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第29話 血戦ニザエモン島 前半戦
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「はい。潮里だけど。あ、チホ。どうしたの?」
「え、殺し屋? うん、わかった」
「あ、そこ、ダメだよ。だって、電気がない」
「電気だよ、電気! 電波とは違うの。電線が通ってないと行けないんだ、あたし。スマホの電池じゃ、これが精一杯なの」
「そう。そういうことだから。殺し屋はチホたちでやっつけて。うん、応援してる」
「うん、わかった。じゃあね。またね。早く帰って来て。じゃあね」
青白い少女の画像がスマホの奥へ吸い込まれるようにして消えた。
「彌堂君。今日は、カミカゼは吹かないって」
「大丈夫だ。銃と刀なら銃が勝つ」
「銃じゃないんだけど。ただのお弾きだよ」
灌木の林を抜け二人は上陸地点まで戻ってきた。
チホと世良彌堂は砂地に乗り上げたボートの横に並んで立っていた。
暗殺者のカヌーはそこから三十メートルほど沖に浮いている。
チホにも少女の顔がやっと見えた。
さっきスマホで見たバレリーナに似た感じのポニーテールの少女が、カマキリのような目でじっとこちらを睨んでいた。
湖面にはチホたちが渡った時にはなかった細波が立ち、水面を吹き渡る一陣の風にカヌーがちゃぽちゃぽと揺れていた。
少女剣士は、静かにパドルで漕こいで、風に押し戻された分を補い同じ距離を保っている。
「プロだな」と世良彌堂。
「飛び道具を警戒しているようだ」
顔立ちは綺麗なのに表情が乏しい少女だ。
チホはスマホに(千葉 殺し屋 中学生)と打ち込んで検索してみた。
すると、沖の仏頂面と同じ顔の画像が出てきた。
けっこうな有名人だった。
「週末アサシン 代々木松絵ちゃん」といってすでに18人も殺していた。
土日と休日だけ午後九時まで〝仕事〟をしている女の子で、名目は一応「映画撮影」となっているが、千葉から一歩でも外に出れば即逮捕されてしまう要注意危険人物のようだ。
得意技は「袈裟斬り」。
「でも、まだ子供じゃない。話せばわかるんじゃないかな」
「おまえはプロフェッショナルというものを知らない」
チホは沖に向かって呼びかけてみた。
「すいませーん」
「わたしたちー、関係ないのでー、吉井さんだけにー、してくれませんかー?」
返事を待っていると、チホたちの手前の波打ち際に何か刺さった。
見ると、棒状の手裏剣だった。
いつ投げたのか、見えなかった。
チホは思わずあとずさりした。
「それが答だ。闘うしかない」
「マジで……」
「いいか。やつを島へ上陸させるわけにはいかない。やつが水の上にいる間がこちらの勝機。弾は十分にあるな?」
「釣りのオモリ、多めには買ったけど」
「よし。撃て。いや、待て」
世良彌堂がチホの腕の中へ身を滑り込ませてきた。
「おれが照準になる」
中腰になった世良彌堂の細いうしろ首が、ちょうどチホの胸の間に収まっていた。
「ちょっと……触んないでよ」
柔らかい金髪がチホの顎の下をくすぐった。
「いいから、腕を貸せ」
世良彌堂はチホの左手を〈万物を丸裸にする目〉の高さに据えた。
「もっと力を抜け。よし。とりあえず一発撃ってみろ」
「撃つの? 撃てばいいの?」
チホは深呼吸した。
あの子は殺し屋で、自分たちを殺そうとしている。
撃たなければ、こっちが殺される。
このまま殺されてもいいような気もした。
いや、ダメダメ。
刀で斬られるのは痛い。
痛いのは嫌だ。
撃っていいんだ。
撃っていい。
チホは革の指あてを着けた右の人差指を親指に引っかけて、ナス型オモリ6号を弾いた。
左手の上から鉛玉が消え、カヌーの左横、数メートルの水面に、小魚が跳ねたようにぱしゃぱしゃぱしゃと飛沫が上がった。
少女剣士は乱れた水面を一瞥すると、またこちらを睨んだ。
