【完結】記憶喪失になった伯爵夫人の離婚

有栖多于佳

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可哀想なあなた

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湖畔の向こう側に、陽光に輝く薄い金髪を風に靡かせた女が大きな木の下に座っていた。
遠くから見ても美しい、その神々しいまでの美貌。
我を忘れて走り出した。


初めて逢った時の彼女は、ほんの子供の様であった。
今日からあなたの妻だと、彼女の叔父である宰相に告げられた時に見た彼女は、緩やかなウェーブの白金髪の髪を短く肩口で切り揃え、デビュタントの衣装のような白いウェディングドレスを身に纏っていた。

息をするのを忘れるような、美少女。
天使の絵画のような、ビスクドールよりも美しい造形美。
こんな子供を、この子の未来を自領の不手際を補うための政略結婚に利用するなんて。

なんとか領地の経営改善を必死に進めて、白い結婚で彼女に瑕疵を付けないように出来ないか、そう考えていたけれど、婚姻契約書には後継は彼女との子だけにしか認めないという文言が。

私は、どうしていつも女性を不幸にしてしまうのだろう。
学生時代から付き合っていた恋人も、優秀が故に女官の未来があったのに、私のせいでその夢は絶たれ。
伯爵領の建て直しをする為に自分は領地へ帰り、彼女は他家のメイドになって遠距離になってしまった。
あの時きっぱりと別れていれば良かったのに、領地の復興が進み彼女と寄りを戻し、領地へと呼び寄せてしまった。

結婚は認めないと言う両親の言い分にも反発もできず、ズルズルと彼女の時間を浪費している間に、領地で金山が見つかったことで、王命での婚姻を受け入れることになった。

自分にはパートナーがもう既に居ると反発していたはずなのに、いざ会ってみれば、デビュタントもしていない、貴族学院への入学もしていないあどけない少女が相手で。
こんな少女の未来を、大人の都合で、いや、キンバリー領の都合に巻き込んでしまってと自己嫌悪に苛まれた結婚式を終え、犯罪者のような気分で迎えた初夜。

可哀想な貴女。
こんな心汚い10も年上の男に汚されてしまって。
痛い気な美しい天使が堕天してしまった。
堕天させてしまった、私のこの薄汚れた手で。

可哀想な貴女。
せめて貴女の毎日が幸せで笑顔溢れるように。
契約通り子供を授かり、貴女を出来るだけ早く解放してあげるはずだったのに。

毎日毎日、美しく変わっていく、少女が色香のある大人の女に変わっていく様に、心汚い私は貴女に執着を覚えてしまった。
予定より早く、返済できる目処も立ち、貴女を汚してしまったせめてものお詫びにと慰謝料を積み上げていたのに。
貴女に言い出す事が出来なくて。

ズルズル過ごす日々に、時間だけが経過していく。

貴女に纏わりつく男の視線に嫉妬を覚え、貴女を私の中に閉じ込めたいと恋願うようになった頃、学生時代からの彼女は、自分の子供が欲しいと。小さな幸せな家庭を持ちたいのだと言って、別れを告げられた。

彼女の大事な時期を未来を、私のせいで摘み取ってしまった事を詫びて出来る限りの金銭を渡し、初恋に別れを告げた。

同じ時に、貴女から、遠回しに最愛の彼女の元へと行くように言われた。
強く頭を殴られた気分だった。
年も違う貴女が、自分の不貞を知っているとは思いもよらず、ただただ申し訳無さに項垂れた。
しかも、契約に書いた水曜から木曜は外泊せよと言われ、偶然貴女が避妊薬を飲んでいることも知った。

ああ、貴女はそろそろ解放されたいんだな。

それはそうだ、学院へも通えなかった貴女には友人と呼べる者もおらず、青春時代をただ私のせいで浪費させられただけ。
初めて会った時の少女の面影は無くなり、今は美しい大輪の花。
もしくは、天使が女神へと変貌を遂げたような、大人の美しい女へと変わった。

今、私と別れてもすぐに貴女を愛する男が列を成すだろう。
貴女はその中から素敵な男を選んで、恋に落ちて、私の知らない女の顔を向けるのだろう。

そう思うと、胸を焼き尽くすような嫉妬の炎が燃え盛った。
貴女はまだ私の妻だ。
貴女は、キンバリー伯爵夫人であり、私のものだ。
貴女に向かう不躾な男の視線も許せない。

恋も知らず、青春もなく、美しい時間を私に浪費されている可哀想な貴女。

手も離せずに時間だけが過ぎていく。
そんなある日、貴女が階段から落ちて頭を打ち、意識不明だと知らせが着た。

私が向かう別邸は、私だけが水曜日に一泊するだけの平民街にある殺風景な小さな家。
そこに仕事を持ち込んでは、朝から晩まで仕事をこなす。
他にすることも無いし、早く終えてしまえば週末は妻や子供達と過ごす時間を取れるから。

その道すがら、知らせを聞いてとんぼ返り。
階段でぐったりとして頭から血を流す貴女を見た時の恐怖といったら、言葉では表せられない。

客間へと慎重に運び、頭部の治療の為、美しい白金髪を切った。
ああ、とため息が出てしまう。
医師が切れた部位を縫い、薬を塗り包帯を巻いた。
骨折した左足にギブスを巻き、身体中の打撲痕に薬を塗布した。
それを固唾を飲んで見つめる。
意識は依然として戻らない。
打ち所が悪いと、夜中に急変して亡くなることもあると言う。

ああ、神様。
妻を、エレノアを連れていかないで下さい。
私のせいで何も楽しいことの無かったこれまでの人生をやり直せるように、どうか命だけはお助けください。

契約の水曜である。
約束を違えることはできない。
ずっと、違えて来てしまったが、エレノア、貴女が意識を取り戻したのなら、もうこの手を離すから、自由に好きに生きてくれ。生きてくれ、生きてくれさえいれば、もうそれで良いんだ。

何もない別邸の窓辺で、一心不乱に祈っていた。
そこへ現ハワード女公爵アイリーンがやって来たのだった。

「貴方、こんな所で何をしているの、エレノアは意識不明なのよ」

「知っています。今、神に祈っていたのです。エレノアの命を救って下さいと。そうしたら、この手を今度こそ離して彼女をきっと自由にするからと」

「貴方、随分前にあの彼女とは別れたのでしょう?彼女も別の領地で既に結婚しているのよね」

「そうなのですか、別れて以来彼女の事は特に知らなくて」

「なら、どうしてエレノアの手を離す必要があるのよ」

「キンバリー領の不手際のせいで彼女には不本意な婚姻を押し付けてしまった。彼女には得難い友を得る機会も、恋する学生時代も、最愛を知ることも全て手放させてしまった。彼女には自由に幸せに生きて欲しいのです」

「貴方が幸せにしてあげる気は無いの?」

「彼女は選べなかった。私を無理矢理押し付けられただけ。彼女にはもっと幸せを選ぶ機会を、自由を得て欲しい。生きていてくれさえすれば、彼女が生きていてくれさえすればそれで良い」

その翌日、彼女は目覚めたと同時に離婚の申し入れがあった。
私は、兼ねてからの準備していた通り、彼女の今までの献身に対する慰謝料を渡して、離婚届にサインをした。
彼女は記憶喪失になってしまったそうだ。

私と暮らした記憶は全て無くなってしまった。

それで良い、どうか、幸せになってくれ。


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