今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第3章

第26話 嫌悪感

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 凍えそうな寒空の中、温かい気持ちで配達を続けた。


 最終の時間帯を指定された最後の荷物を残し全ての配達を終えると、私たちはエンジンを切って冷えきったトラックの中、余った時間をひっそりと過ごした。


 ふと、このままずっと三ツ矢先輩と一緒に
回れるなら配達の配属も悪くないな……なんて頭をよぎる。


 この研修が終われば私は、来週からコールセンターの業務につくことになる。
 三ツ矢先輩に会えるチャンスは極端に減ってしまう。というか、業務上で会うことはもうないのかもしれない。



「茅野さんて本社勤務で配属はコールセンターなんだよね?」


 突然脈絡なく三ツ矢先輩がそう話し出し、気持ちが通じ合っているのかと思った。


「……あ、はい……」

「出した希望と違うの?気が進まなそうだね?」

「いえ、希望通りなんですけど、なんかこう現場に出てみたら、配達もいいなぁーなんてちょっと思って……」

「そっか。でも実際毎日のこととなるとかなりきついよ?自分がやっててなんだけど、私はやっぱり女の子は内勤のがいいと思うな。色々と汚れることばっかだし、ちょっとくらいの雨なんて基本濡れっぱなしだし、けっこう悲惨な思いするからね」

「それは……そうかもしれないですけど……」



 違う……。
 私は三ツ矢先輩と居たいだけ……



 智鶴ちゃんみたいにはっきり言えたらいいのに。時間がないんだから、どんどん動かないと何もないまま離れることになってしまう……。
 すぐ隣の三ツ矢先輩を見れず、自分の足元に視線を落とした。足を挟むようについた両手で助手席の硬いシートをぎゅっと掴むだけの自分は、まるで無理なワガママを言って叱られた4歳児みたいだと自覚したけど、どうしようもなかった。


「あ、分かった。私と一緒に仕事したいんでしょ?」


 からかうように言われた一言だったけど、いっぱいいっぱいの私は図星過ぎる言葉に思いっきりたじろいでしまった。


「あっ……あの………」


 せっかくチャンスなんだから、この流れでその通りだって伝えればいいのに、言葉が続かない。


「ごめん!ごめん!茅野さんて珍しいくらいにウブでかわいいからつい苛めたくなっちゃうんだもん」


 三ツ矢先輩の笑顔が憎かった。
 どうせ苛めるなら、智鶴ちゃんにしたみたいに苛めてほしい……。
 ついさっき初めての恋に気づいたばかりなのに、生意気にそんな欲望ばっかりが胸の中で膨らんでいく。


 そんなこと言えるわけないまま待ち時間はあっという間に消滅し、三ツ矢先輩はトラックをゆっくりと発進させた。


 しばらくして到着した最後の配達先は、昨日、三ツ矢先輩が寂しそうに見上げていたあのマンションだった。


 駐車場に停めてエンジンを切ると、三ツ矢先輩は大きな溜め息をひとつついた。


「今日はここで終わり。一つだけだけど、大きい荷物だから台車に乗せて一緒に行こっか」

「はい!」


 三ツ矢先輩の元気がない分、私は明るく振る舞った。また昨日のように思いつめた顔をする先輩は見たくないと思った。

 私が押さえた台車の上に、三ツ矢先輩が荷台から降ろした荷物を乗せる。トラックの扉を閉めてロックをすると、先輩は自然に私から台車を奪い舗装の荒いアスファルトを歩き出した。そんな先輩の少しだけ後ろを歩いてついてゆく。もうすっかり辺りは暗くなり、小さな4つの車輪の音は、マンションに囲まれた高い空にまで響いていた。


 建物の中へ入ると赤レンガの緩やかなスロープを上り、すぐ目の前にあるエレベーターホールで先輩は台車を止めた。私が『上』のボタンを押すと、先輩は「ありがとう」と当たり前のことにわざわざお礼を言ってくれた。エレベーターは14階から降りてこようとしている。他愛もない会話でその到着を待ちながら、通常より稼働が遅めのそのエレベーターに、私は感謝していた。


