今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第5章

第57話 ずるい人間

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「みっちゃん、もう頼めることないし上がっていいよ?」


 いつも上がる時間より二時間も早く川村さんが言った。


「そんな!現場回れなくなって迷惑かけた上に早く帰るなんて出来ないですよ……」

「でももうほんとにやることないしねぇ。いいじゃない、今日くらい早く帰ったら?昨日あんまり寝てないんでしょ?ゆっくり休んで明日からまた出直せばいいわよ」

「でも、課長になんて言われるか……」

「課長ならもういないよ?」


 私と川村さんの会話に割り込むようにして遠野さんが入ってきた。


「え?でも私の代わりに現場出てたんですよね?」

「そうだけど、もうとっくに遅番に引き継いで帰ってきてさっき本社に行った。そのまま直帰するって言ってたから上がっちゃって大丈夫だよ」

「そうなんですか?!じゃあ、代わりに誰かが犠牲になったってことですよね……?」

「重田くんが早めに現場出てくれたみたいよ?」

 
 川村さんに教えられた。

「重田が?あぁ……申し訳ないなぁ……」

「でも逆に重田くんで良かったじゃない。先輩とか上司より気が楽でしょ?重田くんなら栄養ドリンクでもあげればそれで許してくれるわよ!」

「そうですね……。じゃあ明日ダースで買ってこようかな」

「逆に喜びそうね!」


 そうゆうわけで、迷惑をかけたにも関わらずいつもより早く上がらせてもらえることになった私は、全員に丁重に挨拶をしてから事務所を出た。



 誰もいない更衣室に入り着替えていると、昨晩 茅野さんから聞いたあの人の伝言が自然と頭に浮かんできた。


『どうかお元気で』重ねて『もう会うことはないだろうから』とも言っていたらしい。こないだ避けるような態度をとったからそれが気に入らなかったのか、それとも私の気を引くためにそう口にしただけなのか。真意の分からないそのメッセージがやけに気になって仕方なかった。


 もしも本当にあの人が私の目の前からいなくなったら……?


 正直、そんなこと今まで考えたことはなかった。私が自分勝手に避けたところで、あの人は毎晩あの部屋へ帰ってくる。だから、あの人が私の前からいなくなることはない。


 離れても冷たくしても、ずっと変わらずにそこにいてくれることが分かっているからどこかで安心していた。自分は傷つけても、あの人に傷つけられたくはなかった。



 そんな理不尽極まりない想いもすべて、あの人が、中谷さんのことがそれほど好きすぎたから……
ふいにボロボロと涙が止まらなくなった。


 誰もいないことをいいことに、私はその場で泣きたいだけ泣いた。

 
 自分でも気づかない間に、私はもうとっくに限界だった。あの人を諦めている振りを続けることに、耐えられなくなっていた。涙が外へ出ていくのと入れ違いに、自分自身を騙していたことをゆっくりと認めていった。



 会いたい……


 中谷さんに会いたい……


 もう会うことはないなんて言わないでほしい。

 

 涙を拭き壁にかかった丸時計を見上げた。
 もうこれ以上、間違えて生きていきたくない。
 そう思った。




 着替え終わると、帰り際にもう一度事務所を覗いて川村さんに尋ねた。


「川村さん、上でやってる新入社員の子たちのやつって何時くらいまでやってるんですか?」

「そうね、もうあと一時間くらいじゃないかしらね?」

「ありがとうございます」

「うん!また明日ね!」


 営業所を出ると駅へ向かう一本道の途中で、人目につかないよう木の影に隠れながらそこで一時間を過ごした。


 やがて、今まで人通りのほとんどなかったその道を、バラバラとうちの新入社員らしき子たちが通り始めた。どうやら終わったみたいだ。


 その群れの中から一人を探し出そうと目を凝らす。懸念してたのは二人揃って現れることだったけど、見つけたのはうつ向き加減にトボトボと一人歩く姿だった。


「茅野さん!」

「三ツ矢先輩……?」


 呼ばれてすぐこちらを見た茅野さんは、驚いた様子を見せながらも反応よく動いて、私のいる街路樹まで小走りをしてやって来た。


「何してるんですか?」

「茅野さんのこと待ってた」

「……え?」

「朝時間なくてちゃんとお礼言えなかったから」

「それでわざわざ待っててくれたんですか?嬉しいな……」

「あのさ、どっか入って話出来ないかな?」


 そう誘うと少し期待したような眼差しを向けられ心苦しくなった。私たちは駅へ向かう人の群れからスッとそれ、敢えて慣れない路地を少し歩いて進むと時代遅れの寂れた喫茶店に入った。


