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01.良い姉
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「お姉さま! 私の分もやっておいてね!」
籠いっぱいに積まれた紅月果を見るなり、妹のリュシーは快活に叫んで逃げ出そうとした。
紅月果とは指先程度の小さな果実で、この地域の特産品である紅月酒の原料となる。
最上の紅月酒を作るため、良い実とそうでないものを振り分けるのが、クロエとリュシーの仕事なのだ。
「リュシー……」
「だって、手が汚れてしまうんですもの。なかなか落ちないし、私の綺麗な手にはふさわしくないわ」
咎める声を出すクロエだが、リュシーは悪びれた様子もない。
「そもそも、うちだって男爵家とはいえ貴族なのに、どうしてこんな仕事をしなくちゃいけないのかしら。白い絹とレースの手袋がほしいわ。労働なんて必要ない、本当の貴族の証である綺麗な手袋!」
リュシーは大げさに嘆きの声を上げる。
クロエとリュシーは、田舎の男爵家の娘だ。暮らし向きは裕福な平民とさほど変わらず、華やかなドレスとは縁遠い。
日々の労働に追われてはいないが、最上の紅月酒となる原料の選別作業だけは駆り出される。高貴な乙女の手によって選り分けられた、という宣伝文句のためだ。
「ああ……具合が悪くなってきたわ……私は休ませてもらうわね。じゃあお姉さま、後をよろしく」
そそくさとリュシーは逃げていった。
残されたクロエは、大きなため息を漏らす。
「……クロエ、今リュシーとすれ違ったのだけれど……またあの子はあなたに仕事を押し付けていってしまったのかしら。仕方のない子ね」
そこに、男爵夫人がやってきた。
彼女は後妻であり、クロエは先妻の娘となる。リュシーは腹違いの妹だ。
だが、家族関係は良好で、先妻の娘だからとクロエがいじめられるようなこともなかった。
「お義母さま、よいのです。リュシーにはこのような作業よりも、ダンスの練習や礼法の勉強をしてもらったほうが有意義ですもの」
「そうね……あなたは、とても妹思いの良い姉だわ」
クロエが微笑むと、男爵夫人も目を細めて優しく答える。
男爵家はクロエが婿を取って継ぐことになっている。リュシーには、もっと良い家に嫁いでほしいと義母が願っていることを、クロエは知っていた。
良い姉であることが、この家でのクロエの役割なのだ。
「クロエ、久しぶりだね」
クロエの婚約者であるジュストが男爵家を訪れた。
彼は子爵家の三男で、婿入りする予定となっている。
家同士が決めた婚約者であり、燃え上がるような熱い想いはない。だが、手紙のやり取りを欠かすこともなく、穏やかに愛を育んでいっている。
「王都で流行っているという石けんを持ってきたんだ。クロエに使って欲しい」
「まあ……ありがとう」
差し出された小箱を受け取り、クロエは心が温かくなっていく。
リボンのかかった小箱からは、ほのかな花の香りが漂う。開けてみれば、薄紅色の可愛らしい石けんが入っていた。
「可愛い……」
「これなら、手を洗う気にもなるだろう? もう少し、きちんと手を洗ったほうがいいよ」
しかし、ジュストの言葉でクロエは冷水を浴びせられたような衝撃を受ける。
温かくなっていた気持ちが、一気に落ち込んでいく。
「これは……」
クロエは恥ずかしくなり、自分の手を隠す。
紅月果の選別作業で、どうしても手に色が染み付いてしまうのだ。指先での感触を確かめる必要があるので、手袋をすることもできない。
洗ったくらいでは簡単に落ちることなく、どうしても数日残ってしまうのだ。
「大切な仕事をしているのはわかっているよ。でも、リュシーはいつ見てもきちんと手入れをしていて、綺麗だ。少し見習ったほうがいいよ」
「……っ」
それはリュシーが作業をクロエに押し付けて、何もしていないからだ。
そう叫びたい気持ちになりながら、クロエはじっと耐える。
良い姉として、そのようなことは決して言ってはならないのだ。
屈辱と苛立ちを必死に抑えつけるクロエだが、ジュストの言葉を思い返して、さらに引っかかりを覚える。
「……いつ見ても……?」
クロエがジュストと会うのは久しぶりだ。当然、リュシーとも会っていないだろう。
それなのに、まるでリュシーとはよく会っているような口ぶりだ。
すると、ジュストはしまったとでもいうように、焦りを浮かべた。
「い……いや、ええと……今日はこれを渡しに来ただけだから……それじゃあ、また来るよ……!」
ごまかして、ジュストは足早に去っていった。
