今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第4章

第52話 目撃

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 三ツ矢さんは辞めてない……。


 軽はずみに行動には起こせないけど、実際その気になれば、受け取る荷物の時間指定次第でいつでも会うことが出来る。


 その事実は、あの日からずっと霧の中を歩いているようだった日々の中で、道しるべとなる一本の細い糸を見つけたような、頼りなくとも強い希望になった。


 あとは、また拒まれてしまうかもしれないという恐怖に打ち勝ち、彼女にぶつかってゆけさえすればいいだけ……。だけど、その勇気を持つことがどうしても出来ないまま、仕事の忙しさを理由に、私は貴重な時を無駄にし続けた。

 
 その頃、会社での私は今までで一番大きなプロジェクトに取り組んでいた。才原部長と二人、そのための資金繰りに奔走し、連日数えきれないほどの企業を泥臭く回り心身はともに疲れ果てていた。


 予想よりも賛同してくれるスポンサー企業が集まらず、プロジェクトは継続の危機に直面していた。才原部長は最後の手段として、長年ライバル会社との結びつきが強い日本有数のある大企業に白羽の矢を立て、一般企業数社分の多額の資金提供をお願いするという策に出ようと決断した。


 プレゼンまでの期間は、才原部長も私もほとんどまともに睡眠時間さえ取れなかった。私は密かに今回の仕事が上手くいったらその時こそは、今度こそ三ツ矢さんにもう一度この想いを伝えようと心に決め、文字通り全身全霊をかけて準備に打ち込んだ。


 才原部長の執念と私の覚悟が報われたのか、上の人間の誰もが不可能と言い捨てたその契約を、私たちは見事結びつけることに成功した。こんな達成感を感じたのは人生で初めてのことだった。


「今日はお祝いね!ここのところはずっとお酒も寄り道も我慢してたし!」

「そうですね!」


 喜びの報告を受けた帰り道、すでにお酒が入っているんじゃないかというくらい私と才原部長は心が浮き立っていた。


「そう言えば、中谷さんのお家ってここから近いんじゃなかった?」

「はい、同じ路線なので一本で着きます」

「じゃあ今日はこのまま直帰して中谷さんのお家で二人で祝杯なんてどう?」

「えっ!わたしの家でですか?!」

「どんなところなのかなって気になって。でももちろん無理にとは言わないわ」


 家に人を呼ぶのは好きじゃなかったけど、自分はお邪魔をしておいてそんな理由で断るわけにもいかない……。それにそもそもそんなことは言えない。しかもせっかくのお祝いモードに水を差すようなことを言うのも気まずい。私は潔くあきらめた。


「狭いしなんてことない部屋ですけど、それでも良ければぜひいらして下さい」

「ほんと?!やったー!」


 才原部長は私の答えに珍しくはしゃいでみせた。私の住む駅のホームに降り立った時、時刻はまだ夕方に差し掛かるくらいだった。私たちは気合いの入ったスーツ姿で、少し贅沢な気分で駅ビルの食品売り場を練り歩いた。そこでお祝いのスパークリングワインとそれに合うお供をいくつか見繕い、その荷物を持ってマンションのエントランスをくぐった。


「へー!素敵じゃない!」

「どこがですか……あんな豪華な高層マンションに住んでる方が……」


 それは、そんな会話をしながらエレベーターホールに入った時のことだった。痛いくらい懐かしいあの後ろ姿を見つけてしまった……


「三ツ矢……さん……?」


 恐る恐る、声をかける。


「…………中谷さん」


 振り返った姿に全身の力がぬけるような錯覚を覚えた。ずっとずっと恋しかった彼女が、目の前にいる……。それだけで胸がいっぱいで、私はただ彼女を見つめ、時と言葉を失った。


