今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第5章

第65話 扉の向こう

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 ホテルに戻り、教えてもらった住所への長距離バスと、念のため、現地での宿泊先などを調べた。


 さすがに複雑すぎて自分一人では分からなかったので、日本語が分かるホテルの従業員の人にも聞いて、バスの乗り場と乗り方を教えてもらった。


 聞けば、教えてもらった住所はシンガポールではなくマレーシアになるらしく、私は一瞬焦ったけど、どうやら国際便の長距離バスというもので国境を越えられるらしい。海に囲まれた日本に住んでる日本人の感覚とは違って、陸続きの国に住む人たちは、案外県境とそこまで大差ない感覚で外国を生き来するのかもしれない。


 その人は親切に、私の代わりにホテルの予約まで取ってくれた。全ての段取りを終えると、不安を残しながらも明日の出発に向けてその日は早めにベッドに入った。


 今度こそ会える……。


 ついに確固たる確信を持ち、次の日の早朝、私はそのホテルを出発した。


 まずは長距離バスに乗れる駅まで街の電車を乗り継ぐ。目的の駅に着くと、そこは今までいた街とは雰囲気が変わって、郊外の雰囲気が漂っていた。


 多民族の国を彷彿とさせるように、そこで暮らす人々も、まるで国境を越えたように風貌や文化が入り混ぜのようだった。


 ホテルの人の書いてくれた地図はとても分かりやすく、すぐに目当てのバス乗り場を見つけることが出来た。


 バスはほぼ時間通りに来た。予想以上に綺麗で快適なバスで少し安心する。そこから数時間揺れに身を任せていると、いつのまにか寝てしまった。昨晩は早くベッドに入ったものの、胸が色んな意味でザワザワして、結局ほとんどまともに眠れていなかった。隣の席に座っていた、どこの国の人か分からない若い女の人に起こされて目を覚ますと、ぞろぞろと乗客がバスを降りているところだった。


 寝ぼけていた私は『もう着いたの?』とその人に日本語で聞いてしまった。その女の人が無言で指した窓の外を見て、どうやら国境だということが分かった。


 ここでマレーシアへ入国する為の入国審査を受けて、再びバスに乗るようだ。ホテルの人の説明では一部いまいち理解出来ていない部分があったけど、思えばそれはこのことだったんだなと後から分かった。


 無事入国審査を終えると、その間に移動していたバスの乗り場まで少し歩き、再度バスに乗り込んだ。これで、このまま乗っていればついに着くんだ……。色んな場面で分からないことに遭遇しつつ、なんとか乗り越えてようやくここまで来た。


 きっとあの人も同じように、こうやって遠い地まで来たんだろうな……。だいぶ悪くなってきた道路の舗装状態を揺れで感じながら、そんな思いを馳せた。その姿を見てはいないのに、知らない外国でバスに揺られ、日本よりもっと別の遠くを見るように窓の外を眺めているあの人の横顔が、鮮明に頭に思い浮かんだ。


 もうどれだけ見ていないか分からないあの人の笑顔が、猛烈に見たくなった。顔を合わせた瞬間、あの人はあの笑顔を見せてくれるだろうか……


 それとも……


 そして私は、ついにその街へ降り立った。
 想像していたよりもかなり発展途上の街並みに抵抗を拭えない気持ちの中、でもこの街のどこかにあの人がいると思うと、見知らぬ道も力強く歩ける
自分がいた。


 時計を見ると、仕事が終わるにはまだ少しあるような時間だった。だけど、待ちきれない私はホテルにチェックインもせず、キャリーケースを持ったままで教えてもらったアパートへ向かった。


 バスを降りた場所からすぐにタクシーに乗った。
 ホテルの人に書いてもらった住所を運転手さんに見せると、指名手配中の凶悪犯のような顔つきのその男の人は鋭い目つきでそれを睨んだまま、しばらく黙りこんだ。心なしか、値踏みをするように私を見ている。


 そして突然、何も言わずに車を発進させた。
 ぼったくられたり、下手したら全然違う場所に連れて行かれるんじゃないかと冷や汗が額に滲んだ。


 そんな状態のまま二十分ほど走ると、車は唐突に古めかしいコンクリートの建物の前で停車した。運転手さんは振り返り、その建物を指差した。


 ここってことかな……?


