28 / 35
第28話 うっ血女子と血色わるい王子⑪
しおりを挟む
試してみましょうか、と言って吉井はナイフを取り出した。
チホが軽く身構えると、吉井は手を上げて他意がないことを示した。
テーブルの上にあったウィスキーでナイフの先を消毒すると、吉井は平然と左手の指先に切っ先を突き刺した。
無表情の吉井が指先を二人の前に差し出すと、小さな切傷から透明なジェル状の物質が染み出してきた。
「これは線虫が出す粘液です。ぼくの体の中には毎朝飲む血液のほかに血は一滴もありません。代わりにこの粘液が充満しており、その中をミクロな線虫たちが泳ぎ回っているというわけです。即ちぼくは線虫たちにとって〝歩く市営プール〟なのです」
「上手いこと言ってるんじゃないわよ。そんな重大なことを軽く言わないでよ」
チホは吉井の胸倉を掴みそうになった。
その手が右手であることに気づくと、拳をぎゅっと握って耐えた。
「お怒りはご尤もですが、これがこの世の真実なのですよ」
吉井はいつか理事長室で見せた謝罪モードで受け流した。
「何で今まで隠してたのよ。みんな困ってるのに。繭になっちゃった人たちに何て言うつもり?」
「真実とは残酷なものです。知ったからといってどうなるものでもない。それなら、知らないほうがいい。知らなくていいことを目の前から隠してあげるのも、優しさというものではないでしょうか」
吉井は悪びれる様子もなかった。
「話にならない……ちょっと、彌堂君も何か言ってやってよ」
チホは促すが、世良彌堂の〈万物を丸裸にする目〉は一点に注がれたまま微動もしなかった。
吉井の指先を睨む世良彌堂の顔はどこか寂しげだ。
きっとメグミンさんのことを思い出してしまったのだとチホは察した。
吉井によれば、若い女性の場合は月経で確かめられる。
それ以外は採血してみるしかない。
病気にならない吸血者が自分の血を見る機会は稀だ。
「確かにおれは小学生以来、自分の血を見たことがない」
世良彌堂は寂しげな表情のまま言った。
「だが、何故言い切れる? おれも貴様と同じ状態にあると」
「顔ですよ」
「顔?」
「鏡をごらんなさい、気がつきませんか? 陶器のような肌、というものじゃない。君の肌はもはや青磁や白磁の部類。その目はサファイアで作った義眼ですか? 君の造型はもう人間離れしています。萩尾望都先生のイラストの美少年のように完璧です」(注1)
吉井によれば、肉体が線虫に完全に乗っ取られた吸血者は典型化、単純化、大衆化の道を歩む。
表情も行動も下手な役者の演技のように極端なものになっていく。
余計な要素が消されて、本質が最適化していく。
線虫がローコストで維持し易い人物へと精錬されるのだという。
「おかげでぼくも、絵に描いたような不良中年のちょいワルオヤジというわけです。これも、もう死語ですかな。前はもっと陰影の濃い深みのある人物だったのですがね……」
人体組織と入れ替えが完了したμ吸血線虫の群体に人間の意識は必要ないはずだ。
μ吸血線虫が完全に人体を乗っ取ってしまわないのは、そこに彼らの利益があるからだ。
μ吸血線虫は宿主の「人間性」を利用しているのかもしれない。
「例えば、赤十字社と吸血者協会という「人道的」で巧妙な搾取のシステムで人類から広く薄く血液を集めさせるとかね」(注2)
「その変な虫が血を吸うための道具なの? わたしたちって……」
チホはまだ信じたくなかった。
「そうなりましょうな。吸血者は人類に寄生し、μ線虫は吸血者に寄生する。そして、人類も地球に寄生してその養分を吸っている。マンガ『寄生獣』の広川市長も、確かそんなことを言っていましたね」(注3)
吉井はつづけた。
「その地球も宇宙の何かに寄生しているのかもしれない。何者かに寄生し何者かに寄生される。持ちつ持たれつではなく、奪い奪われどこまでも、それが救いのない残酷な宇宙の真理なのかもしれませんね」
