今日もその手を…

榊󠄀ダダ

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第5章

第67話 正しい道

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 日が昇り部屋から出ると、才原さんが朝食を作ってくれていた。何か手伝うことはないかと聞くと、テーブルの郵便物と雑誌を、時計のある台の方に移してほしいとだけ言われた。すぐに出来たての朝食がテーブルに並び、それを目にした私は自然と感嘆の声が出た。内容は見慣れたオーソドックスなものだったけど、盛り付けのセンスが抜群によく、まるでどこかの高級ホテルの朝食みたいだった。


 なんとも不思議な朝だった。好きな人の元カノと向かい合い、朝ごはんを食べている。食事中は、こっちの天気のこととか、文化のこととか、当たり障りのない会話をした。食後には温かい紅茶を出してもらった。


「……いい香りですね」
「マレーシアのものなの。香り高いけど飲みやすいと思う」
「いただきます……」


 紅茶を飲んでいると、才原さんの顔つきがなんとなく柔らかくなっていってるように見えた。


「いつ日本に帰るの?」
「チケットが取れれば今日にでも帰ります。中谷さんがいないなら、もうこっちにいる意味ないですから」
「そう。……じゃあ旅のおみやげに一つ良いこと教えてあげる」
「なんですか?」
「彼女と私が恋人っていうのは嘘。あの子のことを『かこちゃん』て呼んだこともない』
『えっ!!?』
『私はそういう関係になるつもりでいたし、彼女にもその気持ちを伝えていたけど、最後まで彼女は振り向いてくれなかった」


 その話を聞いた時、ふわぁ~と安堵感が全身に振り注ぐように何かから解放された。ほっとした気持ちで小さな息を吐く。すると、そんな私を見ていた才原さんは


「あっでも、一度だけ日本で唇は奪ったけどね」


 と衝撃的なエピソードを、してやったりの顔で笑いながら告白した。とても笑いごとなんかじゃなかったけど、ムッとしながらも才原さんを責めることはしなかった。自分のことを棚の上の上にあげたとしても、私が文句を言っていいはずがない。


「振り向いてもらえなくて、すんなり引き下がったんですか?」
「引き下がるにはそれ相当の理由があったわ」


 才原さんは何もない壁の方に視線を向けていたけど、心の目は違うものを見ているようだった。


「……ある時、彼女に言われたの。才原部長は私の中に前の彼女さんを見てるんだと思いますって。以前、付き合ってた頃の写真を見られてしまったことかあってね。初めはそこまで気になってなかったみたいなんだけど、あまりに執着してくる私に違和感を感じて思い返したって……」
「実際、似てるんですか?」
「……そうね、よく似てたのかも。容姿もだけど、仕草や内面から醸し出す雰囲気も、どことなく重なってたわ……。明らかに違うのは話す言葉くらいかしら。前の彼女は日系のアメリカ人で、見た目は日本人でも日本語は話せなかったから」
「……そうなんですか」
「恥ずかしいけどそれまでは、自分が別れた彼女の陰を無意識に追ってたなんて、気づきもしなかった……。自分から離れたくせに後悔してるなんて認めたくなかったのかもしれない。……まぁ、どっちにしてももう遅いんだけどね」
「……ということは、本心は前の彼女さんとよりを戻したいってことですか?」  
「……あなた、デリケートなことをずいぶん単刀直入に聞くわね」
「今さら回りくどく話す仲でもないかなって」
「…………まぁね」


  私の生意気な言葉に一瞬だけ気に入らなそうな顔をしたけど、カップに口をつけてから才原さんはすっかり毒が抜けたように話し始めた。


「……悔やんでるんだと思う。側にいさせてって言ってくれた彼女の手を、自ら離してしまったことに……」


 その言葉は自分と重なりすぎてこっちまで胸が痛くなった。だけど、だからこそ私は尋ねた。


「そんなことを言ってくれた彼女から、どうして離れたんですか?」
「彼女、画家をしてたの。絵はどこでも描けるからって、私の仕事の都合に合わせていつでもどこでも着いていくって言ってくれてたし、実際そうしてくれてた。だけど、いつか彼女言ってたの。『人里離れた湖のほとりに落ち着いて、毎日静かに絵を描いて暮らすのが夢だ』って。だけど実際は私の仕事の都合で、ひどい時は一カ月で住居を移らないといけないこともあったわ。粗末なアパートの自室をようやく気に入るアトリエへと変貌させたその直後、画材道具を再びダンボールに詰めてる彼女を見て、これ以上彼女の人生を食い潰すのは違うと思った。……だから、終わりにしたの」
 

 才原さんはやっぱり私とは違った。自ら愛する人から離れた事実は同じでも、この人は彼女の夢のため、私は自分を守るため。おこがましくも、一時でも同じだと思ったことに申し訳なく思った。


「彼女さんは、そんな生活に不服そうにしてたんですか?」
「彼女はことあるごとにいつも、幸せだって口にしてくれてたわ」
「ならどうして?」
「だって、彼女の夢が変わってないことを私は知ってたから。幸せと言う言葉に偽りはなかったかもしれない。……だけど、無理を重ねて心が疲弊していってるのは目に見えてた」
「……叶わない夢を、ずっと胸に抱えてたんですね」
「そうよ」


 ぶっきらぼうに言った才原さんを見た時、私は忘れていたことを思い出した。


「……それでも才原さんの側にいることの方が、彼女には夢を叶えるよりも幸せなことだったんじゃないでしょうか?」
「そんなの後からならなんとでも言える綺麗ごとよ……」