「無理だよ。遠すぎる」
チホは次の鉛玉をてのひらに載せながら言った。
「わかった。中指と薬指の間の溝で狙うのだな。よし」
そう言うと、世良彌堂はチホの左手を下から掴んで小刻みに動かし、ぴたっと止めた。
「ここだ。撃ってみろ。今すぐ!」
チホは言われるままに二弾目を弾いた。
少女剣士がパドルを顔の前に立てた。
こーん、と音がした。
パドルの陰から少女の顔が半分だけ現れた。
片目でこちらを睨んでいた。
「あんな化け物を陸へ上げるわけにはいかない。チホ、連続発射だ。是が非でもやつを沈める」
世良彌堂に促されるまま、チホは左手に鉛玉を縦に三つ並べた。
世良彌堂が叫ぶ。
「本日天気曇天ナレドモ波低シ。チ砲、斉射三連。撃テ!」(注1)
一発目はカヌーの舳先を掠った。
二発目はカヌーの上を越えて水面へ刺さった。
三発目は、また、こーんとパドルで受けられた。
「急げ。次だ。撃て。どんどん撃て。おれが狙う。おまえは何も考えず撃ちまくれ」
パドルを操り後退するカヌー目がけ、チホは指を弾きつづけた。
そのうち一発がどこかに当たったらしく、沖のほうで(うっ……)という少女のカワイイ呻き声が響いた。
「今だ! 逃すな。撃て。撃て。撃て」
世良彌堂が吼える。
チホも応えて撃ちまくった。
少女剣士がバランスを崩した。
カヌーが大きく揺れ、ひっくり返った。
競技用カヌーは平らな船底を空へ向けていた。
「やった! やったの?」
「まだだ。気を抜くな。やつの頭が水面に現れたら、迷わずに撃て。それでけりがつく」
ひっくり返ったカヌーの向こうに何か浮かび上がった。
チホが弾くと、ボスッと当たった。
「うん? 救命胴衣か……」
世良彌堂が舌打ちした。
水面にはひっくり返ったカヌーと脱ぎ捨てられたオレンジ色のライフジャケットが浮かんでいる。
二人は水面を見渡した。
波間に少女剣士の頭が現れないか待った。
「撃て」
「え、どこ?」
「いいから、撃て」
撃った。
世良彌堂に預けた左手の先、五メートルくらいの水面に弾がズッと刺さった。
「そこ? ……近くない?」
水面が大きく盛り上がった。
水飛沫の中から、何かが飛んで来た。
回転しながら飛んで来たのは、ダブルブレイドのパドルだった。
世良彌堂は屈み、チホは跳び退いた。
パドルが二人の間を割るようにして、湖岸の砂地へ落ちた。
その時にはもう、白いジャージ姿の少女剣士が浅瀬に生えた葦を掻き分け岸へ向かって猛ダッシュしていた。
少女剣士は、すでに白刃を手にしている。
「チホ、逃げろ!」
世良彌堂が叫んだ。
チホは島の奥へ向かって走った。
同じ方向へ走っていると思った世良彌堂は岸に沿って逃げていた。
それをびしょ濡れの少女剣士が追いかけている。
脚は彼女のほうが早い。
「彌堂君、危ない!」
少女剣士が振りかぶった太刀で背後から世良彌堂を袈裟斬りにした。
「うわあぁァーーーッ……」
空に向かって片手を伸ばし、膝を突いて倒れ込む世良彌堂。
更に斬りつけようとする少女剣士。
チホが、少女剣士に向かって、弾いた。
ナス型オモリ6号は、キンッと太刀たちで跳ね返された。
チホは間を詰めながらつづけて弾いた。
キンッとまた跳ね返されたが、三発目が肩に当たった。
少女剣士は顔を顰め、チホに刀を向けたままじりじりと後退する。
チホは左手を少女剣士に向け、いつでも弾けるように右手を構えたまま、倒れた世良彌堂へ駆け寄った。
「彌堂君、大丈夫!? 彌堂君!」
「平気だ」
歪んだ顔で見上げる世良彌堂。
チホは悔んだ。
現実感に乏しい自分の対応がこの事態を招いてしまった。
「歩ける?」
「肩を貸せ」
世良彌堂に抱きつかせたまま、チホは少女剣士から目を離さずにあとずさると茂った灌木の陰に回り込んだ。
「やつはどこだ?」
世良彌堂は仰向けになったまま言った。
「向こうの茂みに隠れている」
「襲ってこないか?」
「この距離なら、わたし一人でも当たる。今、一発当たったし」
