今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第3章

第35話 限られた時間

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(深沢 智鶴)




 初めから話すつもりだったわけじゃなかった。
 今まで誰にも言わず自分の中にだけしまい込んでいたことを三ツ矢先輩に話したのは、なんとなくの話の流れで、ある意味たまたまだった。

 
 少し話しすぎたかな……。


 午後の配達をこなしながら、感情的になってしまったことを少し後悔していた。でもきっと、話したことは間違いじゃない。ただでさえ心の中を覗くのが難しそうな三ツ矢先輩には、まずこっちが両手を思いっきり広げるくらいの勢いじゃなきゃ、先輩はドアノブに手をかけることすらしてくれないはず。


 私に残された三ツ矢先輩との時間はもうほとんどない。研修が終われば、仕事で自然に関わられることはなくなる。その前にせめて、特別な理由がなくても会えるような仲にまでは発展したい。慎重にことを運ぶなんてことしてる場合じゃない。


 日もだいぶ暮れて、もう何軒か回れば終わるとメドがついた頃、あるマンションの駐車場に三ツ矢先輩は車を止めた。


「ここは一個だけだから車で待ってていいよ」


 そう言いながらエンジンを切り、三ツ矢先輩が運転席から飛び降りるたところで、駐車場の入り口からうちの会社のトラックがもう一台入ってきた。空いているスペースに素早く停車したそのトラックの中から降りてきたのは、三ツ矢先輩の同期の重田さんだった。


「お疲れ!三ツ矢!」

「おー重田、お疲れー」


 小さな荷物を一つだけ持って走り寄ってきた重田さんに、私は車の中から会釈をした。


「深沢さんもお疲れー!」


 重田さんは右手をあげながらそう言うと、私の席のすぐそばで三ツ矢先輩を捕まえて話し始めた。
   

「 三ツ矢、悪いんだけどさ、 この荷物もお願い出来ない?」

「あぁ、うん、いいよ。時間押してるの?」

「そうなんだよ。今日荷物多くてさ、しかも時間指定ばっかりで結構きつくて……。しかも俺、失敗しちゃってさ、この人の荷物、いつも夜指定だから今日もそのつもりでいたら今日は珍しくこの時間でさ、さっき気づいて今慌てて来たんだよ、そしたらお前がいてマジ助かった!」


 そう言って重田さんがその荷物を三ツ矢先輩に渡すと、伝票を確認した三ツ矢先輩の動きが止まった。


「わりーな!じゃあよろしく!」


 重田さんはそんな三ツ矢先輩を置いて走り去り、再びトラックに飛び乗るとすぐに駐車場から姿を消した。車の中から窓越しに見下ろすと、そこにはまだ三ツ矢先輩がいて、荷物の伝票の文字をゆっくりと指先でなぞっていた。その姿に違和感を感じ、理由の分からない不安が胸いっぱいに広がっていく。ふいに三ツ矢先輩が私の方を振り向き、私は察して車から出た。


「深沢さん……じゃなくて、智鶴、ごめんやっぱり一軒頼んでいい?」

「分かりました!」


 三ツ矢先輩は重田さんから預かった荷物を私に渡した。自分から頼んできたくせに、その小さなダンボールを手離すとき、先輩は名残惜しそうな顔をした。もう一つの荷物は大きめで重く、先輩は荷台から出した台車に乗せてエントランスへ向かった。私もその隣を歩き、マンションの中に入ると一緒にエレベーターを待った。


 三ツ矢先輩は、ゆっくりと降りてくるエレベーターの階数のランプを表情を無くしたような顔をしながら目で追っていた。


「中谷かこさんって綺麗な人ですか?」


 そんな先輩に、私は手に持った荷物の伝票に書かれた名前をわざと出した。すると、三ツ矢先輩は驚いたように私の目を見て、何かをごまかすようにすぐに視線をまたエレベーターの方へと戻した。