 出来るだけ会社の人間の目の届かなそうな場所に行きたくてたまたま見つけ初めて入った店だった
けど、そんなことも露知らず、茅野さんは経験のない昭和感漂う店内に目を輝かせていた。とりあえず、頼んだ飲み物が来るまで本題に入るのは待った。


「なんか緊張しちゃいます!」

「……昨日はありがとう、泊めてもらって」

「そんないいですって!私にとっては三ツ矢先輩が泊まってくれることは迷惑でもなんでもなくて、すごく嬉しいことなんですから!」


 嬉しそうに笑う茅野さんに、もうぎこちない顔は隠せなかった。


「……あのさ、茅野さん。もう一つ話があるんだけど」

「……なんですか?」

「今まで私、茅野さんの気持ち知りながらそれを利用して散々振り回してきた。本当に酷いことしてきたと思ってる……」


 あごをひきテーブルの上に視線を落としながら話し始めると、さっきよりトーンの下がった茅野さんの声が頭の上から降ってきた。


「……なんか、いい話じゃなさそうな切り出し方ですね……」


 私はそのまま顔を上げずに話を続けた。


「……もうそんなことはやめたい。だから、今さらで申し訳ないけど、前に約束したこと……忘れてほしい。求めるならいつでもあげるって言ったけど、これからはもう出来ない」

「どうしてですか?私は利用されててもいい!付き合ってほしいなんて言わないし、三ツ矢先輩の寂しさを埋める道具でもいいんです!……なのに……それでもダメなんですか?」

「ごめん」

「……なら!そうゆうことしなくてもいいですから時々こうして会ってもらえるだけでも!」


 茅野さんは悲痛な顔で必死になって身を乗り出した。


「ごめん、そうゆう中途半端なこともしたくない」


 分かってもらえるように、今度はしっかりと目を見てなるべくゆっくりとそう伝えた。


「…………付き合うことも出来ないままフラれたんですね、私。仕事以外で初めて二人で歩いて、こんなところに入って、デートみたいだなってさっきまですごく嬉しかったのに……。これが最初で最後なんですね」


 黙ることしか出来ない私を憎むように見つめながら、震える小さな声で言った。


「三ツ矢先輩はずるいですよ……今までずっと冷たい目で私のこと見てきたのに、どうして最後だけそんなに哀しそうな顔するんですか……?そんなのずるい……。哀しいのは私の方なのに、そんな顔されたら、私……先輩から離れられなくなる……」

「茅野さん………」

「……もう本当に諦めろって言うならお願いです。今までで一番私を傷つけて下さい……。どうせ叶わないなら、そんな夢もう二度と見れないようにして欲しい……」


 茅野さんは今にも溢れそうな涙を目に溜めていた。


「……分かった、正直に言うよ。私、茅野さんのこと、本当にどうでもいいって思ってた。茅野さんの気持ちなんて知ったことかって思ってた……というより、考えもしなかった。茅野さんの体に触りながら、考えてたのはいつも別の人のことだった……」


 その時、目の前の涙がついにこぼれ落ちた。


「……それって……中谷さん……ですよね?」

「……うん」

「中谷さんのことはもう諦めたんじゃないんですか?」

「……どうだったとしても、私の中にあの人以外の人間が入ってくることはない。あの人の伝言みたいに、たとえもう二度と会うことがなかったとしても……」

「……そこまで言われたら、私が言えることなんてもう何もないですね……」


 茅野さんはそう言うとバッグの中から財布を出し、千円札を置いて立ち上がった。


「私、もう行きますね」


 私はその千円を掴み茅野さんに突き返した。


「いいって!こっちの都合で付き合ってもらって来たんだから」

「分かりませんか?三ツ矢先輩に奢ってもらいたくないんです」

「……でも!」


 私はそれでも引き下がらずお札を握った手をさらに上に上げた。


「……どこまで惨めにさせるんですか?」


 また一つ頬を流れた涙を拭いながらそう言われ、私はようやく手を下ろした。


「……ありがとうございます」


 茅野さんはもうこちらを見ることなくそのまま店を出て行った。










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