戦う聖女さま

有栖多于佳

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サトウメグミの一生

エピソード33 その3

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映美ちゃんのお姉ちゃん、バレー部の主将が卒業して学校を去ると、私は2年に進級した。

家は最悪な雰囲気が益々濃くなって、母はいつもイライラしてちょっとしたことでキレて怒鳴り散らすようになって、眉間には深いシワがいつも刻まれていた。



私は父へ持つ嫌悪感から家では口を開かなくなり、母の声を聞く度に吐き気を覚えるようになった。



青白い顔、細い体躯、慢性的な胃痛や頭痛、いかにもどこか悪そうな様子の私を学校も気にしているようで、保健教諭に呼び出されては度々家庭のことを聞かれたが、父親が元担任と不倫していて母親がヒステリーで毎日叫んでいます、とは言い出せずに黙って俯いていた。



兎に角家に居たくない私は学校へと逃げて、相変わらず早朝ランをして静かな教室で自習をしていた。

勉強をしている時は煩わしい親のことを考えなくて良かったので、頭がパンパンに腫れるような気がするまで英単語も数式も歴史年表も地図も暗記しまくった。

お陰で成績は上がったのだが、それを褒めてくれる親族は居なかった。



毎日の部活の自主練も同じ理由で続けたので、サーブはチームで一番上手になって、試合ではピンチサーバーに選ばれるようになっていた。



息を殺して、自分の気配を消して、母の目に留まらぬように過ごし、後数日で2学期も終了となる時期に、懐かしい人からメールが着た。



『春休みに実家に帰るんだけどメグちゃん会えますか?』



私立中に進学した初恋の彼から初めてメールが着た。

卒業式の時にお互い中学でも頑張ろうと言って、メールアドレスは交換していたけれど、なんて書いて送れば良いかわからずにそのまま時間だけが過ぎて、思い出になっていた彼からのメールに胸が弾んだ。



『会えます。日時がわかったら教えて下さい』

『なんで敬語?www』

『いや何となく。と言うかそっちが敬語だったからじゃん』

『だって送るのにキンチョーしたから』



繰り返されるやり取りに、嬉しくて頬が緩んだ。



(緊張してもメールしてくれたんだ)

そう思うと嬉しくて恥ずかしくて、顔が熱くなって、座っていたベッドの上にうつ伏せに寝転んで足をバタバタさせた。



ここ数年ぶりの気分の高揚を感じていた。



そのせいで母の気配を感じとるセンサーがオフされていて、不穏な気配に気付けなかった。



「おいって呼んでるのが聞こえないのか!お前なに遊んでんだ手伝えや!」

とても教職者、しかも言語を教えることを生業にしている者とは思えぬ粗暴な言葉を叫びながら、バンっとドアを開けて母親が入ってきた。



「お前、寝てたのか!手伝いも勉強もしないで何怠けてんだ!?あ?ケータイで話してたのか!?誰と?何を?見せなさい!!」

手にしていた携帯を目敏く見つけて、そう言いながら近づいてきて取り上げようとしたので、ガバッと起き上がりそれに購って後ろ手に隠した。



「親に見せられないことしてたの?援交か?お前援交してたのか!」

突然目を吊り上げ、金切り声を上げてエンコーエンコーと騒ぎ出した母に、



「止めてよ!援交なんてしてない。部屋から出てって!」

普段口も開かない娘が大きな声で怒鳴り返したことで、余計に火が着いたようで、母は

「親に向かってその言い草はなんだ!返しなさい。その携帯は私の物だから!」

と言って、肩を掴んで手に持った携帯を取り上げようとしたが、逆に私に胸を押されて突き飛ばされて、箍が外れたのか、すごい早さで手を振りかぶってバチンと大きな音が鳴る程、私の頬を叩いた。



私は、流石に手を上げられたことはなかったし、突然の衝撃に舌を噛んで口の中に血の味が広がった。



「あ、あ、あんた、お父さんに愛人がいるからって、わた、わたしに八つ当たりしないでよ!」

なんとかやり返してやろうと、ずっと心の奥に秘めていた重苦しいものを、母を傷つけるつもりで投げつけた。



「!!!」

その言葉に叩いた手を見つめていた母にまた火が着いて、

「煩い!お前、子供の癖に何言ってんだ!」

と馬乗りになってバチンバチンと頬を更に叩いてきたけど、今度は足をバタつかせて必死に抵抗した。

何度か振り回した拳が母のこめかみに当たったようで、



「イタッ」

と言って、手で覆った拍子に拘束から抜け出して、逃げなきゃ!という気持ちで携帯だけを握りしめて部屋を出て下階へと階段を降りようとした時、母が追い付いて、背中に強い衝撃をドンっと受けて、私は顔面から階段を転がり落ちたのだった。