「そうか。弾はまだあるか?」
「あと一袋」
「じゃあ、おれを置いて逃げろ。あのボートで逃げろ。忘れるな、右一漕ぎにつき左三漕ぎだぞ」
「何言ってるの?」
チホが睨むと、世良彌堂はチホを見上げて首を横に振った。
「おれはもうダメだ。見ろ」
世良彌堂は背中にあてていた手を抜いて見せた。
てのひらがジェル状の物質でべっとりと濡れていた。
先ほど吉井が見せたものと同じμ吸血線虫の粘液だ。
「この体も遠からず、イトマキの症状が始まるのだろう。おれに未来はない。おまえにはまだ時間がある。おれが食い止めている間に逃げるのだ」
「あの子はわたしがやっつけるよ」
「無理だ。子供でもプロのはしくれだ」
世良彌堂が、チホを説得した。
二人ここに残れば共倒れになる。
おまえは生き残っておれの女たちにおれの最期を伝えてくれ。
そして、おれの葬式を上げてくれ。
そうだな、三回忌も七回忌もいらない。
一回限りの会費制立食パーティーでいい。
できるだけライトなやつを頼む。
おれのことをまだ信じている女たちに教えてやってくれ。
あいつは最低の詐欺師野郎だったと。
物分かりのいい女たちのことだ。
後半はきっと、おれの悪口大会になる。
みんなでおれを罵り、貶しまくって、それっきり忘れてほしい。
「彌堂君」
チホの目から透明な液体が零れ落ちて、世良彌堂の陶器の肌に当たって弾けた。
「そうだ。ここへ来る途中、おまえの弾丸になりそうな石を拾っていたのだ。これも使え。できるだけ撃ちまくって、その隙に逃げるのだ……」
世良彌堂はパーカーの右ポケットから掴み出した小石をチホの手に落とした。
「これは死んだメグぅミんを除くすべての女のリストだ。おまえに預ける。うん? こっちは何だ? ……いつの間にこんなものが」
左ポケットから抜き出したてのひらに、折り畳んだ女性たちのリストと小さな紙切れが載っていた。
「チホ、おまえのスマホを貸せ。今すぐに!」
(つづく)
(注1)「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
1905年、日露戦争でバルチック艦隊を破った日本海海戦において、連合艦隊出撃を知らせる電報の一節。
「え、殺し屋? うん、わかった」
「あ、そこ、ダメだよ。だって、電気がない」
「電気だよ、電気! 電波とは違うの。電線が通ってないと行けないんだ、あたし。スマホの電池じゃ、これが精一杯なの」
「そう。そういうことだから。殺し屋はチホたちでやっつけて。うん、応援してる」
「うん、わかった。じゃあね。またね。早く帰って来て。じゃあね」
青白い少女の画像がスマホの奥へ吸い込まれるようにして消えた。
「彌堂君。今日は、カミカゼは吹かないって」
「大丈夫だ。銃と刀なら銃が勝つ」
「銃じゃないんだけど。ただのお弾きだよ」
灌木の林を抜け二人は上陸地点まで戻ってきた。
チホと世良彌堂は砂地に乗り上げたボートの横に並んで立っていた。
暗殺者のカヌーはそこから三十メートルほど沖に浮いている。
チホにも少女の顔がやっと見えた。
さっきスマホで見たバレリーナに似た感じのポニーテールの少女が、カマキリのような目でじっとこちらを睨んでいた。
湖面にはチホたちが渡った時にはなかった細波が立ち、水面を吹き渡る一陣の風にカヌーがちゃぽちゃぽと揺れていた。
少女剣士は、静かにパドルで漕こいで、風に押し戻された分を補い同じ距離を保っている。
「プロだな」と世良彌堂。
「飛び道具を警戒しているようだ」
顔立ちは綺麗なのに表情が乏しい少女だ。
チホはスマホに(千葉 殺し屋 中学生)と打ち込んで検索してみた。
すると、沖の仏頂面と同じ顔の画像が出てきた。
けっこうな有名人だった。
「週末アサシン 代々木松絵ちゃん」といってすでに18人も殺していた。
土日と休日だけ午後九時まで〝仕事〟をしている女の子で、名目は一応「映画撮影」となっているが、千葉から一歩でも外に出れば即逮捕されてしまう要注意危険人物のようだ。
