今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第5章

第62話 罰

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 家に帰るまでの道のりずっと考えていた。


 あの日曜日、私からの電話を信じて部屋で一人待つあの人の姿がまるで見ていたみたいに想像できた。そして、24時を過ぎた時計の長針を見て、泣き崩れる姿も……。


 あの人は私の無言のメッセージを拒絶と受け取って離れていったんだろう。これでようやく全ての辻褄が合った。ずっと何かがおかしいと違和感を感じていた。どうしてもピースが足りない気がしていた。


 出来ることなら、あの日に戻ってあの人を抱きしめに行きたいと思った。そして、何度でも私にはあなたしかしないと伝えたかった。


 今すぐにでもかけたい気持ちを堪えて、その前に日本とシンガポールの時差を調べた。すると意外にも、日本より一時間ほど遅いくらいで、あまり深いことを考えずにかけられそうだった。今は夜の九時。今なら、よほど何かの取り込み中じゃない限り問題ないと思う。


 あとは、何を話すか……。
 伝えたいことは沢山ありすぎる。だけど、考えれば考えるほどただ心臓がドクドクと波打つだけで、何もまとまらない。経緯|《いきさつ》はどうであれ、相手は最終的に私と永遠の別れを決断した人。きっと、覚悟を決めて日本までも離れたんだろうから、それを覆すのは相当難しいはず……。むしろ、最悪出てくれない可能性もある……。
                          

 ……もういい!……ごちゃごちゃ考えたってなんにもならない!とにかくかけよう……


 押し間違えないよう十分確認して、全ての数字を押した。



 深呼吸をして、通話ボタンを押し、目を閉じて静かに待った。



 その暗い世界には、あの日最後に見たあの人が浮かんできた。



 マンションで、部屋のある階の通路から駐車場にいる私に


「三ツ矢さん!」


 と、あのか細い声を一生懸命に震わせて私を呼んでくれたあの人。



 それなのに私は、次の配達で時間が押していると
嘘をついて背を向けた。



 だから……罰なんだ……



 今まで散々あの人を傷つけた罰なんだ……



 その番号は、もう解約されていた。



 もう本当にあの人へは届かない……



 どんなに手を伸ばしても、もう本当に届かない……



 その現実が受け入れられなくて、悔しくて苦しくて狂って泣いた。



 その場にへたりこみ、子供のように大声で泣いた。



 せめてどうかこの泣き声が、あの人へ届くようにと……





***



 次の日は休みだった。


 この数ヵ月、休みの日はすべてあの人を探すことに費やしてきたけど、それももうなんの意味もなくなった。あの人を失った私は、休みの予定すら失っていた。


 昨晩、最後の連絡手段を遮断された私は、もう何にもならない番号が書かれたメモを、ただただずっと眺めていた。


 そうやって時間は過ぎていき、部屋に西日が差し込む頃、思い立って出かける用意をし始めた。


 
 話をしなくちゃいけない人がいる。



 家を出ると、ある駅へと向かった。そこはうちの会社の社員寮がある駅だった。寮の近くで張っていると誰かに見つかりそうなので、寮までの道の途中にあるコンビニで時間を潰しながら、ガラス越しに彼女が現れるのを見張っていた。


 もうそろそろ帰ってきてもいい時間だ。そう思った矢先、彼女がコンビニの前を通り過ぎて行った。


 急いでコンビニから出て、その後ろ姿に声をかけた。


「智鶴!」

「……あ!三ツ矢先輩?!やだぁ!もしかして休みの日に私のこと待ち伏せしてたんですか?ついにほだされました?」

「いいから来て」


 私はその腕を掴んで、コンビニと隣のビルの間の狭い通路に連れ込んだ。その場所は日が出ている時間帯でも薄暗く、表通りを横切る人も立ち止まってよくよく見でもしなければ、そこに人がいることさえ分からないような路地だった。