そう言う吉井の表情は、どこか晴れ晴れとしていた。
秘密を暴露してさっぱりしたのだろうか。
「おれがすでに死んでいる? シロアリに食われた樹木のように、おれの体はすでに線虫どもに乗っ取られていて、おれの意識のみが残されている?」
世良彌堂も納得がいかないようだ。
「まるで幽霊ではないか……そんな馬鹿な」
「その意識も糸を吐くまでの命です。今回のイトマキ症の大流行は過去二回とは規模が違います。これも仮説ですが、μ吸血線虫の生存戦略に何らかの方針転換が起きた可能性があります。このまま人類と共にあっても先がないと判断したのでしょうか。仮説が正解でないことを祈るばかりです」
吉井のさわやかな笑顔に、その祈りは見えなかった。
「もはやどうでもいいことだが、一応訊いておく」
世良彌堂が力を振り絞るようにして吉井を睨んだ。
「貴様が繭を集めているのは何故なぜだ? まさか金儲けのためとも思えんが」
「もちろん、金ではありません。むしろ、逆です。繭で金儲けを企むやつらが今後必ず出てきます。繭を原料に医薬品、高級化粧品、サプリメント、オーガニックTシャツ、何でも出来ますからね。先手を打ったのです。繭を集めて保管する財団が間もなく発足します。また赤十字と協会のような、世界的ないい仕組みができますよ。μ吸血線虫が小躍りして大喜びするような「人間味」のあるシステムがね」
「貴様はクソ線虫どもの奴隷だな」
世良彌堂は吐き捨てた。
「せめて、優秀な、をつけてくださいよ」
ちょいワルの面目が立ったとばかり、不敵に微笑む吉井。
「ぼくに言わせるなら君だって、単独で吸血システムを構築してしまった驚嘆すべき奴隷の一人です」
チホは睨み合う世良彌堂と吉井友実をぼんやりと見ていた。
今まで曖昧にしていたことがこれではっきりしてしまった。
理科斜架と蜘蛛網姉妹のことだ。
二人の病気をパソコンの更新に準えるのもプリンターの目詰まりで説明するのももう通用しない。
線虫によって最適化され、線虫に乗り捨てられてしまった二人の生命はすでに燃え尽きているのだ。
真実を隠すことが優しさだと言う吉井は欺瞞に満ちた男だが、真実を求めながらどこかで直面することを避けたかったのはチホも同じだ。
この三か月間、駆け回って結局手の中に残ったのは羽化することのない二つの繭だけだった。
真実を告げる役目を終えた吉井はデッキチェアに戻って次のビールを開けていた。
「ああ、一つ言い忘れていました」
何気なく吉井が言った。
「間もなく、ここへ、シカクが来ます」
「何が来るって?」
世良彌堂が声を荒げた。
「し・か・く・です。四角じゃなくて刺客。刺客が来ます」
「何だと……貴様、おれたちを殺す気か?」
「殺されるのは、主にぼくです。ぼくがぼくを殺すのです。協会理事長、霧輿龍次郎として、トップシークレットを口外した吉井友実は殺さざるをえません。お二人も早く逃げないと、おや……遅かったかな」
吉井はデッキチェアの上に乗って、額に手をあて背伸びをした。
「おお、来た来た」
世良彌堂も湖岸へ目をやった。
ボートを出した船着き場の方角だ。
チホもそちらを見たが、木々に阻まれて何も見えない。
「小型のリバーカヤックだな……あれでこちらへ上陸する気か……背負っている長いものは刀剣か…… 何者だ? 中学生くらいにしか見えんが」
日本吸血者協会公認のプロの暗殺者の一人だという。
吸血者協会及び赤十字にとって望ましくない人物はこうして駆除されるらしい。
「ほら、何と言ったか、あの女優。映画監督と結婚したバレリーナの……ほら! 役所広司の『Shall we ダンス?』のヒロイン役の……ほら!」
珍しくど忘れしている世良彌堂。
バレエダンサー・草刈民代が、若返った感じのきりりとした少女が刀を背負ってこの島へ向かってくると言いたいようだ。
「妙だな……あの女、カマキリみたいな目で、おれを睨んでいる……この距離で目が合うわけがないのだが……」
