吸血王子 と 吸血事務員 が 土食・オブ・ザ・デッドの世界を旅するはなし

aonuma seiya

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第15話 ドはドンビのド⑤

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 オリバー・サンプトン君。

 沼崎六一郎ぬまざきろくいちろうは突然その名を思い出した。
 サンプトンではなく、サンプソンだったかもしれないが、とにかくオリバー君だ。

 小学校四年生の時、村の交換留学生としてアメリカのコネチカット州から佐渡島へやってきて、沼崎の実家に二か月間ホームステイした同年代の少年だった。

 沼崎家の土蔵どぞうの中でふざけ合っているうちにキスをしたのが沼崎のファーストキスで、結局Bまで進んでしまったのだった。(注1)

 帰国後もしばらく「Dear 61」で始まるレターが届いていたが沼崎は返事を書かなかった。
 表向きの理由は英語がわからないからだが、真の理由は別にあった。

 あれは一時の気の迷い、少年期の異常な体験として終わらせたかったのだ。

 あれから三十数年────。
 自分は今、何をしているのだろう。

 沼崎は建物の陰からサバイバルガジェット〈千里眼CHIZCOせんりがんちづこ〉で少年の様子をうかがいながら自問した。

 オリバー君はアメリカ人にしては鼻が低く、メガネをかけ、前歯の矯正中で、サラサラの金髪以外はぱっとしない少年だった。

 それに対して今、潜望鏡が捉とらえている少年は
 ひどく大人びて、自分の美しさを鼻にかけ、誰にもこびるところがない(ように見える)。

 金髪の少年と大家の娘は、商店街を駅方面へ歩いていく。
 娘が少年の耳を引っ張った。
 ふざけ合ったりして、かなり仲がよさそうである。
 二人の関係は不明だが、きっと知り合いの子供なのだろう。

 パチンコ店の前で、二人は立ち止まった。
 少年が死角に入って見えなくなった。
 娘は浮かない顔でうなずいている。

 沼崎は潜望鏡を伸ばして、少年の姿をとらえようとしたが、電信柱が邪魔だった。
 二人は何を話しているのだろう。
 サバイバルガジェット〈デビルイヤー〉なら聴こえそうだが、さすがに商店街で釣り糸を垂れるははばかられた。

 せめてもう少し接近しようと、沼崎は路地の陰から踏み出した。

「おっさん」と、声がした。

 振り向きざま、すねに鋭い痛みが走った。
 沼崎は飛び上がって、そのまま倒れ込んだ。

「おい、おまえ。何者だ?」
 脛を押さえて見上げると、あの少年が見下ろしていた。
「おれの隠れマニアか? 通りすがりの潜水艦か? どっちでもただで済むと思うな」

「いや、おれは。いや、わたしは、ですね。怪しい者では、ないんです、けど……」
「けど、何だ?」

「怪しい者では、ないんです、よ」
「よ?」

「よ、はいりませんよね。よ、は。けど、もなしです。いや、決して怪しい者では……」
 沼崎がしどろもどろにしていると、太腿ふとももの裏に鋭い蹴けり!
「イ、痛ッ、そこは、そこは痛い、痛いんですけど……」
 今度は、脇腹わきばらだ。
「うっ、ウゥァッ、イタタタ……」

 攻撃に迷いがない。
 子供にしては蹴り慣れている。

「どこまでも怪しいやつめ」

 沼崎は亀のように背を丸めていた。
 少年はその背中に足を乗せて体重をかけてきた。

(あ……)
 尻のあたりに違和感。

「二千円? ふん。怪しい庶民か」
 尻のポケットから財布を抜き取られていた。

「何だ? これは……『古物・骨董鑑定士 間久部緑一郎』……『ブリーダー 動物取扱責任者 沼正二郎』……」
 顔写真入りの偽名刺だった。
 諜報ちょうほう活動用に作ったものだが、まだ使ったことはなかった。

途轍とてつもなく怪しい……こんなに怪しい男は見たことがない」
 頭上から、少年の冷たいボーイソプラノが響いてきた。

 もう、お仕舞いだ。
 でも、どこか甘美かんびな危機でもある。

 次の展開を待っていると、背中を押さえつけていた少年の足が、緩んだ。
 恐る恐る顔を上げると、少年の碧い目が、動揺している。

 少年は、赤いカードを手にしていた。
 碧い目が、ちらっと沼崎の顔をにらんだ。
 沼崎は、びくっとしてまた顔を伏せた。

 少年は小さく舌打ちすると、財布を沼崎へ投げつけ、走って行ってしまった。

 沼崎は少年が消えた路地の向こうを見つめながら、立ち上がり、服の汚れを払った。

 投げつけられた財布を拾い、落ちていた千円札2枚、偽名刺数枚、赤い献血カードを拾い上げた。

 日本赤十字社への定期的な献血は、安上がりの健康チェックになるので、沼崎は重宝ちょうほうしていた。
 献血カードは間もなく廃止されスマホのアプリに変わるのだが、持っていて正解だった。
 少年は財布に入っていたこのカードを見て、自分が変質者などではなく、社会貢献に余念のないジェントルマンだと思ったのだろう。

 頭上から突き刺してくる少年の碧く冷たい眼差しを思い出すと、身震いが起きた。
 まだ背中に残る小さなスニーカーの感触が、何故なぜか愛しかった。

 少年が消えた路地の向こうから一匹、猫がやって来た。

 尾が縞模様《しまもよう》の猫は、目を閉じてく、く、くと忍び笑いをする沼崎に気づくと、耳をピーンと立て、ピタッと歩みを止めた。

 沼崎が立ち去るまで、猫は全身の毛を逆立てて、じっと動かなかった。



(つづく)










(注1)
A地点からB地点まで進んだということである。Aをキスだとすると、Bとは何か?
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