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第3話 うっ血女子と血色わるい王子②
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チホは、巣鴨の喫茶店で世良彌堂と二時間半、話をした。
チホは当然のようにコーヒー代を払わせられて、彼と別れた。
JRを乗り継ぎ、京葉線千葉みなと駅で降りて、自宅のマンションへ向かった。
駅前のロータリーでは個人タクシーの運転手とドンビが小競こぜり合いを演じていた。
客待ちをしている車両へ足を引きずりながら向かってくる青年のドンビを、運転手が毛バタキを振り回して追い払っていた。
ドンビはどうしてもそのタクシーに乗りたいのか、追い払ってもまたゆっくりと向かってくるので、運転手はついに根負けして車を移動させてしまった。
しばらく進むと今度はチホの前にも現れた。
歩道にドンビが四体、鎖でつながれた囚人のように一列になってこちらへ向かってくる。
車道へ降りて避けようとすると、ドンビの一体も歩道からずり落ちて車道を歩き始めた。
行く手を塞ふさがれドンビたちの五メートル手前で、チホは立ち止った。
チホは、バッグからドンビ専用の忌避スプレーを取り出すと、レモンの香りがする黄色いガスを振りまきながら歩道を進んだ。(注1)
スプレーが効いてドンビたちは全員、車道へ滑り落ちてくれた。
この忌避剤がないと、千葉の街は気軽に歩くこともできない。
千葉県では保健所の予算が足りないのか、野良ドンビが半ば放置されている。
早朝、一斉に市のトラックにピックアップされ市街地の外れにできた「特別土地改良地区」へ運ばれる。
そこに造られた赤玉土と鹿沼土、二つの土の山で腹を満たすと、ドンビたちは昼には元の場所へ戻ってしまう。
行政はそれ以上の対処をしてくれない。
それどころか、予算の都合で対応しません、できません、と明言している。
千葉県庁は良くも悪くも正直な仕事をする役所だった。
アイドル出身の根元千葉県知事に言わせるなら
「県にも出来ることと出来ないことがあります。ない胸は揺れません」だし、
東欧から亡命してきたルカ千葉県執行知事なら
「デキルコト、スル、デキール。デキナイコト、スル、デキナーイ」だ。
コンビニの駐車場では店員が業務用の大きな噴霧器で三体のドンビを追い払っていた。
レジの合間にこれもやらされて千葉のバイトは大変だ。
店員に追い払われたドンビが歩道へ逃げてくる前にチホは駆け足でコンビニの前を通りすぎる。
マンションの入口横の花壇に植えてある高さ四、五メートルの樹木の前で、管理人が脚立に乗って作業をしていた。
「枠林さん、こんにちは」
チホは管理人を見上げて挨拶した。
「西機さん、いいところに」
脚立から降りて地面に立った男を、チホはまだ見上げていた。
枠林は真っ白い髪を角刈りにした歳の割に元気な管理人だった。
普通の管理人と違うところは身長が190センチを超えている点だ。
「何してるんですか?」
「どこから飛んできたのか、ほら、レジ袋」
枠林が木の天辺を指さした。
見ると、小さな白い袋が引っかかっていた。
「あれ、カッコ悪いでしょう? なかなか取れなくて」
枠林は頭を掻かきながら笑った。
「それで、お願いできないかと……」
「えっ、またですか」
チホは枠林の横に立ち、しばらくレジ袋を見上げていた。
海からの風もなく穏やかな空だった。
枠林老人はマンションの管理人だが宇宙生命体でもあった。
宇宙生命体はチホたち吸血者と友好関係にある。
面倒だが断るわけにもいかない。
「どうですか? できそうですか?」
「何か、弾になるもの、あります?」
「これ、どうでしょう?」
枠林がポケットから何か取り出した。
「さっき、そこらで拾ったものですが」
チホのてのひらに、ころころっ、と木の実が転がった。
「椎の実です。これは……マテバシイですね。普通のドングリよりも形がちょっと細長いのですが」
「やってみます」
二人は誰か見ていないかあたりを窺った。
チホは少しうしろへ下がって肩幅に足を開き、椎の実を左手に載せ、視線の先に袋を捉えると、右手の人差指で弾いた。