「そうだね、綺麗な人だよ」

「そうなんだ。それって三ツ矢先輩のタイプってことですか?」


 先輩は微動だにしなかったけれど、動揺しているのが解った。


「………別に。お客さんにタイプも何もないでしょ」

「そうですか、なら良かった!」


 それ以上の返答はなく、到着したエレベーターの中へ台車を押して乗り込んでゆく。二つの階のボタンを押し、しばらくすると先に到着した階で三ツ矢先輩は降りていった。


「じゃあ、駐車場でね」

「はい!」


 重い扉の閉まったエレベーターに一人残された私は、眼鏡を外し、ユニフォームのシャツのボタンを上から三つまで外した。到着した階に降り、伝票に書かれた部屋へ向かう。目の前で来ると、部屋番号の表記だけで、そこには名前のプレートはなかった。


 少し乱れた鼓動を抑えて、インターホンを押す。数秒間待たされた後、扉のロックを外す音が内側から聞こえた。ゆっくりと開く扉の動きを息を飲んで見守る。


 すると、中からけだるそうな様子で一人の女の人が出てきた。抑えた鼓動が再び暴れだす。いくら私が実際の年より上に見られようとも、とても敵わない大人の女の魅力を纏ったその人は、認めざるを得ないくらい美しかった。この人に迫られて断るレズがいるんだろうか。


 シャツの胸元を広く開けた私の姿なんて霞んでしまうくらい、その人は上品なのにいやらしかった。緩く大きめの白いシャツを柔らかく着、その上には素材の良さそうなアイボリーのカーディガンをはおっていた。長い袖は手の甲までを隠し、その袖口からは白く細い指が少しだけ顔を出している。思わず戸惑いながら


「お荷物です。こちらにサイン宜しいですか?」


 と、受領書を差し出すと


「……はい。はんこでもいいですか?」

「はい、大丈夫です。」


 と、頼りない糸のような声で答える。少し下を向くだけで何かを受け入れるようにたゆたう襟首と、丁寧で憂いのある態度が、その格好は誘惑なのか、ありのままなのか、判断の邪魔をする。悔しいけれど、この人を前に心惹かれていってしまう、そんな三ツ矢先輩を簡単に想像出来た。


 そう思うと、他の家に配達に行く時のように笑顔を作れなかった。その時、はんこを押し終えたその人が、受領書を返しながら意を決したように私に話しかけてきた。


「あの……三ツ矢さんは今日はお休みなんですか?」

 浮遊していた不安が一気に充満してゆく。

「いえ。今ちょうど別のお宅に配達に行ってます」

「そうですか……」


 すると、その人はこの世の終わりのように哀しそうな顔をした。


「三ツ矢先輩とは親しい関係なんですか?」


 私はお客さんに対して相応しくない質問を淡々と口にした。


「いえ、そうゆう訳じゃ……。あの……今日はお二人で回られてるんですか?」


 その人は話し終わりにシャツから覗く私の胸の谷間を怪訝そうな目で見た。


「はい。三ツ矢先輩と同じ車で二人きりで」

「……そうなんですね」
 

 その人が小さな声でそう言った時、遠くからガラガラガラ……と、台車の音がした。


「あ、ちょっと待って下さいね!」


 私は瞬時に意地の悪いことを思いついた。私がそう言うと、その人は玄関の扉を抑えたまま、共同通路から駐車場を見下ろす私を見ていた。


「せんぱーい!三ツ矢せんぱーい!!」


 台車を押しながら駐車場を歩く三ツ矢先輩の姿を見つけ、馴れ馴れしく大きな声で呼び手を振る。


「終わったのー?」


 三ツ矢先輩の声が私たちの元まで届くと、その人は慌てて廊下へと出てきた。その瞬間、私はその人の手を取り、駐車場を覗く前にその場に無理くりしゃがませた。  


「ちょっと何す……」

「三ツ矢先輩にちょっとイタズラしちゃいましょうよ!」

「え……?」

「ちょっとだけこのままで居て下さい!」


 私の勝手な行動に一瞬不服そうにしたその人は、意味が分からないながらも、強引さに流され私の言う通りに従った。不安げなその人と目を合わせ、微笑んで見せる。その時、呼びかけに応答せずに姿を消した私のことを三ツ矢先輩が大声で呼んだ。