「お知り合い?」


 才原部長の言葉で現実に戻される。


「以前よくうちに配達に来てくれていた、宅配の方なんです……」


 夢にまで見た再会にこの上ない喜びを感じると共に、才原部長との関係を彼女にどう思われているのか不安になった。


「そう」


 才原部長はさらりと言った。以前話した内容から彼女が誰なのかを悟ったんだろう。


「中谷さん、今日はいつもより帰りが早いんですね」


 話しかけてはくれたけれど、どことなく冷たい印象に感じる。


「今日は……」


 私が話し出すと


「今日は大きな商談が決まったから、早めに終わらせて彼女の家で二人でお祝いすることにしたの。ね?」


 才原部長が私に代わって事情を説明した。


「そうなんですか 、それはおめでとうございます。でも、飲みすぎには気をつけて下さいね」


 彼女のその言葉で私は、一人でお酒に飲まれ、彼女を部屋へ引き入れたあの夜のことを思い出した。あの部屋で別の人とお酒を飲もうとしていることをなんとなく後ろめたく感じ、私は彼女の目を見続けていられなかった。


 視線をそらしたことで、彼女の背後に新人らしき女の子が心細げに立っていることによつやく気づいた。到着したエレベーターにその四人で乗り込むと、彼女は当たり前のように私の部屋の階のボタンを押してくれた。


「ありがとう……」


 お礼を言うと、


「いえ」


 と、ひどく素っ気ない返事が返ってきた。


「さすがね、ちゃんと階数を覚えてるなんて」


 突然、才原部長が彼女に話を振った。


「階数というか、部屋番号で覚えてます」

「……そう。配達先の部屋番号ってそんなに覚えてるものなのね」

「いえ。覚えてるのは、特別な人だけです。中谷さんの家には毎晩のように行ってましたから」
 
「……なるほどね」



 特別な人……



 声は冷めていたけど、彼女は私のことをそう言ってくれた。だけど、彼女の真意は解らない。少し下の方へ目線を落とした時、私はあることに気づいてしまった。新人らしきその女の子の手に不自然に片方だけはめられた手袋。……その違和感に嫌な予感を感じ、彼女の手も確認する。


 彼女は、女の子とは別の手にもう一方の手袋をはめていた。



 もしかして……彼女は今、この子と付き合っているんだろうか……?



 手がかじかむ寒さの中、わざわざ一つの手袋を共有するなんてあきらかに不自然だと思った。


 数ヶ月ぶりにせっかく彼女に会えたのに、別れの瞬間はあっけないものだった。エレベーターが止まると、簡単な会釈をして彼女たちは先にエレベーターを降りていった。再び扉が閉まり才原部長と二人きりになる。


「今のが例の彼女なんでしょ?……あなたの好きな人」

「………はい」

「あの若い子は……彼女なのかしら」

「……どうでしょうか」


 そんなことを話しているうちにエレベーターが開く。才原部長を部屋の中へ招き入れると、とりあえずソファーに座ってもらった。


 さっきまでは部長を部屋へ招くことにすごく緊張していたのに、今の私は、自分の部屋に上司が居る現状よりも、ついさっき会った彼女のことで頭がいっぱいになっていた。


 失礼にも才原部長と上の空の会話をしながら、私はどうしようもない衝動にかられた。



 やっぱり、このままじゃだめだ……



 この偶然のチャンスを逃しちゃいけない!!




「あっ、あの、才原部長……!」


 
 どう話すか定まる前に振り返って呼びかけると、何も言わないうちに才原部長は分かりきった目をして微笑んだ。


「行ってきたら?私のことは気にしなくていいから」


 私は「すみません」と一言だけ言うと、部長を部屋に置き去りにして外へ飛び出した。共同通路から身を乗り出し駐車場を見下ろす。すると、ちょうどあの二人が車へ向かって歩く姿が目に入った。


 早く行かないと行っちゃう……


 あの最後の日と重ね合わせながら、私は階段を急いでかけ降りた。どうかまだ車のエンジンをかけないでと願いながら踊り場で少しスピードを落とし車内の様子を伺い見る。


 よくは見えないけれど、どうやら二人は話をしていて、今すぐに車を出す感じでは無さそうに思えた。


 良かった……間に合いそう……


 あともう少しで地上に降り立つというところまで来た時、 私の足は電源が切れたようにぴたりと止まった。そこで立ち尽くし、それ以上一段も階段を降りることはなかった。


 もう薄暗くなった駐車場の車内で、彼女はあの女の子に夢中でキスをしていた……


















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