「どうしたんですかぁ?こんな人目のない所に連れてきて。何かいいことでもしてくれるとか?」


 余裕で挑発的な智鶴に、私はぐしゃぐしゃになったあのメモを広げて見せた。


「これ、見たことあるよね?」


 一瞬でそれが何か気づき、直後、ほんのわずかに表情を歪ませたけど、すぐに悪びれもしない態度に変わる。


「……無くしたと思ったら……これ、どこにあったんですか?」

「茅野さんが部屋に落ちてたのを見つけて、私が落としたって思って渡してくれた」

「……あぁ……そっか、あの時あすみちゃんの部屋に落としてっちゃったのかぁ……」

「他に言うことはないの?」

「ないです」


 あまりにもはっきりと言い切る。それは強がりでもなく、バツの悪さをごまかしている様子でもなかった。むしろ、まるで私を恨むように鋭い目つきで睨み返してきた。


 私は、怒りをぶちまけたい気持ちをどうにか押さえて、冷静に質問をした。


「これ、どう見ても中谷さんから私への手紙だよね?どうしてそれを智鶴が持ってたの?」

「それは、私が中谷さんに頼まれたからですよ。三ツ矢先輩に渡してくれって」

「私、渡された記憶ないんだけど?」

「そりゃそうですよ!渡してないんだから」


 智鶴が吹き出すように笑って、いよいよ我慢出来なくなりそうになってきた。それでもまだこらえる。


「……中谷さんが、これをどんな想いで書いたと思ってるの?どうせすぐに開いて中身見たんでしょ?それなら多少は分かるはずだよね?」

「……だからなんなんですか?中谷さんの想いって私に何か関係あります?そんなの知ったところでバカ正直に渡すわけないじゃないですか」


 智鶴は、あろうことかさらに喧嘩を売るような口調で言い返してきた。その態度に、ついに我慢は限界を迎えた。


「そのせいで今どんなことになってると思ってんの!?中谷さんは私が無視したと思って海外赴任に行ったよ!私はその理由すらもはっきり分からないままで、あの人が自分の前からいなくなったことに今もずっと苦しんでる!」


 詰め寄って乱暴にぶつけると、しばらくの沈黙の後、智鶴は口を開いた。


「人のせいにしないで下さいよ」

「……本気で言ってんの?」

「三ツ矢先輩こそ、それ本気で言ってます?中谷さんがいなくなったこと、先輩か後悔して苦しんでること……それって、本当に私のせいなんですか?そもそも私が中谷さんからこの手紙を渡されたのはなんでなんですか?三ツ矢先輩が自分で行けた配達を私に頼んだからですよね?その後も、先輩のことを必死で呼ぶ中谷さんを先輩が冷たくあしらったからですよね?人のせいにして、本当に先輩ってどうしようもない人ですよね。全部自分のせいなんですよ?自分から中谷さんを遠ざけたんだから!」


 ……そんなことは分かってる。でもそう言い返せないのは、言われたことが何一つ間違ってないからだ……。


「だけど!私がそうだとしても中谷さんは違う!中谷さんは純粋な想いで、まっすぐに私の方を向いてくれてた!中谷さんにとっては、これはすごく大事な手紙だったんだよ……それを……中谷さんは信じて智鶴に託したのに……」


 私のことはどう言われても仕方ない。だけど、いくら私のせいだとしても、中谷さんを騙して傷つけたことはどうしても許せなかった。


「三ツ矢先輩、肝心なこと忘れてませんか?」

「なに、肝心なことって」

「私は三ツ矢先輩のことが好きなんですよ?中谷さんにとってその手紙が重要なら、それは私からしても別の意味ですごく重要な手紙なんです。だって、その手紙を渡してしまったら、私の好きな人はその人のところに行っちゃうかもしれないんだから。どうして恋敵の手助けなんかしなきゃいけないんですか?スポーツでも試合でもないんですよ?フェアに戦う必要なんてないんです。私は自分の想いを一番大切にして行動した。中谷さんのところへ三ツ矢先輩を行かせたくなかった。だから、その結果二人が離れ離れになったんなら、私にとっては願ったり叶ったりです」

「……そっか、分かった」


 心底情けなかった。あの人を失った苦しみで怒りが増幅してここまできたけど、それすら間違ってた。私はいつもいつでも間違ってばっかりだ……。それ以上、もう本当に言うことがなくなり、私は背を向けて路地から出ようとした。