湖に浮かぶ少女から木々の隙間を通して木漏れ日のように鋭い視線と殺気が伝わってくるという。
「彼女、君ほどではないが、人間にしては目はいいですよ。フィジカルもすごい。五歳から小刀で近所の犬猫を斬り始め、小学生時代はオンラインゲームのチャットで呼び寄せた変態どもを辻斬り、今では立派な趣味と実益を兼ねた殺し屋稼業、殺人マニアのサイコパスです。面影が坂本君の永遠の許嫁千葉さな子殿にちょっと似ているでしょう? ぼくを殺すのにふさわしいプロですよ」
「何だか知らないけど、その依頼ってキャンセルできないの?」
チホは吉井に言った。
「無理ですね。契約についてはゴルゴ13と同じ、一度引き受けた依頼は絶対です。すいません。もう助かりません。本当にすいません。この島にいる者は皆殺しです」
笑顔で答える吉井。
スマホを取り出し、110番通報しようとするチホ。
「また警察か。おまえには自己解決、自力救済という発想がない」
世良彌堂が呆れたように言った。
「もしや、千葉県警ですか? あそこはダメですよ。通報すれば一応動くでしょうが、至極ゆっくりやって来るでしょうね。パトカーが着いた頃には、すべて終わっていますよ。ここだけの話ですが、県警も彼女のお得意さんなのです。面倒な事件は逮捕して起訴するより殺したほうが早いですから」
「何よ。他人事みたいに」
そう言いながら、チホもどこか他人事みたいな気がしていた。
理科斜架と蜘蛛網をもうこちら側へ連れ戻せないとわかった以上、自分もこちらにいようとあちらへ行こうと同じような気がしていた。
生きることにあまり執着がないのは吸血者の特徴の一つかもしれない。
「お二人には悪いが、ぼくはとても満足です。これでやっと肩の荷が降ろせます。ぼくの明治維新、吸血者革命が完結です」
吉井友実はサングラスをかけ直し、デッキチェアに寝そべってまたキリンの一番搾りを飲み始めた。
「罪なやつさ あぁァ~パシフィック 碧く燃える海 どうやら おれの 負けだぜぇェ~……」
ラジカセから流れる曲はいつしか矢沢永吉「時間よ止まれ」に変わっていた。
「勝手に自己完結していろ! この、クソオヤジ」
世良彌堂が怒鳴った。
「そうやって国産ビールを飲みながら司馬遼太郎の日本昔話でも読み耽ってろ!」
「幻で かまわない 時間よぉ 止まれぇ~ いのちの めまいの なかでぇ~」
吉井は気持ちよさげにサビを歌い上げている。
「彌堂君……」
世良彌堂の小さな体が大股でチホの元から離れていく。
元来た湖岸へ戻るようだ。
チホは追いかけた。
「どうするの? ボートで逃げるの?」
「いや、闘うのだ」
「闘う? 殺し屋と?」
「そうだ。やつを波打ち際で、迎え撃つ!!」
(つづく)
(注1)萩尾望都(1949~) 漫画家。天才。
吸血鬼の一族を年代記風に描いた『ポーの一族』が有名。
(注2)
皇室は日本赤十字社に設立当初から今日まで深く関わってきた事実がある。それが何を意味するのか、非常に興味深いテーマではあるが、ジャーナリズムがまったくと言っていいほど触れないこともまた興味深い事実である。
(注3)マンガ『寄生獣』
作者は岩明均。人類と寄生生物の闘争と共生を描いた大傑作。
チホが軽く身構えると、吉井は手を上げて他意がないことを示した。
テーブルの上にあったウィスキーでナイフの先を消毒すると、吉井は平然と左手の指先に切っ先を突き刺した。
無表情の吉井が指先を二人の前に差し出すと、小さな切傷から透明なジェル状の物質が染み出してきた。
「これは線虫が出す粘液です。ぼくの体の中には毎朝飲む血液のほかに血は一滴もありません。代わりにこの粘液が充満しており、その中をミクロな線虫たちが泳ぎ回っているというわけです。即ちぼくは線虫たちにとって〝歩く市営プール〟なのです」
「上手いこと言ってるんじゃないわよ。そんな重大なことを軽く言わないでよ」
