叩くギルベルトに、クラウスは思わず組んでいる手に力を込めた。魔神エルトナにそんな事を言われる日が来るとは。しかもギルベルトは面白がっている事を隠さない有様だ。クラウスはやり返したい思いで言い返す。

「一応想いは通じてる。お前こそ誰か早く見つけろ。もう41だろうが」
「俺はいい。父の代にファーベルク本家から離れてる。あっちで血を繋げれば問題ない」
「そういう問題じゃないだろ・・・。いいぞ。好きな女と気持ちが通じるのは」
「逃げられてるじゃないか」
「・・・・・・うるさい」

 逆にやり込められ、クラウスは結界を解いて無言で立ち上がった。

「何かあればデーベライナーに言ってくれ」

 そのまま執務室を出ようとしたが、思い直した。クラウスは王都を離れる際のいつもの言葉をギルベルトに残していく。

「ああ。気をつけて行って来い。探しに行ったお前の方に何かあっては意味が無いからな」
「もちろん。俺が脱走するような奴らに遅れを取るわけがないだろ」

 勝気な笑みを湛えて言うと、ギルベルトに背中を向ける。部屋を出ようとドアノブに手をかけたところで、背後から声がかかる。

「戻ったらその調査報告は早くあげろ。そろそろ限界だ」

 クラウスはピタリと止まり、後ろを振り向く。

「・・・分かった」

 ギルベルトの言いたい所を理解したクラウスは、神妙な顔で頷いた。
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