 私は立ち上がり、一晩貸してもらった部屋に入っていって、荷物の中から一度しまったものを取り出し戻ってきた。不思議そうな顔をする才原さんの目の前、テーブルの上に昨日隣の住人の人に渡されたハガキを置いた。才原さんは手に取ったそのハガキを瞬きもせずに見つめていた。


「昨日廊下で待ってた時、隣人の方に渡されたんです。言葉は分からなかったけど多分、間違って自分のところに届いたハガキを、ここの住民と勘違いした私に渡してくれたんだろうって思いました。私筆記体読めないから、初めの『N』だけ見て中谷さん宛てだって簡単に思い込んじゃったんですけど、さっき郵便物をどかすように言われた時、その宛名を見てなんか違和感感じたんです。それで今才原さんの話聞きながら気づきました。このハガキ、才原さん宛てですよね?」
「……えぇ。Natsuo Saibara……私宛て……」
「なつお……?渋い名前ですね。ていうかそうですよね、考えてみれば日本と違って名前が先になるんですもんね。危なかったです。中谷さん宛てだと思って危うく日本まで持って帰るところでした……すみせんでした」


 私には、たった一文だけのメッセージの内容は全く理解出来ていなかったけど、ハガキが才原さん宛てだと確信した時、なんとなくピンときた。


 あのハガキはきっと大切な人を想って送られたものだ。才原さんの溢れてくる涙を見て、私の勘は間違ってなかったと知った。


「それ、なんて書いてあるんですか?」


 口をつぐみ教えるのを渋る才原さんに煽る。


「いいじゃないですか、教えて下さいよ!」
「……Such a beautiful view would be meaningless without you」
「いや、分かりませんて。日本語で!」
「こんな美しい景色もあなたがいなければ意味がない……って」
「……遅くなんてないじゃないですか」
「だけど……」


 常に自信に満ちあふれているような才原さんが小さく見えた。


「ありがちな言葉かもしれないけど、間違いに気づいたなら、もう遅いことなんてことはないと思います。それに、例え遅いなら遅くてもいいじゃないですか。だって、どうせ人生を続けるんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「才原さん、例えば才原さんが全く知らない土地でどこかの目的地に進んでいる途中、道を間違えて迷っちゃったとしたらどうします?」
「……えっ?」
「深く考えないで率直に」
「……そうね、文明の利器でも人の力でも、その時手に入れられるものを何でも駆使して、とりあえずそこからの最短ルートを模索するかしら……」
「才原さんて本当に仕事人間ですね……。持論ですけど私が思うに、きっと一番確実な方法は、間違えた時の場所に戻ることです。そこから、今度こそ間違えないように正しい道を進むのが一番いいんじゃないかな」
「見た感じ私より一回りは歳下だと思うけど、随分生意気なこと言うわね」
「はい。その道では私の方が先輩ですからね」
「先輩?」
「私が日本からここまで来たのは、間違えた場所に戻るためなんです。簡単に解決出来ない問題は今も色々あるけど、とにかくもう一度あの人に会って、中谷さんから離れてしまったあの時の間違いを謝りたかった。間違いが大きいほど戻るのは大変なことかもしれないけど、自分より、置いていかれた相手の方が辛いってこと忘れちゃいけないですよね……」
「……そうね」


 才原さんが実際どんな道を選ぶかは分からないけど、才原さんも、その彼女さんも、また幸せだと思える日が来たらいいと思った。


「あの……才原さん、色々とありがとう
    ございました」


 帰り際、私は改めてしっかりとお礼を伝えた。


「私はわざわざ日本からここまで来たあなたを騙したのよ?お礼なんかいらない。私こそ悪いこをしたわね……。本当にごめんなさい。あなたの覚悟が本物じゃないとまた中谷さんが苦しむことになると思って、立場もわきまえず審査してしまった。でも、もうよく分かった」


 曇りのない瞳でそう言われ、少し照れながらドアノブを握ろうとすると、


「そうだ、中谷さんの連絡先知らないんでしょ?教えておく!」


 才原さんが思い出して慌てた。


「あっいえ!気持ちは有り難いんですけど、それは大丈夫です」
「……どうして?」
「ここに来る時も、会社の方が電話番号まで書いてくれたけど、それには頼らなかったんです。中谷さんは海外赴任の前、私からの電話を待ち続けてくれてました。理由がどうであれ私はそれを無下にした。そのせいで私に伝えた番号も解約したんだと思います。なのに、別の人から簡単に番号を聞いて繋がるようなこと、ずるいかなって」
「何言ってるのよ!もうそんな意地はることないでしょう?」
「意地か……確かにそうかもですね。でも、意地張りたいんです。私は自分の力で、あの人ともう一度巡り合いたい」
「……頑固ね」
「せめて頑なって言ってください。あっ!そう言えば、中谷さんていつ日本に帰ったんですか?それだけ知りたいです!」
「この部屋を出て出国したのは三日前よ」
「……三日前!?」
「あなたはいつこっちに?」
「シンガポールの空港に着いたのが三日前です……」
「そうなの!?ちょうど同じ日じゃない!そんなタイミングで入れ違うなんて……。すれ違ってばっかりで、あなたたち本当にこれから大丈夫なのかしら……」
「そんなの捉え方次第ですよ!私が中谷さんに会いたいと思って日本を立った日、同じ日に中谷さんも私を求めてこの国を飛び出したなら、そんな奇跡ないじゃないですか。やっぱり、私たちは繋がってたんだなって……私はむしろ嬉しいです!」
「……無事に会えることを祈ってるわ。気をつけて日本に帰ってね」


 最後に向けてくれた才原さんのやさしい笑顔を見届けてから、私は静かに扉を閉めた。












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