チホは吉井の胸倉を掴みそうになった。
その手が右手であることに気づくと、拳をぎゅっと握って耐えた。
「お怒りはご尤もですが、これがこの世の真実なのですよ」
吉井はいつか理事長室で見せた謝罪モードで受け流した。
「何で今まで隠してたのよ。みんな困ってるのに。繭になっちゃった人たちに何て言うつもり?」
「真実とは残酷なものです。知ったからといってどうなるものでもない。それなら、知らないほうがいい。知らなくていいことを目の前から隠してあげるのも、優しさというものではないでしょうか」
吉井は悪びれる様子もなかった。
「話にならない……ちょっと、彌堂君も何か言ってやってよ」
チホは促すが、世良彌堂の〈万物を丸裸にする目〉は一点に注がれたまま微動もしなかった。
吉井の指先を睨む世良彌堂の顔はどこか寂しげだ。
きっとメグミンさんのことを思い出してしまったのだとチホは察した。
吉井によれば、若い女性の場合は月経で確かめられる。
それ以外は採血してみるしかない。
病気にならない吸血者が自分の血を見る機会は稀だ。
「確かにおれは小学生以来、自分の血を見たことがない」
世良彌堂は寂しげな表情のまま言った。
「だが、何故言い切れる? おれも貴様と同じ状態にあると」
「顔ですよ」
「顔?」
「鏡をごらんなさい、気がつきませんか? 陶器のような肌、というものじゃない。君の肌はもはや青磁や白磁の部類。その目はサファイアで作った義眼ですか? 君の造型はもう人間離れしています。萩尾望都先生のイラストの美少年のように完璧です」(注1)
吉井によれば、肉体が線虫に完全に乗っ取られた吸血者は典型化、単純化、大衆化の道を歩む。
表情も行動も下手な役者の演技のように極端なものになっていく。
余計な要素が消されて、本質が最適化していく。
線虫がローコストで維持し易い人物へと精錬されるのだという。
「おかげでぼくも、絵に描いたような不良中年のちょいワルオヤジというわけです。これも、もう死語ですかな。前はもっと陰影の濃い深みのある人物だったのですがね……」
人体組織と入れ替えが完了したμ吸血線虫の群体に人間の意識は必要ないはずだ。
μ吸血線虫が完全に人体を乗っ取ってしまわないのは、そこに彼らの利益があるからだ。
μ吸血線虫は宿主の「人間性」を利用しているのかもしれない。
「例えば、赤十字社と吸血者協会という「人道的」で巧妙な搾取のシステムで人類から広く薄く血液を集めさせるとかね」(注2)
「その変な虫が血を吸うための道具なの? わたしたちって……」
チホはまだ信じたくなかった。
「そうなりましょうな。吸血者は人類に寄生し、μ線虫は吸血者に寄生する。そして、人類も地球に寄生してその養分を吸っている。マンガ『寄生獣』の広川市長も、確かそんなことを言っていましたね」(注3)
吉井はつづけた。
「その地球も宇宙の何かに寄生しているのかもしれない。何者かに寄生し何者かに寄生される。持ちつ持たれつではなく、奪い奪われどこまでも、それが救いのない残酷な宇宙の真理なのかもしれませんね」
そう言う吉井の表情は、どこか晴れ晴れとしていた。
秘密を暴露してさっぱりしたのだろうか。
「おれがすでに死んでいる? シロアリに食われた樹木のように、おれの体はすでに線虫どもに乗っ取られていて、おれの意識のみが残されている?」
世良彌堂も納得がいかないようだ。
「まるで幽霊ではないか……そんな馬鹿な」
「その意識も糸を吐くまでの命です。今回のイトマキ症の大流行は過去二回とは規模が違います。これも仮説ですが、μ吸血線虫の生存戦略に何らかの方針転換が起きた可能性があります。このまま人類と共にあっても先がないと判断したのでしょうか。仮説が正解でないことを祈るばかりです」
吉井のさわやかな笑顔に、その祈りは見えなかった。
「もはやどうでもいいことだが、一応訊いておく」
世良彌堂が力を振り絞るようにして吉井を睨んだ。
