吸血王子 と 吸血事務員 が 土食・オブ・ザ・デッドの世界を旅するはなし

aonuma seiya

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第17話 ドはドンビのド⑥

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 総武本線小岩駅そうぶほんせんこいわえきを出ると電車は間もなく右へカーブを描きながら、江戸川えどがわかる鉄橋へと突入していく。

 川幅約二百メートルの江戸川のちょうど真ん中あたりに東京都と千葉県の県境がある。

 行政区画としてはそうなっているのだが、かつてそこまで意識している人はほとんどいなかった。

 江戸川を越えれば一応千葉県。

 次の市川いちかわ駅からが本格的に千葉県。

 いや、東京〇ィズニーランドのある千葉県浦安うらやす市は確か東京都だったような気がする。

 だったら、西船橋にしふなばしくらいまではまだ東京都のはずでは。

 そんなアバウトな感覚が許された時代もあった。

 ところが、である。

 東京都に「都知事猊下とちじげいか」が誕生し、対抗するように千葉県に「爆乳知事ばくにゅうちじ」が誕生。

 この二人をそれぞれの核として、西関東連合体にしかんとうれんごうたい東関東連合体ひがしかんとうれんごうたいが組織され、対立が激化。

 おかげで埼玉県は、元々県民意識が薄かったところに、二つの勢力が手を伸ばした結果、市町村レベルで西と東に分断されてしまった。

 そういうわけで、江戸川の鉄橋を渡ると、乗客は気持ちを改めなければならない。

 ここから先はもう、東京の常識は通用しない。

 鉄橋ではなく、国境を越えたのだ。

 ここから、違う国が始まるのだと。

 実際、鉄橋を越えると、それを思い出させるように、親切な看板が見えてくる。

『建前はここでストップ! ここからは本音で! 千葉県』

『チバのチはチカラのチ ルカのカもチカラのカ 千葉県』

 巨大な看板に二人の人物のイラストと標語が書かれている。

 イラストは、グラマラスな女性のほうが根元ねもとつかさ千葉県知事で、額が「ぴかっ」と光っているひげの白人はルカ千葉県執行知事。(注1)

 グラビアアイドル出身の「つかちゃん」と東欧の元大統領「ルカちゃん」、千葉県はこの二人の強力なタッグチームで東関東連合体をリードしていた。

 無駄な二重権力と批判される千葉県政だが、実家が銚子ちょうしの居酒屋で見るからに気風きっぷのいい爆乳知事の双丘そうきゅうにホットな郷土愛が詰まっていることは疑いようもない。

 ブラッディーラストエンペラーと恐れられた強面こわもての元大統領との取り合わせは今のところ柔と豪でうまく噛み合っており、県民の評判も良好だ。

 何といっても、あの取り澄ましたクソ坊主の第三百六十六世妙小院百合池都知事猊下だいさんびゃくろくじゅうろくせいみょうしょういんゆりいけとちじげいかと真っ向勝負できるところが、千葉県民としては小気味がいい。

 江戸川を境に、西に「民主主義の大乗仏教的解釈だいじょうぶっきょうてきかいしゃく」があれば、
 東に「ぬくい谷間にふわっと包み込まれた独裁どくさい主義」があるといったように、
 今、関東平野では衆愚しゅうぐ化、形骸けいがい化した民主主義を打ち破るべく新たな政治体制を目指して壮大な社会実験が行われているのだった。


「……議会でルカ氏の執行知事としての資質を問われた際、「ルカのケツはわたしが持つ!」と言い放った姿に、若年層からは「つか姐、カッケー」(男21歳/木更津)などの声が上がり、それまで批判的だった老年層も「胸も厚いが情けも篤い親分肌」(男76歳/花見川区)とか「角栄さん(田中)を彷彿とさせる包容力、と言うと誉めすぎでしょうか」(女84歳/館山)などと評価を変えていった。リコールされた場合は潔く全裸でイメージビデオに出演することを公約としている根元知事だが、今や千葉県では彼女を「脱がせないため」に支持するという逆転現象も起きている。「おらが乳(知事)を守れ」運動である。……」
 週刊特撰関東実話202X年6月13日号


 沼崎六一郎ぬまざきろくいちろうは、網棚で拾った週刊誌の誌面から顔を上げた。
 ちょうど、県境の鉄橋が迫ってきた。
 これは江戸川の河口付近にかかる鉄橋で、川幅も五百メートルを越えている。
 週刊誌にある巨大な政治宣伝の看板はここにはないようだ。

 沼崎は東京駅から京葉線けいようせんの快速電車に乗り、湾岸の埋立地をめるようにして江戸川を越え、今千葉へ入った。 
 週刊誌にもある総武線の内陸ルートは電車のトラブルが多いと聞いて、海岸線のルートを選んだのだ。 

