マスカラ〼カラッポ〼ポーチ

湖ノ上茶屋

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4.ミッション

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 そこは戦場と化しているのではないかという一抹の不安を覚えながら教室へ行くと、無言で扉を開き、そろりと中に入った。

「……はぁ」

 見た目にはいつもと何も変わらない教室だったから、思わず安堵のため息が出た。

 席につき、カバンの中を覗き見られないよう細心の注意を払いながら、荷物を整理する。ちらりと久米さんに目をやると、いつものメンバーでいつものようにケラケラと笑いながら話をしていた。

 掲示板に貼られている今週の授業予定表を睨む。

 行事のせいで時間割が狂っている。でも、四限目の体育は変更がない。

 だから私は、三限と四限の狭間でミッションを遂行すると決意した。

 不休の脳は悲鳴を上げながら、休みなくミッションの段取りを確認する。

 わずかしか使えない脳みそを授業と関係のないことに費やしているせいだろう、先生が言うことが少しも頭に入ってこない。

 こんな状態じゃなくても恥をかくことがあるっていうのに、こんな状態で指されたら、恥をかく未来しか見えない。

 ――指されませんように。

 と、祈りを捧げる。すると、神などいないと証明するかのように、先生は私の目を見て、私の名を呼ぶ。だから私は、

 ――指してください。

 と、ひねくれた祈りを捧げる。すると、神は存在し、かつ神もひねくれていると証明するかのように、先生は私を指さない。

 私は黒板に頭突きを繰り返すチョークのコツコツという音を聞きながら、ぼーっと考えた。ビクビクと怯えていると指されるけれど、堂々としているふりをしていたら指されない。つまるところ、教壇に立っているのはわかっていなさそうな学生に恥をかかせようとする意地悪な教師、という突発的自由研究の結論にたどり着いたとき、チャイムが鳴った。


 
 心ここに在らずのまま、ダラダラと三コマを消化した。真面目に聞いている時は蛍光ペンで鮮やかにメイクされるノートが、今日はモノクロで、しかも汚かった。

 見たくないものを隠すように、パタン、と勢いよく閉じる。

『着替えだるぅ』

 楽しそうに文句を言いながら、体育着に着替えるために更衣室へ向かう、人、人、人。

 教室の中が、からっぽになる。

 ――今。

 体育着袋の下にポーチを隠して、机が作り出すぐねぐねした道を歩く。久米さんのロッカーの近くにそっと、ポーチを転がす。さも、ころん、と転がり落ちたかのように。

 悪いことをしたからだろう。それとも、寝不足だからだろうか。

 鼓動が鳴る。手が震える。じんわりと汗が滲みだす。

 ハッとして、更衣室へ急ぐ。このままでは、授業に遅刻する。



「おーい、久米ぇ」
「なーにぃ、タケルぅ」

 あちらこちらから食べ物の匂いがする教室に、甘くて怠い声が響く。

「ちょっとこーい」
「うぃー」

 コッペパンをくわえた久米さんが、窓際の寺田くんの席までぐねぐねと進む。着くなりしゃがんで、上目遣いで、甘えるように彼を見た。

 呼びつけたくせに微笑むばかりの寺田くんを、久米さんが見つめている。フリスビーをとってきて、ご褒美を待っている犬みたい。

 心が毒を生み出すのを感じるのと同時に、ふと、寺田くんの視線が久米さんから私へと動くような予感がした。視線を自分のコッペパンにうつす。塗り慣れていない真っ赤なリップをぶちゅっとつけた汚い唇みたいないちごジャムを、狙いすましてかじりとる。

「ンゴッ!」
「お前、大丈夫か? これ飲む?」

 そっと視線を二人へ戻す。久米さんはこくこくと頷き、差し出された牛乳を躊躇いなく飲んだ。

「んあーっ。コッペパン詰まったわ。ごめん、ごめん。いろいろありがと」
「気づいたのが俺でよかったな。大森先生だったら……」
「うわぁ、それだけはやめて」
「ま、気をつけろよぉ」
「へーい」

 久米さんはコッペパンを食べ切ると、パンくずを叩いて床に落とした。寺田くんに笑顔を見せ、塊を手に、もといたグループへと戻っていく。

 その塊がなんなのか、私はよく、知っている。


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