袋の手前の枝が「ざっざっ」と撥ねあがった。
「惜おしい」と枠林。
梢を通り抜けた椎の実が、青い空へ突き刺さって消えた。
吸血者は肉体のリミッターが外れるという。
内攻する生命エネルギーが沸騰して体のどこかから噴き出す、とも言われている。
チホの場合は右手の筋力ということらしい。
二発目。
狙いを定め、弾いた。
椎の実が「ばっばしゅっ」とチホの指先で粉々に砕け、白い粉が舞い散った。
「だ、大丈夫ですか? 爪、割れませんでしたか?」
「ちょっと、力んでしまいました」
三発目。
「ばっふ」という音とともに、白い袋が空へ飛んだ。
「ナイスショット!」
手を叩く枠林。
椎の実を包んで落下傘になってゆらゆら落ちてくる袋を、枠林管理人が長い腕を伸ばしてキャッチした。
「西機さん、ありがとうございます。さすがですね」
「いえ、じゃあ」
チホは愛想笑いを浮かべ、立ち去ろうとした。
「待タレヨ……女性吸血者よ……ぼくらからもお礼を……」
チホは機械で読み上げたような高く無機質な声で呼び止められてしまった。
振り向くと、枠林が立ったまま白目をむいている。
老人の大きく開いた口から、にょろりと、白く長い舌が現れた。
白い舌には、赤い点のような目とぱっくり開いた口がついている。
これが、宇宙生命体だ。
「ヒトノエさん、こんにちは」
チホは挨拶した。
「ごきげんよう。女性吸血者よ」
宇宙生命体も挨拶を返した。
吸血者協会と宇宙生命体のグループはある同盟を結んでいて、吸血者が住むマンションの管理人がだいたい宇宙生命体なのはそのためだという。
百年も前に上のほうで決まったことなのでチホも詳しい経緯は知らない。
この宇宙生命体は、話好きだ。
いったん話が始まると長くて困るのだが、無下に断ることもできない。
チホは諦めて宇宙生命体の話を聞いた。
宇宙生命体が「ぼく」ではなく「ぼくら」と名乗るのは、一匹一匹が個体であるとともに一つの群体でもあるからだった。
「……ぼくらは失敗した。肉体が大きな生物に寄生すれば惑星の侵略に有利に働くと考えた。大きな生物のほうが強そうに見えたのだ。だが、大きな生物は小さな生物の集団に滅ぼされてしまった。ぼくらは失敗した。今度は小さな生物に寄生することにした。小さな生物は社会を形成していた。どの個体に力があるのか見極めて寄生しなければならない。学校や神殿や工場など大型建造物の施設管理者、清掃員、警備員は有力な個体に違いないと考えた。彼らは建物から他の個体が姿を消してから活動を始める。また、そばに他の個体がいても気配を消して自由に行動できる。建物全体に対して特権的な立場にあるように見えたのだ。ぼくらは失敗した。この個体は、こんなに体が大きく、しかも五百二十五人が暮らす集合住宅の管理人だ。ぼくらの失敗の標本のような個体だ……」
宇宙生命体は高音の早口でまくし立てた。
何度も聞いた話である。
宇宙生命体との友好は吸血者の責務なので、前と同じ話だと思っても聞くしかないのだ。(注2)
「枠林さんはいい管理人ですよ」
「女性吸血者よ。あなたにそう言われる度たびに、ぼくらは敗北感を新たにしている」
宇宙生命体は吸血者を自分たちが何万年かけても成しえなかった地球征服に成功した種族と捉とらえているようだ。
失敗談はつづく。
「五十万年前、ぼくらの祖先は隕石型宇宙船に乗ってこの星へやってきた。ぼくらの偉大な指導者は船内の庭師兼掃除夫兼警備担当者だった。ぼくらの失敗は抜き差しならない歴史の必然だった……」
枠林老人の体の一部は、宇宙フナクイムシの一種「ヒトノエ」と入れ替わっていた。(注3)
枠林は人生のどこかで体の一部を宇宙生命体に乗っ取られて、大型建造物の管理者=支配者になるべく研鑽けんさんを積んで現在に至っていた。
枠林に憑ついたヒトノエはとにかくネガティブな心の持ち主。
二言目には「失敗した」と言う。
宿主の選択をミスして地球を侵略できなかったことが彼ら(彼女ら?)に強い劣等感を植えつけたようだ。
今からでも遅くない。
アメリカ大統領とか大企業のCEOといったこの星の真の有力者に寄生し直して地球征服に再挑戦してみては?
