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第3章
第25話 しちゃいけない恋
しおりを挟む次の日の朝、出勤して更衣室へ入ると、そこにはすでに三ツ矢先輩がいた。
「おはよう」
私が開けたドアの音に振り向いた三ツ矢先輩は、自分から挨拶してくれた。
「おはようございます……」
たったの12時間前にあんな場面を目撃したばかりな上に、その事件現場に二人きりのシチュエーションで、私はもろにドギマギしてしまった。
「もう気にしなくていいって」
案の定、三ツ矢先輩は私の動揺にすぐに気づいた。フォローで言ってくれた一言は、優しくというよりは少し面倒くさそうな口ぶりだった。
「本当にすみませんでした……」
気にしなくていいと言われても謝らずにはいられない。
「実際、茅野さんは深沢さんの提案に無理やり付き合わされただけなんでしょ?」
三ツ矢先輩はロッカーの中に手を伸ばしながら、見透かしたようにそう言った。
確かに、賭けも、それを確かめる方法も智鶴ちゃんが言い出したことだけど、しっかり拒まずに流された私は同罪だ。私は智鶴ちゃんだけに罪をなすりつけるつもりなんて毛頭なかった。
「無理やりとか、そんなことないです。私のしたことは私の意思で決めたことですから……」
私がそう言うと、三ツ矢先輩はロッカーに向けていた体を私に向けて、疑わしそうに聞き返した。
「ほんとに?」
その視線に耐えられずうつ向きながら返事をした。
「……はい」
「じゃあさ、ロッカーの中から私と深沢さんの行為を覗き見することも、茅野さんの意思だったんだ?」
いかがわしい表現に思わず顔を上げた瞬間、思いのほか近くにいた三ツ矢先輩と目が合った。黒くて綺麗なその瞳は、昨晩ロッカーの中から見た瞳とおんなじだった。反射的に、昨日智鶴ちゃんのことをすごくえっちに責めていた三ツ矢先輩がリアルに思い出される。
「すごい勢いで顔赤くなってるんだけど、もしかしてなんか思い出してない?」
「あ、あの……ごめんなさい……思い出してました……」
素直に認めると、三ツ矢先輩は一瞬意外な顔をしてから吹き出した。
「ハハ、かわいいね」
きっと特別な意味なんて何もなく発せられたその言葉に、心臓が破裂しそうになった。
「茅野さんてさ、通常は普通に明るくて元気な感じなのに、こうゆう話になると一気に純情少女になるよね」
そんなことを言われてまた黙るなんてやってると思われるくらいわざとらしい。だけど、本当になんて返したらいいのか言葉が出てこない。
すると三ツ矢先輩は、そんな私の様子にちゃかすのをすっぱりとやめた。
「昨日のことはもうお互い闇に葬って、今日からまたちゃんと真面目に仕事しようよ。まだ研修の一週間は始まったばっかりなんだし、残りずっとそんな感じなんてきついよ?私もやりづらいし」
「はい……。分かりました」
確かにその通りだと思い、無理でも無理して昨日のことは忘れようと決意した。
「そうそう。そんな感じ」
その時、
ガチャ……
ドアノブがひねられた音に私たちが同時に振り返ると、開いたドアからはまた眼鏡に三つ編みスタイルで固めた智鶴ちゃんが入ってきた。
「あっ!三ツ矢せんぱぁ~い!おはようございま~す!あすみちゃんもおっはよー!」
「智鶴ちゃんおはよ!」
智鶴ちゃんは数メートルの短い距離を走り、気持ち近すぎる距離感で私たちの元へとやって来た。三ツ矢先輩は智鶴ちゃんには何も返さず、私に向かって口を開いた。
「ほら見てみなよ、こんなに反省の色が微塵も見えない人もいるよ」
三ツ矢先輩は智鶴ちゃんをネタにして、遠回しに私を気遣うようなことを言った。
「ひっど~い!三ツ矢先輩、朝から悪口やめて下さい!」
「悪口じゃないよ、事実だもん。それより今日もまた真面目コスプレしてるの?」
「コスプレなんかじゃないです!私ってほら、眼鏡とかしてないと悪目立ちする顔してるでしょ?胸も異常に大きいし。普通にしてると男の人が寄ってきてすっごい面倒くさいんですよ。だから敢えて地味ぃーな女の子演じてるんです。これでもかなり切実な問題なんですから!端から見てるほど 楽じゃないんですからね!」
「すごい自信じゃん」
「だって本当にそうなんだもん!」
幼馴染同士の馴れ合いみたいな二人のやり取りが目の前で繰り広げられる。私もいるのに、まるで二人とも私の姿が見えていないみたいに思える。
「ねー、三ツ矢先輩!私の名前覚えてます?」
「深沢智鶴さんでしょ?」
「えっ、うそ!ちゃんとフルネームで覚えててくれてるんだ!」
「仕事柄、人の名前覚えるのは得意だから」
そんな言われ方をしても智鶴ちゃんは嬉しそうだった。
「私のことは智鶴って呼んで下さい!」