得意技は「袈裟斬り」。
「でも、まだ子供じゃない。話せばわかるんじゃないかな」
「おまえはプロフェッショナルというものを知らない」
チホは沖に向かって呼びかけてみた。
「すいませーん」
「わたしたちー、関係ないのでー、吉井さんだけにー、してくれませんかー?」
返事を待っていると、チホたちの手前の波打ち際に何か刺さった。
見ると、棒状の手裏剣だった。
いつ投げたのか、見えなかった。
チホは思わずあとずさりした。
「それが答だ。闘うしかない」
「マジで……」
「いいか。やつを島へ上陸させるわけにはいかない。やつが水の上にいる間がこちらの勝機。弾は十分にあるな?」
「釣りのオモリ、多めには買ったけど」
「よし。撃て。いや、待て」
世良彌堂がチホの腕の中へ身を滑り込ませてきた。
「おれが照準になる」
中腰になった世良彌堂の細いうしろ首が、ちょうどチホの胸の間に収まっていた。
「ちょっと……触んないでよ」
柔らかい金髪がチホの顎の下をくすぐった。
「いいから、腕を貸せ」
世良彌堂はチホの左手を〈万物を丸裸にする目〉の高さに据えた。
「もっと力を抜け。よし。とりあえず一発撃ってみろ」
「撃つの? 撃てばいいの?」
チホは深呼吸した。
あの子は殺し屋で、自分たちを殺そうとしている。
撃たなければ、こっちが殺される。
このまま殺されてもいいような気もした。
いや、ダメダメ。
刀で斬られるのは痛い。
痛いのは嫌だ。
撃っていいんだ。
撃っていい。
チホは革の指あてを着けた右の人差指を親指に引っかけて、ナス型オモリ6号を弾いた。
左手の上から鉛玉が消え、カヌーの左横、数メートルの水面に、小魚が跳ねたようにぱしゃぱしゃぱしゃと飛沫が上がった。
少女剣士は乱れた水面を一瞥すると、またこちらを睨んだ。
「無理だよ。遠すぎる」
チホは次の鉛玉をてのひらに載せながら言った。
「わかった。中指と薬指の間の溝で狙うのだな。よし」
そう言うと、世良彌堂はチホの左手を下から掴んで小刻みに動かし、ぴたっと止めた。
「ここだ。撃ってみろ。今すぐ!」
チホは言われるままに二弾目を弾いた。
少女剣士がパドルを顔の前に立てた。
こーん、と音がした。
パドルの陰から少女の顔が半分だけ現れた。
片目でこちらを睨んでいた。
「あんな化け物を陸へ上げるわけにはいかない。チホ、連続発射だ。是が非でもやつを沈める」
世良彌堂に促されるまま、チホは左手に鉛玉を縦に三つ並べた。
世良彌堂が叫ぶ。
「本日天気曇天ナレドモ波低シ。チ砲、斉射三連。撃テ!」(注1)
一発目はカヌーの舳先を掠った。
二発目はカヌーの上を越えて水面へ刺さった。
三発目は、また、こーんとパドルで受けられた。
「急げ。次だ。撃て。どんどん撃て。おれが狙う。おまえは何も考えず撃ちまくれ」
パドルを操り後退するカヌー目がけ、チホは指を弾きつづけた。
そのうち一発がどこかに当たったらしく、沖のほうで(うっ……)という少女のカワイイ呻き声が響いた。
「今だ! 逃すな。撃て。撃て。撃て」
世良彌堂が吼える。
チホも応えて撃ちまくった。
少女剣士がバランスを崩した。
カヌーが大きく揺れ、ひっくり返った。
競技用カヌーは平らな船底を空へ向けていた。
「やった! やったの?」
「まだだ。気を抜くな。やつの頭が水面に現れたら、迷わずに撃て。それでけりがつく」
ひっくり返ったカヌーの向こうに何か浮かび上がった。
チホが弾くと、ボスッと当たった。
「うん? 救命胴衣か……」
世良彌堂が舌打ちした。
水面にはひっくり返ったカヌーと脱ぎ捨てられたオレンジ色のライフジャケットが浮かんでいる。
二人は水面を見渡した。
波間に少女剣士の頭が現れないか待った。
「撃て」
「え、どこ?」
「いいから、撃て」
撃った。
世良彌堂に預けた左手の先、五メートルくらいの水面に弾がズッと刺さった。
「そこ? ……近くない?」