「智鶴ー!」

「智鶴って……」

「私です。三ツ矢先輩、私のこと智鶴って呼ぶんです。まだ会って間もないのに馴れ馴れしいですよね」

 
 私の言葉にその人は右手で左の二の腕を強く握り締めていた。


「こうやってちょっと私が姿消すとすぐ必死になっちゃって。歳上だけど可愛いんですよね」

 
 明るい調子で嘘を重ねた。


「……とても、仲がいいんですね……」

「何かと合うのかもしれないです」


 そう言いながら、意味深に胸元を直す仕草をした。


「智鶴!!次行くから早く降りてきてよ!ねぇー!智鶴!」


 三ツ矢先輩が絶好のタイミングでまた呼んでくれた。その人の右手が更にきつく閉まり、上等なカーディガンの生地が引っ張られるのを見届けると、私はようやく立ち上がり、再び駐車場に向かって手を振った。


「三ツ矢せんぱーい!」

「何してんの?早く降りてって!」


 少し不機嫌そうな三ツ矢先輩に


「今すぐ行きまーす!」


 と答えてから、後ろを振り返った。その人はまだその場に佇んでいる。私と三ツ矢先輩の関係に、もう自分の付け入る隙は無いと判断してそのまま部屋に戻ればいい……そう思った瞬間、その人はすくっと立ち上がり私の隣に並ぶと、身を乗り出すようにして駐車場を見おろした。


「三ツ矢さんっ!!」


 大きな声を出し慣れず、ボリュームの調整の出来ていない悲痛な声で叫ぶ。


「な……中谷さん……」


 次の目的地へ急いでいたはずの三ツ矢先輩は、その人の姿を見た瞬間、突然そんなことどうでもよくなったように台車から手を離し放心した。数秒前まで、この場の全てを取り仕切っていた私が突如だれよりも部外者になる。邪魔をしたいのに、見つめ合う二人の視線に付け入る隙がない。


「あの、三ツ矢さん、私……」


 何かを伝えようとしたその人を前に、三ツ矢先輩は一度うつ向いてから再び顔を上げて言った。


「ごめんなさい、次の配達が押してて時間がないんです。智鶴、いい加減に早くして」

「はーい!」


 その人を完全拒否する三ツ矢先輩に私はまた自信を取り戻し、その場に立ち尽くすその人に軽い会釈をして立ち去ろうとした。


「ちょっと待って!」


 意外なほど強気に呼び止められた。驚いた私に、


「すぐ戻るからちょっとだけ待ってて下さい!」


 改めてそう言うと、急いで家の中に入り、扉がバタンっと閉まった。不可解な気持ちで言われた通りに待っていると、わずか一分弱で扉は勢いよく開いた。


「お待たせしました。すみませんが、これを……三ツ矢さんに渡してもらえませんか?」


 そう言って差し出されたのは四つに折り畳まれた白い紙だった。私はそれを受け取ると、その人の目を見て満面の笑みで微笑んでみせた。


「分かりました!必ず渡しますね!」


 しっかりとした返事を返すと、その人は少し安心した様子で私に頭を下げた。ようやくその場を立ち去りエレベーターへと乗った私は、なんの躊躇もせずに手渡された紙を開いた。



【三ツ矢さんへ。どうか、最後にもう一度だけお話をさせてもらえませんか?
    080-*2*3-6**9
 これは私の番号です。今週の日曜日、24時まで連絡を待ってます。もしそれまでに電話がこなかったら、今度こそ本当に諦めます。だけど、もしたった少しでも可能性があるなら電話を下さい。
     
                                                     中谷 】



 エレベーターが一階に到着し、扉が開いた。大好きな三ツ矢先輩の待つトラックへ向かって走る。


「遅いよ!何してんの?」


 すでに運転席に座り私を待っていた三ツ矢先輩は、窓から顔を出して少し怒っていた。


「ごめんなさーい!」


 調子よく謝りながら助手席へ乗り込む時、私は託されたその紙を右手でくしゃっと丸め、ズボンのポッケへと入れた。








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