チホは軽い気持ちで提案した。
「この星では失敗は成功の母って言いますから……」
「人にはそれぞれ『分』というものがある。ぼくらがこの惑星で学んだことだ。大きく退化し始めているこの星の文明圏で、『分を弁える』という宇宙の真理を発見できたことは、ぼくらにとって地球征服に勝るとも劣らない価値を持っている」
ややポジティブになってきたが、話はまだつづきそうだ。
「ぼくらは大型建造物の管理者として分を弁える生き方を選択した。宇宙に偏在へんざいする大型建造物の保守点検・整備・清掃は宇宙生命体であるぼくらの使命……ちょっと、すいません」
ヒトノエの早口が途中から、枠林老人の低く落ち着いた響きへと切り替わった。
白目をむいていた枠林が正気を取り戻していた。
頭越しにチホの背後へ厳しい表情を向けると、枠林は大股で離れていった。
正面のゲートを越えてエントランスへ向かってくる人影があった。
「大変申し訳ございませんが、当マンションへのご訪問はお控えくださるようお願い致します」
言葉遣いは丁寧だが、枠林はゴールキーパーのように大きく手を広げて立ちはだかり、決してそれ以上進ませようとはしない。
頭をやや傾かしげて立ち止った男の肩を掴み、慣れた動作で回れ右をさせ、柔らかく背中をトンっと歩道のほうへ押し出した。
男は振り向かずにゆっくりと、去っていく。
二人はドンビの背中を見送った。
「まだ記憶が残っているのでしょう」
「え、知っている人ですか?」
チホは尋ねた。
「以前ここにいらした方ですよ」
管理組合の副理事長を務めたこともあるという。
「奥様に、いえ元奥様に頼まれているのですよ。来たら追い返せと」
チホの脳裏に父親の顔が浮かんだ。
父親と同じ病気の人だった。
「こんなことぺらぺら喋っちゃダメでした。個人情報ですものね。またヒトノエに怒られますな。あれは、こういうことには会社の上司よりも厳しいのですよ」
枠林が笑うと、目のあたりの三本の深い皺のどれが本当の目かわからなくなった。
チホは枠林に会釈えしゃくして、ようやく建物の中へ入った。
「ぼくらからも、さようなら」
背後でヒトノエの声がした。
チホは慌てて振り返り、白い舌に向かってもう一度会釈した。
* * *
十四階建てマンションの十四階。
東の角部屋がチホの住居だ。
オーナーは「九才」の双子の女性で、チホは同居人という立場になる。
「ただ今……」
玄関を入ってすぐ右の扉が双子の姉「理科斜架さん」の部屋。
正面の扉は妹「蜘蛛網さん」の部屋。
チホは廊下を渡ってリビングルームへ入った。
「疲れた……」
朝一番に東京へ向かって、今帰りついたら、午後四時だ。
ソファに突っ伏したまま、チホは動かなくなった。
テーブルの上に立ててあった単三の電池が不意に、ことんっと倒れた。
テーブルの端まで転がって床へ落ちる寸前で止まった。
また反対側へ転がり出した。
彼女は、そこにいるようだ。
実体化しないところを見ると、その電池はもう切れているのだろう。
チホはむくりと起き上がると、冷蔵庫へ向かった。
作り置きの麦茶をコップに注ぎ、一口飲んだ。
冷蔵室の大部分は一回分120mlの血液パックが占しめていた。
チホは今朝一パック開けて飲んだが、毎週宅配で三人分送られてくるので溜まる一方だった。
冷蔵庫の横にプラスチックのケースがあり、中に充電済みの単三の電池が入っていた。
チホはそれを1本取り出しリビングへ戻ると、まだ転がりつづけている電池の横に立てた。
動いていた電池が止まった。
立てた電池の頭に青白い炎が灯り、それが波打ちながら青白いヒト型へと伸びていった。
「お帰り!」
身長が25センチくらいの半透明の少女が言った。