ドタドタドドンと、大きな音を立てて玄関前の床に転がった私を追いかけて降りてきた母は、口に微笑を称えて、

「親に偉そうなこと言うんじゃないわ」

と、言いながら私を引っくり返してまた馬乗りになり、首に手をかけてゆっくり閉めていった。



(苦しい、痛い、苦しい、痛い、ああ死んじゃう、彼に逢えない)



目が霞み、涎が口の端から流れ落ちて、意識を失う瞬間、

「お姉ちゃんが死んじゃう。お母さん、止めて!」

妹の大きな泣き声と悲鳴が聞こえて、ピンポンピンポン、ドンドンドンドンとインターホンと玄関を叩く音がした。



意識を失って行く時に薄目で見たのは、私の首を絞めながら笑う母の満面の笑顔だった。





目覚めると白い天井とピンクのカーテンに仕切られたベッドの上だった。



母の大声と言い合う声、妹の泣き声に近隣の住民が警察に通報をしたことで駆け付けた警官に母は逮捕され、意識を失っていた私は緊急搬送されたらしい。



強く顔面を打ち付けたはずが、瞬間的に身を丸めて頭を庇ったようで、右の肩を複雑骨折、右足大腿骨骨折、頬骨亀裂骨折、脛椎亜脱臼に全身打撲と重体だったが、命に別状は無く翌日には目覚めた。



心意的な傷も考慮され、骨折が治ってからも転院して、心の回復を待つ時間を与えられた。



私は医師に今まで胸に秘めていた辛い思いを初めて話すことが許された。



長い間、暴力は今回が初めてだったけれど、毎日のように繰り返される暴言に弱っていたこと。父の不倫を知ってしまったこと。誰にも相談できなくて苦しかったこと。苦しくなると吐き気が起きること。ご飯を食べると余計に吐き気が昇って来るので食べないようにしていたこと。学校に逃げていたこと。



それら全てが、虐待と判断されて、現行犯逮捕されていた母は児童虐待で有罪となった。



母の暴挙を知っていて無視を決め込んでいた父、娘を諌めなかった母方の祖父母共に養育者不適格とされて、他県の父方の祖父母の家に引き取られるようになったのは、中学の卒業式の翌日だった。



あれほど私の避難場所として過ごしてきた学校に一年以上も通わずに卒業してしまったことが、悲しかった。

母親に殺されかけた私のトラウマはかなりのもので、精神不安から摂食障害と睡眠障害に常に悩まされるようになった。

処方された精神薬だけが頼れるもので、それ以外の何も信用できなかった。



父方の祖父母も、自分の息子が不倫して、しかもそれが娘の元担任との不貞行為で、そのせいで嫁が精神不安定になり、孫の殺害未遂を起こすという事件の関係者で、被害者の孫と向き合う生活に疲労の色を濃くしていた。



出席日数の足りない私は、NPOが運営している通信制高校のサテライト校に通うようになった。



そこには同じような親に虐待された子、学校でひどい虐めにあった子、親に育児放棄されてグレた子とか色々な背景のある子がいて、私は特別に浮くようなこともなく、髪を染めてピアスを開けた。

何個も何個もピアスを開けたけど、同じような子もたくさん居たので別に気にならなかった。



仲良くなった子と一緒に化粧をして街をぶらぶらして、たまに声かけてくる男の子と遊んだりしてフラフラして過ごした。



真面目で、一生懸命に耐えた結果が殺される結末なら、軽く緩く遊んでいた方がよっぽどましだと思った。



祖父母は何か言いたそうな雰囲気を出していたが、顔を見て何かを言うことはなかった。

夜遅く帰ってこようが、朝帰りをしようが、二三日無断外泊しようが、何も言わなかった。



もう私に期待する人は誰も居ない。

私は生きているけれど、あの日あの時、死んでしまったのだろう、そう思っていた。



だからバカな話をしていても、突然あの日の母の歪な笑顔が思い出されたり、過去の暴言が頭の中を巡ったり、父の不倫を知った日の絶望を追体験したり、フラッシュバックが何度も何度も起きると、苦しくて悲しくて独りぼっちで孤独で、



死んでしまいたい



そう思いながら、吐き続けた。



どこでも吐く、突然吐く、私のあだ名はミキサー車だった。

たまに会う知り合いがミキサーちゃんと呼んでも私は『はーい!』と機嫌良く返事をした。

吐くことは唯一、生を感じられた。



苦しみ、涙と鼻水と涎を溢しながら、吐き散らかしている時、私はこの世界を汚してやっていると言う加害者の気持ちでいた。



そこには居ない、母の、父の、元担任の、祖父母の、ムカつく誰かの、顔へと吐瀉物を投げつけてやるような気持ちでいたから、吐き終えると、スッキリして、なぜか気分も落ち着いたのだった。



私は病んでいたけれど、誰に非難される謂れがあるのだろうか。



こんな私にしたのは、私の周りにいた全てのせいだと、私は高を括っていた。
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