水面が大きく盛り上がった。
水飛沫の中から、何かが飛んで来た。
回転しながら飛んで来たのは、ダブルブレイドのパドルだった。
世良彌堂は屈み、チホは跳び退いた。
パドルが二人の間を割るようにして、湖岸の砂地へ落ちた。
その時にはもう、白いジャージ姿の少女剣士が浅瀬に生えた葦を掻き分け岸へ向かって猛ダッシュしていた。
少女剣士は、すでに白刃を手にしている。
「チホ、逃げろ!」
世良彌堂が叫んだ。
チホは島の奥へ向かって走った。
同じ方向へ走っていると思った世良彌堂は岸に沿って逃げていた。
それをびしょ濡れの少女剣士が追いかけている。
脚は彼女のほうが早い。
「彌堂君、危ない!」
少女剣士が振りかぶった太刀で背後から世良彌堂を袈裟斬りにした。
「うわあぁァーーーッ……」
空に向かって片手を伸ばし、膝を突いて倒れ込む世良彌堂。
更に斬りつけようとする少女剣士。
チホが、少女剣士に向かって、弾いた。
ナス型オモリ6号は、キンッと太刀たちで跳ね返された。
チホは間を詰めながらつづけて弾いた。
キンッとまた跳ね返されたが、三発目が肩に当たった。
少女剣士は顔を顰め、チホに刀を向けたままじりじりと後退する。
チホは左手を少女剣士に向け、いつでも弾けるように右手を構えたまま、倒れた世良彌堂へ駆け寄った。
「彌堂君、大丈夫!? 彌堂君!」
「平気だ」
歪んだ顔で見上げる世良彌堂。
チホは悔んだ。
現実感に乏しい自分の対応がこの事態を招いてしまった。
「歩ける?」
「肩を貸せ」
世良彌堂に抱きつかせたまま、チホは少女剣士から目を離さずにあとずさると茂った灌木の陰に回り込んだ。
「やつはどこだ?」
世良彌堂は仰向けになったまま言った。
「向こうの茂みに隠れている」
「襲ってこないか?」
「この距離なら、わたし一人でも当たる。今、一発当たったし」
「そうか。弾はまだあるか?」
「あと一袋」
「じゃあ、おれを置いて逃げろ。あのボートで逃げろ。忘れるな、右一漕ぎにつき左三漕ぎだぞ」
「何言ってるの?」
チホが睨むと、世良彌堂はチホを見上げて首を横に振った。
「おれはもうダメだ。見ろ」
世良彌堂は背中にあてていた手を抜いて見せた。
てのひらがジェル状の物質でべっとりと濡れていた。
先ほど吉井が見せたものと同じμ吸血線虫の粘液だ。
「この体も遠からず、イトマキの症状が始まるのだろう。おれに未来はない。おまえにはまだ時間がある。おれが食い止めている間に逃げるのだ」
「あの子はわたしがやっつけるよ」
「無理だ。子供でもプロのはしくれだ」
世良彌堂が、チホを説得した。
二人ここに残れば共倒れになる。
おまえは生き残っておれの女たちにおれの最期を伝えてくれ。
そして、おれの葬式を上げてくれ。
そうだな、三回忌も七回忌もいらない。
一回限りの会費制立食パーティーでいい。
できるだけライトなやつを頼む。
おれのことをまだ信じている女たちに教えてやってくれ。
あいつは最低の詐欺師野郎だったと。
物分かりのいい女たちのことだ。
後半はきっと、おれの悪口大会になる。
みんなでおれを罵り、貶しまくって、それっきり忘れてほしい。
「彌堂君」
チホの目から透明な液体が零れ落ちて、世良彌堂の陶器の肌に当たって弾けた。
「そうだ。ここへ来る途中、おまえの弾丸になりそうな石を拾っていたのだ。これも使え。できるだけ撃ちまくって、その隙に逃げるのだ……」
世良彌堂はパーカーの右ポケットから掴み出した小石をチホの手に落とした。
「これは死んだメグぅミんを除くすべての女のリストだ。おまえに預ける。うん? こっちは何だ? ……いつの間にこんなものが」
左ポケットから抜き出したてのひらに、折り畳んだ女性たちのリストと小さな紙切れが載っていた。
「チホ、おまえのスマホを貸せ。今すぐに!」
(つづく)
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