顔も目も髪もカチューシャも青白かった。
服も青く透き通っている。
彼女が死んだ時に着ていた高校の制服だった。
「留守中、何かあった?」
チホが訊いた。
「何も。理科斜架さんも蜘蛛網さんも変化なしだったよ」
「そう」
「で、どうだったの? 協会の本部は。何かわかった?」
「ライフ・イズ・ブラッディーノーフューチャーだった」
「はあ? 何それ?」
「いろいろありすぎて死んだ」
「あ、まだ生きてる人が言っちゃダメなんだよ。死んだとか」
少女がチホを睨にらんで青白い頬を膨ふくらませた。
少女は、隣の部屋〈1419〉に監禁されていた「歌野潮里」の1/6スケールモデルになる。
本人は約十年前に殺されている。
現在は半実在の女の子で、平たく言うと幽霊だ。
テーブルの上から青白い炎が飛び降りると、電池も床へ転がり落ちた。
「あのさあ、充電する電池って、パワー弱いね。アルカリのやつ、ないの?」
小動物がじゃれるように、潮里がチホの足元を回りながら言った。
チホが自分の周りで転がる単三電池を足で踏んづけようとすると、察した電池がさっと足元から離れた。
「じゃあさ、充電でいいから、せめて電池2本にしてよ」
潮里が不服そうにチホを見上げていた。
電池2本で潮里の身長は約50センチ、4本で約100センチになる。
サイズが変わっても青白く半透明なことに変わりはないのだが、潮里的には大きな違いのようだ。
(つづく)
(注1)
成分はフロンガスR22とレモンの香料。オゾン層を破壊し地球温暖化の原因とされ、わが国では段階的に生産が廃止されているフロンガス。R22もわが国では2020年に生産が廃止されたが、SES患者がフロンガスを嫌う性質があるため、千葉県では希望する県民に無料でスプレーを配布している。この措置そちに県外から非難が集中、国も行政指導を行っているが今のところ改められる気配はない。
(注2)
「ヒトノエはわたしたちにとってまったく無害な生物です。そればかりかわたしたちの暮らしを陰で支えてくれる有益な存在だと言えるでしょう。可能な限り仲良くしてください」日本吸血者協会発行『救血ハンドブック』「救血の心得③ 宇宙生命体との交流について」より
「ヒトノエは、形態が魚類の寄生虫であるウオノエに似ていることから命名されました」同ハンドブック「ヒトノエひと口メモ」より
(注3)
約五十万年前、太陽系付近を通りかかった小惑星型輸送船(船籍不明)の船体を住処すみかとしていた宇宙フナクイムシ数百匹が駆除を怖れて地球へ降下。マンモスや北京原人、ネアンデルタール人などに寄生を開始するがいずれも宿主が滅亡。ワニに寄生した六匹とホモ・サピエンスに寄生した十三匹のみが生き残った。その後、ホモ・サピエンスに寄生したグループはヒトノエに進化。現在はノルウェーを中心とした北欧に約五百匹と日本に約二千匹が生息している。ワニに寄生したグループもワニノエに進化したが生息数など実態は掴めていない。
(日本吸血者協会調べ)
チホは当然のようにコーヒー代を払わせられて、彼と別れた。
JRを乗り継ぎ、京葉線千葉みなと駅で降りて、自宅のマンションへ向かった。
駅前のロータリーでは個人タクシーの運転手とドンビが小競こぜり合いを演じていた。
客待ちをしている車両へ足を引きずりながら向かってくる青年のドンビを、運転手が毛バタキを振り回して追い払っていた。
ドンビはどうしてもそのタクシーに乗りたいのか、追い払ってもまたゆっくりと向かってくるので、運転手はついに根負けして車を移動させてしまった。
しばらく進むと今度はチホの前にも現れた。