「貴様が繭を集めているのは何故なぜだ? まさか金儲けのためとも思えんが」
「もちろん、金ではありません。むしろ、逆です。繭で金儲けを企むやつらが今後必ず出てきます。繭を原料に医薬品、高級化粧品、サプリメント、オーガニックTシャツ、何でも出来ますからね。先手を打ったのです。繭を集めて保管する財団が間もなく発足します。また赤十字と協会のような、世界的ないい仕組みができますよ。μ吸血線虫が小躍りして大喜びするような「人間味」のあるシステムがね」
「貴様はクソ線虫どもの奴隷だな」
世良彌堂は吐き捨てた。
「せめて、優秀な、をつけてくださいよ」
ちょいワルの面目が立ったとばかり、不敵に微笑む吉井。
「ぼくに言わせるなら君だって、単独で吸血システムを構築してしまった驚嘆すべき奴隷の一人です」
チホは睨み合う世良彌堂と吉井友実をぼんやりと見ていた。
今まで曖昧にしていたことがこれではっきりしてしまった。
理科斜架と蜘蛛網姉妹のことだ。
二人の病気をパソコンの更新に準えるのもプリンターの目詰まりで説明するのももう通用しない。
線虫によって最適化され、線虫に乗り捨てられてしまった二人の生命はすでに燃え尽きているのだ。
真実を隠すことが優しさだと言う吉井は欺瞞に満ちた男だが、真実を求めながらどこかで直面することを避けたかったのはチホも同じだ。
この三か月間、駆け回って結局手の中に残ったのは羽化することのない二つの繭だけだった。
真実を告げる役目を終えた吉井はデッキチェアに戻って次のビールを開けていた。
「ああ、一つ言い忘れていました」
何気なく吉井が言った。
「間もなく、ここへ、シカクが来ます」
「何が来るって?」
世良彌堂が声を荒げた。
「し・か・く・です。四角じゃなくて刺客。刺客が来ます」
「何だと……貴様、おれたちを殺す気か?」
「殺されるのは、主にぼくです。ぼくがぼくを殺すのです。協会理事長、霧輿龍次郎として、トップシークレットを口外した吉井友実は殺さざるをえません。お二人も早く逃げないと、おや……遅かったかな」
吉井はデッキチェアの上に乗って、額に手をあて背伸びをした。
「おお、来た来た」
世良彌堂も湖岸へ目をやった。
ボートを出した船着き場の方角だ。
チホもそちらを見たが、木々に阻まれて何も見えない。
「小型のリバーカヤックだな……あれでこちらへ上陸する気か……背負っている長いものは刀剣か…… 何者だ? 中学生くらいにしか見えんが」
日本吸血者協会公認のプロの暗殺者の一人だという。
吸血者協会及び赤十字にとって望ましくない人物はこうして駆除されるらしい。
「ほら、何と言ったか、あの女優。映画監督と結婚したバレリーナの……ほら! 役所広司の『Shall we ダンス?』のヒロイン役の……ほら!」
珍しくど忘れしている世良彌堂。
バレエダンサー・草刈民代が、若返った感じのきりりとした少女が刀を背負ってこの島へ向かってくると言いたいようだ。
「妙だな……あの女、カマキリみたいな目で、おれを睨んでいる……この距離で目が合うわけがないのだが……」
湖に浮かぶ少女から木々の隙間を通して木漏れ日のように鋭い視線と殺気が伝わってくるという。
「彼女、君ほどではないが、人間にしては目はいいですよ。フィジカルもすごい。五歳から小刀で近所の犬猫を斬り始め、小学生時代はオンラインゲームのチャットで呼び寄せた変態どもを辻斬り、今では立派な趣味と実益を兼ねた殺し屋稼業、殺人マニアのサイコパスです。面影が坂本君の永遠の許嫁千葉さな子殿にちょっと似ているでしょう? ぼくを殺すのにふさわしいプロですよ」
「何だか知らないけど、その依頼ってキャンセルできないの?」
チホは吉井に言った。
「無理ですね。契約についてはゴルゴ13と同じ、一度引き受けた依頼は絶対です。すいません。もう助かりません。本当にすいません。この島にいる者は皆殺しです」