 そこは比較的人通りのある通りに面していて、どうやら危険な目には遭わなかったようだと落ち着きを取り戻し、金額を聞いた。料金のことも心配していたけど、思いのほか安かった。疑ってしまった後ろめたさでチップを多めにはずんで渡すと、運転手さんはまるで子どものような無邪気な笑みでお礼を言って、車の中から手を振りながら走り去っていった。

 
 その建物の名前を確認すると、確かに、間違いなく教えてもらったアパートのようだった。この背の低い建物の最上階の四階にあの人の部屋があるらしい。


 私は建物の中へ入ると、重いキャリーケースを抱えながら、階段を上った。四階には扉が五つあり、一番奥の部屋があの人の部屋だった。


 少し強引かもしれないけど、いつ帰ってきても気づくように、ここで待っていようと決めた。キャリーケースを持って道端に立ち続けるのは不審な上に危険だし、あの人がどの方向から帰ってくるか分からないから見逃してしまう可能性もある。


 遅くとも、きっとあと数時間もすれば帰ってくるはず。私は腰を下ろし、壁にもたれかかって座った。


 天気はとてもよくて、気温は分からないけど、体感では三十度前後ある気がした。でも、湿度が日本よりない分、まだ楽だった。行き交う車や人の声が時折遠くに聞こえたけど、アパート中、誰一人として住んでいないのかと思うほど、廊下は静かだった。長旅の疲れと不思議な心地よさで、気づけばまたいつのまにか寝てしまっていた。


 ふと起きて焦って時間を確認すると、もう夕方の六時を過ぎていた。まだ明るいけど、眠る前よりはだいぶ陽も傾いているようだ。



 まだ帰らないのか……



 そもそもこっちの概念では何時ごろまで働くものなんだろう。ただ待つことしか出来ない私は、もういつ現れてもおかしくないあの人に出会う準備のため、ようやく立ち上がって服装を整えた。



 だけど、そこから一時間経ってもあの人はまだ帰ってこなかった。その間、同じ階の住人らしき人が何人か帰宅してきては、不審そうな目を送られた。そのたびに通報だけはされないよう、私は出来るだけ愛想よく笑ってお辞儀をした。


 隣人の年配の女性が帰ってきた時、その人は私を見てからあの人の扉を指差し、知らない単語を口にした。意味は全く分からないけど、語尾からして質問されているとは分かった。たじろぐ私に、その人は今度は自分の部屋の扉を指してから私に一枚のハガキを差し出してきた。よく分からずそれを受け取り、ハガキいっぱいに映されたどこかの外国の綺麗な湖畔に目を奪われていると、そのうちに気づけば隣人は部屋に入ってしまっていた。


 おそらく、間違って自分の部屋に届いたハガキを渡してくれたということだろう。筆記体を読むのが苦手な私は読解は出来なかったけど、よく見ると宛名の文字が『N』で始まってることだけはなんとなく分かった。きっと、これは中谷さんの『N』だと勘づいた時、たった一言のメッセージしか書かれていない恐らく外国人からのそのハガキが、あの人に繋がるお守りのように思えてきた。


 それでも、ついにもうすっかり暗くなった空の色が私の不安を煽り始める。


 ちょっと待てよ……?


 私はここに着いてから、あの人は仕事に出かけてると思い込んでそのまま待ち続けていたけど、まさか……部屋の中に居るんじゃ?


 ようやくその可能性に気づいた私は、突如震え出した指で簡素なベルのボタンを押した。


 
 リリリン……


 扉の向こうの空間にうるさいくらいの音が鳴り響いている。だけど、中からは応答がない……


 念のためもう一度……



 リリリリリン……



 思いきって長めに押した。



 息を飲みじっと待つ……



 返事が聞こえず、扉に耳をつけてみた。


 
 ………やっぱりいないみたいだ。



 溜め息をついて腕時計を見るともう九時を過ぎていた。あんまり遅くなると、バス停付近の宿まで乗るタクシーがなくなってしまうかもしれない……



 ……いや、そんなこといい!



 長期戦を覚悟して壁にもたれかけたその時、



 コツコツコツコツ……



 階段を上がってくる靴の音がした。



 帰って来た!?