歩道にドンビが四体、鎖でつながれた囚人のように一列になってこちらへ向かってくる。
車道へ降りて避けようとすると、ドンビの一体も歩道からずり落ちて車道を歩き始めた。
行く手を塞ふさがれドンビたちの五メートル手前で、チホは立ち止った。
チホは、バッグからドンビ専用の忌避スプレーを取り出すと、レモンの香りがする黄色いガスを振りまきながら歩道を進んだ。(注1)
スプレーが効いてドンビたちは全員、車道へ滑り落ちてくれた。
この忌避剤がないと、千葉の街は気軽に歩くこともできない。
千葉県では保健所の予算が足りないのか、野良ドンビが半ば放置されている。
早朝、一斉に市のトラックにピックアップされ市街地の外れにできた「特別土地改良地区」へ運ばれる。
そこに造られた赤玉土と鹿沼土、二つの土の山で腹を満たすと、ドンビたちは昼には元の場所へ戻ってしまう。
行政はそれ以上の対処をしてくれない。
それどころか、予算の都合で対応しません、できません、と明言している。
千葉県庁は良くも悪くも正直な仕事をする役所だった。
アイドル出身の根元千葉県知事に言わせるなら
「県にも出来ることと出来ないことがあります。ない胸は揺れません」だし、
東欧から亡命してきたルカ千葉県執行知事なら
「デキルコト、スル、デキール。デキナイコト、スル、デキナーイ」だ。
コンビニの駐車場では店員が業務用の大きな噴霧器で三体のドンビを追い払っていた。
レジの合間にこれもやらされて千葉のバイトは大変だ。
店員に追い払われたドンビが歩道へ逃げてくる前にチホは駆け足でコンビニの前を通りすぎる。
マンションの入口横の花壇に植えてある高さ四、五メートルの樹木の前で、管理人が脚立に乗って作業をしていた。
「枠林さん、こんにちは」
チホは管理人を見上げて挨拶した。
「西機さん、いいところに」
脚立から降りて地面に立った男を、チホはまだ見上げていた。
枠林は真っ白い髪を角刈りにした歳の割に元気な管理人だった。
普通の管理人と違うところは身長が190センチを超えている点だ。
「何してるんですか?」
「どこから飛んできたのか、ほら、レジ袋」
枠林が木の天辺を指さした。
見ると、小さな白い袋が引っかかっていた。
「あれ、カッコ悪いでしょう? なかなか取れなくて」
枠林は頭を掻かきながら笑った。
「それで、お願いできないかと……」
「えっ、またですか」
チホは枠林の横に立ち、しばらくレジ袋を見上げていた。
海からの風もなく穏やかな空だった。
枠林老人はマンションの管理人だが宇宙生命体でもあった。
宇宙生命体はチホたち吸血者と友好関係にある。
面倒だが断るわけにもいかない。
「どうですか? できそうですか?」
「何か、弾になるもの、あります?」
「これ、どうでしょう?」
枠林がポケットから何か取り出した。
「さっき、そこらで拾ったものですが」
チホのてのひらに、ころころっ、と木の実が転がった。
「椎の実です。これは……マテバシイですね。普通のドングリよりも形がちょっと細長いのですが」
「やってみます」
二人は誰か見ていないかあたりを窺った。
チホは少しうしろへ下がって肩幅に足を開き、椎の実を左手に載せ、視線の先に袋を捉えると、右手の人差指で弾いた。
袋の手前の枝が「ざっざっ」と撥ねあがった。
「惜おしい」と枠林。
梢を通り抜けた椎の実が、青い空へ突き刺さって消えた。
吸血者は肉体のリミッターが外れるという。
内攻する生命エネルギーが沸騰して体のどこかから噴き出す、とも言われている。
チホの場合は右手の筋力ということらしい。
二発目。
狙いを定め、弾いた。
椎の実が「ばっばしゅっ」とチホの指先で粉々に砕け、白い粉が舞い散った。