 宅配の荷物の仕分けなど単純作業で最低限のサバイバル資金を得る以外、〈にしはた荘〉を中心に半径四百五十メートルで暮らしてきた沼崎だが、今回はあえて危険をおかしてこの地へやって来た。

 東京では鬼婆おにばばのような都知事猊下から自分の身を守ればいいだけだが、ここ千葉では全県民から自分の身を守らねばならない。

 ただ息をするだけでもサバイバルである。

 ジーパンとダンガリーシャツの下に〈ザ・シャークスーツ〉を着込み、サバイバル7つ道具が入ったナップサックを背負って、沼崎はルビコン川を渡る思いで江戸川を渡った。(注2)(注3)

 これは、サバイバル精神を凌駕りょうがした、ある衝動に突き動かされた結果であった。

 性は生を乗り越えて死へと接近する。

 長年封印されていたオリバー君との思い出と、自分を踏みつけにしたあの金髪の少年の面影が、抵抗しがた奔流ほんりゅうとなって沼崎をここまで運んで来たのだ。

 ちかってもいいが、幼年時代の一件を除けば沼崎はこれまで少年に欲情を抱いたことなどなかった。
 身の潔白は彼の性生活が証明している。
 かつてアダルト動画サイト・FANZAでダウンロードした作品の履歴、スタンドアローン中のPC内に蓄たくわえられている数々のエロ画像、それらのデータを解析すれば、沼崎六一郎は男性として極めてノーマルな、ある意味つまらない男(例えば根元知事はサイズが大きすぎて好みではなかった)だと断定できる。
 そんな平凡な中年のサバイバル男性をまどわす何かが、あの少年からかもし出されていたことは間違いない。

 沼崎は思った。
 できることなら、あの少年を連れ帰って一週間ばかり部屋に閉じ込めてじっくり観察してみたい。
 それは無理としても、もう少しお近づきになりたい。

 沼崎はポケットからメモ用紙を取り出した。
(千葉市中央区千葉港ちばみなと……)
 これは、西機にしはた家の固定電話の横にあった住所録から書き写したものだ。
 西機家の娘の現住所らしかった。

 沼崎は西機夫人が買い物へ出た隙に、家屋へ侵入した。
 ピッキング工具は一通り持っていた。
 空き巣をするためではない。
 すべてはサバイバルである。

 いや、その言い訳はもう通用しないだろう。

 彼は明らかに、罪を犯したのだ。



(つづく)













(注1)
根元つかさは子役から芸能活動を始め、十五歳でグラビアアイドルとしてブレイク。バストが月単位で成長する様子はファンから「造山運動」「プレートテクトニクス」と呼ばれた。「将来の夢は政治家になること」の公言通り二十五歳五カ月で銚子市議、三十歳一カ月で千葉県知事の座を手にする。根元の武器はイラストのデフォルメが控えめですらあるMカップ「利根川で育った天然もの」の胸。もし知事をリコールされた場合はフルヌードイメージビデオ出演、フルヌード写真集十万部自費出版抽選により県民へ無料配布を公約に現職を破り見事当選。千葉県以外ではありえない結果といわれた。根元の政治信条は「商談すれども統治せず」。自分は千葉県の象徴として広告塔に徹し、県特産のピーナッツなどの農作物、海産物、醬油などのセールスと観光客招致に傾注。行政については、得意な人にすべてお任せする。その「執行知事」も県民に選んでもらう。
そして行われた全国初の執行知事選挙。目玉は、候補者の国籍は問わないという点であった。千葉県民が推薦した長嶋茂雄氏(故人)、ハマコー氏(故人)、ミハイル・ゴルバチョフ氏(故人)、ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン氏、ビル・ゲイツ氏、イーロン・マスク氏(出馬会見後に辞退)、ジョン・F・ケネディー氏(故人)、マドンナ氏、アーノルド・シュワルツェネッガー氏が辞退する中、東欧で大統領を辞任したばかりのルカ氏が立候補。つづいて、米国映画監督のマイケル・ムーア氏も名乗りを上げ、事実上二人の一騎打ちとなった。結果はルカ氏の圧勝。故国で圧政と不正蓄財を非難され辞任した元大統領の悪評は散々流布されたにもかかわらず、千葉県民はルカ氏を選んだ。この選挙を題材としたマイケル・ムーア監督の記録映画『チバ県チヂ選挙 吸血鬼(ヴァンパイア)に血の一票を!』(原題「vote Chiba」)は世界的にヒットした。

(注2)ルビコン川
紀元前49年、ユリウス・カエサルの有名な言葉「賽(さい)は投げられた」が出た場所とされる。カエサルが軍を率いてこの川を渡れば故国に反旗を翻したことになる運命の川。共和政ローマが終焉を迎えローマ帝国誕生へと至る世界史の大転換点。

(注3)江戸川を渡った
ここに「県境の川を渡った」という以上の含意はない。ショタキャラとして人気の高い『名探偵コナン』の江戸川コナン少年を匂わせた表現では決してない。
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