今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第3章

第27話 慰め

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 マンションから駐車場へ出ると、三ツ矢先輩は私の存在なんて忘れたように早歩きで台車を押して歩いた。私はその背中を小走りで追いかけた。


 少し乱暴な仕草で台車を荷台に乗せ、同じように雑にドアを開けると、私の方を一切見ずに運転席に乗り込む。
 まさかそんなわけはないと思うけど、そのまま発進されちゃうんじゃないかと不安になって、私は急いで助手席のドアを開けた。


 すると、予想と反して運転席の三ツ矢先輩は、大きなハンドルの上に両手を重ね、そこへ顔をうずめて伏せていた。


「先輩……?大丈夫ですか……?」


 心配して声をかけると、


「ごめん………5分だけ休憩させて」


 微動だにしないまま、三ツ矢先輩はそう言った。心の内は知るよしもないけど、その姿が哀れで可哀想で、今すぐ抱きしめて慰めてあげたかった。



 でも私にそんな勇気はない……



 人の寄り付かない変電所脇に停まったトラックの車内で、私は側に立つの街路樹たちと同じように、そんな三ツ矢先輩をただ見てることしか出来なかった。



 ほの暗さの中、何かの鈍い音がした。それは、先輩が手袋を外した左手をだらりと投げ出した音だった。運転席と助手席の間、シフトレバーのすぐ近くに先輩の手はあお向けに力なく置かれていた。


 私は自分の右の手袋を外し、その手のひらに右手を重ねた。それは自分でも驚くほど衝動的な行動だった。三ツ矢先輩はこちらを見ない。全くの無反応だけど、でも拒むこともしない。


 私だけが、聞こえてしまいそうなほどに鼓動を強く打ち鳴らしていた。その時だった。隣から、先輩のすすり泣くような声が聞こえてきた。


「三ツ矢先輩……、何がそんなに悲しいんですか……?」


 先輩は何も言わずに声を殺すように泣き続けている。


「……三ツ矢先輩、私が代わりに慰めますから、そんなに泣かないで下さい……」


 先輩の悲しみが和らぐなら、どんなことでもしてあげたい。私はそう決意して言った。すると、ずっとこっちを見なかった先輩は突然顔を上げて私の方へ振り返った。かすかに車内に入ってくる心もとない街灯が、袖で拭ききれなかった目元の涙を光らせている。


「……どうやって?茅野さんに何が出来るの?」


 冷たい表情と冷たい口調で、八つ当たりのように言う。


「…………キス……とか……」


 私は恥ずかしいのを我慢して、目をそらさずに続けた。


「……私、まだ誰ともキスしたことないんです……だから……私の初めてをあげますから……だから……元気出して下さい……」


 なんてことを口走ってるんだろうと思いながらも、後悔はしていなかった。三ツ矢先輩は眉一つ動かさずにじっと私を見つめたまま黙っている。少し上からな言い方が気に障ったのかもしれない……そう心配していると、


「だめだよ、そんなの……」


 先輩は小さくため息をついてから言った。私の心配は関係なかったようでとりあえずそのことにはほっとする。


「どうしてですか……?私自身がいいって言ってるんだから……」

「だめだよ、だって茅野さん、私のこと好きでしょ?」


 全く構えていなかった答えに、どう返すべきか頭が回らない。


「……あ…あの…」


 私がちゃんとした返事をしなくても三ツ矢先輩には胸の内を見透かされていた。


「だからだめ。悪いけど、私は茅野さんのことを好きになってあげられないから」


 その瞬間、私は全身の血が抜けていくような感覚に襲われた。
 だけど、1%の可能性すらないように断言されて、逆にどうでもよくなった。


「それでもいいです……。三ツ矢先輩が私のことを好きになってくれなくても、私は好きだから」


 少しだけ強気に言うと、先輩は悲しみとやさしさを宿した顔で

 
「そんな辛い恋はしちゃだめだよ」


 と私をたしなめた。
 三ツ矢先輩は私を子ども扱いして、きっと女としてなんかなんにも意識してない。
 でも私は負けなかった。


「ほんとは!慰めるとか言ってるけど、私がして欲しいんです……。三ツ矢先輩に、して欲しい……智鶴ちゃんにしてたみたいに……私も……」


 私が絞り出すようにそう言うと、三ツ矢先輩ははめていたシートベルトを静かに外した。そのまま上半身をねじり、目の前まで顔を近づける。自分で言い出したことなのに、私は逃げ場のない垂直の背もたれに出来る限り背中をくっつけた。