 
「三ツ矢……さん……?」



 突然背後からかけられた声に振り向くと、そこには綺麗な大人の女の人が立っていた。



「…………中谷さん」



 かろうじて聞き取れるくらいのかすれた声で、三ツ矢先輩がその人の名前を口にする。
 視線だけを動かしてその表情を伺うと、先輩はかすかに唇を噛みしめていた。


 二人はそれ以上何も言わずに、お互いただ見つめ合っていた。あまりにも不自然な時間が流れる。だけどここで私が口を開くのは間違いな気がした。



「何?知り合いなの?」



 その沈黙を破ったのは、車の鍵を手に遅れて現れた、いかにもキャリアウーマンという名称が似合う、四十過ぎくらいの別の女の人だった。


 その人の質問に、このマンションの住人
であろう中谷さんが答える。



「以前よくうちに配達に来てくれていた、宅配の方なんです……」


 なぜか少し言いづらそうな話し方に少しの違和感を感じた。話し終わりに一瞬だけもう一度二人の目が合ったのを私は見逃さなかった。
 三ツ矢先輩はその視線をキャリアウーマンに移すと、仕方なさそうに浅めの会釈をした。その隣で私もなんとなく習って会釈をする。


「そう」


 キャリアウーマンは私たちに頭を下げることなく、それだけ言う。


「中谷さん、今日はいつもより帰りが早いんですね」


 三ツ矢先輩がたどたどしくも馴れ馴れしく中谷さんへと話しかけた。


「今日は……」

「今日は大きな商談が決まったから、早めに終わらせて彼女の家で二人でお祝いすることにしたの。ね?」


 中谷さんが話し始めたところで、キャリアウーマンはそれにかぶってかき消した。同時に、左手に持った細長い紙袋を少し上に掲げて見せる。どうやら中身はワインか何かのボトルのようだった。だけど三ツ矢先輩はそれよりも、中谷さんの腰にそっと触れている右手の方を気にしていた。


「そうなんですか 、それはおめでとうございます。でも、飲みすぎには気をつけて下さいね」


 三ツ矢先輩は中谷さんだけを見て言った。優しい言葉に、なぜか中谷さんは三ツ矢先輩から顔を反らした。


 そこでようやくエレベーターが到着し、その4人で乗り込む。ボタンの前を陣取った三ツ矢先輩は、何も聞かずに私たちが今向かう階と、もう一つ別の階のボタンを押した。



 後ろから、


「ありがとう……」


 とお礼の言葉が聞こえてきた。


「いえ」


 三ツ矢先輩は業務的にさっぱりと答える。


「さすがね、ちゃんと階数を覚えてるなんて」


 キャリアウーマンが割り込むように、三ツ矢先輩に声をかけた。


「階数というか、部屋番号で覚えてます」

「……そう。配達先の部屋番号ってそんなに覚えてるものなのね」

「いえ。覚えてるのは、特別な人だけです。中谷さんの家には毎晩のように行ってましたから」
 
「……なるほどね」


 三ツ矢先輩の言い方は柔らかく見せてどことなく攻撃的な気がした。
 ふと中谷さんを横目で見ると、意外にもその視線は、ぶら下がった私の手元に向いていた。でもその直後、今度は三ツ矢先輩の手元へと視線が移動したことで私は気づいた。



 手袋だ……



 この人は私と三ツ矢先輩の片方づつの手袋を気にしている。




 その時、私は確信した。




 三ツ矢先輩とこの人の間には何かがあったんだ……。




 いや、今でもまだ何かが……




 エレベーターが止まって先に降りてゆく二人に、三ツ矢先輩はもう目を合わせずに軽く挨拶をして扉を閉めた。
 

 時間が来るまで待った最後の荷物は、家の前まで行くと置き配指定のメモが扉に貼ってあった。
 すぐに配達を終え、再び乗ってきたエレベーターに乗って1階へと下りる。


 あきらかに配達員と配達先の住人とは思えない二人の関係を少しでも探りたくて、私は三ツ矢先輩に話を振った。


「中谷さんのお家には最近はしばらく行ってないんですか?」

「うん」

「偶然ってあるもんですね」

「そうだね」

「仕事終わりに自宅で職場の人とお祝いなんて、相当距離が近くないとあり得ないですよね」

「そうかもね」


 三ツ矢先輩は淡々と元気なく答えた。




 私の方がこんなに近くにいるのに、三ツ矢先輩は今、あの人のことばっかり考えてる……。心の中は見えなくてもそうだということははっきりと分かる。




 三ツ矢先輩を簡単にこんなふうにさせる
あの人に、私は静かな嫌悪感を抱いていた。














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