 その時、突然後ろから抱きつかれた。衝突するような衝撃に一瞬殴られたかと思ったくらいだったけど、小さく細い手が体に巻きついてきて、背中からは押し殺すような泣き声が聞こえてきて、そうじゃないと悟った。


「……ごめん、離して」

「……嫌です」

「こんなことされてもなんにもしてあげられない」

「三ツ矢先輩はどうしてそんなに中谷さんなんですか……?私なら中谷さんみたいに先輩を置いてどこかに行ったりなんて絶対にしないのに……何があっても絶対先輩から離れないのに……どうして私じゃだめなんですか……?」

「……さっき言ってたじゃん。私はどうしようもない人だって。分かってるならどうしてそんな人間に執着するの?」

「……そうゆうところも好きだから。三ツ矢先輩の全部が好きなんです。ダメなところもクズなところも、私は愛してあげられる。私なら全部許してあげる。三ツ矢先輩の裏側も全部受け入れられるのは私しかいない……」


 智鶴の指は痛いくらい体に食い込んでいた。


「……智鶴……私ね、こんなもんじゃないんだ。……私の中にはね、まだ誰にも見せてない、もっとおぞましいものがある……」


 私がそう言うと、体に回された腕の力がいったんふっと緩んだ。その瞬間に智鶴の体を自分から引き離し、再び向かい合ってその目を見る。


「……それでもいいです」


 目の中に小さな怯えを宿しながら智鶴はそう言った。


「それがなんだかも知らないのにそんなこと言える?」

「言えます!」

「無責任じゃない?」

「……三ツ矢先輩、今自分がすごく悲しそうな顔してることに気づいてないでしょ?……きっとそれが先輩を狂わせてる根源なんですね。それなら、私がそこから助けてあげたい。自分に気持ちが向いてないからって逃げ出した中谷さんには絶対無理です」

「……そうかもね。中谷さんは、私の汚い部分を見たら、逃げ出すかもしれないな。もしかしたら、伸ばした手をはねのけられるかもしれない」

「そうですよ!三ツ矢先輩には私だけです!」

「……そんなふうに言ってもらえて本当に有り難いと思うよ、こんな私に。だけど、ごめん。それでも智鶴じゃだめなんだ……。例えあの人がそれで私に背を向けたとしても……という以前に、もう二度と会えなかったとしても、私が中谷さんを好きな気持ちは変わらない……。誰が寄り添ってくれても、私は……私の元から離れていったあの人が、あの人だけがずっと恋しい」


 智鶴のすすり泣く声だけが響いていた。まだ何かを言いたそうで、だけど言葉にならないその状況を静かに待った。


「……さすがに、今のはこたえました。……今三ツ矢先輩が言ったこと、私が三ツ矢先輩に思ってることと全く同じだったから……。どうしたって覆らないって、本当に分かっちゃったから……」

「……前から、智鶴とは似てるって私も思ってた」
 
「やめてくださいよ、私は三ツ矢先輩ほどはクズじゃないです」

「……ごめん」

「真に受けてすぐ落ち込むのもやめてください。先輩はクズじゃないですよ、バカなだけです。大丈夫です、バカはギリギリ愛されますから」

「そっか……」

「そうだ、今度中谷さんに会ったら伝えといて下さい。『ありがとうございました』って」

「えっ……なにそれ?」

「別に深い意味なんかないですよ。ただの缶コーヒーをもらったお礼です」

「なんだ……」

「ちゃんと伝えて下さいね?私、もらいっぱなしとか嫌なので。貸しみたいで」

「……でも、中谷さんにはもう……」

「そんなの知ったこっちゃないです。私にはそんな事情なんにも関係ないですから」

「…………」

「もういいですよ、行って」


 私は言われた通り、路地に智鶴を一人残して外へ出た。ひらけた道の空も、路地と変わらないくらい暗くなっていた。雲は厚く、今にも雨が振りそうにどんよりとしていた。こんな空でも、あの人のいる街の空と繋がってるんだな……なんて、ガラにもないことをふっと思った。
























 
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