「後悔しても知らないよ?」

「いいです……」

「後から泣いても構ってあげられないし、なんの責任も取らないよ?」

「……分かってます」


 あごを引いたまま、精一杯覚悟だけは一丁前を演じた。


「…………全然分かってない」




 そう言いながら、三ツ矢先輩は私の首に左手を回し、そっと唇にキスをしてくれた……



 そのほんの数秒間、私はぎゅっと目を閉じ、両手を胸の前で握って動けなかった。
 首に触れている手は氷みたいに冷たいのに唇はすごく熱くて、それだけで冷え切った体に温度が戻ってくるのを感じた。



「ほら、キスしただけでこんなに固くなっちゃってる。無理してるね」

「……別に、無理なんか……してません……」


 唇が離れた後も先輩の顔は鼻先が触れる距離にあった。


「じゃあ、この手どかして」


 恥ずかしくて下を向く。
 すると、三ツ矢先輩は強引に私の両手を掴んでガードをほどき、今度は下から覗きこむようにまたキスをした。


 初めてって言ってるのに、そんなの知らないというように舌が入ってきた。されるがままに口を開けながら、本当に言ってた通りなんだ……と実感する。


 三ツ矢先輩は、私のことを好きでもなんでもないから、優しくするつもりなんかないんだと思った。
 分からないけど、きっとあの中谷さんにはこんなふうなキスはしないんだろう。




 胸が苦しかった。




 だけど私は、やっぱりそれでも構わないと
思っていた……。




 1回目と違って、三ツ矢先輩のキスは止まらない。気持ちなんかなんにもないのに息づかいだけはどんどん荒くなって、少なくともは求めてくれている。
 惨めなはずなのに、なぜか心も体も歓びを感じて感じている。だけど、ただ受け入れるばかりでどうしたらいいのかは分からない。



 ただ、ずっとこうしていたい……
 それだけを強く強く願っていた……

 


***



 どれくらい時間が経ったんだろう……。


 三ツ矢先輩に包まれながら、気づけば自然に先輩の背中に手を回していた。そのままもう一度舌を入れられた時、私は反射的に背中のシャツをぎゅっと掴んだ。



「……そうゆうのされると弱い……」



 ぼそっと口にした先輩と至近距離で目と目が合う。本当にほんの少しだけ、三ツ矢先輩の殻に小さなヒビを入れられたような気がした。先輩の胸に顔を埋め、呼吸を整えながらいっときの幸せに浸った。



「そろそろ行こっか」



 今までのことが嘘のように、さっぱりとした声が降りてきて私は顔を上げた。



「もう……終わりですか……?」

「もう終わりだよ」

「……智鶴ちゃんにはあんなにしてたのに………」

「ほら、もう嫉妬してる。だからだめって言ったでしょ」

 
 あきれたような顔で言われ、現実に引き戻された。


「……ごめんなさい」


 嫌われることだけは避けたい。私は素直に認め、反省して謝った。三ツ矢先輩は運転席に戻り、シートベルトをはめながら横を向いた。


「……でも、深沢さんにはキスはしなかったよ」



 三ツ矢先輩は私をどうしたいんだろう。
 冷たくあしらうのに、期待させるようなことを言ってくる意味が分からない。
 悪気なんか一つも感じずに、純粋に弄んで楽しんでるだけなのかもしれない。
 それならそれでもっとそうして欲しい。



「……もししてもらえるなら、私、キスだけじゃなくてもっとしてほしいです……」

「今日はこのくらいにしといた方がいいんじゃない?明日になったら茅野さん、『やっぱり昨日のことは無かったことにして下さい!』とか言い出しそうだし」

「そんなこと言いません!」

「分かんないじゃん、純粋少女なんだから」

「絶対言いません!!」


 私が強く言い返すと、三ツ矢先輩は反論するとをぴたりとやめた。


「とりあえずここマンションの駐車場だし、また今度ね」


 そんなことお構い無しに散々好き勝手してたくせに、信頼性のない簡単な次の約束をちらつかせ、無理やり会話を終了し先輩はアクセルを踏んだ。




 営業所までの帰り道は、お互いに黙っていた。




 時々横からその表情を伺ってみたけど、喜怒哀楽のどれでもない顔で先輩はまっすぐ道路の先を見つめていて、何を考えているのか全く読めなかった。
 だけど、悲しいかな想像だけはついていた。三ツ矢先輩はきっと今、あの人とのことを思い出してるんだろう……



 私が捧げた初めてのキスじゃなく、あの人と重ねた幾度ものキスを……。
 









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