「え、やだよ」
「なんで?!」
「知り合ったばっかりの人を下の名前で呼ぶとか、普通に抵抗あるし」
「えー、そうなんですかぁ~?じゃあ、連絡先交換して下さい!」
「なんで?」
「三ツ矢先輩と仲良くなりたいから!」
「会社で話せばいいじゃん。わざわざ帰ってまで連絡取らなくても」
「私は帰ってからだって三ツ矢先輩と連絡取りたいんです!そもそも私は担当だって違うし、会社でもほとんど話せないじゃないですか!ね?教えてください!」
「仕事以外でも連絡取りたいって思うくらい仲良くなったらね」
三ツ矢先輩は智鶴ちゃんの強い押しに押し切られることなく、しっかりと交わした。
「え~~!!ずるい~~!!」
智鶴ちゃんは不服そうだったけど、三ツ矢先輩の揺るがなそうな対応に渋々引き下がった。そのことに心からほっとしている自分にふと気づくと、智鶴ちゃんの不幸を喜んでいるみたいな卑しさに自己嫌悪になった。
そのせいで、さっきから感じている孤独感が深さを増す。
その時、三ツ矢先輩が突然私の肩に右手で触れた。
「さ、相棒、そろそろ行こっか」
たったそれだけのことなのに、暗く狭い場所から青空の下へと手を引いて連れ出してもらえたような感覚を感じた。
「はいっ!」
嬉しくなった私は元気いっぱいに返事をした。
「もう行っちゃうのか~、残念。あすみちゃん、頑張ってね!」
智鶴ちゃんは残念そうにしながらも更衣室を出てゆく私たちに両手で手を降って送ってくれた。
「うん!智鶴ちゃんも!またあとでね!」
***
それから三ツ矢先輩とはもう昨日の更衣室でのことは全く話さなかった。
昨日と同じように合間で世間話をしながら真面目に仕事に勤しんでいると、だんだん通常の私に戻っていけた。
でも荷台の整理の時にふと指先同士が触れたり、配達先の狭いエレベーターの中で距離が近かったりするだけで、私の鼓動は急激にスピードを上げ、動揺も上手く隠せなくなってしまった。
どうしてこんなにも三ツ矢先輩を意識してしまうのか、よく解らなかった。だけど、なんとなく見当はついていた。
きっと私は、生まれて初めて生で見てしまったえっちなシーンの衝撃のせいで、三ツ矢先輩を異様に意識してしまっているんだ……
と、考えてみたけど、そうだとするとまた一つ新たな疑問が出てきてしまう。
それならどうして智鶴ちゃんにはまったくドキドキしないのか。
どうして三ツ矢先輩にだけなのか。
それに、隠しきれない自分の中の感情を私ははっきりと認識していた。
この限られた二人きりの時間の中、なんとか智鶴ちゃんよりも三ツ矢先輩との距離を縮めたい。私はそう願っている。
「昨日はあんなに天気よかったのに今日は寒いね……」
二人で配達に行った一軒家のお家から車に向かって歩いている時、三ツ矢先輩が話しかけてきた。
「そうですね。この寒さ、下手したら雪降りそうですよね」
「ほんと。一日で寒暖差あり過ぎ。あれ?茅野さん、手袋しないの?」
「……手袋は持ってきてなくて……」
「うわ、ごめんね……そっか、言わなきゃ分かんないもんね……。昨日言っとけばよかった。ほんとごめん、辛いよね……?」
「いえ!全然大丈夫です!」
本当は指先が痛いくらいに冷え切っていたけど、そんなこと言ったら三ツ矢先輩がさらに罪悪感を感じてしまいそうだから無理をした。
「右手出して」
「え……?」
素手で仕事をし続けていたので汚れてるかもしれないと思い、引け気味になりながらゆっくりと言われた通りに右手を差し出す。
「あーあ、やっぱりすごい赤くなっちゃってる……」
私の指先を見て申し訳なさそうにそう言うと、三ツ矢先輩は自分の右の手袋を外して私の右手にはめてくれた。
「どう?あったかい?」
はめられた手袋の内側には三ツ矢先輩の手の温もりが残っていた。
「……はい、すごくあったかいです……」
胸がぎゅうっとなる……
そんな感覚は初めてだった。
「私は左利きだから、二人で利き手につけたらちょうどいいね」
三ツ矢先輩はそう言って笑った。
その時、明確な想いが私の中で言葉になった。
『三ツ矢先輩が好き……』
生まれて初めての恋心に気づいた私は、物語の中ではありがちなソワソワやワクワクを感じることはなかった。
それよりも、もうすでに襲ってきている切なさに打ちひしがれていた。
それは、どこからか聞こえるこの声のせい。
『この人に恋をしちゃいけない』
そして、不思議とそれは正しいと私自身も思ってしまう。きっとこの恋が上手くいくことはない……と。
それなのに、気づいてしまった気持ちを止めることもまた、私には出来そうになかった。
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