笑顔で答える吉井。
スマホを取り出し、110番通報しようとするチホ。
「また警察か。おまえには自己解決、自力救済という発想がない」
世良彌堂が呆れたように言った。
「もしや、千葉県警ですか? あそこはダメですよ。通報すれば一応動くでしょうが、至極ゆっくりやって来るでしょうね。パトカーが着いた頃には、すべて終わっていますよ。ここだけの話ですが、県警も彼女のお得意さんなのです。面倒な事件は逮捕して起訴するより殺したほうが早いですから」
「何よ。他人事みたいに」
そう言いながら、チホもどこか他人事みたいな気がしていた。
理科斜架と蜘蛛網をもうこちら側へ連れ戻せないとわかった以上、自分もこちらにいようとあちらへ行こうと同じような気がしていた。
生きることにあまり執着がないのは吸血者の特徴の一つかもしれない。
「お二人には悪いが、ぼくはとても満足です。これでやっと肩の荷が降ろせます。ぼくの明治維新、吸血者革命が完結です」
吉井友実はサングラスをかけ直し、デッキチェアに寝そべってまたキリンの一番搾りを飲み始めた。
「罪なやつさ あぁァ~パシフィック 碧く燃える海 どうやら おれの 負けだぜぇェ~……」
ラジカセから流れる曲はいつしか矢沢永吉「時間よ止まれ」に変わっていた。
「勝手に自己完結していろ! この、クソオヤジ」
世良彌堂が怒鳴った。
「そうやって国産ビールを飲みながら司馬遼太郎の日本昔話でも読み耽ってろ!」
「幻で かまわない 時間よぉ 止まれぇ~ いのちの めまいの なかでぇ~」
吉井は気持ちよさげにサビを歌い上げている。
「彌堂君……」
世良彌堂の小さな体が大股でチホの元から離れていく。
元来た湖岸へ戻るようだ。
チホは追いかけた。
「どうするの? ボートで逃げるの?」
「いや、闘うのだ」
「闘う? 殺し屋と?」
「そうだ。やつを波打ち際で、迎え撃つ!!」
(つづく)
(注1)萩尾望都(1949~) 漫画家。天才。
吸血鬼の一族を年代記風に描いた『ポーの一族』が有名。
(注2)
皇室は日本赤十字社に設立当初から今日まで深く関わってきた事実がある。それが何を意味するのか、非常に興味深いテーマではあるが、ジャーナリズムがまったくと言っていいほど触れないこともまた興味深い事実である。
(注3)マンガ『寄生獣』
作者は岩明均。人類と寄生生物の闘争と共生を描いた大傑作。
0
あなたにおすすめの小説
「魔物の討伐で拾われた少年――アイト・グレイモント」
(イェイソン・マヌエル・ジーン)
ファンタジー
魔物の討伐中に見つかった黄金の瞳の少年、アイト・グレイモント。
王宮で育てられながらも、本当の冒険を求める彼は7歳で旅に出る。
風の魔法を操り、師匠と幼なじみの少女リリアと共に世界を巡る中、古代の遺跡で隠された力に触れ——。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います
ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。
懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?
アガルタ・クライシス ―接点―
来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。
九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。
同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。
不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。
古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる