落月後宮溺愛譚~救国の兎、皇帝陛下の寵妃となる~

あかね真凛

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3 どん詰まりの後宮妃

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「どうぞ、月鈴様。気持ちを落ち着かせる薬湯です」
「ありがとう」

 遥か遠い、地平線の彼方まで続いていそうなほどの塀に囲まれた、後宮。
 ひと回りするなら、外周だけでも私の足で数日はかかりそうだ。
 きらびやかに咲き誇る女の花園――の、外れにある狭い一角。
 陽当たりの悪い、北風吹きすさぶ、人の出入りの少ない場所。
 その端っこの、隅っこの、どん詰まり。
 
 ここが、私の住まいだ。
 
 「いくら嬪の立場とは言え、あの女の娘であるアンタに、そんな金をかけてやるものですか」
 
 耳にタコができるくらい聞かされた、義母の金切り声。
 言行一致、ここに極まれり。
 さしたる後ろ盾も持ち得ぬまま入宮した、私には似合いの設えだそうだ。

「月鈴様、御髪を直しますね」
「ありがとう」
 
 翠花が手渡してくれた小さな手鏡。それに映る自分を見つめる。
 木に登るは、つむじ風にかき回されるはで、髪はめちゃくちゃなことになっている。

「いたっ」
「ああ、すみません! 櫛に引っかかってしまって」
「い、いいのよ。手間を取らせて悪いわ」

 いくら翠花が丁寧に梳ろうとしてくれても、元の素材が素材だ。
 一応、お手入れはしているつもりなんだけれど……
 
 つん、と引っ張られる痛みに目をつむりながら、手鏡の中を見つめる。
 最低限の手入れだけで取り繕った、艶のない黒い髪。
 まつ毛が長いわけでもない、何の変哲もない黒い瞳。
 こめかみのあたりが痒いと思って、前髪を上げてみたら、虫刺されではなく擦り傷ができていた。
 枝が掠ったんだろう。
 
 木登りだの、植え込みに潜ったりなんぞしているせいで、この通り生傷は年中無休。
 もちろん、宝飾品とは縁がない。
 肌身離さず身につけているのは、母から受け継いだ乳白色の耳飾り――の片割れだけだ。
 どこかの妃の、ううん、その侍女の方が華やかな装いをしている。
 主人がこれなせいで、侍女の翠花はもっと質素だ。
 申し訳ないと、これだけは伏して詫びるしかない。
 
「お待たせしました。沐浴の時間が近いので、軽くまとめるだけにしておきましたよ」
「そうか、もうそんな時間なのね」

 くるりと上でまとめて、簪で止められた髪。
 確かにこれで充分だ。
 
「ありがとう。それならそろそろ支度を始めないとね」
「えっ、そんな!」
 
 立ち上がろうとした私を、翠花が留める。

「ここから浴場までは距離があるもの。早めに支度しないとお湯にまであぶれてしまうわよ」
「そ、それはおっしゃる通りなんですけど……せめて、薬湯を済まされてからにしましょう。少しお休みなさいませ。あんなに高い木に登られたんですもの! あたしなんてまだ胸がざわざわ致します」

 そう早口に言った翠花は、胸に手を当てて大きく深呼吸している。
 気遣いはとても有難い。
 けれど首を横に振った。

「駄目よ。決められた時間は守らないと。律を乱しては貴方まで罰を受けるわ」

 中には特別待遇という名のわがままが通る妃もいるけれど、それは陛下に近い妃の話。
 名簿に載っているかどうかも怪しい、私ふぜいでは配慮などしてもらえるはずもない。
 そもそも、木登りしたのは私の勝手なんだし。
 
「うう……月鈴様ったらこんな境遇なのに、どこまでも真面目すぎますよう」
「ありがとう。そのくらいしか取り柄はないもの。だから、毎日お湯が頂けるだけ有難いと思うようにしているの」
「謙虚すぎますって!」
「そう? そこまで欲がないわけじゃないのよ。これは一石二鳥なの」

 含みを込めて笑えば、翠花はきょとんと目を丸くする。
 内緒話をするように手で口元を隠して囁いた。

「私がきちんと時間を守って沐浴に行けば、翠花だってあたたかいお湯が使えるの。翠花にだって、清潔で健康でいて欲しいから」

 ぶわり、と翠花の目に涙が浮かぶ。

「ゆ、月鈴様あ……!!」

 ひし、と抱き着いてきた翠花の背を抱いて、よしよしとなだめる。
 妹のような――を通り越して、大きな娘のようだ。

「そんな、いいんですよう! あたしのことなんてそこまで気になさらずともっ」
「だって、翠花と私は乳きょうだいじゃない」

 翠花のお母様は私の母の侍女だった。親娘二代で仕えてくれている、大切な存在だ。
 侍女とではなく、姉妹として接してくれても構わないくらいだ。
 ぐすん、と鼻を鳴らした翠花が、ゆっくりと体を離す。
 落ち着いたみたいだ。
 
「わかりました……それでは支度に移りますね」

 袖で目元を擦っていたのは少しの間だけ。
 てきぱきと沐浴用の着物や手ぬぐいを用意していく手つきは、いつもの有能な侍女のそれだ。
 
「ほんと、規則ばっかり立派にされても困りますよねえ。沐浴も陛下がいらっしゃるための準備――だなんてわかってますけど、一度もこちらにお渡りにならないじゃないですかあ! 毎夜、後宮へお通いらしいけど、あたしなんて陛下の影ひとつ見たことないし……」
「翠花」
 
 翠花の動きがぴたりと止まる。
 
 「あー……っと、いけない! また喋り過ぎてしまいました!」

 そう、翠花の数少ない悪癖――それは、お喋りが過ぎること。

 彼女の主人たるもの、しつけをきちんとしなければいけないとわかっているけれど――ぺろりと舌を出して、自分の額をぺちんと叩く仕草は、とても、すごく、非常に可愛らしいのだ。
 だから、ついつい甘くなってしまう。でも、これは私のせいじゃない。翠花が可愛いのがいけないのだ。
 
「ええっと、湯上り後のお飲み物、準備してきます!」

 そそくさと一礼して、翠花は部屋を出ていった。
 薬湯が入った碗を手の中でゆらゆらと揺らす。
 
「これ、苦いんだよね……」
「あっ! 月鈴様! それ、きちんと飲んでくださいねー!」

 壁に耳あり扉に翠花あり、だ。
 びっくりして取り落としかけた碗を両手に持ってぐいと呷る。

 苦味が口じゅうに広がらないように、舌をすぼめて飲み干した。

「に、がい……!」
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