あからさまに怪しい。クロエはジュストの後ろ姿を眺めながら、拳を握り締めた。
籠いっぱいに積まれた紅月果を見るなり、妹のリュシーは快活に叫んで逃げ出そうとした。
紅月果とは指先程度の小さな果実で、この地域の特産品である紅月酒の原料となる。
最上の紅月酒を作るため、良い実とそうでないものを振り分けるのが、クロエとリュシーの仕事なのだ。
「リュシー……」
「だって、手が汚れてしまうんですもの。なかなか落ちないし、私の綺麗な手にはふさわしくないわ」
咎める声を出すクロエだが、リュシーは悪びれた様子もない。
「そもそも、うちだって男爵家とはいえ貴族なのに、どうしてこんな仕事をしなくちゃいけないのかしら。白い絹とレースの手袋がほしいわ。労働なんて必要ない、本当の貴族の証である綺麗な手袋!」
リュシーは大げさに嘆きの声を上げる。
クロエとリュシーは、田舎の男爵家の娘だ。暮らし向きは裕福な平民とさほど変わらず、華やかなドレスとは縁遠い。
日々の労働に追われてはいないが、最上の紅月酒となる原料の選別作業だけは駆り出される。高貴な乙女の手によって選り分けられた、という宣伝文句のためだ。
「ああ……具合が悪くなってきたわ……私は休ませてもらうわね。じゃあお姉さま、後をよろしく」
そそくさとリュシーは逃げていった。
残されたクロエは、大きなため息を漏らす。
「……クロエ、今リュシーとすれ違ったのだけれど……またあの子はあなたに仕事を押し付けていってしまったのかしら。仕方のない子ね」
そこに、男爵夫人がやってきた。
彼女は後妻であり、クロエは先妻の娘となる。リュシーは腹違いの妹だ。
だが、家族関係は良好で、先妻の娘だからとクロエがいじめられるようなこともなかった。
「お義母さま、よいのです。リュシーにはこのような作業よりも、ダンスの練習や礼法の勉強をしてもらったほうが有意義ですもの」
「そうね……あなたは、とても妹思いの良い姉だわ」
クロエが微笑むと、男爵夫人も目を細めて優しく答える。
男爵家はクロエが婿を取って継ぐことになっている。リュシーには、もっと良い家に嫁いでほしいと義母が願っていることを、クロエは知っていた。
良い姉であることが、この家でのクロエの役割なのだ。
「クロエ、久しぶりだね」
クロエの婚約者であるジュストが男爵家を訪れた。
彼は子爵家の三男で、婿入りする予定となっている。
家同士が決めた婚約者であり、燃え上がるような熱い想いはない。だが、手紙のやり取りを欠かすこともなく、穏やかに愛を育んでいっている。
「王都で流行っているという石けんを持ってきたんだ。クロエに使って欲しい」
「まあ……ありがとう」
差し出された小箱を受け取り、クロエは心が温かくなっていく。
リボンのかかった小箱からは、ほのかな花の香りが漂う。開けてみれば、薄紅色の可愛らしい石けんが入っていた。
「可愛い……」
「これなら、手を洗う気にもなるだろう? もう少し、きちんと手を洗ったほうがいいよ」
しかし、ジュストの言葉でクロエは冷水を浴びせられたような衝撃を受ける。
温かくなっていた気持ちが、一気に落ち込んでいく。
「これは……」
クロエは恥ずかしくなり、自分の手を隠す。
紅月果の選別作業で、どうしても手に色が染み付いてしまうのだ。指先での感触を確かめる必要があるので、手袋をすることもできない。
洗ったくらいでは簡単に落ちることなく、どうしても数日残ってしまうのだ。
「大切な仕事をしているのはわかっているよ。でも、リュシーはいつ見てもきちんと手入れをしていて、綺麗だ。少し見習ったほうがいいよ」
「……っ」
それはリュシーが作業をクロエに押し付けて、何もしていないからだ。
そう叫びたい気持ちになりながら、クロエはじっと耐える。
良い姉として、そのようなことは決して言ってはならないのだ。
屈辱と苛立ちを必死に抑えつけるクロエだが、ジュストの言葉を思い返して、さらに引っかかりを覚える。
「……いつ見ても……?」
クロエがジュストと会うのは久しぶりだ。当然、リュシーとも会っていないだろう。
それなのに、まるでリュシーとはよく会っているような口ぶりだ。
すると、ジュストはしまったとでもいうように、焦りを浮かべた。
「い……いや、ええと……今日はこれを渡しに来ただけだから……それじゃあ、また来るよ……!」
ごまかして、ジュストは足早に去っていった。
あからさまに怪しい。クロエはジュストの後ろ姿を眺めながら、拳を握り締めた。
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