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第十章 せいだく
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しおりを挟む「それ以降じゃなくて、それまではどうしたら良いのよ」
「……言えば我儘だと謗るだろう?」
「このままずっとここにってこと?」
「……」
「それって本当の本気で思ってる? 言ってみてあわよくば叶えばラッキー、駄目なら仕方ないって考えてない?」
「俺はいつも本音を言っている」
「わかった。ここにいる」
「……本気か」
手首を掴んでいた手が緩む。
決めた。ここにいる。
もうあんなことで一々喧嘩したくない。
それに、もう座右の銘になりつつあるけど、後悔は後からするものだ。
進学っていっても、将来何になりたいのかって考えれば、正武家で平平凡凡な主婦なのだ。
だったら玉彦が大学へ行っている間は、南天さんに花嫁修業させてもらって、九条さんの元で神守の眼について学んだ方がよっぽど実りがある。
「本気よ。私がこうと言って実行しなかったことがあった?」
「……良くも悪くもないな」
「その為に二人で乗り越えなきゃいけない壁が三つある。私の両親の説得。正武家にこれからもお世話になっていいのか澄彦さんの許可。あと、小町……」
「一番最後が一番難関だな……」
「でも全部玉彦にしてもらうから」
「なんだと?」
ホッとしたのも束の間、玉彦は信じられないと私を二度見した。
澄彦さんは親馬鹿だから問題ないとしても、このままずっと正武家にいて嫁入りするなら、私の両親に娘さんをくださいと筋は通してもらいたい。
それもかなり近日中だ。
「できない?」
玉彦は大きく溜息をついて天井を見上げた。
少しだけ思案して、私に向けた顔は困ったような笑顔だった。
「やらねばなるまい。我儘を通すにはそれなりの覚悟も必要だ」
「私も一緒に行くから。でもとりあえずは家出の荷物を持って帰って来なくちゃ」
私がそう言うと、玉彦は部屋の明かりをつけて出掛ける準備を始めた。
するすると寝間着の帯を解くので、裾を引っ張る。
「そのままで大丈夫だよ」
「流石にそうもいかぬだろう」
「だって澄彦さんのとこだもん」
玉彦は身体を強張らせて目を見開いた。
「よりによってそのようなところに……」
「一言謝ってから連れ帰るんでしょ?」
「明日の朝に……」
「だったら私、今夜はあっちで寝るわ。明日は日曜だし、ゆっくり寝る」
「明日は日曜……」
私がさっさと部屋を出れば、玉彦は帯を引き摺り結び直しながら追いかけてくる。
そして澄彦さん側の母屋の台所のドアを開けると、もう出来上がった二人と洗いものをする南天さん。
「父上。比和子が世話になりました。連れて帰ります」
入り口で九十度腰を曲げた玉彦の頭に澄彦さんが丸めたティッシュを投げつけた。
「愚か者が。自制心が足りないんだよ、自制心が」
「申し訳ありません。……ついでにこれからずっと比和子はここに居ります。近々正武家と上守で両家の席を設けていただきたいのです」
「あぁ、わかった、わかった。明日、大安だから。……大安だけど。大安だよなぁ? 宗祐」
「はい。左様でございます」
「いや、大安だけど、明日なの?」
澄彦さんはようやく理解をして、自分で明日と言ったくせに玉彦に問い掛けた。
微動だにしない玉彦の隣で私も頭を下げる。
「嘘でしょ、見捨てないでとは言ったけど、比和子ちゃん、男前すぎる……。ぶっ、はっはっはっは!」
お酒が入っているので中々笑いが止まらない澄彦さんは、目に涙を浮かべていた。
「で、光一朗は日本にいるの?」
「今朝電話したら仕事でしたけど、いるみたいです」
「それは都合がいい!」
澄彦さんは素早く懐からスマホを出して耳に当てた。
一度切ってから掛け直すと、相手はすぐに出た様だった。
「あ、僕。澄彦。……うん、呑んでる。……うん、呑んでる。……うん、ごめん。明日、家に来いよ。……そう、奥さんと息子連れて。僕と息子が揃って鈴白出られないからさ。……え? あぁ、略式だけど結納……」
澄彦さんがそこまで言うと、耳からスマホを離した。
ここまでお父さんの怒鳴り声が聞こえてきた。
そして悪びれもせずに再び会話に戻る。
澄彦さんってめげない人だと思う。
「怒るなよ。……えー。……うーん。そうかぁ。代わるよ。ほい、比和子ちゃん」
入り口から進んで差し出された澄彦さんのスマホを受け取ると、上守光一朗と出ていた。
心の準備をする間も無くこんな局面に立たされて、血の気が引く。
すると玉彦がスッと持ち上げて、廊下に出てしまった。
「あっ……」
追い掛けようとしたら、来るなと目配せをしてドアを閉めてしまった。
大丈夫かな、お父さん怒ると結構怖いんだよな……。
ドアの前から動かないでいれば、背後から澄彦さんの呑気な鼻歌が聴こえる。
二曲目が終わったころ、玉彦は少しだけ疲れた顔をして戻ってきた。
たぶん、こってりと絞られたのだろう。
「父上、お返しします」
スマホを受け取った澄彦さんは姿勢を正して、玉彦の報告を待った。
「明日比和子と通山へ行きます。結納はまだ先になります。式の半年前が望ましいとのことです」
え? と台所にいた四人が玉彦を注視する。
お父さん、反対しなかったのだろうか。
「願可の儀を終えていたのでもう、仕方がないと。あと、手順を間違えるなと父上にお怒りでした」
そうだった……。
お父さんは鈴白村出身だから、嫌というほど正武家のことに関しては承知している。
しかも親友が跡取りで、自分は神守であるし。
それに私と玉彦が小さい頃に出逢った時、きっともうそうなるだろうと感じていたはずで。
「南天、明日は早く出る。酒は呑んでおらぬだろうな」
「はい」
「では明日。父上、これにて下がります。帰るぞ、比和子」
「あ、うん」
手を引かれるがまま台所を出て、私の荷物を持ち出し、玉彦側の母屋に戻って元通りになればようやく玉彦は一息ついた。
自分の部屋のお布団に倒れ込んだ玉彦は、枕に顔を埋めたまま何かを考えている。
明日私のお父さんに会ったときのことだろうか。
それとも違うことだろうか。
「玉彦……?」
背中を撫でればしっとりとしていた。
かなり緊張していた証拠である。
思わず笑ってしまう。
澄彦さんは感情の起伏が少ない息子だと嘆いていたけれど、そんなことは全然ないのだ。
私からすれば喜怒哀楽がストレート過ぎるし、結構独占欲が強くて嫉妬深い。
「明日、朝早いけど、一緒に寝る?」
無言で頷く後頭部を撫でれば、とても愛おしくなる。
「頑張ったねー、玉彦」
私はそう言って、灯りを消した。
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