桜はまだか?

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第5章「桜舞う中で」

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 甲斐庄正親が下城してくると、早速、

「失礼いたします」

 と障子が開き、澤田久太郎が入ってきて、一礼をしたのち、

「御奉行、本日、目を通していただきたい調書をお持ちいたしました」

 と、紙の束が山積みされた黒塗りの盆を差し出してきた。

 正親は、やれやれといった面持ちで一枚の調書を取り上げ、表紙に目を落とすと、次に、

「おっ!」

 と発した。

 お七の調書である。

「ふむ、ふむ、ようやく出来上がってきたか」

 正親は右手の親指を唾で湿らせ、ゆっくりと一枚目を捲った。

 火付けの三文字で、ふと顔を上げた。

「そう言えば、もう十年になるかな?」

「はあ?」

 正親の問いに、久太郎は狐顔を傾けた。

「理恵殿と波江殿のことじゃ、この夏で、十年じゃろうが?」

「はあ、早いものです……」

「うむ……、波江殿も生きておれば、今ごろお七と同い年か?」

「はあ……」

 久太郎は、己の表情を隠すように静かに頭を下げる。

「可哀想なことをした」

「御奉行!」

 久太郎の声は、酷く掠れていた。

「火付けは、天下の大罪にございます。例え小火であろうとも、罷り間違えば何千という人の命を奪うもの。どのような理由があろうと、許すわけにはいきませぬ。御奉行には、その点を十分に踏まえて、ご裁可くださりますよう切にお願い申し上げまする」

 正親は、久太郎の幾分後退しはじめている月代をじっと見詰めた。

 その視線に気が付いたのか、久太郎ははたと顔を上げた。

「こ、これは、決して私情を交えておるわけではございません。あくまで、法に照らし合わせてでございまして……」

「分かっておる」

 と、正親が遮った。

「はっ、差し出がましいことを申し上げました。失礼いたします」

 久太郎は、慌てて部屋を出て行った。

 久太郎の重い足音が聞こえなくなると、

 正親は、

「あれも、親だ」

 と呟いた。

 お七の調書に目を落とす。

「なになに……、本郷追分、八百屋、福田屋市左衛門とおさいの長女、お七は……」

 正親、は声に出して読み出した。

〝福田屋市左衛門とおさいの長女、お七は、天和二(一六八二)年十二月二十八日、大円寺の火災により自宅を全焼し、その翌日、二十九日に予てより父が懇意にしていた正仙院の住職を頼って、本堂の離れに家族・奉公人とともに身を寄せることとなった。

 年明けて、世話になっているお礼にと、お七が下女のおゆきとともに境内を掃き清めていると、寺にやって来た何某家の次男何某を、お七が見初めて、激しい想いに捕らわれた〟

「ええい、何某ってのはまどろっこしいな、生田庄之助でいいだろうが」

 正親は、ひとり毒づきながら続きを読んでいく。
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