「だ、大丈夫ですか? 爪、割れませんでしたか?」
「ちょっと、力んでしまいました」
三発目。
「ばっふ」という音とともに、白い袋が空へ飛んだ。
「ナイスショット!」
手を叩く枠林。
椎の実を包んで落下傘になってゆらゆら落ちてくる袋を、枠林管理人が長い腕を伸ばしてキャッチした。
「西機さん、ありがとうございます。さすがですね」
「いえ、じゃあ」
チホは愛想笑いを浮かべ、立ち去ろうとした。
「待タレヨ……女性吸血者よ……ぼくらからもお礼を……」
チホは機械で読み上げたような高く無機質な声で呼び止められてしまった。
振り向くと、枠林が立ったまま白目をむいている。
老人の大きく開いた口から、にょろりと、白く長い舌が現れた。
白い舌には、赤い点のような目とぱっくり開いた口がついている。
これが、宇宙生命体だ。
「ヒトノエさん、こんにちは」
チホは挨拶した。
「ごきげんよう。女性吸血者よ」
宇宙生命体も挨拶を返した。
吸血者協会と宇宙生命体のグループはある同盟を結んでいて、吸血者が住むマンションの管理人がだいたい宇宙生命体なのはそのためだという。
百年も前に上のほうで決まったことなのでチホも詳しい経緯は知らない。
この宇宙生命体は、話好きだ。
いったん話が始まると長くて困るのだが、無下に断ることもできない。
チホは諦めて宇宙生命体の話を聞いた。
宇宙生命体が「ぼく」ではなく「ぼくら」と名乗るのは、一匹一匹が個体であるとともに一つの群体でもあるからだった。
「……ぼくらは失敗した。肉体が大きな生物に寄生すれば惑星の侵略に有利に働くと考えた。大きな生物のほうが強そうに見えたのだ。だが、大きな生物は小さな生物の集団に滅ぼされてしまった。ぼくらは失敗した。今度は小さな生物に寄生することにした。小さな生物は社会を形成していた。どの個体に力があるのか見極めて寄生しなければならない。学校や神殿や工場など大型建造物の施設管理者、清掃員、警備員は有力な個体に違いないと考えた。彼らは建物から他の個体が姿を消してから活動を始める。また、そばに他の個体がいても気配を消して自由に行動できる。建物全体に対して特権的な立場にあるように見えたのだ。ぼくらは失敗した。この個体は、こんなに体が大きく、しかも五百二十五人が暮らす集合住宅の管理人だ。ぼくらの失敗の標本のような個体だ……」
宇宙生命体は高音の早口でまくし立てた。
何度も聞いた話である。
宇宙生命体との友好は吸血者の責務なので、前と同じ話だと思っても聞くしかないのだ。(注2)
「枠林さんはいい管理人ですよ」
「女性吸血者よ。あなたにそう言われる度たびに、ぼくらは敗北感を新たにしている」
宇宙生命体は吸血者を自分たちが何万年かけても成しえなかった地球征服に成功した種族と捉とらえているようだ。
失敗談はつづく。
「五十万年前、ぼくらの祖先は隕石型宇宙船に乗ってこの星へやってきた。ぼくらの偉大な指導者は船内の庭師兼掃除夫兼警備担当者だった。ぼくらの失敗は抜き差しならない歴史の必然だった……」
枠林老人の体の一部は、宇宙フナクイムシの一種「ヒトノエ」と入れ替わっていた。(注3)
枠林は人生のどこかで体の一部を宇宙生命体に乗っ取られて、大型建造物の管理者=支配者になるべく研鑽けんさんを積んで現在に至っていた。
枠林に憑ついたヒトノエはとにかくネガティブな心の持ち主。
二言目には「失敗した」と言う。
宿主の選択をミスして地球を侵略できなかったことが彼ら(彼女ら?)に強い劣等感を植えつけたようだ。
今からでも遅くない。
アメリカ大統領とか大企業のCEOといったこの星の真の有力者に寄生し直して地球征服に再挑戦してみては?
