暗殺令嬢は標的の王太子に溺愛される~欲しいのは愛ではなく、あなたのお命です~

葵 すみれ

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28.最後の晩餐

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 ハーテッド辺境伯領への視察は、わずか二日後に出発だった。知ったのは夜だったので、実質的に準備期間は一日となる。
 一度ヘイズ子爵家に戻ろうかと思っていたアイリスだったが、そのような余裕はなくなってしまった。

「長旅になるからな。しっかり準備しておけ」

 どうせ自分の準備など大したものではないと思っていたアイリスだが、朝に準備を始めたところで、部屋を訪れたレオナルドからそう声をかけられる。
 予定では一月もかからない程度のはずなのに、長旅なのだろうかと、アイリスは疑問を抱く。

「今日の夕食はカトリーナも含めて三人ですることにしよう。それでは、また後ほどな」

 だが、問いかける間もなく、レオナルドはそう言い残して去っていった。
 含みを感じて不安になりながらも、アイリスは準備をする。
 もともと着の身着のまま王太子宮を訪れ、そのまま滞在しているアイリスは、元からの私物などない。
 王太子宮に来てから与えられた物ばかりで、それらから必要そうなものをまとめれば終わりだった。

 どことなくそわそわとしながら、やがて少し早めの夕食の時間となった。
 場所は以前にも三人で食事をした小離宮だ。
 レオナルドがアイリスを迎えに来て、共に向かう。
 二人きりで歩きながら、いっそ今尋ねてみるべきだろうかと思いながらも、結局アイリスは口にすることがなかった。
 明日になれば、同じ馬車で二人きりになるのだ。今はカトリーナとの食事を台無しにしてしまいかねないことは、避けるべきだろう。

 小離宮には、すでに侍女に連れられてカトリーナがやって来ていた。
 アイリスとレオナルドの姿を見ると、カトリーナは顔を輝かせる。三人での食事を楽しみにしていたようだ。

「アイリスさまも視察にいらっしゃるのね。私も行きたかったですわ……」

 残念そうにカトリーナが切り出す。

「カトリーナが行くと意味が変わってしまう。今回は諦めろ。だが……早めに、ハーテッド辺境伯領で暮らし始めるというのは良いかもしれぬ。カトリーナにとっては向こうのほうが、王都より暮らしやすいだろう」

「んん……でも、ハーテッド辺境伯領に行ってしまうと、アイリスさまとは会えなくなってしまいますわね。だから、それはまだ先のことでよいですわ」

 レオナルドの提案を、カトリーナは無邪気に切り捨てる。
 その言葉を聞き、アイリスは胸に鈍い痛みを覚える。
 おそらく今回の視察は、帰ってくることがない終の旅だろう。その先に道が続いていることを疑いもしないカトリーナを、置いていくことになるのだ。
 今は、いわば最後の晩餐となる。

「……カトリーナさまは、ハーテッド辺境伯のご嫡男とはお会いしたことがございますの?」

 どうにか思いを振り払おうと、アイリスは違う話題を持ち出す。

「ええ、一度だけお会いしたことがありますわ。口数は少ないけれど、とても温かい方だったことを覚えております」

 カトリーナの答えを聞き、アイリスはなるほどと頷く。
 他人の本性を見透かすというカトリーナがそういう印象を抱いたからこそ、レオナルドも縁談を進めたのだろう。

「それに……実は、お顔も私の好みで……」

「まあ……」

 頬をうっすらと染めて恥じらうカトリーナを見て、アイリスは微笑ましく、幸福な気分がわき上がってくる。
 政略結婚以外の何ものでもないと思っていたが、愛が芽生えるかもしれない。どうかうまくいってほしいと、アイリスは心から願う。

「そうか……それはよかった……」

 しかし、レオナルドは神妙な面持ちで呟くだけだった。
 喜んでいるとは思いがたい様子で、もしかしたら妹を奪われるようで寂しいのだろうかと、アイリスは内心で首を傾げる。
 レオナルドはそれ以上何も言うことなく、和やかに食事は終わった。

「お兄さま、アイリスさま、どうかお気を付けて行ってらっしゃいませ。無事のお帰りをお待ちしておりますわ」

「ああ……息災でな」

「はい……カトリーナさまも、お元気で」

 レオナルドとアイリスの答えに、カトリーナはやや首を傾げたようだった。だが、何も言うことなく、侍女に連れられて王女宮に戻っていく。
 それを見送ると、二人も王太子宮に戻る。
 二人は歩きながら、無言だった。アイリスは問いかけるような気になれず、レオナルドからも言葉はない。
 ただ、二人だけの時間をじっくり噛みしめるように、寄り添って歩いた。

「では、明日な」

「はい……」

 アイリスを部屋に送り届けると、レオナルドは去っていく。
 苦い思いを抱えながら、アイリスは自室に入る。

「あら?」

 すると、テーブルの上に小箱が置かれていた。カードが一緒に添えられていて、ヘイズ子爵からとなっている。
 アイリスが小箱を開けると、護身用らしき短剣が入っていた。

「これを使えっていうこと?」

 苦い笑みがアイリスの口元に浮かぶ。
 短剣を小箱から出すと、違和感を覚えた。アイリスがよく小箱を調べてみると、二重底になっているのを発見する。
 底を一つ取り外すと、そこには小瓶があった。透明な小瓶の中に、紫色の毒々しい液体が入っている。

「……そういうこと」

 王妃は、誰かがそっと近付いて毒でも使われたら危険だと言っていた。
 この短剣に毒を塗って使えということだろう。
 送り主はヘイズ子爵となっているが、義父もこの件に関わっているのだろうか。それとも、単に名を騙っているだけか。
 実際のところはわからないが、今はどちらでもよい。
 アイリスは震える手で小瓶を取り出し、両手で包み込む。じっと小瓶を見つめる瞳から、涙がこぼれ落ちた。
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