 急いで姿勢を正して、階段の方を見張った。



 靴音はどんどん上へと上がり、もうすぐそこまで来ている。



 来る……



 コツコツコツコツ……コツ……



 4階まで上りきった靴音は、廊下を歩き出してすぐに止まった。


 
 それは、私と目が合ったからだった。



「どうしてあなたがここに……?」


 私が声を出すより先に、その人が先に口を開いた。


 この街に似つかわしくない、スラッとした上質なスーツ姿で立っていたのは、以前、マンションで偶然あの人と鉢合わせた時に一緒にいた女の人だった。


「どうも……。あの……中谷さんがここに滞在してるって会社の方に聞いて来たんですが……ここは、中谷さんの部屋じゃないんでしょうか……?」


 その人は無言で私をしばらく見つめた後、静かに言った。


「かこちゃんは私と二人でここに住んでるわよ」


 予想だにしなかった返事に、急激な頭痛に襲われたような衝撃を受ける……


 二人で住んでる……?
 それに、あの呼び方……『かこちゃん』なんて、あの人のことをそんなふうに馴れ馴れしく呼ぶ人は初めてだった。


 でも、せっかくここまで来たんだから、しっかりと事実を確かめようと、自分を奮い立たせた。


「あの……私、三ツ矢って言います。ご存知かと思いますけど、中谷さんの家に以前配達に行ってた者です。……失礼ですが、中谷さんとはどういったご関係なんですか?」


 私はどんな答えが返ってくるのか怯えながら、その人に聞いた。


「私は、才原といいます。関係を聞かれれば、とりあえず私は彼女の上司に当たるけれど、プライベートでは彼女の恋人よ」
「恋人……?」
「ええ」


 時が止まったように、それ以上言葉が出てこなかった。


「あなたのことは以前、少しだけ彼女から聞いたわ」
「なんて……聞いたんですか?」
「彼女はそこまで詳しく話さなかったけど、ひどく傷つけられたんだろうなってことは察しがついたわ」


 その人は敵討ちのように私を睨み付けた。


「今さらこんなところまで何しに来たの?時間とお金をかけて日本からかっこよく現れれば、彼女の心を取り戻せるなんて思ったのかしら?」
「そんなんじゃありません!私は、とにかく、中谷さんに会いたかったんです!色んなことが遅すぎたとしても、とにかくもう一度会って、話がしたくて……」
「……あなたが話したくても、彼女は話したくないようね」
「……どういうことですか?」
「 もちろん、ベルは鳴らしてみたんでしょ?」
「……はい」
「彼女は今、部屋の中にいるわ。今日は彼女、休みだったから。あなたがベルを鳴らしても出なかったのは、内側からあなたの姿を確認して、会いたくなかったからでしょうね」


 私は、背中を向けていた扉を振り返った。


「中に居るんですか……?」
「海を越えてまで来たあなたに声の一つさえかけないなんて、相当決意が固いようね」


 私は、見えないあの人を見つめるように扉を見つめ続けた。


「そういうことみたいだから、悪いけど帰ってくれるかしら?私としても、これ以上彼女に負担をかけて欲しくないの」


 私は才原さんの言葉を無視して力強く扉をノックすると、部屋の中の彼女に大きな声で呼びかけた。


「中谷さん!!お願いです!!少しでもいいから話をさせてください!!」


 そんな私を才原さんは後ろから制止した。


「ちょっと!!近所迷惑じゃないの!」


 私は爪が掌に食い込むほど拳を握った。そして、そのまま廊下の床に這いつくばり、才原さんに頭を下げた。


「お願いします!!ほんの少しでいいので中谷さんに会わせてください!!……私、まだ自分の気持ちをちゃんと伝えてないんです!中谷さんは、こんな私のことを好きになってくれたのに……私も、中谷さんのことだけをずっと好きだったのに……傷つきたくなくてずっと逃げたんです……。本当に馬鹿だけど……救いようのない馬鹿だけど、中谷さんが私の前から完全に居なくなって、ようやく気づいたんです……。傷つくことより、失うことの方が私には耐えられない苦しみだって……どうか……どうかお願いです……」


 額を床にすりつける私の頭上から、才原さんの声が降りかかってきた。


「……あなたねぇ、頼む相手を間違えてるでしょう?私はかこちゃんの彼女なのよ?」
「分かってます!こんなことをお願いする相手じゃないって。道理がなってないのも、失礼なこと言ってるのも分かってます!それでも、このまま帰るわけにはいかないんです!!」


 才原さんはしばらく何も言わずに立っていたけど、靴音がしたと思ったら、私をよけて扉を開け、部屋の中へと入っていった。


 扉を閉める直前、


「残念だけど、遅すぎたと思うわよ」


 それだけを言い残して……



















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