チホは軽い気持ちで提案した。
「この星では失敗は成功の母って言いますから……」
「人にはそれぞれ『分』というものがある。ぼくらがこの惑星で学んだことだ。大きく退化し始めているこの星の文明圏で、『分を弁える』という宇宙の真理を発見できたことは、ぼくらにとって地球征服に勝るとも劣らない価値を持っている」
ややポジティブになってきたが、話はまだつづきそうだ。
「ぼくらは大型建造物の管理者として分を弁える生き方を選択した。宇宙に偏在へんざいする大型建造物の保守点検・整備・清掃は宇宙生命体であるぼくらの使命……ちょっと、すいません」
ヒトノエの早口が途中から、枠林老人の低く落ち着いた響きへと切り替わった。
白目をむいていた枠林が正気を取り戻していた。
頭越しにチホの背後へ厳しい表情を向けると、枠林は大股で離れていった。
正面のゲートを越えてエントランスへ向かってくる人影があった。
「大変申し訳ございませんが、当マンションへのご訪問はお控えくださるようお願い致します」
言葉遣いは丁寧だが、枠林はゴールキーパーのように大きく手を広げて立ちはだかり、決してそれ以上進ませようとはしない。
頭をやや傾かしげて立ち止った男の肩を掴み、慣れた動作で回れ右をさせ、柔らかく背中をトンっと歩道のほうへ押し出した。
男は振り向かずにゆっくりと、去っていく。
二人はドンビの背中を見送った。
「まだ記憶が残っているのでしょう」
「え、知っている人ですか?」
チホは尋ねた。
「以前ここにいらした方ですよ」
管理組合の副理事長を務めたこともあるという。
「奥様に、いえ元奥様に頼まれているのですよ。来たら追い返せと」
チホの脳裏に父親の顔が浮かんだ。
父親と同じ病気の人だった。
「こんなことぺらぺら喋っちゃダメでした。個人情報ですものね。またヒトノエに怒られますな。あれは、こういうことには会社の上司よりも厳しいのですよ」
枠林が笑うと、目のあたりの三本の深い皺のどれが本当の目かわからなくなった。
チホは枠林に会釈えしゃくして、ようやく建物の中へ入った。
「ぼくらからも、さようなら」
背後でヒトノエの声がした。
チホは慌てて振り返り、白い舌に向かってもう一度会釈した。
* * *
十四階建てマンションの十四階。
東の角部屋がチホの住居だ。
オーナーは「九才」の双子の女性で、チホは同居人という立場になる。
「ただ今……」
玄関を入ってすぐ右の扉が双子の姉「理科斜架さん」の部屋。
正面の扉は妹「蜘蛛網さん」の部屋。
チホは廊下を渡ってリビングルームへ入った。
「疲れた……」
朝一番に東京へ向かって、今帰りついたら、午後四時だ。
ソファに突っ伏したまま、チホは動かなくなった。
テーブルの上に立ててあった単三の電池が不意に、ことんっと倒れた。
テーブルの端まで転がって床へ落ちる寸前で止まった。
また反対側へ転がり出した。
彼女は、そこにいるようだ。
実体化しないところを見ると、その電池はもう切れているのだろう。
チホはむくりと起き上がると、冷蔵庫へ向かった。
作り置きの麦茶をコップに注ぎ、一口飲んだ。
冷蔵室の大部分は一回分120mlの血液パックが占しめていた。
チホは今朝一パック開けて飲んだが、毎週宅配で三人分送られてくるので溜まる一方だった。
冷蔵庫の横にプラスチックのケースがあり、中に充電済みの単三の電池が入っていた。
チホはそれを1本取り出しリビングへ戻ると、まだ転がりつづけている電池の横に立てた。
動いていた電池が止まった。
立てた電池の頭に青白い炎が灯り、それが波打ちながら青白いヒト型へと伸びていった。
「お帰り!」
身長が25センチくらいの半透明の少女が言った。
顔も目も髪もカチューシャも青白かった。
服も青く透き通っている。
彼女が死んだ時に着ていた高校の制服だった。
「留守中、何かあった?」
チホが訊いた。
「何も。理科斜架さんも蜘蛛網さんも変化なしだったよ」
「そう」
「で、どうだったの? 協会の本部は。何かわかった?」
「ライフ・イズ・ブラッディーノーフューチャーだった」
「はあ? 何それ?」
「いろいろありすぎて死んだ」
「あ、まだ生きてる人が言っちゃダメなんだよ。死んだとか」
少女がチホを睨にらんで青白い頬を膨ふくらませた。
少女は、隣の部屋〈1419〉に監禁されていた「歌野潮里」の1/6スケールモデルになる。
本人は約十年前に殺されている。
現在は半実在の女の子で、平たく言うと幽霊だ。
テーブルの上から青白い炎が飛び降りると、電池も床へ転がり落ちた。
「あのさあ、充電する電池って、パワー弱いね。アルカリのやつ、ないの?」
小動物がじゃれるように、潮里がチホの足元を回りながら言った。
チホが自分の周りで転がる単三電池を足で踏んづけようとすると、察した電池がさっと足元から離れた。
「じゃあさ、充電でいいから、せめて電池2本にしてよ」
潮里が不服そうにチホを見上げていた。
電池2本で潮里の身長は約50センチ、4本で約100センチになる。
サイズが変わっても青白く半透明なことに変わりはないのだが、潮里的には大きな違いのようだ。
(つづく)
(注1)
成分はフロンガスR22とレモンの香料。オゾン層を破壊し地球温暖化の原因とされ、わが国では段階的に生産が廃止されているフロンガス。R22もわが国では2020年に生産が廃止されたが、SES患者がフロンガスを嫌う性質があるため、千葉県では希望する県民に無料でスプレーを配布している。この措置そちに県外から非難が集中、国も行政指導を行っているが今のところ改められる気配はない。
(注2)
「ヒトノエはわたしたちにとってまったく無害な生物です。そればかりかわたしたちの暮らしを陰で支えてくれる有益な存在だと言えるでしょう。可能な限り仲良くしてください」日本吸血者協会発行『救血ハンドブック』「救血の心得③ 宇宙生命体との交流について」より
「ヒトノエは、形態が魚類の寄生虫であるウオノエに似ていることから命名されました」同ハンドブック「ヒトノエひと口メモ」より
(注3)
約五十万年前、太陽系付近を通りかかった小惑星型輸送船(船籍不明)の船体を住処すみかとしていた宇宙フナクイムシ数百匹が駆除を怖れて地球へ降下。マンモスや北京原人、ネアンデルタール人などに寄生を開始するがいずれも宿主が滅亡。ワニに寄生した六匹とホモ・サピエンスに寄生した十三匹のみが生き残った。その後、ホモ・サピエンスに寄生したグループはヒトノエに進化。現在はノルウェーを中心とした北欧に約五百匹と日本に約二千匹が生息している。ワニに寄生したグループもワニノエに進化したが生息数など実態は掴めていない。
(日本吸血者協会調べ)
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電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
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どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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